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太鼓橋のある町 4
**************************** 桃戸 千
第三章 母の記憶
いよいよ新学期が始まり晶子は秋田の小学校に通うことになった。
転入先の小学校は、4キロも先にあった。
晶子の足では小一時間ほどかかったが、厳しい祖母の下では学校を休むなど、とても口に出せなかった。
ところが不思議と学校に行くことが苦痛でもなんでもなかった。
4キロの道のりを自分の足で通学していることに晶子は満足していた。
当たり前のように通学する快感を味わっていたのだった。
通学路には、沢山の花が咲いた。
春の訪れが遅かった分、色々の花が待ちかねたとばかりに一斉に咲き出すのだった。
6月ともなると結構暑いと感じる日が多く、東北にいることを忘れてしまうほどだ。
夏には裏庭のブドウが沢山実をつけた。晶子はそれを収穫して洗い、夕食後に皆に振舞う仕事を与えられた。
ある日の夕食後、ブドウを口に運びながら、めずらしく祖父が晶子に話しかけた。
「晶子は、『竿燈祭り』に行ったことあんめ」
「竿燈祭り?」
「秋田の有名な祭りなんだよ。そうだな、今年はみんなで行くか」
叔父が祖父の言葉を受けて言った。
叔父は、秋田市の広告代理店に勤めていて、竿燈祭りは叔父の会社のまん前を通る。
「特等席で見れんぞ」
叔父は得意げに言った。
『竿燈祭り』とは、連なる提灯を米俵に、竿燈(かんとう)全体を稲穂に見立てた、豊作を祈る祭りだ。
「晶ちゃ、おばあちゃんが浴衣さ作ってけだよ」
さきが白地に金魚の模様の浴衣を広げて見せてくれた。
さきはいそいそと、浴衣を着せ、髪を頭のてっぺんで団子に結って、絞りのリボンを結んだ。
「晶ちゃ、まんちまんちめんこえなぁ」
「ンだな、よぐ似合ってるよぉ」
皆口々にほめた。
「ちっとこ、回ってみれ」
祖母が手を叩いて言った。
晶子はうれしくてくるくると回り始めた。
祖母の前までくると晶子は動きを止め、
「おばあちゃん、ありがとう」と言った。
祖母は、「うんうん」とうなずいた。
祭りは勇壮であった。
大通りを埋める、200本の竿燈が大きく右に左にゆれ、まさに稲穂のようだった。
祭りの間、晶子はよく笑った。
祖母たちはその様子に満足していた。
晶子はすっかり心を開き、秋田の家になじんでいると確信していた。
しかし、誰も知らない晶子の心の奥底に、固い氷があった。
そこには母の記憶が凍結されていた。
みな、晶子の手前、母親の話はしなかった。
晶子もまた触れないようにしているのだと、皆そう思っていた。
だが晶子の心の中のどこにも母の姿は見当たらなかった。
晶子がずっと前に封印してしまったのだ。
二回目の夏がすぎ、3回目の冬が来た。
秋田の小学校の冬休みは長い。暖かい町の夏休みと同じぐらいの長さだ。
秋田は東北でもかなりの豪雪地帯だが、その冬はびっくりするほど雪が少なかった。
そのかわり、九州に大雪が降り、日本列島が逆立ちした、とニュースでアナウンサーが大げさに話していた。
晶子は、その頃には学校にもなれ、友達もできていた。
不登校の元気のない少女は、子供らしい明るさを取り戻していた。
晶子は、そり遊びや雪投げをして遊んだ。
そうしてあっという間に、冬休みもすぎ、3学期が始まった頃、父からの便りが届いた。
どうにか親子が暮らしていけるだけの生計が立てられるようになったのだった。
転校の手続きやらなにやら、叔母たちがいろいろと世話を焼いてくれた。
終業式の翌日、父はやって来た。
叔母たちは皆寂しがってくれた。涙を流して別れを惜しんでくれた。
相変わらず祖母たちは父に素っ気無かったが、晶子をくれぐれも頼むと心配してくれていた。
「晶ちゃ、まめでなあ。おかあさんがけえってきてくれたら、ええんだけどなあ。
ごめんしてけれ」
別れ際、祖母が晶子に詫びた。
「お母さん?」
晶子は不思議そうな顔をした。それから考え込んだ。
なにか大事な事を忘れているような気がした。
「晶子、ちゃんとおばあちゃんに挨拶しなさい」
父が声を掛けたとたん、晶子の思考はそこで止まった。
「おばあちゃん、さきおばちゃん、映子おねいちゃん、さようなら」
「いつでも、遊びにおいでよ」
「うん、絶対くるね」
父はぽんと晶子の頭に手を載せた。
懐かしい暖く大きな手の父。
今の晶子には、父の存在だけで充分だった。
「お父さん、晶、背が伸びたでしょう」
「おとうさん、晶、体重もすごく増えたんだよ」
駅までの道、晶子はおしゃべりがとまらなかった。
「晶はそんなによく喋る子やったかなあ。ほんまに背が伸びたなあ。
元気そうになって、見違えてしもた。皆に良くしてもらったんやなぁ」
父も嬉しそうに笑う。
東北の春はまだ浅く、道にはまだ雪が残っていた。
風もまだ冷たく、晶子も父もコートの襟を合わせなければならなかった。
いよいよ南行きの列車に乗り込もうとしたとき、蒸気機関車の汽笛が遠くに聞こえた。
汽笛の音は晶子のこころの奥底にいつまでもやさしく響いていた。
つづく
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