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 太鼓橋のある町 7

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第六章 オウムの家




早めに明けた梅雨のあと 町は頻繁に光化学スモッグ注意報が発令されていた。

学校で「なるべく家の中にいるように」と指導された子供たちは、

退屈な放課後をそれぞれの家ですごさなければならなかった。

そんな日は、なぜか必ずと言っていいほど夕立があった。

夕立が降ると晶子は、父の部屋の窓から外を眺めた。

空に光る稲妻と土砂降りの雨を眺めるのが晶子は好きだった。




ある日曜日の朝、晶子は家のまわりをぶらぶらしていた。

ふと路地から顔を出した猫に目が止まった。

「あっ、待って」

晶子は猫を追いかけ路地に入った。

黒塗りの塀がつづく暗い路地を抜けると、猫はどこに行ったのかもう見当たらない。

そのかわり真っ白で大きなオウムがいた。

オウムは黒塗りの土塀に続く、屋根のある立派な門の前にいた。

オウムの正面に回ると門の中に広がるお花畑が見えた。



「すごい。お花がいっぱい」

晶子が見とれていると中から女の人が出てきた。

白いエプロンをつけた、上品な人だった。

「さわっても大丈夫よ。おとなしいから」

晶子は言われるままオウムの首の辺りを撫ぜて見た。

オウムは自分から首をかしげ、ここを掻いてと催促した。

晶子はオウムの首を掻いてやった。

「人に触ってもらうのが大好きなのよ。あなた杉山さんとこの娘さんでしょう。

 うちの武と同じクラスなのよね」

「奥山武君ですか?」

「そう。あなたとっても人気ものなんですってね。武が言ってたわ。」



奥山武は晶子のクラスメートだった。

ずんぐりと背が高く、動きがスローで、

口の悪いクラスメートに「ジャイアント馬場」とあだ名をつけられからかわれていた。



「ここ、奥山君のうちやったんや。ぜんぜん知らんかった」

「良かったらいつでも遊びに来てね。そや、お花持って行く?」

武の母はエプロンのポケットからはさみを取り出し、てぎわよく庭の花を摘んだ。

「本当はね、武はバラの花が好きなの。でもうちの庭は土が合わなくて育たないのよ」

ひとりごとのようにいいながら、またエプロンのポケットから輪ゴムを出して、

切った花を一まとめにし、晶子に手渡した。

「ありがとう」



うちに帰ろう歩き出したとき、向こうから武がやってきた。

「奥山君」

「あ、」

「これ、奥山君のおかあさんにもらったんや。」

「・・・・」

「奥山君、オウム飼ってるんやね。すごいなあ」

武はなにも言わなかった。

晶子はなんとなく気まずくなった。

「いいなあ。私もオウム飼って見たいわ」

すると武がぽつんと言った。

「おかあさんが勝手に買って来たんや。俺に友達がおらんからゆうて」

「ふうん」

「おれはオウムなんかほしくない」

そう言うと武はぷいっと行ってしまった。

武に何か悪いことを言っただろうか。

なんだか嫌な気持ちのまま、晶子は家に帰った。






「どうしたんや、その花」

花を生けている晶子に出勤前の父が聞いた。

「近所にクラスの子の家があって、そこでもらった」

「ふーん。えらい親切な人やな。まあ、近所の人と仲良うすることはええことや。」

父はひとりでそんなことを言って、髭をそっていた。

「晶、今週は映画に行こか」

「うん。でも、もう西部劇はいややで」

レストランは日曜も営業していた。

日曜が休みの晶子とは、当然休日がすれ違ってしまうので、

晶子と父はよく土曜日の夜オールナイトの映画を見に行った。

「なんでや、西部劇は最高やないかあ」

「いやや。あ〜あ、映子おねいちゃんやったら青春映画とか見せてくれたのになあ」

晶子はそれでも父と行く映画を楽しみにしていた。

二人の唯一のイベントだったから。

父は若いころから映画や音楽、そして本が好きな人だった。

古い映画、JAZZにクラッシック、リルケや三国志、父は晶子にいろいろと話して聞かせた。

晶子はそんな父の話を聞くのが好きだった。

夜遅く帰ってくる父といろんな話をする。そんな時間が特に好きだった。




それからニ、三日たったある日。

その日も光化学スモッグは発令され、やはり夕立が降った。

誰もいない家で晶子は雨を眺めていた。

雨はスモッグでよごれた空気を洗うのが仕事とばかりに威勢良く降った。

そして仕事を終えると、あっさりとやんだ。

晶子はきれいになった夏の夜の空気を楽しんでいた。

人影が晶子の家の方に近寄ってきた。人影は晶子のいる真ん前で足を止めた。

晶子はぎょっとしたが身動きができなかった。

女性らしき人影の下半身が白く浮んだ。

白いエプロンだった。見覚えのあるエプロンだ。

女性の手がエプロンのポケットに滑り込み、花切バサミを取り出した。

「武君のおかあさんや」

武の母は晶子のほうにぐっと近寄った。

晶子はドキドキした。

「私がここにいるってわかったらどうしよう」

だが、武の母は晶子に気付かず、

晶子の家の小さな庭に咲いている最後のバラ、そのピンクのバラを一輪切り取った。

武の母は、バラを眺めてにっこり笑うと、もと来たほうに帰っていった。




「武君の部屋に飾るんや」

晶子はそう思った。


―武はバラが好きなのー


武の母の言葉が生々しく晶子の頭の中で響いた。

晶子はぶるっと震えた。鳥肌が立っていた。




―おれはオウムなんかほしくないー


今度は武の言葉が聞こえた。




それからまた何日かがすぎた。

明日からいよいよ夏休み。終了式も終わり、みな帰り支度をしていた。

先生を待つわずかな時間、晶子は友達に囲まれおしゃべりをしていた。

すると、

「どんくさいなあ、ほんま奥山はジャイアント馬場やなあ」

「ジャイアント馬場、空手チョップしてみい」

とクラスの男子が大声ではやし立てる声が聞こえた。

晶子もまわりの女の子たちもいっせいにそちらを見た。

「また、奥山君や。やめといたげたらいいのに」

「でも、奥山君見てたらイライラするから、イジメられるのもわかるけどな」

「うん、ちょっとな」

女の子たちの会話を聞いて晶子はぞっとした。

遠い記憶の中では、自分も奥山と同じだった。

学校になかなか来ない晶子を、クラスメートが囲んでいじめている。

そんな場面が晶子の頭の中に浮んだ。

「そうや、わたしもおんなじやった。でも今はみんな私をいじめない。

 あの時の私と今の私、おんなじ私やのに」

晶子の中に暗い、強い怒りのようなものがふっと沸いた。




その時だった。

「おい! やめろ! 奥山! やめろ」

男の子たちの大声に晶子は我に帰った。

武が窓の枠に足を掛け、そこから飛び降りようとしていた。

「死んだる。こっから飛び降りて死んだる」

晶子のクラスは4階にある。その窓から飛び降りたら、充分命を落とす可能性がある。

気がつくと晶子は武の服を掴んでいた。

「あかん、死んだらあかん」

「はなせ。俺はもういやや。死ぬんや」

晶子は無我夢中だった。武の母の顔とオウムが晶子の頭に浮んでは消えた。

「あかん、死んだらあかん。おかあさんが悲しむ。みんな悲しむ」

「うるさい。お前みたいにみんなにちやほやされてるやつに何がわかるんや」

「わかる、わかる、私は・・私は・・」

今度は晶子の頭のなかに武の母がバラを切る姿が浮んだ。

「私は・・・私は・・・私のおかあさんは死んだんや。もっとそばにいて欲しかったのに。

 もっと、もっと甘えたかったのに!」

武はぎょっとした。

「そやから、そやから、死んだらアカン、死んだらアカン、死んだらアカン」

晶子の叫び声はやがて泣き声に変わり、そして絶叫となった。

涙が後から後からあふれ、

どこからそんな声がでるのか、クラスの外からも人が集まってくるほど大きな声で泣いた。

もう、自殺騒ぎはどこかへ行ってしまった。

当の本人の武がおろおろしていた。

「わかった、もう死なへん。もう死なへん。そやから泣くな」

けれども晶子の涙は止まらなかった。

騒ぎを聞きつけた担任の先生も、五郎までもが教室に集まってきたが、

晶子にはまわりの騒ぎなど耳に入らなかった。




晶子の体の真ん中あたりから何かが大きな川ようにとめどなく強く流れ、

そして晶子の心の一番奥にあった固いものを溶かしていた。

「私のおかあさん、死んだ? ちがう、ちがう。わたしのおかあさんは・・私のおかあさんは」




気がつくと晶子はイスに座らされ、ほとんどの子供たちはもう帰っていなかった。

担任の先生と武と武をいじめていた何人かが晶子を取り囲んでいた。

放心状態の晶子を、なかば怖いものでも見るようにみなが見下ろしていた。

「杉山さん大丈夫?」

担任の先生が聞いた。

「もう大丈夫です」 ふらふらと晶子は立ち上がった。

みなが口々に晶子に謝っていた。




帰り道はどうやって歩いているかもわからなかった。

「おかあさん、おかあさん」とクチのなかで小さく何度も繰り返した。




「晶ちゃん」

五郎だった。

「晶ちゃんどうしたんや。あんなに泣いて」

「五郎君」

「誰かにいじめられたんか?」

「ちがう、ちがう。私思い出したんや」

「何を?」

「わたし、今さっきまでおかあさんのこと忘れてたんや」

「おかあさんが死んだことを忘れてたんか?」

「ちがう。おかあさんは死んでない。2年生の時におらへんようになってしもたんや」

「ほんなら、なんで死んだなんて言うたんや」

「私もわからへん。ずっと死んだって思ってたのかも知れへん。

 でも、さっきいっぱい泣いて思い出したんや。おかあさん、ちゃんとどっかにいてる。

 でもな、でもな、私、おかあさんの顔、はっきり思い出されへんねん」

晶子の目からまた大粒の涙があふれた。

「わかった、わかった。わかったからもう泣かんといてえな。ぼくもいっしょに考えたるから」

晶子は五郎の言葉がうれしかった。

担任の先生の慰めよりもずっとうれしかった。

「そうや、家に写真があるんと違うか? きっとそうや。探してみよ」




五郎の名案にふたりは走って家に帰り、玄関にランドセルを投げ出すと写真を探し出した。

しかし、いくら探しても写真は出てこなかった。




「晶ちゃんのおかあちゃん、おとうちゃんとけんかして出て行ったんか?

 そうやったら、おとうちゃん怒って捨ててしもたんと違うか?」

「そうかも知れへん」

「おとうちゃんに訊いてみたら」

「それは・・・できひん」

「なんで?」

「なんでも、それはできひんのや」

解せぬ顔をしながら五郎はランドセルを担いだ。

「もう泣いたらあかんで」

「うん、大丈夫や」

晶子はほんとうにもう大丈夫だった。

母の写真を探しながら、晶子はひとつひとつ母の記憶を取り戻していたからだった。

そして、「やっぱりおとうさんには聞かれへん」と思うのだった。



つづく





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