*********************************
太鼓橋のある町 8
**************************** 桃戸 千
第七章 ラブレター
この町に来てはじめての夏休みがやってきた。
晶子は夏休みの間、五郎と八幡様の山すそに秘密基地を作った。
二人で、いろんな物を持ち寄って来た。
ビー玉や、缶けり用の缶、不思議な形の木の根っこ、基地の中は宝物でいっぱいだった。
入り口はむしろでドアを作って葉っぱでカモフラージュしたので、
ちょっと見たぐらいではそれとは気付かれない。
基地のまわりには山葡萄のつるがどの木にも巻きついていて、
「秋になったら、山葡萄がいっぱい生るから、おやつに困らへんで」
と五郎が教えてくれた。
晶子も五郎も基地のできに大満足だった。
長い夏休みの間、晶子にはもう一つじっくり取り組む宿題があった。
母の断片的な記憶を拾っては少しずつつなぎ合わせることだ。
晶子はその作業をこつこつと続け、自分が置かれている状況を把握することに成功していた。
そして晶子をおいて出て行ったのが母で、晶子を守ってくれたのが父だと言うことを理解していた。
だが不思議なことに、晶子には母を恨んだり責めたりする気持ちはさらさらなかった。
それどころか母に逢いたいという気持ちが次第に強くなってきていた。
晶子はその気持ちの持って行き場に困っていた。
母との唯一の接点は、晶子にとっては父しかいなかった。
しかし、父に母の所在を確かめる勇気がなかった。
父はきっと怒り出すだろう。
晶子を責めるかも知れない。
そう思うだけで晶子の口は重くなるのだった。
夏休みが終わりに近づいたある朝、晶子はいつものように松の木にもたれて五郎を待っていた。
いつもなら日が高くなる前に現れるはずの五郎が、今日は姿を見せなかった。
ミンミンゼミの鳴く声は、時間を長く感じさせる。
晶子は待ちくたびれて駄菓子屋にアイスキャンディーを買いに行くことにした。
太鼓橋を渡った向こうに駄菓子屋はある。
いつもおばあちゃんが一人で店番をしている。
たいていはお菓子の積まれたすぐ後ろの畳の上にお座布団を引いて、チンとすわっているが、
時々奥の部屋に行ってしまって、お店がからのときがある。
その日もおばあちゃんの姿は見えなかった。
アイスボックスは店の中なので、晶子は重たい引き戸をガラガラと開き、太くて大きな敷居をまたいだ。
店は明治のころから建っているそうで、柱も梁もとても太かった。
京都のうなぎの寝床と呼ばれるこの建築は、南北に細長い。
おかげで、店の奥から涼しい風が吹いてくる。
ひんやりと暗い店内。晶子はこの感じが好きだった。
「ごめんくださあい、アイス下さあい」
「へーい、ちょっと待っとおくれやっしゃあ」
暖簾を押しあげて、おばあちゃんが出てきた。おばあちゃんは夏でもキモノを着ている。
秋田の祖母もいつもキモノを着ていたので、晶子は駄菓子屋に来るたびに秋田の家を懐かしく思い出していた。
「へえ、へえ、ごめんやっしゃ。どれしまひょ」
「これ、下さい。いくらですか?」
「へえ、30円どす。おおきに」
駄菓子屋のおばあちゃんは祇園言葉をはなす。
「あの駄菓子屋のばあちゃんは、昔、舞妓さんやったんや」
ものしりの五郎は、おばあちゃんのそんな昔話まで知っていた。
「どんな舞妓さんやったんやろう」
晶子はアイスキャンディーをなめながら考えた。
でも、でっぷりと太った今のおばあちゃんからはとても想像できなかったので、
アイスを食べ終えると、持ってきた本を読み出した。
図書館で借りたアガサクリスティーは、登場人物がたくさん出てきて、理解するのがなかなか大変だった。
晶子は頭の中で登場人物を整理するのに熱中していた。
と、目の上はしあたりに芝生を踏む運動靴が見えた。
顔を上げると五郎が立っていた。
五郎は自転車を猛スピードで漕いできたようで、はあはあと息をしていた。
ミンミンゼミが鳴く声とおんなじ調子で肩が上下している。
顔が真っ赤だった。
「五郎君、遅かったね」
晶子が声を掛けたが、五郎は何も言わない。
なんだか思いつめたような顔をしている五郎を、晶子はしばらく、黙って見ていた。
「はい」
唐突に五郎がこぶしをまっすぐに突き出した。
どうやらなにか握っているものを晶子に渡そうとしているらしい。
「なに?」
晶子の問いに答えず、五郎はまた「はい・・・」と言った。
晶子はゆっくりと手のひらを上に向けた。
五郎がその手に突き出したげんこつを乗せた。そしてそのまま晶子の手を握った。
晶子は少し驚いたけれども、そのままでいた。
晶子も五郎も繋がったお互いの手を見つめていた。
馬場前に生えているたくさんの木が、まるで二人を守っているように暗く影を作ってくれている。
すぐそばの車道には8月の強い日差しが照り付けられ、
バスやら自転車に乗った人やらが、二人に関係なく日常を営んでいる。
やがて、もう目を覚ましなさいとでも言っているかのように、山から風が吹き降ろされ、
晶子の麦藁帽子が飛ばされた。
五郎が、握っていた手を離して帽子を追いかけた。
馬場前から飛び出す寸前に、帽子を捕まえると、急いで晶子に手渡した。
そして、その勢いのまま、自転車に飛び乗って行ってしまった。
残された晶子の手のひらには、小さな封筒が乗っていた。
花束なんかに添えてあるような手のひらに収まるほどの封筒だった。
表に、「晶子さま」と五郎の字で書かれてあった。
中を開いて読んでみた。
「ぼくは、晶ちゃんが好きです。
恋人になってください。
今度の土曜日 デートして下さい。
10時に太鼓橋で待っています。
秋吉五郎」
晶子は驚いて、思わず五郎の帰って行ったほうを見た。
「どうしよう。今度の土曜日ゆうたら、あさってやん」
晶子は手のひらを見つめてため息をついた。
五郎の手の感触がまだ残っていた。
次の日、晶子は馬場前に行かなかった。
五郎と会うのが照れくさかった。
どこにも行かず、じっと家のなかで過ごした。
簾の掛かった暗い家のなかは、考え事をするのにぴったりだった。
卓袱台の上に頬杖をついて座っていた。
カルピスを入れたグラスに水滴がいっぱい付いていた。
恋人になることがどんなことなのか、誰か教えてほしい。
晶子はそう思った。
「澤井さんやったら、なんて言ってくれるかな」
そう言ってしばらくしてから、はっとした。
「おかあさんやったら、なんて言うやろ」
そう思うと無性に母に逢いたくなった。
母が家にいて、五郎を招き、ジュースとケーキを出してくれるところを想像した。
そうなったら、どんなにいいだろう。
そうしたら、恋人になることがどんなことか、母はきっと教えてくれるだろう。
結局、晶子は土曜日のデートをすっぽかしてしまった。
五郎のことは考えないようにした。
机の整理や、家の掃除をして一日過ごした。
それでも夕方を過ぎると、考えまいとしていた五郎のことが気に掛かってしょうがない。
「がっかりしたかな。怒ってるかな。長いこと待ってたのかな」
そのうちだんだん腹が立ってきた。
「五郎君が急にあんな手紙くれるからあかんねん。
デートなんかまだ早いんや。
そうや、五郎君が悪いんや」
五郎のせいにするとずいぶんすっきりしてしまったので、晶子はお風呂にはいって、さっさと寝てしまった。
あまり早く寝たので、翌朝はいつもより早く目が覚めた。
服を着替えて、牛乳を取りに出ようとした時、
家の前で自転車のスタンドをあげる音がして、誰かが走り去っていった。
「新聞屋さんかな?」
そう思いながら、玄関のネジ式の鍵をくるくる回してあけた。
牛乳を取り出そうとした時、牛乳箱の上に赤い表紙の本が一冊おいてあるのに気がついた。
横溝正史の「金色の魔術師」だった。
独特なタッチの恐ろしげな絵の表紙は横溝正史の特徴で、子供たちの間で流行していた本だった。
見ると手紙がはさんであった。
晶子はなんだか胸騒ぎがして、あわてて手紙を読んだ。
「晶ちゃんへ
ぼくは今日おとうさんのてんきんで
ひっこしすることになりました。
この本はぼくが持ってるたった1さつの本です。
晶ちゃんにあげます。
この本を読んだら ぼくをおもいだしてください。
さようなら。
秋吉五郎」
晶子はすぐに自転車に飛び乗って走り出した。
自転車はとなりのおばさんのだ。
いつもはきちんとおばさんに断ってから借りていくが、今はおばさんに声を掛けている暇はない。
さっきの自転車の音は五郎だったのだ。
まだ間に合うかもしれない。
晶子は必死でペダルを漕いだ。
アスファルトはいたるところでひび割れている。
自転車のタイヤは大きすぎた。
晶子は何度も転びそうになった。
駄菓子屋を過ぎ、横断歩道を突っ切った。
五郎が可愛がっている白い野良犬が、猛スピードの晶子にビックリしている。
うねった道をカーブすると、土蔵のカゲから太鼓橋が見えた。
太鼓橋の一番高いところに五郎が自転車を止めて立っていた。
「五郎くん」
太鼓橋のたもとに自転車を投げ出すと、晶子は五郎の下に走って行った。
「五郎君、ごめんな、ごめんな」
五郎はビックリした顔で晶子を見た。
「ごめんな。昨日、いっぱい待った?」
「うん。ゆでだこになりそうやった」
五郎が笑ったので、晶子はほっとした。
「五郎君、ホンマにいってしまうん?」
「うん。もうすぐ引越しのトラックがくるんや」
五郎は太鼓橋の欄干に手をやり、鉄橋の向こうにある五郎の家の方をながめた。
「晶ちゃん、秘密の基地は誰にもばらしたらアカンで。」
「うん・・・・・。山葡萄いっしょに食べられへんかったな」
晶子が少し泣き声になったので、五郎はあわてて言った。
「晶ちゃん、ブドウ独り占めやなあ。あんまり食べすぎたら、オデブになるで。
オデブになったら、誰もお嫁さんにシテクレへんで」
「オデブになんかならへんわ」
いつもの五郎の冗談に、晶子は泣きながら笑った。
「ほんなら、ここでさいならや・・・・」
「うん。元気でな」
五郎は、自転車にまたがると、晶子を振り返った。
「あきちゃん、恋人になってな」
晶子は、五郎のいう恋人の意味がやっとわかった気がした。
「わかった。 恋人になる」
「やったあ。晶ちゃんは恋人やあ」
五郎はもう自転車を漕ぎだしていた。
太鼓橋の上から勢い良く降りていく後ろ姿に晶子は叫んだ。
「私の事、忘れんといてなあ」
「忘れへん。大人になっても忘れへん」
五郎はあっと言う間に建物の影に隠れて見えなくなった。
晶子は太鼓橋の欄干にもたれて、川風にふかれながら少し泣いた。
朝焼けが川面に映ってきらきらと輝いていた。
セミの声がいつの間にかツクツクホウシに変わっていた。
つづく
みんなで作文トップページへ戻る