ある友達がいました。
同い年でした。
いつも笑っていました。
あいつの笑っていない顔を見た記憶がないくらいです。
そいつは今年の6月の終わりに遠くにいきました。
遠くに遠くにいきました。
そいつは白血病でした。
もう治る見込みは皆無だったそうです。
そいつは僕の話が好きだと言ってくれました。
どんな話をしていたかと言うとこのサイトで書いてる日記のようなことです。
そいつは僕が話すと必ず笑ってくれました。
つられてこっちまで笑ってしまいます。
そいつは僕によく夢を話してくれました。
「運動をしてみたい。」「街に出て遊びたい。」
僕たちにとっては何でもない普通のこと。
でも、そいつにとっては僕たちにとって何でもないことは紛れもない夢でした。
そいつはある日、医者に余命宣告を出されました。
それでもその夢だけはいつまでもいつまでも僕に話してくれました。
ずっとずっと笑顔でした。
あまりにもいつも笑っているので一度だけ僕はそいつに聞きました。
「死ぬのは怖くないのか?」、と。
そいつは笑いながら一言だけ答えてくれました。
「怖くないよ。」
あまりにもサラッと言うので僕は思わず笑ってしまいました。
そんな僕を見てそいつもさらに笑いました。
何もおもしろくはないのに二人でただただ笑っていました。
二人して笑っているとそいつが僕に言いました。
「もし僕が死んだら泣いてくれる?」
もちろんそいつは笑顔でした。
「さぁ、どうだろ?」
僕も笑って答えました。
「そのときぐらいは泣いてくれよ」
そう言ってそいつはまた笑っていました。
僕はこいつの笑顔が大好きでした。
僕は大学生です。
しかも実家の兵庫付近の大学ではなく遠く離れた富山の大学です。
大学の講義の期間中は行きたくてもお見舞いにはいけません。
その間、そいつはどうしていたか。
僕のサイトを見てくれていました。
僕が毎日多少は無理してでも更新する理由。
それはそいつに見てもらいたいという気持ちからでした。
ディスプレイのむこうでそいつは笑ってみてくれていたでしょうか?
多分、笑っていてくれていたと思います。
ある日の夕方、電話がかかってきました。
そいつのお母さんからでした。
「ごめんねぇ蓮くん・・・あの子・・・死んじゃった・・・。頑張ったんだけど・・・頑張ったんだけど・・・」
一瞬にして僕の思考が停止しました。
何を言ってるんだろう。
だって医者が言ったあいつの余命はまだ3ヶ月はあったはずじゃないか。
僕はお母さんに言いました。
「おもしろくないですよその冗談。」
お母さんは言いました。泣きながら言いました。
「ごめんね・・・ごめんね・・・」、と。
お母さんが息子の命を使ってまで冗談を言うわけがないことはわかっています。
わかってはいるんですが認めたくなかったんです。
僕が夏休みに帰ったらまた遊ぼうって約束したんです。
ガキみたいに指きりまでしたんです。
神様、あなたが人の寿命をもし司っているのなら僕はあなたが大嫌いです。
僕はお母さんの泣きじゃくる声をただただ聞いていました。
そして僕は一つだけお母さんに聞きました。
「あいつは笑っていましたか?」、と。
お母さんは答えてくれました。
「ええ、笑っていました。」、と。
涙は出ませんでした。
僕はひどい人間でしょうか?
悲しいのはたしかなんです。
ただ、涙だけはでませんでした。
星がキレイでした。
僕は葬式にも行きませんでした。
そいつのお母さんには電話で行くと言いました。
そう言うとお母さんは少し笑いながら
「講義あるでしょ?なのに富山からわざわざ帰ってきてもらっちゃあの子に怒られますよ」
と言いました。
たしかにそいつは僕に迷惑をかけることを極端に嫌っていました。
そいつにとって僕は入院してから出来たたった一人の友達だったのです。
僕はそいつの葬式の日、大学の講義に出ました。
出ましたがもちろん講義が頭に入るわけありません。
あいつの好きな絵を1時間半、延々と描き続けていました。
リアルなドラえもん。
別に僕は絵がうまくないけどおもしろいと言って喜んでくれた絵。
この絵は実家に帰りそいつの墓参りに行く時に持っていこうと思い今も持っています。
そいつが死んでから数日後、僕のもとに一通の手紙が届きました。
差出人の名前はそいつの名前でした。
僕は急いで封筒の封を破り手紙を読みました。
一枚の手紙にはそいつの気持ち、そして僕への望みが書いてありました。
日付はそいつが余命宣告を受けてから約1ヶ月後の日付が書かれてありました。
ここに何行かその手紙の内容をあげようと思います。
「蓮がこの手紙を読んでいるということは僕は死んだんですね(笑)あー、残念です!」
何だこの緊張感のない内容は。
僕はそいつらしい文章に少し笑ってしまいました。
でも手紙を徐々に読んでいくうちに僕もじょじょに涙が流れ始めました。
あぁ、こいつは死んだんだ。
やっと自分の中で認めることができたのです。
多分、この日が僕にとって過去21年間で一番泣いた日だと思います。
手紙は最後にこう締められていました。
「僕の友達でいてくれてありがとう。お願いがあります。僕のために泣かないで下さい。笑っていてください。」
以前は泣けと言っていたのに今回は笑えって。
難しいお願いするんじゃねぇよバカ。
とりあえず僕は泣きながら笑いました。
これでいいか?いいよな。少しは泣かせろ。
僕の好きなマンガでこういう言葉があります。
死んだ者の気持ちは生きてる者が残していくんよ。
わしらが辛い苦しい思うとったら先に逝った連中もいつまでたっても辛くて苦しいんよ。
だからせめてわしらは笑うてやらにゃ。
心配せんでもええて笑うてやらにゃ。
おい、お前が心配しなくてもいいように俺は笑っていてやるよ。
だからお前もそっちでいつも通り笑っていてくれ。
いつかは俺もそっちにいくよ。お前と同じように笑っていけたらいいな。
俺は早死にする気はないから70年ぐらい気長に待ってくれ。
あ、今日で俺は21歳になったんだ。だからあと69年待ってくれな。
お前は俺の友達だ。
友達でいてくれてありがとうなんていうなバカ。
まだ友達だ。
まだじゃねぇや、永遠に友達だ。
お前が歩めなかった残りの人生、夢、俺がこれから紡いでいってやる。
絶対にロクな人生にはならないと思うがそれでもよかったら俺にお前の歩むはずだった未来を紡がせてくれ。
そこで笑って見ていろ。
俺は笑って生きてやる。
そして笑って死んでやる。
もうすぐ墓参りに帰るからさ。
お前の好きな絵と俺のサイトの日記を印刷したやつを持っていくよ。見るだろ?
笑ってくれな。
2003年 7月27日 蓮