あの星が沈む前に


−たいむ・とらべらあず・だいありー  番外編−


 雪の降る夜の帰り道、きん、と空気が張り詰めていた。息が白い。手が悴んできたな、と、両の手に息を吹きかけてみる。微かに漂う酒の香り。士元の奴、見境なしに飲ませたな。あいつの家には、正体不明の酔っ払いが後二人ほど転がっているはずだ。

 泊まって行けという勧めを断ったのは、雑魚寝が嫌だったからだけではなく、うちの弟が忍耐の限界に達しつつあるのがわかるからである。何しろ、家の雑事を八割方押し付けているせいで、今やどこぞの小姑並みに口うるさくなってしまった。

 心配しているのはわかっている。

 いつまでも気随気侭な兄と、小姑の弟。二人暮しも長くなれば、それなりに要領は掴めて来る。

 後から後から雪が降る。冬の冷たい星も今日は見えない。

 星空が好きになったのはいつからだったろうか。春夏秋冬、巡る天輪に運ばれて輝き渡る繊細な光景を。

 地上には、醜いものしかなかった。それを見続けるのが嫌で、泣きながら振り仰いだ天上は、荘厳な美に満ちていた。だから、私は星を追った。それは、家で待っている均も知らないけれども。

 天上には、死体も廃墟も裏切りも戦禍もなかった。だから、私は冷たく美しい星空が好きになった。地上の一切に関わらなければ、あの高みに届く気がした。

 冷たい、と言われ続けてきたが、気にした事はない。人は、生半な冷たさこそ厭え、過度の冷徹には逆に惹かれているのではないか、と士元にだけは打ち明けたことがある。厳寒に輝く北極星を仰ぎ見るのと同じくして。士元は何と言ったろうか。そう、星なんてものは遠くに過ぎると笑い飛ばしたんだ、あいつ。

 もっと、身近に下りて来いよ。人間はどーせ星じゃないんだから。

 お前の顔なら星は無理だろーな、と混ぜ返し、掴み合いになったっけ。酒も入っていたことだし。今日のように。

 それでも私の数少ない友人なんかを続けている物好きに、感謝はしているんだがな、一応。

「嫁さん貰えよ、いーか、今度こそ生身の人間の嫁を貰ってくれ、頼むから!」

 一同に泣きつかれて、帰る冬の雪道。くすりと忍び笑いが漏れる。

 何故必要なんだ、そんなものが。私の単純な質問に切り返せた奴はいない。子孫だの氏の祭祀だの、と御託を並べかけたもんだから、そんなものは長男の責任だ、私の義務じゃないと一蹴してしまった。

「嫁でも貰えば、お前も多少まともな人間になるぞー……。」

 まるで私がまともじゃないような言い草じゃないか。私は単に現実を見据えているだけだ。ふん。

 一家を構えて幸せになった男も知っている。だが、細君のせいで散々な生活をしている奴も同じくらい存在するのが現実だ。

 私は今の生活を壊されるのはごめんだ。迷惑だ。均との間に水を差されては堪らないし、今日のように出かける度ごと、小言を言われるのは災難だ。そう、賢妻なんて絵に描いた餅、机上の空論。

「兄上はどーしてそうも女の人が嫌いになっちゃったかねえ……。僕の教育が悪かったかなあ。」

という、生意気な均の言葉が蘇ってきた。むか。

 さくさくと雪の道を急ぐ。

 解らないものには、対処のしようがあるまいが。大体、書物に女が登場する場合、ろくな文脈で出て来た事例がないんだぞ。自分の人生、そんな馬鹿げた失策で目茶目茶にされてたまるものか。家事処理班がいなければともかく、家の面倒は弟が見てくれるわけなのだし。

 私は、遠い天上の星で結構。

 その足が、柔らかいものを蹴飛ばした。むにゅ…むにゅ?

 雪饅頭約一個発見。嫌だな、手が冷たくなるが…ばさばさと雪を掻き退けると、人間一名発掘。行き倒れか。均と同じ年頃か、少し下の子供だな、これは。全く、子供が夜歩きするものではない。脈を取ってみると、まだ生きている。相当冷えているな、いつから倒れていたんだろう。大体こいつ、ちゃんと食べているのか?やけに細い手首だな。よっ、と担いでも、思ったより軽いし。

 さくさくさく。急いで帰る雪の道。見えてくるのは家の明かり。草の庵に灯りがついて、時々窓辺に人影が映る。待っていたんだな、と思う。均が、また説教を飛ばすかな。

 気が付くと、雪がやんでいた。雲の晴れ間に、星明りが見え隠れする。

 まさか、な。いくら士元の言葉でも。

「遅いじゃないですかっ、兄上ったら、もーっ!」

「ただいま。均、行き倒れを拾ったんだが、後頼む。」

「頼むって、兄上―っ!☆」

 まさか。それが本当になろうとは。




 あの星が沈む前に、お前はきっと恋に落ちる−。




ショート・ストーリーです。文字通りの番外編。タイトルはカールマン『マリツァ伯爵令嬢』のもじり。冒頭のマンニャの歌から、ぼんっと出来た代物。まあ、月と言うより星と馴染みのいい孔明なので、こうなりました。…って、士元、マンニャだったのか?(笑)というわけで、この時孔明が拾って担いで来たのは雅さんです。しかし、脈絡のない文章だなあ……。まずいぞ、文章が破綻を見せ始めている。
政君は長丁場と言うこともあるし。「雨だった」見たいなあ、と嬉しいご意見を貰ったので、久し振りの番外編と相成った次第なのですよ。全くもって。寝込んでいるだけじゃ暇なので、何か書いてるほうがましという話も十分にあるわけですが。
「たいむ・とらべらあず・だいありー」は、雅さん視点で書いた話なので、孔明視点で書いてみたい部分もあるんだよな、ところどころ。三顧の礼なんて、雅さんが途中でずらかっちゃったんで、切れたまんまになってるし。雅さん不在で最悪のご機嫌孔明の寝込みを襲った劉備が、何とか臥竜先生をほだして嫌味の総攻撃を浴びつつ新野にいる、なんてショート・ストーリーも書いてみたいんだけどな。


未整理のおへやへ