戦国四君ってどんな人?

−呂不韋おじさんの仲間たち−

 さて、范雎同様読めない人が再び出てきましたもので、なくもがなの解説ページです。
 『黄歇』さん。誰や、それ!と書庫官のけぞる謎字を出してくれたこの人の正体は、楚の春申君の本名です。私も今年、『東坡志林』を読んでいて始めて知りました。(一度政君やってただろうって?だーから、あの時は関係者のところしか『史記』読んでなかったんだってば)読めなくて辞書引いたのよ…泣きましたね。そのセンテンスはどこかというと、「ぷーたろーが失業すると」です。
 戦国四君については、東坡が上記のセンテンスで私情120%の学のある評論をしてくれていますから(私情じゃないっ、事実じゃないか…って、止めるな至誠君!by子瞻)そちらをご覧頂いて、ここでは『無名氏』と関係することだけ、ざっと解説します。
 まず戦国四君というのは何なのでしょう。
「金と地位にあかせて『食客』という名の自治領作ってた戦国時代の宰相達」
と思っていただければ、大きな外れはございません。(笑)結局みんな宰相してるんです、この四人。
 食客、といえば漢文の時間にほとんどはずれなしで登場する「鶏鳴狗盗」の『孟嘗君』。この人が群を抜いて有名でしょう。戦国四君の中でも、この人だけ少し時代が前の人です。さあ、思い出そう「鶏鳴狗盗」。孟嘗君を監禁したのは誰だったでしょうか?×××××秦の昭王ですね。政君のひいおじい様。
 で、残りの三人はこのお話の時代とかぶってきます。信陵君はさりげなーく出てきていますが、後の二人が平原君と、今回出てきた黄歇さんこと楚の春申君。では、簡単にどんな連中だったのかを。

封号 本名 出自 こめんと
孟嘗君 田文
(でんぶん)
宰相の息子
(庶子)
元祖『食客』。「鶏鳴狗盗」でおなじみ。食客三千人を三ランクに分けて収容したという物好きなことを始めたのはこの人。そもそもお父様の跡継ぎに何ぞなれるはずのない生まれだったのを、なんと跡継ぎはおろか宰相にまでなってしまったのは、有象無象の食客が圧力団体となったから。そりゃあ…泥棒だの人殺しだの策士だの詐欺師だのの親玉になった息子を敵には…回したくなかろう、父上も……。五月五日生まれで、この日に生まれた子は親を殺すと信じられていたため、父上に消されかけたという災難も何のその。結局斉一国を食客で抑えてしまったのだが、失脚する→金がなくなる→食客の待遇が悪くなる→みんないなくなる(^^;)という悲惨な時期も経験する。金の切れ目が縁の切れ目かっ、とキレかけるが、ただ一人残った食客の「それが世の理だ」というわかったよーなわかんないなーな説得に納得。偉くなったときに平然と戻ってきた食客達を迎えてあげましたとさ、という一面も。
平原君 趙勝
(ちょうしょう)
公子 一番凡人に近いせいか、影の薄い人。趙の王子様。どうも、この人には食客にバカにされるエピソードが多いような気がするんだが気のせいだろうか。愛妾がびっこを笑い、彼女を処刑しなかったんで「平原君は士を軽んずる」とみんなにいなくなられたり(彼女を殺したら戻ってきたのだが、そんな食客置いてどうするんだという気も……)、下の信陵君が人材マニアが昂じて博打屋だの味噌屋だのに出入りするのをせせら笑ったら、「平原君はお付き合いするに足らない、だから出てく」と絶交されかけたり(泡くって引き止めた)、それを聞いた食客達が信陵君のところに転職してしまったりと……(^^;)。あ、メジャーなところでは『毛遂自薦』のエピソード。包囲された首都邯鄲に救援を要請するため楚と同盟しにお使いした時、使節団に入れてくれと名乗り出た毛遂さん。平原君は渋ったんだが、一番役に立ったのは彼だったのでした、と言うお話。やっぱり間抜けかもしれない……。
信陵君 魏無忌
(ぎむき)
公子 変な名前だが、れっきとした魏の王子様である。お姉さまは上記平原君のお嫁さん。秦の昭王が趙の邯鄲を包囲したときに、義兄平原君の救援要請を受けて駆けつけたのが有名。王様は大反対だったんだが、兵権授与の象徴である虎符を王の寵姫を使って寝所から盗ませ、(しかしこの人たちって泥棒をする話多いなあ……)疑った国境の守将を食客使って殴り殺し(……)駆けつけたので、邯鄲は救われましたとさ。で、仕出かした悪事のあまりの多さに魏へ帰るに帰れず(笑)、義兄の所に居候して食客探しに勤しんでいたらしい。挙句、平原君よりも階級にこだわらないのが受けたらしく、魏から呼び戻されたときには義兄の食客をごっそりトレードしてったそうな。もっとも戻ったところで疑われ、お酒と女性に溺れる荒んだ生活を送った上、若くして死亡。
春申君 黄歇
(こうあつ)
説客 戦国四君の中では、唯一庶民出身。実は一番『無名氏』の周辺に関わる人でもあった。呂不韋のものとして伝えられるエピソードは、彼のものをもじったんじゃないかという説もある。楚の太子付きだった。太子が人質だったので、彼も秦にいたことがある。応侯范雎と仲良しさんだったらしい。びっくり。范雎の協力を得て、帰国、太子が即位すると宰相として実権を振るう。食客の意見を聞いて、都を安全地帯に移したり、かの荀子を蘭陵に庇護して面倒を見たり、と四人の中では一番まともに仕事をしてそうな人である。ところが、その王様に子供がなかった→食客が自分の美人な妹を宮廷に上げようと思った→気になったので春申君も彼女に紹介してもらった→手を出してしまった→美人な妹は懐妊したまま後宮に上がった→その子が即位した……。「これ、どっかで聞いたプロセスだぞ!」と叫びたいのは私だけでしょうか。ちなみに春申君の子が即位するのは政君の九年、長信侯の乱をやってる紛糾の最中です。春申君は口封じの為に、今や外戚として権力を握った食客兄妹に殺されました。ううむ……。まさかこんな人だったとは。
なんだか、「…どいつもこいつも……(-_-;)」と言うような履歴が並んでおります。呂不韋おじさんもまあ、こういう存在に伍する人だったということですね。で、食客というのはろくなものではありませんので、王様達には脅威になるわけです。この時代、食客を養成するのがブームだったようですが、韓非なんかは一刀両断に、害悪としてますね。命知らずが武装してさ、養ってくれる親分のためなら王様だろーが将軍だろーが消しちまうっていうノリですもの。物騒ったらありゃしない。


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