これを取って、私を探して
もう片方をつけていますから
もしそのときの私がおいやでなければ
貴方のものになりましょう
    −ロッシーニ『ラ・チェネレントラ』


Se non ti spiaccio
−漢陣のチェネレントラ−

 腹が立つ腹が立つ、徹底的に腹が立つ。こんな自堕落極まりない下層階級の中に身を投じた自分に腹が立つ。
 何が楽しくて鯨のように酒樽を空けられるというのだ。それほどの吉報があったというのか。連敗続きで黥布は動かないし、彭越も似たようなものだし、韓信殿もこのところちっとも頼りにならないし。八方手詰まりだというのに、脳天気に酒盛りをしていられるあの図太さに付き合うつもりはない!
 帰ってしまうのか?子房さんよ。たまには飲もうではないか。
 漢王だけならまだましなのだが、どうして沛からの面子が集うとろくなことにならないのだろう。樊噲も周勃も夏侯嬰も悪い人間ではない、ないのだが、どうしてたまると酒席の品性が落ちるのだ!…陸賈ほど漢王に嫌われていればさっさと逃げ出せるのだが、私は自分の駒としての漢王には愛着がある。しかし陸生のところに押しかけるには時間が遅い。
 歌って暴れてまでは良いのだ。何とか我慢もしようが、どうしていつも場末の女を引きこもうとするのだ、あの連中は!蕭何殿のいるだろう漢中に尻尾を巻いて逃げ帰りたい気もする。或いは韓信殿の陣営に顔を出せば、もう少し私のために動くだろうか、あの名将は。
 韓信殿は、私が欲しい。私は、韓信殿の将才以外は欲しくないのだけれど。
 信がずっとお側におります。
 その代償として、何を求められるかがわかっている私は、韓信殿の助力を要求するのが、いつも怖い。あの方はいい方だ、それは良く知っているし、素晴らしい将軍であることも知っているのだけれども。
 私は卑怯だ。韓の淑女として育ちたかったといつも後ろばかりを振り向きながら、その一方で、私を淑女にして下さろうという韓信殿の申し出を聞いて侮辱されたように感じるのだから。あれほどの名将の閨室に納まれば、不満などなかろう。ないはずなのだ。あの方は、私に好意を持っている。少なくとも、当座の間は大事にして下さろう。物珍しさもあるだろうし。
 だが、私にはそれが我慢できなかった。
 韓非子が、私を望んでくだされば、良かったものを−。冴え冴えと輝く星は、冷たく光るだけだ。
「しーぼちゃん、送ります。」
 背後から聞こえる脳天気な声に、普段の二倍は神経を逆撫でされたが、何とか振り向き様に張り飛ばすのだけは思いとどまった。
「酔いどれは酔いどれの天幕にいろ!酒臭い、気持ちが悪くなる、あっちに行け!」
「ひどい、泣いちゃってもいいの?」
「勝手に泣いていろ。」
 こんな奴、無視だ、無視!行こうとすると袖を捕まえられて、次の瞬間には腰を捕まえられ、ふわりと持ち上げられた。放せ、ともがいても、こういう時ばかりはどこからこんな力を出すのか、締りのない顔でへらへらと笑っている。こんな男が漢軍に転げこんできた日こそ災厄だ。
「そーゆー冷たいこと言っちゃいけません。ねえねえ、しぼちゃんがいないと俺さみしーもん、ね、一緒に飲み直そ。」
「誰がお前なんかと、放せったら!」
「やあですう。いいって言うまで下ろしてあげませんーだ。」
 かっ、完全に酔ってる!この男!どれだけ飲んだんだ…この底なし男が……。背中に冷たいものが伝った。伝って、はたとひらめいた。
「わかった、付き合ってやるから下ろせ。」
「ほんとー?わーい、しぼちゃんと一緒ーっ。」
 背中に張りついてくる鬱陶しい自堕落男には、私の顔は見えないはずだ。何はともあれ、この男をさっさと私の幕舎に放りこんでしまえば、後はこっちのものだ。
 そういつもいつも、私がお前の思い通りになると思うなっ、護軍中尉!

 計算通りだ。ぱたん、と倒れて寝てしまった。私はペろりと舌を出す。ざまをみろ。
 酒の中に、秘伝の処方を少々仕込んでやったのだが、一口で効くとは。これを飲ませたいが為に、しなだれかかってくるのを我慢した私は忍耐強いと思う。床に転がして、風邪を引かれても面倒なので着物を掛けてやり、外に出た。
 私の方が飲み直したいくらいだ。悪酔いしそう。そうだ、散歩しよう、散歩。
 とことこと歩いていたら、ようやく宴も果てて出てきたらしい、顔の赤い樊噲と周勃に出会ったので、護軍中尉を引き取ってもらうことにした。
「あー、子房殿にまた迷惑掛けてる……。出てった時から相当危なかったもんなあ、陳平さん。」
「うん、やけくそになって飲んでたもんね……。」
と樊噲が担ぎ上げた。あの男も図体は大きいが、樊噲に比べれば可愛いものだ。あの人格に不似合いな童顔のせいで余計にそう見える。
「何をやけくそになるんだ、この脳天気が。漢王と下世話な話で盛りあがっていて深酒しすぎただけだろう。品性がないにも程がある。」
「だって、今日の歌垣に二人して遊びに行って、外れだって散々嘆いてたって嬰ちゃんが言ってましたよ、子房殿。」
 周勃の報告に、頭痛がしそうな気がした。
「勝手に嘆くがいい、そんなもの。大体、漢王も漢王だ、窮地にあるという危機感がないのかっ、あの人には!」
「窮地が続いて、どうでも良くなってきたんじゃないかなあ……。」
 ありうる。ものすごくありうる。
 そもそもが、驪山工事の徴発の期日に間に合わないので処罰されそうになったから、逃亡して倒秦の兵を上げたという場当たり式の漢王だ。だから鴻門の会のように、危機に面して頭の一つ二つ平気で下げてくれるのは重宝なのだが、ここ一番という時の根性のなさもまた折り紙つきである。そういう場合には、韓信殿の方が何倍頼り甲斐がありそうに映ることか。
「軍師殿も、たまには息抜きしたらどうですか?」
と周勃に言われた。
「私だって導引したり、書見をしたりは……。」
「しぼちゃん、つまんなさそうって、さっきもこの二人が言ってた。」
 樊噲にまで言われて、いささかめげた。漢王と護軍中尉にかかれば、それは私の健全な楽しみなんかつまらないだろう。つまらなくて結構だ!
「安心していい。私は、これでも快適に暮らしている。」
「無理して笑ってるって、陳平さんが言ってましたよ。」
「飲みすぎただけだろう。」
 余計なことばかり言ったな、覚えていろ。傍目のある所で睨みつけるわけにもいかず、私はにっこりと微笑んで二人と荷物を送り出した。帰りしな、周勃が言った。
「あ、明日もそこの村で界隈の人たちが集まって歌垣するんですって。雑兵も盛りあがってたし、僕達も行くかもしれませんから。」
「ああ、楽しんでくるといい。」
 周勃と樊噲なら安心して送り出せるのだが……。二人と荷物の姿が見えなくなって、ようやく溜息が出た。
 後方で遊んでいると絶えず苦情をぶつけられながら兵站補給だの兵の補給だのに追われる蕭何殿の気苦労はわかるのだが、この面子を制御する人間がないまま放り出された私にだって、同情してもらいたい。今日に限って、韓信殿のことばかり思い出すとは、やはり疲れているのかもしれない。
 それは、淑女に戻れば楽ができるだろうからな。すぐに嫌になるのが目に見えてはいるのだけれども。
 布団の冷たさにまで苛ついて、明け方まで眠れなかった。

 くしゅん。人の心配ばかりした割に、自分が風邪を拾ってはおしまいだ。
 朝から頭が痛いと、それでも元気に現れた護軍中尉は、熱冷ましだ薬だと相変わらずに世話を焼いていた。この男も物好きなと思いつつ、段々それに慣れつつある自分も怖い。
「もう、昨日出歩いてたんだって?だからさあ、どうしてそういう無茶するかなあ。お前、体弱いのに、寒いところを平気で歩いたりしないの。はい、お薬。」
 こんな奴に薬学の知識があるのが、全く持って忌々しい。相当薬学は修めたと密かに自負している私でさえ文句のつけようがない処方を平気な顔で持ってくるところが尚更癪に触る。くしゃみと咳の薬を飲ませてから、ぴたりと額をくっつけてきた。相変わらず鬱陶しい男だ。どうしてそんなにくっつきたがるのだろう。邪魔くさい、と突き放して上掛けをかぶる。
「熱はなさそうだから、一眠りしたら楽になるって。何かあったら起こしたげるから、休んでろよ。」
 …居座る気でいるし。追い出すのが面倒になったので、放っておくことにした。布団蓑虫になっちゃって、と笑っている。不愉快だ。思いきり寝返りを打つと、あ、怒った…と途方に暮れている。いい気味だ。
「軍議になったら起こしてくれ。」
「嘘、行く気でいる?」
「当然だ。お前などと一緒にするな……。」
 言葉を切ったのは、ものすごく不吉な予感がした以外の何物でもない。引きつった顔で笑っているあの男の顔が、明白な証拠だ。
「きょ、今日はお休みしない、しぼちゃん……。」
「お前、私をだしに、また無断欠席を決めこむ気でいたな、この慮外者!」
 俄然起き上がって支度を始めざるを得ない。
「い、行くのっ、だからまたこじらすんだぞ、子房、もう少し自分のことも考えに入れろったら、うわっ、ぶっちゃ駄目っ!」
 ばし☆不謹慎な策士に地形図巻で一発天誅を加えてから、
「行くぞ!」
と引きずってやった。ど、どうしてこんなに重いんだ、この男……。不公平だ、こんなの。
「…お前、太ったんじゃないのか?」
「…子房、言っていいことと悪いことがあるだろうっ!」
 な、何が悪いのだ?太ったものを太ったといって何が…蕭何殿の配下の張蒼も太ってるし、その福々しさがめでたいとまあ評判で…個人的に太り過ぎはどうかと思うが…と考えてどこが悪い!ひょい、と背負われてしまった私は、散々に下ろせと喚いたにもかかわらず、結局漢王のところにまでそのまま運搬されてしまった。この男、いつか復讐してやる、絶対に!
「遅くなりました、病気なのに強情張ってる軍師殿が絶対軍議に出ると騒ぐので、不肖陳平、運んできて遅くなりました。」
 もう嫌だ。脱力。漢王の心配そうな声が飛んできた。
「子房、そんなに具合が悪いのなら、今日の軍議はお流れに……。」
 どいつもこいつも!ようやく下ろされたので、護軍中尉なんか無視することにした。密偵の報告と、物見の兵からの報告の総合と、数日中に警戒を要する拠点と、韓信殿への目配りや同盟諸侯の動静などについて、しっかり話してやった。普段の二倍。
 周勃と樊噲と灌嬰という真面目な手合いは、ちゃんと聞いているのだが、問題は総元締めと自堕落な私の部下だ。もういい加減にしろと言うわけにも行かずに黙ってはいるが、舟をこいでいる漢王もあくびを連発している護軍中尉も、後で並べて雷を落としてやる。ふん。
 …待て。私は何にも動じない、冷静沈着な軍師だったのではないのか。それもこれも全て問題はあの男のせいだ!でもやっぱり漢王に雷を落とすのはやめておこう。
 にっこり笑って、以上です、と終わった時に、さも聞いていたかのような漢王の賛辞が飛んできた。あの人は一対一で話をしないと、長い話と難しい話は寝るので困る。もっと腹が立つのはあの男で、散々遊んでいるくせに−軍議中に隣と指相撲などをして何が楽しい−しっかり聞いている。
「どうせ今日は宴席をなさるのでしょう。明日はさして大事もないと存じます故に、まとめて説明させて頂きました。明日はお休みと致したいのですが、いかがでしょう。緊急事態が発生したなら、私が伺います。」
「子房さんも一緒にいかがだね。少し息抜きも必要ではないかのう。」
「いえ、私は体調もありますので。どうぞ皆様でごゆっくりなさってください。では。」
 有無を言わせず辞去してから、少し考えて陸生のところに顔を出すことにした。何か珍本を調達しているかもしれないし、何よりもあの男についてこられては鬱陶しかったからだ。
 陸生は、おや、という顔をしたが、すぐに暦法の書物を出してきた。周官の古記録以降の詳細が載っていて、なかなかに興味深い。良く見つけましたね、と感心すると、長安から送ってもらったのだそうだ。
「蕭丞相は天文算法に興味はおありでなさそうですから。」
 確かに。長安を設計するときに、方位も何も無視して適当に四角く作ろうとしたので、張蒼が焦って止めたとか聞いたが。あの人の良い笑顔で、人が安全に住めればいいんですよ、と一刀両断しそうな蕭何殿を思い出すと、何だか楽しい。
 蕭何殿は現実主義者だ。現実の生活に資することが一番の要とばかりに、細かいことに気を配れる方で、だからこそ彼のような人間が民政には不可欠なのだろう。領民に慕われているというのも、わかるような気がする。彼は大義名分など気にしない。大義など、私のような没義道の旗印に過ぎないことを、あの人は直感で看破しているのだろう。個々の安全や福祉の為に必要なのは、大義でも思想でもなく、食物と自由なのだと理解している蕭何殿が私は羨ましく、恨めしくもあった。彼の統治基盤にあるのは、私が否定し尽くそうとして果たせない秦の法制度であるのだから。蕭何殿が元々秦の吏であった以上、不可避な事柄で、それが良く内治の功を上げている以上、代替策を持たない私など口出しは出来ない。
 秦を倒してから、私は流されるままに項籍との戦いに没頭していたような気がする。軍師と祭り上げられて、二流の軍略に翻弄され続けている。
「ですから、歳星の周期がこうなるときには、……。」
 陸生の声が嫌に近いな、と思ったら、突然に耳元を嘗められて震えあがった。
「陸生!」
「はい?」
 何かご不明な点でも、と首を傾げている。私の気のせいか?いや…違うだろう。しかし…気のせいだと思いたいものがある。
「いや、この配置のことなのだが、今年の天文は漢にとっての凶兆か、或いは吉兆か、貴公のご意見は如何?」
「悪くはないと思いますが。そう、この辺りの記録に酷似しておりましてね。」
 陸生がからからと書簡を広げ始めた。私の後ろから。両側を陸生の腕に挟まれた格好で、居心地の悪くなった私が身を縮めると、何だか陸生の腕の幅も狭くなったような気がする。顔の横にかかる陸生の吐息に悪寒がして、本気で風邪をこじらせるかと思った。何となくのしかかられているような気がして、そうなると思い出したくない人間を思い出してしまった。
「陸生、離れていただけるかな。」
「はい?」
「重いのだが。」
「ああ、失礼。つい書簡に夢中になりまして。」
 …本当か?嫌な予感がする場合は、徹底して早目に退却するに限る。少しばかり雑談を交わしてから辞去を告げると、引き止められた。無論護軍中尉のように人を掴んだりするような乱暴なことは、腐っても儒生であるだけにしない。なので、こちらも先約があるといい加減な嘘をでっち上げて、さっさと見捨ててきた。
 先約といっても、さて。大概は入りびたっているのがいるので、勝手に先約でも何にでもすれば適当に口裏を合わせてくるのだが、今日はいないし、漢王もいないとなると、さて誰を付き合わせよう。それとも風邪だしおとなしく医者にかかるか。つまらない選択だ。ぽん、と小石を蹴ってみる。
 歌垣か。今更私が行っても、仕方あるまい?口説くのも、口説かれるのも鬱陶しい。誰も彼も鬱陶しい。いっそのこと亡韓の令嬢として、贈答品のように嫁に出されて、夫に不関知というのが性に合っていたのかもしれないが、他人に命令する生活が身に付いてしまった現在では、それも無理だろう。それでなくとも鬱陶しいのが何人もいるのだし、そのほとんどは鬱陶しいで済まずに物騒ですらあるのだし、そんな係累を増やすほど愚かではないつもりだ。
「貴方が、私の運命であるのなら……。」
 もう、数年前になってしまった出来事だ。炎上する咸陽から、驪山陵の地下を通って私を脱出させた無名の騎兵に、微かに願った私がいた。見事なまでに鬱陶しくも厄介にして腹立たしい運命ではあった。無知とは幸せなことだ。
 鬱陶しいが安全な、あの騎兵。いや…天与の英才を持った物騒な詭計の策士。
 覚えてすらいないのだろう。覚えていたなら、無駄にする男ではない。それに私はあの時名前を明かさなかったのだし。ざまをみろ、だ、絶対教えてやるものか。
 足取りも軽く帰ってくると、近くに佇む人影があった。何かあったのか?出掛けるはずだったろうに。

東門出たらお嬢さん
雲霞のようにいらっしゃる
雲霞のようにいるけれど
私の思う人はいない

 何を呑気に鼻歌なんか歌っているのか。暇にも程がある。足音に気付いてこちらを向いたが、そのまま歌い続けていた。ここは軍営であって、歌垣の輪ではないというのに。
 歌って踊りに行けばいいのに。

萌葱の領巾に真っ白な着物の娘さん
お願い 仲良くしてください

 歌って踊りに行けばいいのに。
 私になど、手を差し伸べなければ良いのに。
 私は必ず、貴方の運命になります。
 お前も相手をもう少し考えろ!お前が声を掛けたのは、大家の姫でも、宰相の令嬢でもなく、家の勝手な都合で男として育てられて継子として虐待されて妓楼で身を売ったこともある侠客の頭目なのだぞ!
 
萌葱の領巾に真っ白な着物の娘さん
お願い 仲良くしてください

 繰り返さなくとも、いいだろう。私は首を振って、そのまま幕舎に歩き去る。どこかで、あの男が引き止めることを予測しながら。そして自分が、あの男に掴みかかることを予測しながら。
 半分当たって、半分外れた。あの男はそっと私の手首を掴んだが、私はあの男を殴ったりしなかったし、蹴飛ばしもしなかった。
「一緒に来ない?あの…そりゃあさ、お貴族の高級な夜会じゃないけど、それなり来てみたら楽しいって。しぼちゃん、昨日からめげてるでしょ。きっと、忘れられると思う。…あまりの展開に逆上して。」
 怖くないさ、全然、と妙に優しい眼で私を見る。時には残酷なほど冴えた光を放つ策士の瞳が、こんな色に染まるのに気付いたのは、いつだったろう。多分、この男が私にとっては安全だということがわかった辺りだろう。漢軍の中で一番無礼な態度を取る人間でありながら、一番私個人に気を使う、物好きな詭計の策士。
「護軍中尉、私の内心に踏みこむな。」
「嫌ですね。」
 腹の立つ!
「絶対に、そんな約束は出来ませんね。張子房殿、貴方は俺のことを馬鹿にしてませんか。他人の胸中が読めない策士など、単なる役立たずだ。」
「じゃあ、お前風情に胸中を読まれる私は三流の軍師か?」
 それでいて、時折そのことに安堵する私は、お話にならないただの没義道ではないのですか、韓非子!私は怖い。自分の無能という事実に対面するのが、いつだって怖い。
「そうじゃないだろ。」
 まさかそれでめげてたんじゃないだろうな、と探るような眼差しを向けた。私は黙って眼を閉ざす。何もかもを見透かされるのが怖さに、ただ眼を閉ざす。
「大体貴方には軍師でない時間を作るという発想が浮ばないものですかね、子房殿。俺は、宰相のお嬢さんを誘いに来たんであって、手強い上司に仕事の説教をされに来たんじゃありません。」
 宰相のお嬢さん。そんなもの、五歳の時から抹殺されたままだ。
「美人を誘いに行けばいいだろう、護軍中尉。私は、気分も悪いし、早めに休むから。」
と突き放すのがやっとで、あの男は、とんだところで取り違えた。
「具合、悪いのか?また、あんな軍議の仕方するから…だから寝てろって言ったのに。熱あるのか?それともしんどいの?とにかく、横になって、何かあったかいものでも、入れてやるから。」
「出掛けたらいいだろう!私に構うな!」
 私に構うな、みじめになるから。脳天気で人懐こい詭計の策士は、私の崩壊した自我を容赦なく暴きたてるから。着飾った村娘に立ち交じるような衣装の一つも持たない、中途半端な存在の私になど、構わないでくれ!
「放せ、護軍中尉!」
 やっぱり太ったのか、この男。岩にでも縛りつけられたように、伸ばした腕の先から一歩も進めない。重石のように動かないあの男は、返事代わりにもう一度歌った。

城下町出たらお嬢さん
草穂のように群れている
草穂のように群れるけど
私の思う人はいない
真っ白な着物に茜染め着た娘さん
お願い 一緒に遊びましょ

「お願い、張家のお嬢さん、利口で強情なお嬢さん、お願い、一緒に行きましょう。」
「…じゃないのか。」
「何?」
 気丈で賢いお嬢さん、じゃなかったか?いや、この男が気丈を強情と言い直したのが正しいことなど、重々承知だ。
「萌葱の領巾も真っ白な着物も茜染めも持っていないから、私は行かない。楽しんできたらいいだろう。私は久し振りに一人で書見でも…護軍中尉!」
 やたらと嬉しそうに私を肩の上に担ぎ上げ、そのまま私の幕舎に入って行った。ほとんどここの住人となっているこの男が今や何をしても衛士は笑って見ているだけで、自分の主がどれだけ迷惑しているかを考えてなどいないようだ。衛士、根こそぎ変えた方がいいのだろうか。
 敷物の上に座らされて、嬉々として私の着物に手を掛けるので、したたかに横面を張ってやった。
「何するんだ!」
「だから、着替えさせて上げようと思って。もし良かったら着てくれないかなあと思ってさ、戦利品から時々ちょろまかしてたのをついでに持ってきてたんだ。ね、これで一緒に来てくれる?」
「いい!自分で着る!」
 慌てて着物に掛かっているあの男の手を引きはがし、衣装をひったくってから、ようやく気が付いた。完全にあの男の術策にはまっていないか?私としたことが。だが…どこから略奪したものか、相当綺麗な衣装だし……。上着を肩から滑り落として、上からはおろうとしたときに、鏡の端に映ったあのにやけた顔に、理不尽にむかついた。
「出て行く程度の礼儀も知らないのか、この無礼者!」
「はいっ、出っ、出ますっ、だから竹簡ぶつけちゃ駄目っ!」

 手をつないで、暗い林の茂みを抜けていく。かつてと同じく、先導役の顔は見えない。それにしても、もう少し開けたところで集まればよいものを。不便ではないか。
 茂みの合間の窪地に大きな焚火があって、どこからこんなに来たのかというほどの人間が群れていた。漢王や周勃を目で探したがいないようなので、ほっとした。
「兄さん、どこから来たのかい?」
「漢軍からさ。ね、このお嬢さんも火に当たらせて上げてくれない?」
 押し出された私の為に、明るい笑い声を立てた村娘達が詰めてくれた。何と言っていいのかわからず、しどろもどろに礼を述べると、肘をつつき合って笑われた。変なことを言ったのかと護軍中尉を振り向けば、こちらも笑って見せるだけだ。
 皆で唄を歌って、火の側で跳ね回る。若者と乙女が手に手を取って、しばらくすれば抱き合って、手拍子に合わせて踊っている。鈴の音、乱調子な笛の音。素朴な唄の旋律は単純だ。歌詞にそこはかとなく品がないのは、護軍中尉の顔を出す会なのだから仕方がない。
 双髷にするのがやっとだった髪が妙に気恥ずかしい。かづいてきた上着でごまかしているが、髪飾りがないのであり合わせの色紐で括っただけでは、あまりにも子供じみている。そもそも装身具など持っているはずがないのだ。張家伝来の品は始皇誅殺の資金にしてしまったし、今の私が持っているのは文官に必要な装飾品だけなのだから。
 袖に隠していた右手をそっと出してみる。
 この指輪だけは、貰ったものだけれども。
「まあ、綺麗な指輪。」
 ぎょっとすると、隣の娘が目をきらきらさせて見つめていた。首飾りや耳飾りをつけて、花と着飾った可愛い村娘。
「ねえ、誰かに貰ったの?あたしはね、この耳飾り、彼に貰ったの。」
 少しは慣れたところで笛を吹いている若者に、手を振った。
「そんなに恥ずかしがることはないわよ。あら、隠しちゃ駄目。見せて頂戴。本当に綺麗な指輪ねえ。」
「本当、どこで見つけたの?」
 ど、どうしよう、寄って来た。沢山の娘達に囲まれて、私はとうに背筋に冷汗をかいている。あの男は、どこに消えたか、姿も見えない。全く、肝心なときに!
「知らないの…貰ったものだから。」
「誰に?誰に?」
「知らない人に。街が焼かれたときに助けてくれた、知らない騎兵に貰ったの。」
 まあ、何て素敵。もっと話して頂戴な。私はますます口篭り、場慣れした村娘達はますます陽気に笑い声を上げた。
「持っていてって…いつかきっと探し出すからって…必ず……。」
『貴方の運命になります。必ず、もう一度。』
 金の台にはめ込まれた、見事なざくろ石。
 素敵な出会いね(ちっとも)、とか、ずっと待っているの(全然)、とか、じゃあ貴方を連れてきたあの方は(鬱陶しい下僚)、とか、きっと会えるわよ(会いたくなかったが)、という明るい声に囲まれて、私はますます身を縮めた。そこへ酒のニ三杯でも引っ掛けたらしいあの男が、踊りましょ、と手を出してきたので、渡りに舟と立ち上がった。
「貴方、踊っても素敵な騎兵さんを忘れちゃ駄目よ!」
 背中からどっと洪笑が上がり、私は袖で顔を覆った。その仕草が可愛いと、また笑っている。
「素敵な騎兵って…誰?」
 不審気な声に、改めて護軍中尉を見ると、すねたような顔で私を見ていた。そっと頭を覆っていた上着を引き除けて、自分の腕に引っ掛けてしまった。…そんなに、穴の開くほど見ることはないだろう!
「変なのはわかっているんだ、お前が俄造りをさせたのだからな、変なら変だと率直に言え!」
 それは巻子の装丁に使おうと思っていた緋色の紐で髪を括ったのだから、変でもあろう。余計なことをした私が悪いのだが。満座の前なので怒鳴りつけるわけにも殴るわけにも行かずに、小声で苦情を言うしかなかったのだけれども。
 物も言わずに腕を引き寄せた。
「護軍中尉、踊りなんて、したことがない!」
「拍子に合わせて跳ねればいいだけ!」
 そんな、めちゃくちゃな。大体、これでどうやって跳ねろというのだ。しばらく着ていなかった裙の裾はやたらと邪魔だし、ともすれば転げそうになるし、それ以上に。
「護軍中尉、放せ。…息が苦しい。」
「そんな声を出されちゃ、ますますもって放せませんね。」
 こんなにきつく抱きしめられて、どうやって動けというのだ。
「少しは恥を知れ!お前、こんな衆目監視の中でよくもまあ…帰る!帰って……。」
「騎兵さんの思い出に浸るの?」
 本人から言われると、さすがに面食らった。導引すると言おうとしたのだが。
「嫌です、絶対帰しません。子房殿、今の貴方はこの陳平と一緒だってことを、しっかり覚えておいてください。」
「だから、苦しい…少し緩めて……。」
「そんなことしたら、逃げるつもりのくせに。人の油断を誘って、一気に脱出するのが、貴方のお得意の策だろう。」
「そうじゃない、本当に息が苦しいから…逃げないから、少し緩めて、陳平、お願い……。」
 逆効果だ。本当に、頭がくらくらしてきた。火の側で熱すぎるのか?
「もう一度…もう一度呼んで下さい。」
 火の側に寄り過ぎてるのだ。頭はぼうっとしているし、熱いし、何だか物音が遠くなってきたし、気も遠くなりそうだ。
「陳平、倒れそうだから、放して。」
「もう一度……。」
 早く放せーっ!殴って正気に戻してやりたいのだが、目下手が使えない。目が回りそう…耳鳴りがする。膝が抜けたかと思ったら、ゆっくりと地面に座らされた。
「ね、俺のこと見て。」
「早く放して……。」
 見てるだろうが!何が不満だっ、さっさと放せっ!頭痛はする、耳鳴りはする、熱さでぼうっとなっているで、倒れそうなのに!
「子房…もう一度、俺の名前を呼んで……。」
「護軍中尉、水…倒れ…そう……。」
 何するつもりだ、この男。自分で何か飲んでる。そのまま…うわ、私は自分で飲むからいいっ!
「おや、陳護軍、貴方もお楽しみですか?」
 水よりも効果があった陸生の一声で、あの男は飛びあがったついでにようやく私を解放してくれた。むせている。自業自得。
 それにしても、どうして陸生がここにいるのだ?暦書を紐解いていたはずではなかったか?
「り、りり陸生っ、何とまあ、間の悪いときに声なんて掛けやがって!」
「お言葉ですね、陳護軍、貴方なら多少の邪魔は蹴散らす主義でしょう。そのお嬢さんはどちらの美人ですか?是非私にも紹介していただきたいものです。」
「冗談じゃないっ、お前みたいな外面は潔癖な儒者の皮を被った狼にこんな世間知らずの子羊を見せられるかっ!」
 …世間知らずと言ったな、護軍中尉。後で覚えていろ。と。ぱちくり。
 あの陸生が、両手に髪も乱れ放題の村娘を抱えて、にこやかに立っている……。えーと、これは……。
「貴方は名うての好色漢で有名でしょう?私は違いますからね。」
「何がどう違うんだよ……。」
 同感だ。
「おや、貴方の背中に隠れてしまうなんて、貴方の本性を知らないとしか思えない。やはりね、女とはかくあるべきですよ。さかしらに自分の利口さを振り回している女は可愛げがありませんね。先ほどもある美人に少しお仕置きをして差し上げようとしたのですが、急用と言われましてね。そのうちに、男女の別というものを叩きこんで差し上げようと。」
 まさか、それは。
 私のことか!にっこりと笑う陸生の顔が、この上なく怖かった。逃げたのは、やはり正解だったらしい。
「こいつの言うことなんか、気にしなくていいからね。俺がついてるから怖くないって言ったでしょ。陸生、お前このお嬢さんが怖がって震えてるだろうが。とっとと藪の中にでも行っちまえ!」
「混んでるんですよ、藪の中が。漢王もいましたし、もう少し人気のない情緒のありそうなところをご存知ありませんか?」
 どうして藪の中に行くんだ、と小声で聞いたが、護軍中尉は黙殺した。
「知らん!そんなの勝手に自分で探せっ!お嬢さん方、この危険な儒生もどきに騙されないように、火遊びも人を見て仕掛けなさいね。そら行った、俺の邪魔はしないでくれ!」
 知らなかった、陸生の素顔……。呆然として座りこんでいる私の前で、あの男は苛々と頭を掻いている。陸生は、おや、本当に藪の中に入ってしまった。藪蚊に刺されるぞ、陸生。
「護軍中尉、あの中に何かあるのか?」
「ないっ、ないから行かなくていいっ!それよりお仕置きってどういうことっ!お前、陸生に何かされたのか?」
 あー…勘の良すぎる人間だということを忘れていた……。実はかくかくしかじかで逃げたところにお前がいたので今日は厄日だと切々と話してやると、完全に固まっていた。
「子房っ、もうそんな危険な場所に行くんじゃない!お前ねえ…もう少し人は疑って掛かかれよお。」
「勿論だ。そもそもあれが陸生の本音なら、ふん、彼の実力というものを拝見させていただこう。いずれその機会もあろうしな。」
『ねえ、賢いお嬢さん、人は才能で評価されるというのは嘘ですよ。嘘で固めた虚飾の評判と、高い身分があれば、それなりに評価してもらえるものだ。たとえ中身が、この人俑のように空洞であったとしても。』
 私は、才能で評価してきたつもりだ。大嫌いなお前のことも含めて。
 お前は、もう覚えていないのだけれども。教えるつもりもないのだけれども。
 策士を名乗った騎兵殿。いつか必ず探し出してみせると言い放った、恐ろしい騎兵殿。残っているのは、私の右手の指輪だけ。
 探すつもりもないのだろう?
 そうだよな。私は、権門の姫でも深閨の令嬢でもなかったのだから。でも、もしも。もしも……。
 顎に手を掛けられて、上を向かされた。童顔が不機嫌な表情を作っている。
「うっとり、思い出し笑いなんか浮べないで欲しいな。」
「私の勝手だろう?」
 そっと手を袖の中にしまう。これは私だけの秘密。
 貴方はどんな顔をなさっているのです。気丈で賢い貴方は、どこのお嬢さんなのです。
 教えてなんかやらない。だって、必ず探し出して、私の運命になるのだろう?この張子房の。いい度胸だ、お手並み拝見。
「韓非子だけじゃなかったのかよ。その騎兵って、どこのどいつだよ。そんな指輪までして。」
 教えてなんか、絶対やらない。忌々しくも鬱陶しい、私の運命の人。
 お前にとって、私は紳士なのか?淑女なのか?でも私の軍略を封じ込めようとしないのは、ただ、護軍中尉、お前だけ。
 利口で強情なお嬢さん、か。賢い気丈なお嬢さん、の方が気に入っているのだが。でも教えてやらない。
「その極上付きの笑顔を誰に向けてるんだ、子房!」
 泣きそうな顔で悲鳴を上げるのが何となく楽しくて、教えてやらない。
 だって、今の私は『お嬢さん』なのだもの。我がままも気ままも許される、お嬢さんなのだもの。
 必ず、見つけ出すのでしょう?必ず、私の運命になるのでしょう?私は会いたくなかったけれど。自分の野心と才能に、相当な自信があるのでしょう?だから助け舟は出してやらない。
「人が少なくなってきたから、帰る。」
 みんな、どこに行ってしまったのだろう。何時の間にか人影がまばらになっている。酔漢がそこここで寝ているし、歌声も、音楽も、とうになくなっていた。
「護軍中尉、みんなどこに行ったんだ?」
「恋の真相は藪の中。行くもんじゃない、特にお前みたいなのは。もう少し早めに引き上げればよかったな、失敗した。」
 そう言いながらも、立ち上がろうとはしなかった。
「帰らないのか?」
「どうしようかな…腹いせにあまった女の子のニ三人引っ掛けてもいいし…でも子房一人で帰れないか。」
 こくん、と肯く。帰れない、帰れない。
 立ち上がろうとしないので、放って行くことにした。追い掛けてこない。ちょっと走ってみても、追ってこない。立ち上がったかと思えば、辺りにいる娘を口説きに掛かっているし!
 お前なんか、大嫌いだっ!
 思わず指輪を引き抜いて、あの男の頭にぶつけてやった。もう知らない、もう知らない。ぐるりと引き返して、裙をからげて走ると、足を取られたついでに華々しく土手を滑り落ちた。きゃあ、と叫んだのは身なりのなせる業だったのだろう。女物の裙の下はいつもの格好だったので、無様な格好にはならずに済んだ。
 陣からそれほど遠くはない場所だったらしい。視界が開けてくると、現在位置が何となくわかった。林の入口から中を通って行ったので、随分遠かったような気はしたのだが、直線にすると大したことはなさそうだ。裙だけ脱いで腕に掛け、双髷を崩しながら帷幄へ帰る。軍師殿がどこでお遊び、というような目つきの兵士達には、微笑だけを振りまいて、やっと帰ってきた。目一杯疲れた。
 借り物はきちんと畳んで(我ながら因果な性分だ)隅に置き、癖の付いてしまった髪の毛を解きほぐしてから端座した。気を落ち着けようと、丹田に力を入れて息を吸い込んだ。ゆるゆると吐き出す。もう一度。もう一度。
 だから、あの男が入ってきたのに気付かなかった。
「投げるなよ、大事な物なんだろう?」
 かたりと小さな音がして、私は導引をやめた。ざくろ石の指輪が、丁寧に拭かれて机の上に載っていた。
「拾ってくるほどの物でもなかったのに。」
「頭にぶつけられたら黙って引き下がれません。あんなところを一人でうろつくなんて、本当に正気の沙汰じゃない。誰かに藪の中に引きずりこまれたらどうするつもりだったんだ。…子房?」
 手を突き出してみる。あの時の騎兵に。すっかり忘れている、どうしようもない自堕落者に。
「貴方の野心は叶いましたか?」
と、手がかりをやろう。
「野心?子房?何のこと?」
「天下を好きなように切り分けてみたいという、ささやかな野心を持った項籍の騎兵殿。」
「それって…俺のこと?」
「驪山陵の地下を通って咸陽から逃げ出したのは…お前だろう。」
「どうして知ってるの!」
 ようやく考え始めた。
「連れが、いただろう?」
「うん、えらく鋭いお嬢さんが…って、まさか!」
「自力で探すと豪語した割には、大したことのない記憶力だったな。」
 さすがにおかしくて、笑いがこみあげてきた。笑いの止まらない私を、あの男がもう一度しっかりと抱きしめた。
 今日だけは、無礼講にしてやろう。
「じゃあ、もう名乗ってくれる?」
「名乗るまでもないだろう。」
「貴方の口からじかに聞きたい。そうしたら俺の野心が叶ったかどうか、教えてあげる。」
「叶ったのだろう。護軍中尉、お前はこの漢軍で好きなように軍を切り回しているのだからな。さ、わかったらその指輪を返してくれ。騒ぎ過ぎて、少し疲れた。」
 じゃ、藪の内に連れていってあげる、と抱き上げて、寝台に下ろした。
「いつから知ってたの?」
 そんなの、教えてやらない。お前が漢軍に来た時から、鴻門の都尉、咸陽の騎兵と知っていて怖かったなどと、教えてはやらない。
「意地悪。どうしてそんなに強情張るかなあ…咸陽のお嬢さんはもっと素直で可愛かったと思うんだけどなあ。」
「お前こそ、こんな矯正不能の自堕落者の下劣な無礼者だとは思わなかった。」
 でも、私の身を案じてくれた騎兵は、変っていなかったけれど。鬱陶しくて腹も立つけれど。でも。
 くしゅん。
「あ、寒かった?」
 鼻がむずむずしただけで、寒くはなかったのだけれども。いそいそと腕を回してきたのが暖かくて、気持ちが良くて、放っておいた。
 明日になれば、またこの男を突き飛ばしたり、殴ったりするのだろうな。それでも、この男は性懲りもなく私の後を付いて回るのだろうな。強情な軍師殿が、とぶつぶつ呟いて、それでも私を押さえ付けようとはしないのだろうな。
 何も求めないで、でも私を確実に暖めてくれる。だから。
 いつか、貴方の野心が叶った時は、私を迎えに来るのでしょう?私を見つけてくれるのでしょう?そうしたら、そのとき、もし私が嫌でなかったら。
「私は貴方の……。」
 言葉半分、食べられた。

 おやすみなさい、私の運命の人。




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お題シリーズ『たわむれ』、または…しぼちゃんの気まぐれ以外の何でもなし。本当に強情者のしぼちゃんです。おまけにちゃんと喋らないから、いきなり前後脈絡なしに怒りだすし。教えてやらないを連発して、すっかり忘れている陳平が他の人を引っ掛けようとしたら、指輪投げるし。(笑。しっかし、このシーンが一番この二人らしい)陳平も、とんでもないものに引っかかって翻弄されまくっています。『Winter』からすると、相当にコミカル路線になっちゃいましたなあ、彼は。そうそう、危険な陸生をようやく出しました。しぼちゃんが怯えて陳平を盾にしているという。(笑)それにしても、『Palazzo Imperatorio』の陳平ってば、何てシリアスだったんでしょ。続いたらコメディになったのが、なんだかなあ。完全番外編ですが、作者はこの程度に軽いもののほうが好きです。

いんでっくすへ