| おおきなくりのきのしたで あなたとわたし なかよくあそびましょ おおきなくりのきのしたで
しこたまに雨が降った。秋というより冬の冷えこみに近くなったので、人一倍の寒がりさんの天幕を覗いてみた。 いない。 折角暖めてやろうと思ったのに。目論見を外されたようで、相当に面白くない。行く所がないわけじゃないが、今日は追い出されない自信があっただけに、空振りは相当不本意だ。地面に残る小さな足跡を見つけたので、辿ってみることにした。湿った地面に、はっきり残っている。 何の表情も窺わせない、穏やかな微笑を浮べて、すたすたと歩いていったのか、それとも頼りないほどはかなげな風情で、とことこと歩いていったのか。何だか、獲物を追跡しているようで面白くなってきた。 漢王の所に相談でも行ったのだろうと踏んでいたら、物の見事に外された。陣の外に続く足跡に、一旦の退却を決めた。馬にも乗らずに一人で出歩いている。これは風邪でも拾ってきそうな展開だ。 「いますか?」 漢王の所に顔を出す。 「おお、先生、何ぞご用かね。」 この辺り、いつ来ても歓迎される子房とは違う。 「用がなきゃ来ませんよ。寒くなってきたんで、いいものありませんか。どうせ軍師殿が風邪を拾ってきそうなので、もって行ってやろうと。」 「子房の奴、また寝こんだのか。」 まだなのだが、取りあえずそういうことにしておいた。…しかし、そこでどうして熊の毛皮なんか持ってくるんだ、このなまずおやじ。 「…子房殿を熊にしろと?」 「虎がいいかね?」 だから、どうして猛獣しかないんだ…毛皮以外の防寒具がないのか、ここには。俺の顔色をしっかり読んだらしい。 「いやあ、こないだ樊噲が熊をやっつけたばかりなんで、毛皮も生え変ってるだろうしのう。ほれ、あの熊鍋にして食ったあれ。」 「ああ、あれですか。」 聞くなり子房が脱走していった、あれだ。後から聞くと、見ただけで吐きそうになったらしい、あのお姫様。熊の掌って珍味なんじゃないのかと尋ねたら、あんなもの、出されたって誰が食べるかと一蹴された。 「狐とかないんですか。あんたのところに転げこめば、戦利品があるかと思ったのに。」 「あ、そう。じゃあ要らないのかね。」 「子房殿を凍らせるおつもりならね。いーですけどね、別に、俺が後生大事に看病させていただきますから。」 「…それは可哀想だから、これをやるよ。」 効果があっても、あまり嬉しくなかったりする。熊一匹、虎一匹両方共に頭付きというものすごい代物を抱え、追跡を再開した。 相当に田舎なので、人通りが少ない。馬車の往来も少ないし、荷車の轍も一定の溝を通っているので、あの小さい足跡をちゃんと追跡できた。ささやかながら車軌規格なんぞ統一する気になった秦始皇に感謝したくらいだ。 足跡は村に寄らずに、近くの雑木林に入っていった。落ち葉や何かも邪魔して、追跡が少し難しい。 それでも一本の木の下で、足跡が途切れていた。 「しーぼちゃん?」 呼んだだけで、栗のいがいがが降ってきた。っつー……。おまけに中身が抜いてあるし! 「何か用か?護軍中尉。」 本人は顔を見せずに、ぽいぽいと中身のないいがいがを放っている。悪意で、と思いかけたのだが、気が付くとそこここに相当落ちているので、俺が来る前からしていたらしい。 「栗取ってるの?」 「拾うと汚くなる。落ちる寸前を見つけて剥いてる。」 「手伝う。」 「用事は下で済ませろ。一人で取るからいい。」 栗剥きしぼちゃんというものが見られるなら、木の上にだってのぼってやる。と、 「護軍中尉、どけっ、危ない!」 いつになく切羽つまった声がしたので飛びのくと、大量の栗がぼたぼたと落ちてきた。その後から髪を乱した帷幄の軍師が、ぽこっと枝の間から顔を出す。 「生き埋めになったか?」 「なり損なった。」 と、熊の手を振ってやると、きょとんとした。かなり器用に下りてきた。雨上がりの木は濡れて滑るから、あれに上るのには技術が要るのだ。 すとん、と着地すると、まっすぐ熊のところへやってきた。 「お前、何してるんだ?」 「それが、いなかったからまた風邪でも拾うんじゃと漢王に何かないか貰いに行ったら、これとこれをくれた。」 「…樊噲が倒したという代物だろう。さすがに器用というか、見事というのか……。」 「さすがにって?」 「知らなかったのか。樊噲は屠殺業だったから…犬殺しだったと記憶しているが。」 なるほど、この皮剥ぎは職人仕事な訳だ。 「で、どーしたの、この栗の山。」 「袖に入れてたら、破けて。」 怪訝そうに袂を見ているが…そんな綺麗な袂に、ぶつかったら危険なほど入るはずがなかろうが!当然だろうと言いたいのを我慢して、籠持って来るか、と尋ねた。返答せずに、せっせと残った袂に拾っているところを見ると、懲りているのか疑わしくなる。取りあえず上着を脱いで風呂敷代わりにすることにした。ここに入れろ、担いでってやるから、と言うと、素直に言うことを聞いた。拾い終わると、また上ろうとしている。 「どうせだから、いっそ拾ったら?」 「そんなに落ちてない。」 「こつがあるんだって。見たい?」 肯いた。 「じゃ、これ被って。」 虎の毛皮をかぶせる。おや、露骨に顔をしかめた。 「重い?」 「臭い。」 「あー…保管してたのが漢王だからなあ……。」 せめて香でも焚いたのをくれよ、とぼやいてしまった。子房は、お前でもそういう発想をするのか、と驚いていた。人を何だと思っているんだ、全く。 少し離れたところに子房を待たせて、熊の毛皮をかづいた俺は栗の木の下に行き、力一杯幹を蹴飛ばした。 ぼたぼたぼたぼたっ☆ぱかん、と頭に当たったらしいのも幾つかある。子供の頃は家の籠を被ってやったものだが、大抵どこかかしかに穴が開いているので、時々いがいがにぶつかったのを思い出した。熊の毛皮はなかなか効果的である。 ニ三度蹴飛ばすと、相当落ちてきた。ついでに揺すってみると、思い出したようにぽろぽろと転がってきた。 「もう脱いでいいぞ。しっかし、こんなに運べるか?」 「運ぶ。」 黙々と栗拾いを始める子房の姿が可愛くて、見とれていると、 「暇なら手伝え。」 とお達しが掛かった。 「お前、こんなに沢山どうするの?」 「どうって?」 「食べられる?」 「…誰かにやってもいい。」 拾いたいだけらしい。 拾ったことも、なかったのだろうな。この人はお姫様だったのだから。 「炒っても旨いんだよな、甘くて。あと、ゆでたりとか、ゆでて潰したのに蜜を混ぜて固めたりとか、飯に混ぜたりとか。」 「ゆでたのしか食べたことがない。」 「じゃあ誰かに作らせてもいいな。こんなにあるんだし…兵糧は歓迎されると見た。」 「確かにな。」 「項王も栗でも拾えばいいのに。なまじっかあんなところに行って腹減らすなんて。」 「敵の糧道を絶つのは兵法の常道だろう。」 「腹減ってると、普通の人間は悲しくなってくるんだよ、しぼちゃん。」 死にたくない、生きたいんだ、と、体中が悲鳴を上げる。この人には縁のない世界だろうけれど、楚の兵も所詮俺と似たような境遇から出発した連中で、だから兵糧攻めにだけは今でも抵抗があった。 俺は人の弱みを徹底的につつく男だが、その他大勢が巻きこまれるのは、実はあまり好きじゃない。俺の兄貴みたいに、天子の名前も知らないでその日暮らしをしていた農民が徴発されて、兵にされていて、それがばたばたと飢えに悩んで死ぬのは好きじゃない。兵ならせめて戦闘で死なせてやりたいと思うし、できれば農民なんぞ徴発してやるなよ、素人なんだから、とも思う。素人で軍勢を増やしても、機動力は削ぐ、士気は低迷するで、実際あまりいいことはない。 普段官の禄を食んでいる軍隊だけで勝負すればいいんだ。ついでに荒地で戦えば、ただでさえ天候だのいなごだのにやられている畑が相当助かるはずだ。 「お前、腹が減っているのか。」 ふと気付くと、子房がすぐ側に寄って来ていた。 「いや、それほどじゃない。どうかしたか?」 「いや、減っていないなら、いい。」 小首を傾げて、また離れた所で栗拾いを始めた。それにしても、相当実の詰まった栗が、よくぞあの村の悪童共に見過ごされてこんなに残っていたものだ。毛皮二つとこの栗の山を抱えて歩けるだろうか。不安だ。 「この辺りの村は、栗食べないのかな。」 話し掛けると、子房は思ってもみなかったことを言った。 「あの村は廃村だそうだ。阿房宮の造営に壮丁が駆り出されたあと、流行病で全滅したらしい。収量が少なかったので租税がただでさえ滞っていたから、恐らく体力がなかったのだろう。先日通りかかった行商が、人気がないから寄らないがいいと言っていた。」 廃村、だったのか。阿房宮の造営に徴発などされては、戻ってこられまい。それに項王は咸陽を焼いたのだ。あの最中に満足に生き残ってここに辿りつけるはずがない。 この木は何年、空しく実をつけ続けたのだろう。 拾って、誰か拾って、私でお腹を満たして下さいな。 餓鬼共が泣いて喜びそうな、よく詰まった栗の実だった。ゆでてもいいし、炒ったのも好きだし、団子に混ぜたりもしたな、うちのかあちゃん。 拾ってやれよ、子房。 「お前、どうして、行くなと言われた場所に来たんだ。」 「一人でいたい時にいいかと思った。」 それから、おもむろにいがいがをぶつけられた。背中に刺さって痛いの何の。 「子房!」 振り返ると、じっと俺を見ていた。栗の実一つ、丹念に拭くと、近づいてきて俺に握らせた。冷たい冷たい小さな手で。 「生では、食べられないか?私は一人でいいから、陣に帰って何か食べてくればいいだろう。」 「腹、減ってないから。」 「では、何が気掛かりなのだ?」 「気掛かりなんて……。」 ない、と言い掛けた。 「廃村がそれほど気に掛かるのか?」 いや、栗の木が可哀想になっただけで……。 そうなのか? 子房の冷たい手が、そうっと頭に触れた。 「護軍中尉は、優しいな。」 誰からも、言われたことのない言葉だった。 「廃村を案じるのは当然だろう。漢王の後方支援にも関係するし、楚軍を首尾よく撃退したなら税収の問題は浮上するのだから、壮丁人口は多いに越したことはない。」 一気にまくしたてる間に、ぽたりと水が落ちてきた。子房の顔を見ると、案じ顔で空を振り仰いでいた。 「降りそうだな。」 「毛皮って、雨はじくかなあ。」 「動物である以上、多少ははじかないと嘘だろう。それについこの間まで生きて動き回っていた代物なのだし。」 「そうだよな。」 二人ですさまじい量になった栗を木陰に運びこみ、本式に降ってきたので毛皮を被って栗と一緒に雨宿りした。 「虎さん虎さん、寒くない?」 熊の手で差し招くと、恐ろしげな虎の頭の下で、子房が微かに笑っていた。虎の手が、横に振られる。 「今はそれほど寒くない。」 「熊さんは少し寒いから、そっちに寄ってもいいですか?」 熊の手が、お願い、と合わさると、虎の頭が一つ肯いた。 嘘つきの虎さんは、ものすごく冷たくなっていた。そっと抱えこむと、驚いたように身を震わせた。 葉っぱに雨の当たる音だけが、しばらくしていた。当分やまないかもな、と喜んでいいのか嘆けばいいのか、複雑な気分で冷たい髪の毛を撫でていた。拾い切れなかった栗の実も、早いところ拾ってやらないと腐ってしまうから、この人を陣に送り届けてからまた拾いに来ようかな。まだ生臭い臭いが抜けきっていない毛皮はそれなりに暖かかったので、こればかりは、なまずおやじ、ありがとう、だ。 腹が鳴った。何でまた、こんな時に。 「帰って、いいんだぞ。」 腕の中の虎さんが頼りなさそうに見上げてくる。 「私にはよく解らないが、空腹だと、良くないのだろう?」 「あー、腹減ってるのには慣れてますからね。子房みたいのはもっと食べなきゃ駄目なんだってば。」 「私は、悲しくなったことはないから。」 そりゃあ、断穀するような人間は、空腹でも平気でしょうよ。苦笑が浮かびかけた俺に、呟いた。 「悲しいというのが、よく、解らない。」 子房は、顔を隠すように虎の顔を引き下ろした。 「私は解らないから、お前のような沈痛な顔は出来ない。」 そんな顔、しただろうか。 「悲しいって、だから、韓が倒れたときとか、父上が亡くなった時とか、泣きたくなったことがあったでしょ?それこそ韓非子が毒殺された時とか。そういうこと……。」 「父の死は覚えていない。あとは泣く暇もなかった。ただ、全てが無性に腹立たしかっただけだ。だから、解らない。」 ぱたぱたぱたと、雨の滴が葉っぱを叩いた。葉っぱを伝った滴が、虎の顔を伝って落ちた。 「だから私は人の心が読めない。それが、策士としての私の限界だ。」 「その代わりに大局が読めるからいいじゃない。気にするなよ。」 つい人間個人に気を取られる俺は、一切の情を切り捨ててかかれる貴方の才覚が羨ましい。項王のような輝かしい勝利は貴方にはない。それでも、貴方には風前の灯であってもそれを消さずに、じわじわと育てて、最後には盛大な炎の壁を投げつけてきかねないしたたかなものがある。情勢を的確に見定め、あるべき状態を設定し、その位置にまで漢軍を引き上げていくのが貴方のやり方だ。漢中と連絡を取りながら侵略した地盤を確実に固めていく貴方の用兵は、敗戦続きの漢王なのに誰もが項王と比較するまでの存在にまで彼を押し上げ、俺にはそれが羨ましかった。出来ないから。 なのに、貴方は続ける。 「大局という名の旗を掲げて、人殺しを正当化する人間だ。本当の軍略とは、人を殺さない為にある。不戦こそ最上の計なのに、私は−。」 「はい、おしまい。」 ぴたりと柔らかい口元に手を当ててやる。 「今の漢軍にそれは無理。だからそんな風に考えないの。それよりなあ、火が焚けたら焼栗作れるんだけどなあ。こうと知っていれば火種でも持ってくれば良かった。」 冷たい手が俺の手をどけて、自分の胸元を探っている。代わりに探ってやろうか、と言うと、空いている左手で殴られた。取り出して、俺にほのかに暖かいものを握らせた。 火打石? 「火が焚ければどこを逃走していても、結構生活できるから。昔の名残で、いつも持っている。」 「子房……。」 「そんな顔、するな。」 怖い虎の顔の下から、俺の虎さんがにっこりと微笑んだ。 「熊さん、焼栗、私も食べてみたい。」 「…じゃあ、乾いた落ち葉を集めましょうね、虎さん。」 ありがとう、優しい虎さん。ずるずると毛皮を引きずって、大きな木の下で落ち葉を拾い集めている可愛い虎さん。 いつか、この虎さんが、餓鬼共が栗拾いに来れるような天下にしてくれますからね、栗の木さん。さて、熊さんは焚きつけを始めるとしますか。 しとしとしと。雨は小降りになったけれども、栗のはぜるのが楽しくて、熊さんは虎さんとしばらくお茶会をしておりました。 「…で、お前、わしから毛皮借り出して栗拾いに行ってたのか!」 「いいでしょうが、お土産持って帰りましたし、探しに来た周勃にだってちゃんと分け前やったんですから。」 「陳平、あのなあ、うちの軍師にどうして栗拾いをさせるんだっ、子房はわしらと違ってお育ちがいいんだぞ、あんなところで虫食い栗に当たって腹をこわしたらどうするつもりだ!」 「ちゃんと選別してますーっ。いやあ、可愛かったですねえ、栗食べてる軍師殿☆」 「このやろー、許さんっ、わしの子房に断りもなく!」 「…あのー……。」 「なんじゃ、嬰?」 「軍師殿が今、顔を引きつらせて帰って行かれましたが……。」 「嘘っ、待てっ、しぼちゃん、わしが悪かった!」 「ちゃんと連れ戻してきてくださいねー。」 馴染みの面子が車座に、囲むは秋の落とし物。栗の実つまむ、昼下がり。 あの林はいまや漢軍の食料庫になってしまった。栗にきのこにあけびに山菜、みんなが好き勝手に取ってきて、腹一杯食べている。腹がくちくなると人間それなりに落ち着くもんさ。 たとえこんな殺伐とした御時世であっても、おやつくらいあっていいだろ?どーせそのために立った漢王なんだろーし。 栗の砂糖掛けを一つ口に放りこんだ。 いつかまた、普通の村人が、あの栗の木に群がれますように。いつかきっと、みんなが腹一杯食べられますように。
お題シリーズ『秘めた思い』。どうなるかと思いきや、何と陳平の意外な一面を。でも『陳平善人化計画』ではありません。陳平のような育ちをしていて、凡人の感覚を残していればああ感じるだろうというだけで成り立った話です。本当は、『月光のグリンツィング』で話を書きたかった→シーズン物で秋の話にしようと思った→しぼちゃんと陳平の栗拾いを書いてみようと思った、というだけの動機だったのだが。だから仲良く栗拾ったりしてる(栗のいが、ぶつけたりしてますが)。「虎さん虎さん」と「熊さん熊さん」が気に入っていたりします。あと、劉邦が毛皮出してきたりとか(笑)、職人仕事の樊噲とか(笑)。去年の今頃に書いていた話ですが(勿論放っている間にシーズンオフネタになったから出さなかった)、この連中の話にしてはのほほんなので私は気に入ってたりします。 |