入社した時ゃ やる気まんまん
だが言い聞かせた さあ青年よ
大志を抱…くな!
それを守り続け 二十五年
「…無難にやったねえ……」
     −『努力せずに出世する方法』より−


The Company Way!
−李斯のコメディア・デッラルテ−


 その勅令が出たとき、俺と韓非は顔を見合わせた。
「来るよな……。」
「来ますよね……。」
 陛下も陛下だ、もう少し保留書きを書いておくなり、説明を書くなりすればよかろうものを、書かないからこの始末。いや、蔡公なんかは我関せずで堂々と居座ってるんだろうけどさ。現に、俺も韓非も堂々とお茶なんぞ飲んでいる。
「問題は、李斯です。」
と、彼の悪友、『世を憂える碩学の軍師』は深く深く溜息を付いたのだった。そこへ。
 だだだだだだだだっっ!!
 ああ、廊下を暴走する音が聞こえる…どーせあいつだ。韓非が再び一言。
「何やってるんですか、あの荀卿一門の恥晒しがっ。やあですねっ、これだからお馬鹿さんの李斯なんかに付き合うの嫌だって言うんですよ!」
「お前だってじゅーぶんに荀卿の頭痛の種だよ……。」
 人に当たるなよ、と忠告してやろうと思って窓から見ると。
 な、何してるんだ?李斯の奴!
「何を固まってるんですか、尉繚。見せなさい…げ、李斯っ、貴方何してるんですか、借金踏み倒して夜逃げでもする気ですかーっ!!」
「かっ、韓非ーっ!」
 唐草模様の風呂敷包みを背負ってうるうるしている李斯というものには、何だか壮絶なものがある……。再びものすごい勢いで戻ってきてひし☆と韓非にしがみついているのを見ると、俺は心底この二人と同門なんかでなくて良かったと思った。あー、韓非の奴、目が泳いでるし。
「どうしよおっ、陛下がっ、陛下がっ、うっうっ。」
「余計なことを喋らずに要点を言いなさい、要点を!このあんぽんたんのぼけ李斯っ、貴方、このお利口さんな私の時間を食い潰すつもりですか!」
 ひええ、べりっ、と引き剥がしてら。こいつの何処が一体『世を憂える碩学の軍師』なんだ…世評ってあてにならない。その極悪法家の友の足下で泣いている李斯は、
「俺は実家に帰らせて貰う!」
と要点を…よーてんを……。
「はあ?!」
 さすがの韓非が固まった。

「実家に帰るのは別に構わないと思うがね。」
と、『咸陽酒豪倶楽部』名誉会長の蔡公がのほほんとのたまう。結局、奴の説得は韓非に全て押し付けて、脱走してきたのだ。ちなみにこの倶楽部の本拠地は、咸陽宮の王翦殿の部屋である。蔡公の部屋には仕事や書類がやたらにあるのだが、ここには気持ちが良いほど何もない。つまり、王翦殿は戦場に行かない間は何もしないという、まことに偉大な主義を持っていらっしゃるのだった。俺は好きだね、あの主義。家では本の一つや二つ読んでるらしいけど。
「陛下としては、李斯君を帰す気などないように思えるがねえ……。」
「だからそう言って俺も韓非も止めたんですけどね。ますますいじけてしまって、もう手に負えないんだよね、あいつ。」
「尉繚君ならまだしも、韓非子が説得したらいじけるだろうさ。彼、韓非子にあれだけ日頃いじめられてるだろうに。」
 それは言えてる。
『このお馬鹿さんの李斯なんかと、この天才な私がどーして友達なんかにされなきゃならないんですかっ、李斯、ついでにその法律の適用は完全に間違ってますっ、もっかい蘭陵に帰って一ニ三からやりなおして来なさいっっ!』
だもんなあ。あれで韓非に全く悪気がない、つまり本人は心底そう思って言っているというのが更にすごいところで、多少は韓非という人間を知っていた俺でもあれには参ったもんなあ。李斯って案外偉い奴なのかもしれない。陛下は既に呆然自失だったし。
「じゃあ、俺が説得しろってことですか。やだなあ、何で李斯なんか。」
「ああ、尉繚君なんか駄目さ。君、函谷関で僕に脱走阻止された前科持ちだもん。実家に帰りかけた君なんか、説得力ゼロだよ。」
 かっはっは、と笑い合う蔡公と王翦殿。くっそー、食えない中高年めっ。この二人に比べて、相国の何とまともなことか…なんて言ったら、逆上した陛下に叩き斬られるかもしれない。やれやれ、ナーバスなお子様はこれだからなあ。
 王翦殿がピッチを上げていると、おや、陛下。
「ねえ、ぴこちゃん見なかった?僕、午後から講義のはずなんだけど韓非が来なくて。」
 真相をばらしていいのかどうか。思わず飲み助三人、顔を見合わせる。まあた昼から飲んでる、お仕事してよねっ、とは仕事中毒の陛下らしいコメント。へいへい、と三人ともやる気のないお返事をしたんだが、蔡公、あんた秦王の先生じゃなかったのか?いいのかい?
「ぴこちゃんなら李斯ちゃんに捕まってるってうつりょーが言ってますよ。」
 万年能天気の王翦殿に、秦王陛下が怯んだ。だよなー、李斯と韓非の罵り合いというか、一方的な韓非の毒舌ショーの最中には、まともな神経の人間は踏みこみたくないよなあ。
「陛下、逐客の令、あれ本気で施行なさるおつもりですか?」
と蔡公が尋ねた。
「とーぜん。だって、あのものすごい量の食客つまり居候のせいでもう二回も反乱起きてるんだよ、二回!もう僕反乱鎮圧するのやだからね!お金はかかるし、無駄に人死ぬし、他にやらなきゃなんないこと沢山あるってのに、滅茶苦茶迷惑なんだよね!道路とか年貢のお仕事、進まないじゃん!もう駄目、食客は秦で禁止!」
 ぷんぷん、と座る教え子に、昼日中からお酒を勧める師匠……。悪い先生だよ、蔡公、あんたは。陛下、ついつい一気飲み。おおー☆なんぞと手を叩くんじゃない、王翦おじさん。
「あれ、やっぱり食客追放令だったんですね?」
「それ以外の何だってのさ。仲父が馬鹿だから、しこたま食客ためて、また反乱の親玉に担ぎ上げられかけてるんじゃない。僕、三回も反乱潰すの、やだからね!」
 そりゃー一回目の黒幕はおとーとぎみ、二回目の黒幕はおかーさま、三回目の黒幕はおとーさまなんて、そりゃあ嫌だよなあ……。
「じゃ、私は関係ないですね?」
「とーぜん。蔡公を叩き出すわけないじゃん。尉繚だっているんだし、李斯も韓非もいるんだから、これは食客だけだって。あと、外国の間諜とかさ。じょーしきじゃない。」
 そのじょーしきが通じない奴も、とーぜんながら世の中にはいるのである。
 結局、韓非が来たら報告しに来るはずの宦官は最後まで来なかった。うわ、余程李斯に手こずってるな、ぴこちゃん。陛下は仕方ないから梭沙殿の所に扶蘇殿の顔見に行ってしまった。俺は夏樹姫にちょっかい出しに行こうとしたら運悪く蒙恬殿なんかに捕まって兵略をくそ真面目にご講義する羽目になったのだが。
 せめて、どっちかが韓非の手伝いに行けば、騒ぎが大きくならずにすんだんだよなあ……。
 と、いうのは。

「梭沙、陛下来てる?」
「夏樹公女?え、今までいらしたのですけど、まだ残した仕事があるからと外廷に戻られて…韓非様?!」
「夏樹さん、引き返します!」
「ちょっ、韓非、待ちなさいっ、じゃあね、梭沙!」
「母上…韓非先生、とっても急いでたね……。」
「そうね、扶蘇君……。」

 夏樹さんは韓非に付き合わされて−あの女嫌いが後宮で不祥事を起こすと信じる奴はいなかろうが、奴は一応陛下捜索のため後宮に入れるよう付き合わせたものらしい−あちこち駆けずり回る羽目になったらしい。そういう場合に限って陛下は執務室にいなかったりしたのだ。選りにも選って、李斯を探して歩いていたというのだから念が入っている。
「それも、暇だから尉繚に教わったいかさま双六の腕を試す実験台にしようという、くっだらない理由で!!」
 韓非が逆上するの、わかる……。でも、貴方のせいですよ、わかってんですかっ、と蒙恬殿の前で首を締め上げられた俺の身にもなってくれ!あの蒙恬殿の目が点になってたもんな…韓非が貴族らしい貴族だって誉めてたんだよ、この人は。人間外見じゃないって思い知っただろーな、蒙恬殿。
「陛下しょっぴいてきましたからねっ!貴方もさっさと来なさい、李斯が本気で夜逃げしたんですから!」
「本気だったのかーっ!」
 秦の常識は一体何処にあるんだーっ!いや、そんなもの初めからなかったのか……。
 韓非に襟首掴まれて−あいつは『私の白魚のような手が』とか何とか言うくせに、こういう場合は俺なんかより底力があったりする−引きずられ、唖然茫然の蒙恬殿まで後を追い、執務室で座っている陛下と並べて座らされた。夏樹さんが、もう嫌だ、と足を投げ出している。
「貴方の勘違いですってこの私があれだけ言ったってのに、あのぼけ李斯、風呂敷担いで出て行きましたよ。全くもう。陛下に出て行けと言われるなんて、ってこの私に散々泣き綻って行ったんですからねっ。で、『俺はもう実家に帰らせてもらうーっ!』ってダッシュで走ってったんですから。相国を突き飛ばしてったんで、さしもの仲父も目が点ですよ。田舎者だから私より足が早いし、追いつけなかったから取りあえずあなた方を探そうと思ったらどっちも逐電してるし!陛下なんか昼から後宮にいるって聞いて、仕方ないから夏樹さんまで引っ張り出す羽目になったし!いい加減、日中は仕事してください!」
 私は田畑を走り回っていたような李斯とは違って健脚じゃないんですからねっ、とまくしたてている。論点が相当飛んでるぞ、韓非。蒙恬殿は韓非が重症の吃りだとばかり思っていたもんだから、完全に絶句した。だから、こいつは重度の人見知りでもあるんで、慣れた相手には立板に水で毒舌を垂れ流すんだよ。
「…どーして風呂敷なんて担いで出てったのさ、李斯い……。ただのあやしい夜逃げ泥棒だよ、あんなのが客卿だなんてばれたら、秦の立場って何処にあんのさーっ!」
 陛下っ、あなたも論点がずれているっ!あーあー、床に伸びちゃった。
「おまけに何ですか、このくそ長いへったくそな置き手紙。陛下、読みましたか?」
「読んだよお…尉繚も読む?」
 うう、くれたのはいいけど本当に長い。こんなのをつらつらと、実例付きで置いて行かなくたっていいだろうに……。一緒に見ていた蒙恬殿はそこそこに感心していたのだが、韓非は一刀両断。
「こんな誰でも知ってる実例ばっかり、それも良くもまあ芸のないことばかり集めてきましたねっ、あの頭の悪い李斯はっ!帰ってきたら真っ赤に添削して返して上げちゃいますからねっ!!」
「韓非の引いてくる、人の度肝を抜くようなあやしい話じゃないからまだいいよ、李斯の方が……。」
 陛下の方に理屈があるぞ、大幅に……。蒙恬殿は絶句。彼が韓非の書を読まないことを願おう、うん。
 延々、秦が外人宰相を使ってきたことを引いてから、(それにしてもぺてん師張儀まで引くか?李斯)、美人も宝石も秦ではなくて外国産だなんて言い出し、何と言っても締めがなあ……。
『泰山は土壌を譲らず、河海は細流を拒まず!ですから王者たる陛下は第三身分や佃戸であっても差別しちゃいけません!』
「だから、陛下が逐客令を撤回なさるようにお前からもお頼みしてくれっ頼むっ、と押し付けてったんですよ、それを!」
「李斯、何か変なもの読んでないだろうねえ……。悲劇のヒロインに浸りきってるよ……。」
「あれがヒロインって柄ですか!気色の悪い!あんなものに付き合わされたら、私の感性が破壊されちゃいます!」
「あんたの感性なんか、とうの昔におかしくなってるでしょーよ。」
 脱力の夏樹さんが陛下と韓非の掛け合いに割って入った。大体ヒロインって何だよ…それを言うならヒーローだ。
「どーしよー……。」
「困りましたね…李斯も後先考えないで出て行きましたから……。」
「あの、陛下。恬が探してまいりましょうか?」
 ようやく話に入れた蒙恬殿が、一番現実的な提案をし、陛下は一も二もなく頷いた。
 それにしても、風呂敷抱えて出てくなんて、余程ショックだったんだろう、李斯も。もっとも陛下は、
「李斯が出てって何になるってのさー、もう。文信侯が食客解散しなきゃ意味がないんだって、この法律。」
とおっしゃるし、韓非も、
「もっともです。この法案、廃案にした方がいいですよ、完全に誤解を招きますから。全く、李斯も後先考えないで夜逃げするから、後始末しなきゃならなくなるんです!」
とぶーたれていた。
 李斯の身柄を驪邑で確保したと蒙恬殿が使者を送ってきたのは、真夜中過ぎてた。三人で蔡公差し入れの古酒を飲みながら待っていたのだが、気が付いたら寝ちまってた。そりゃあ、遠いもんなあ…それにしても、李斯ってほんとー健脚だ……。蒙恬殿もお気の毒。

 だだだだっ☆けたたましい足音で叩き起こされた。むくっと飛び起きたのは、一番付き合いの長くなったお気の毒な秦王陛下。
「うるさいよっ、李斯っ!朝から何なのさっ!」
「陛下っ、貴方もうるさいです!」
 失敬な発言を飛ばして寝返りを打った韓非なんだが、あの位置は危険なような……。
 ばこん。そら見ろ、頭にぶつかった。
「陛下っ、ありがとうございますっ、逐客の令を撤回してくださって、これで路頭にも迷わずにすみますし、陛下のお側にもいられて、李斯は感謝感激雨あられ……。」
 乱入してきた李斯は寝起きの陛下がぼーっとしている前で三拝九拝する始末である。
「やめろー、朝から見苦しいー。」
「尉繚っ、お前うるさいっ、俺はもう失業するかと思って陛下のお慈悲に綻るためにあの置き手紙を書いたんだからな!陛下ならわかってくださると李斯は信じておりましたっ!!」
「…だから李斯の勘違いだって…あやしーから、朝から泣き綻るのやめてちょーだい。」
「ありがとうございますっ秦王陛下!!」
 それからひとしきり失業するかと思って胃をおかしくしそうになっただの、咸陽を飛び出す途中で切なくなって泣いてただのと言ってたわけなんだ、李斯の奴。
「…李斯、後先は考えて飛び出そうよ。」
「大体実家に帰るって何だよ、陛下が呆れ果ててたぞ。」
「それ、尉繚も一緒だったじゃない。だから、僕が説明するまで待てばいいのにさあ……。」
と陛下が言葉を切って、恐々と振り返ったのは韓非。ただでさえ寝起きの悪い奴が、朝から扉をぶつけられたもんで最低の機嫌になっている。げ、眼を据えてる美形の気違い法家は秦王陛下ならずとも怖い。
「李〜斯〜、良くもこの優秀な私に朝っぱらから戸なんてぶつけてくれましたね!待ちなさいっ、思い知らせてあげますから!!」
「げっ、お前いたのかっ、陛下、失礼します!」
「待ちなさい!」
 自慢の健脚を生かして脱走する李斯と、ものすごい勢いで追いかける韓非と。あれのどこが健脚じゃないんだよ、韓非の奴は。あー、見えなくなったし……。俺と陛下は顔を見合わせて、深く深く溜息を付いてしまった。

 勘違い李斯の置き手紙の稀なる効能で、結局逐客令は取りやめになった。
「陛下!私は退職するまで一生秦にお仕えします!」
「わかってるよ、李斯…頼むから、もー少しまっとーになってよ……。」




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お題シリーズ久し振りのギャグで秦帝国。『助けを求める』李斯の話です。(笑)この構想は呂不韋の話のB面として早くから持ってたんだが、李斯を語り手にしてたんで煮詰まってました。免許取りに帰京する前、『ハウ・トゥ・サクシード』のこの曲を聞いて、「うわ、完璧李斯だ!」とこうなった代物。(笑)時期的に韓非の入秦は後なんだが、『無名氏』では友人の李斯を尋ねて来るというのもありかな、と。というより、これは『ある日の平和な秦帝国』スタンスで構想したものなので、韓非を外せなかったのよ!夏樹さんや蔡公は芋蔓式に出てきました。(笑)それにしても、李斯のあやしいこと。政君、大変ね。

いんでっくすへ