人間の運は、それぞれの人間のあいだで異なっているというだけではなく、同一の人間の中でも変わっていくものなのである。
     −グイッチャルディーニ『リコルディ』


King maker
−咸陽序曲−


 魏が王を称しました。
 報告を受けた俺は、せせら笑ってでもいたろうか。あの弱小国家が御大層に。
 やめておけばよい者程、王号を称する。燕しかり、趙しかり、韓しかり、その上魏ときた。まさに、誰でも名乗れる大盤振る舞いだ。
 そもそも正当面をして王を称する周室こそが、一番実権を持たない。虚構であれ、権威でも残っていればよいのだが、箔付け程度の価値もない。
 周室が諸侯を招いて爵位を与えるにしても、位階がそのまま、叙爵者の立場を示すと、誰が考えるのだ。現在の秦君が伯爵風情に収まる存在のはずがない。それを麗々しく与えたところで、こちらがありがたがるとは、路傍の童子でも思うまい。
 洛陽に押し込められ、古さのみを権威として縮こまる、文においても武においても取り柄を持たない国。俺と従衡で渡り合える唯一の男、蘇秦を生みながら奴をはね付け、手痛い逆襲をされた愚かな国。
 愚かなのは周室だけではないのだが。俺もまた、秦人ではないのだから。
「張子、お車の支度が調っております。」
 名前を覚える気もない下人の声に、席を立った。
 俺もまた、生国魏に地を割譲させて相位に就いた男だ。

 四年前、俺は公子華と共に魏の蒲陽を包囲していた。目下歯牙にかけるほどの奴もいない魏軍は困難もなく陥落し、蒲陽は秦領となった。名君と呼ばれた魏恵王が卒して七年、鄒衍、淳于髠、孟軻の手合いは何の役にも立たぬまま、大梁を去っていた。尉子という名の兵法家がいると、昔に噂を聞いたが、今の魏王は父親の遺産を使えない程度に扱いやすい男だった。つまり、公子華はさほど労せずに勝った。
 ここで落とした蒲陽を、俺は秦に組み込まなかったのだ。
 当然公子華は不満であり、恵文君も首を傾げた。
 蒲陽程度で俺が納得すると思っているのか。詭弁で結構。俺は、この舌鋒だけで公子華が成し遂げた以上の成果を手にしてやる。
「兵には道をもって勝つあり、威をもって勝つあり、力をもって勝つありと、魏の兵家は申したとか。軍を破り将を殺し、功を成してすなわち返る、この力の勝利を公子は成し遂げてくださった。公子の功績を最大限生かすために、いったん蒲陽を魏へ返却します。公子繇という疑似餌を釣針につけて。」
「戦に勝った我が方が、更に質を送ると?!」
 憤激した公子の思考は単純だ。どうしてこう、育ちのいい連中というのは直線思考なのだろう。恵文君を見る。彼は俺のしようとしていることを恐らく理解していなかったろう。それでも、恵文君は許可を出した。
「よろしい。張子の欲するところを行うように。」

 咸陽宮を見慣れた目に、大梁の宮殿は古臭く映った。公子繇を送りがてら、久し振りに見た魏の都は、昔ほどの活気を失っているように見えた。魏が斉に負け続けている間、秦は国力を蓄えて中原への進出を虎視眈々と狙っていたのだから当然だ。
 都を移してから二十年と少ししか経っていない咸陽の、新築が持つけばけばしさからすると、みすぼらしくさえ見える。これが俺を相手にしなかった生国の現状だった。
 弁舌を相手にしなかった魏王は、今度は秦の客卿を迎えて、気味が悪いほど遜る。これが王座でふんぞり返っている人間の正体か、と薄ら笑いがこみ上げる。俺という人間はどこも変わっていない。強いて言えば、昔より性根が悪くなっているのは事実だろう。
 もっとも俺は、ただで公子繇を魏に贈ってやるつもりなどなかった。
「秦王が魏を丁重に遇しておられることはお分かりのはず。魏は礼をお欠きになられぬよう。」
 これだけで要点など案外簡単に伝わるものだ。
 魏は上郡十五県を秦に寄越し、俺は相となった。一県が十五倍とは、なかなか割のいい賭けだ。位置もよい。渭水の線に沿って並ぶ城市は、咸陽からも同じ線で結ばれる分管理がしやすい。
 俺は人々の称える『戦功』よりも、新たに得た位に満足していた。最下層の貧民だった俺にそれを差し伸べたのは、中原では異質の新興国家と呼ばれていた秦であったのだけれども。

 俺が秦に来たのは、恵文君が即位してからしばらく経ってのことだ。鬼谷先生の下で学んでいたときに、法術の士として名を馳せていた商鞅を処刑した男は、自分が殺した男の制定した法を臆面もなく使って秦の富国に熱中していた。そもそも自分が法に触れて処罰されたのを逆恨みしたらしいのだから、程度が知れる。
 もっとも俺に言わせれば、秦太子に手加減という言葉を知らなかった商鞅も相当な愚か者だ。奴が何をしたかったのかは知らないが、折角あれ程孝公に信頼されていながら、自らの権力地盤を磐石にしなかったのは何故なのだろう。少なくとも彼には秦太子に義理などなかったはずだ。孝公に太子の廃立を考えさせるよう仕向けなければ、代替わりしたとき自分が復讐されることなど自明であろうに。
 現在の秦の、いわば礎を築いたといってよい男を車裂にしてのけたのが、俺の会った恵文君という男だった。
 蘇秦の話を受け入れなかった男は、何故か俺の話は気に入ったらしい。結局のところ、俺は自分でも気付かない内に、蘇秦の差金で秦に送り込まれたに等しいわけだが、それでも弁者が変わるだけで態度が変わるというからには、相性というものはあるのだろう。奴が連衡を説いた時は時期も悪かった。孝公が卒して、恵文君は商鞅を車裂きにした直後であり、排他的な思考に染まっていた時期でもあったのだから。
 商鞅はじめ、来る者は拒まなかったらしい孝公とは違い、恵文君はどちらかといえば秦室の公子を重んじる。それでも俺は客卿に任じられただけ、気に入られたということなのだろう。
 似た所が、ないとは言わない。絶対に恵文君に言いはしまいが。
 俺も自分なりに恵文君は気に入っている。

 相になってからも、魏との間で、領土のやり取りは続いた。ある意味で博打のようなものだ。
 博打と演劇。将の司馬錯でもあれば不真面目なことと憤慨でもするだろうが、俺には参加する戦争の全てが土地転がしにしか見えない。俺が陣頭に駆り出されている間、蘇秦はあちらこちらを行き巡り、おだて上げ、秦に対抗する同盟を結んでいたのだが、戦争の一勝で盤面はひっくり返る。その時だけは、秦軍の強さをありがたいと思った。
 秦軍は全ての国を恫喝するだけの力を蓄え、それでいて恵文君は恵文君のままだった。実力も兼ね備えない他国が、各々勝手に王号を称しているというのに。
 僭称を止める力など、周室に残っているものか。
 車は咸陽宮の前で止まり、俺は従者を従えて恵文君の前に現れた。恵文君は倡優の演技を見ているところで、機嫌がよかった。俺は要件を後回しにし、誘われるままに退屈な歌と冗長な踊りを見物した。もっとも、終わったところで手を叩き、笑顔で演者の『妙技』を褒め、楽しげに杯を何度も空けはしたけれども。
「さて、そなたが歌だけを聴きに参ったとは思っていない。何があったか。」
 一通りの楽しみに付き合うと、ようやく恵文君は自分から切り出した。勿論酒肴は片付けられていない。お堅い話を持ち出すなという牽制でもあるのだろう。
「王者の歓楽をお勧めに参った次第でございます。」
「私が嗜む以上の歓楽があると?それは信じられんな、言い出したのが張子、そなたであればなおのことだ。そなたに遊び事の相談は期待しておらぬ。」
 薄い唇を歪めて笑う。秦君は、それでも意外な取り合わせには興味を惹かれたらしかった。
「君以上のことを為す者などおらぬでしょう。ですからこそ、単なる国君の快楽ではなく、『王者の』歓楽をお勧めに参ったのでございます。」
「そなた陜の攻略をしたついでに、何か妙なものに感化されてきたのではないか。」
「献公の代に、周の太史が語ったという言葉を聞いたことがあります。」

 周と秦国が別れて五百年の後にまた一つとなり、一つとなって十七年の後に覇王が出るであろう。

「それは私も聞いたことがあるな。張子、そなたともあろう者が、まさか信じていると?」
「さあ。けれども、折角陜で秦の力も見せ付けたのです。餌を貰って尻尾を振る如き魏だの韓だのに王と呼ばねばならぬのであれば、私は覇王を出すであろう秦の君をこそ王とお呼びしたい。」
「張子はなかなかに大胆なことを言う。」
 恵文君は快活に笑った。悪い気はしなかったのだろう。
 追従だったのかもしれない。しかし、紛れもなく本心だった。
 どいつも似たり寄ったりなら、俺を買った男を立てて何が悪い。その程度には恵文君が好きだった。魏君なんぞを王と呼ばねばならないなら、我が秦君の方が遥かに度量がある。
 恵文君は、
「その件さし許す。討議せよ。」
と言って話題を転じた。

 恵文君十四年、秦君は正式に王号を称した。七雄の最後にして最強の国君の王号を、洛陽が阻止できるはずがなかった。我が主は秦王となり、他国は一層秦を憚った。
 中原ではない戎狄と絶えず見下し、都合のよい時だけ紛争に引きずり込んできた西の覇が、逐鹿の意志を明示する。蘇秦は歯がみでもしただろうか。
 以前に聞いた、周室の太史の言葉を思い出す。
 秦は覇を出すであろう。
 覇者の出現が恵文王の治世か、それとも「いずれの日にか」かはわからない。太史などの言葉を鵜呑みにするわけでもないし、まして縋ろうはずがない。
 その正しさを認めるのは、この張儀自身だ。
 俺は秦一国を踏台にする。立身を、栄達を計り、ついでに秦の富強にも手を貸そう。失意の布衣に手を延べた恵文君への餞として。
 俺は全ての国を秦の膝下に、張儀の足下に跪かせる。だから秦は間違いなく覇を唱える。弱小国など、果てしなく秦の顔色でも伺っていればよいのだ。
 我が主、秦の君は秦王を名乗る。今に見よ。安閑と王座に座す群小の君の上に、我が秦が座するのだ。秦は必ず天下を取る。誰が、何を言おうとも。

 それこそが、遊惰と安穏の日の終止、つまり、終りの始まり。

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ものすごく久し振りのお題でなおかつ張儀。張儀でこれをやるというネタは五年前から持っていたのだが、実施する気になったのは去年の夏(爆)。そーなんだ、こんだけしかないのに、『史記評林』を引きまくったさ!周本紀、秦本紀、魏世家、張儀列伝!そして地図帳二冊ひっくり返したんだ!くっそう……。それでこの短さ。ナレーター張儀、お前さんはストーリーテラーじゃないよ……。
これまた久し振りに屈原読んでたら、郭沫若説では張儀が恵王の相になったとき、屈原13歳説なんだと。これで戯曲読み返すと…張儀がぶち切れてもおかしくないだろ!「このやろーてめー苦労しらずのお貴族のぼんぼんのボヘミアン詩人の青二才のくせに人の冤罪信じやがって絶対闇に葬ってやる」くらいは考えてもおかしくないよ…ちょーぎだもの……。つーより、屈原の歯が立つ相手じゃないよ……。
『幻想旅行』シリーズでは蘇秦が一番書きやすいんだが、このお題で一番書いているのは意外や張儀だったりしてびっくりです。これが三つ目。屈原は書きづらいんだよなあ…本人がくそ長いもん書いてるから。蘇秦は書きかけのがあるんで、仕上げたい。昔書いた宋玉の話はけっこー気に入ってます。蘇代の話もけっこー好き。全くかみ合ってない(笑)蘇家兄弟。弟君たちは結構ブラコン(笑)。


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