私の弟子は多くいた。賢い者も、出来の良い者も、鐘愛の者も、それは多かった。
それでも、ふと懐旧の際に浮び上がる面影は、若くして物故した端正に過ぎる不肖の『弟子』の面影だった。確かに彼は私を師と呼んだが、一度たりとも師匠の学に敬意を払ったことはなかった。むしろ、対等以上の地歩から物を見、意見していた、生意気な不肖の弟子だった。
彼の見識には、内心私も舌を巻いていたのだ。ただ、あの怜利に過ぎる冴えた現実直視に、幅を持たせたかったのだ。
私は失敗した。
仁の心を持てば、あのような死に様をせずとも良かったろう。
私は、二人の不肖の『弟子』に、一番肝心なことを教えることが出来なかった。
蘭陵に来た頃植えた梧桐の木は、とうに私の背を越して、太く高く生い茂っていた。頭上に枝を広げ、陰を作る。蘭陵に招かれた時には、既に老いていた。今は、更に老いていた。老い込んでしまったのかも知れぬ。寄りかかる梧桐の幹はまだしなやかで、伸びようとする意欲だけを私に伝えてきた。
伸びよ、伸びよ、天にも向かって伸びよ。
それを勧めた私は、『老儒』と名乗りつつもまだ若かったのだ。少なくとも、この心は。
伸びることに疑いを持たなかった私は、弟子に慎みを教え損ねた師でもあった。
二人の不肖の弟子達と、一匹の犬を思い出す。一人の訃報が届いた後に、私は心身共に老け込んだ。残った不肖の弟子に未練を残しながら、私の名声はますます上がり、蘭陵には今日も弟子らが集う。良い弟子達だ。礼を重んじ、学を身につけて仕官を試み、その中でも優秀な者は各国で腕を振るっている。
いや…いたのだな。最早、国は一つしかないのだ、忘れておった。
私は、不肖の弟子の振舞いに一々腹を立てながら、それでも彼の消息を追っていた。自分の下を飛び出したような愚か者の噂を、それでも私は集め続けた。
梧桐の枯葉の舞う頃に、若かった二人と一匹と、そうして自分の姿を思い出す。


Il maestro e i studenti
−蘭陵の子守唄−


 取り次がれた客は、がちがちに固まって敷物の上に正座していた。あの男にはもっとましな身ごなしを教えていた筈だぞ、と苦言が出るのは、客を寄越したのが不肖の弟子だったからでもあろうか。
 そう言えば、あの男もその始め、がちがちになって私の前に跪いたものであったな。その上、蘭陵に移ってしばらくは聞き取りづらかった南の強い訛りで、懸命に学を学んで立身したいとまくしたてた。もう、どんな話をしていたのかも忘れてしまったがな。猫の話だか鼠の話だかをしたような…それとも別の弟子であったか。
 それでも客は流麗に挨拶を述べる。綺麗な中原の言葉を自在に操り、少しずつ場慣れしてゆくのがよう判る。
 秦から来た客だった。かつて、一度だけかの国の土を踏んだことがあった。
 いや、既に蘭陵も秦の地となってしまってはいたのだが。

 私はまだ若かった。しかし、その頃の私は、自分は十分老いたのだと信じていた。
 斉の稷門で祭酒を何度か勤めた後、学士達の嫉視と讒言にあって、臨鯔を離れた頃、招かれて咸陽へ向かった。当時の丞相、応侯范雎は歓迎してくれ、あちこちを見せて回ってくれたものだった。
 秦は良い国だった。治安も良く、活気もあり、西の覇として相応しい貫禄があった。活気は勢いとなり、諸国に勝り、或いはその全てを併呑せんとの士気がみなぎっていた。
『如何です、先生。』
 得意げな秦相に、賢しらな答えを返したものだ。
『まことに素晴らしい。しかし、人というのは法によってのみ統御できるものではありません。失礼ながら、貴国には礼がない。礼をもって人々を徳化せねば、必ずや滅亡が参りましょうぞ。』
 范丞相は、苦労人らしく、いちがいな否定はしなかった。口の端を吊り上げて、いかにも一癖ありげな微笑みを洩らしていた。皮肉でもあっただろう。
『礼法でどうにかなるほど、秦の民は素直ではございませんでね。』
 その後、范丞相の親しくしていた楚太子の師傅、黄歇殿の知遇を得た。黄歇殿は楚太子の即位に伴って帰国し、春申君を名乗って楚相となった。
 その頃私は、趙へ行ったり斉へ戻ったりしていた。旧知の楚相が懇請した故に、この蘭陵の令となるため、楚に移って来た。ここが終の地となる予感がした。
 斉や趙や秦にいた時と同様、蘭陵でも弟子が集った。私は礼によって君子を生み出すことに生き甲斐を感じていたし、人々を出来るだけ徳化することが乱世の収束につながると信じていた。人もこの理念に賛同し、共感した。私は儒学が、礼学によって得る仁の心が全てを解決すると信じて疑わなかった。
 不肖の弟子が、厄介な問いを右手に現れるまでは。

 韓の庶公子だという青年が教えを乞いたい、と現れた時、私は彼をその他の弟子同様に扱った。彼らを一同に集めて訓話をし、質問を受け、討議をし、その間中、彼は沈黙していた。初学者がおとなしいのは当然で、気にも留めなかったが、彼は弟子に囲まれて退場する私をもつれる舌と共に呼び止めた。その吃りぶりがおかしいと嘲笑しかけた弟子達を制し、初めてこの新弟子の顔に師に対する通常の尊敬が浮かんでいないことに気が付いた。
 彼は長い杖を付いていたが、足が悪かったのではない。地面に、極度の吃音でお聞き苦しいであろう故、筆談にて失礼します、とさらさらと書いた。整っているが、好き嫌いのある、線の細い字を書いた。承認を与えると、お尋ねしたいことがあって韓から参ったのです、と続け、一つの木簡を差し出した。答えていただけますか、と地面に綴った。そなたはまだ学を志したばかり、まずは話を聞くことが先決であろう、とたしなめた私に、彼はとんでもない答えを書いた。
 お逃げになるのですか。
 その字句を踏み消したのは彼ではない、私だ。背後に群がる弟子達に、この新弟子の暴言が知れれば、ろくな結果になりはすまい。それでも、韓の公子は、生意気な才子、と片付けるには冷静すぎる面持ちで、私の顔を観察していた。ひた、と漆黒の瞳を私に見据えていた。
 私は木簡を受け取った。いずれ呼ぼう、と約すると、彼は満足の表情を浮べ、一礼して去った。
 木簡を開いて、愕然とした。彼は、韓の公子は、礼学の功用に疑問を挟んできた。そして、彼の整然とした理詰めの議論に、私は突嗟に反駁することが出来なかった。
 何という精緻であったろう。微に入り細に入り、礼学の欠陥を指摘した彼の文章は、魅惑的ですらあった。
 私は夜を徹して弟子の疑問に対する答辞を用意した。気構えをしてから、彼、公子非を呼んだ。そして、二度驚いた。彼は私の用意した答えに対する、反証を持っていたのだ。
『学によって人は悪に進もうとする己を改め、道義心を持つようになる。それは板にたがをはめて矯めることにより、まっすぐな板を曲げることが出来るのと同じ道理である。』
『して、そのたがは、果たして礼学なのでしょうか。というのは、礼学を学んだ君子と称する輩の行うことは、蠹と何処が異なっているとおっしゃいます。実質、人というものは礼法で徳化されるほどの善性を持っているのでしょうか。』
『それは君子の学ではない、小人の学だ。だからこそ、「論語」で徳を養い、「春秋」で現状認識を培い、「詩経」で情操を函養するのだ。』
『して、それでもまだ治乱を為す者が増えたならば、座して彼らが君子と変じることを希望しながら、国の亡徴を見逃すとおっしゃるのですか。お言葉ですが、例えば、それでは我が韓など蠹に食い荒らされた空洞の如き木ですが、ここに君子が出没せよとただ、期待して待てとおっしゃいますか。』
『そうではあるまい。そなたも学を志した者である以上、自らが君子となり、もって手本を示せばよいのだ。』
『無為無策の学者たれと?例えば先生のように道を極められた君子は一介の県令に、失礼、過ぎません。その道は、或いは蘭陵で行われるかもしれない、或いは行われないかもしれない。つまり、全員がおっしゃるところの先王の道を行えば、先生が令をなさる意義というものはなくなるわけです。無論、実情はそうではない。仮に先王の道がこの蘭陵で敷かれたとしましょう。しかしそれは、蘭陵という限定された区域で通じるものだ、他地域に波及するということはありませんし、ましてや利害に目ざとい郢の朝廷人士が収奪を行い、己の利を図ることを防止することは出来ますまい。』
 彼は断定した。そして、讒言で稷門の祭酒を逐われた私には、否定が出来なかった。否定したところで、この無礼な弟子は偽りをすぐに看破しただろう。
『では、何故そなたは私に学びたいとはるばるやって来たのだ?』
『…私は、人の善性などというものが信じられませんから。』
 ゆっくりと地面に書き、私が読み取るか否かのところで素早く消した。
『無論、生まれついての善人などおらぬ。しかし、礼を学び、学んで一生学び続け、自らを修養することによって、人は君子として成長していくものだ。』
 彼は私の顔をまともに見詰め、きっぱりと言い切った。
『それは、先生が君子であるからです。』
 そして、書いた。
『しかし、人臣は君子ではないのです。』
『では、彼らを君子にするべきではないのか。』
 彼は黙って首を振った。私が発言を促すと、重い口を開いた。
『世評としての「君子」によって勢力の拡大を計るならいざ知らず、自己の利益にならない君子になろうと彼らが考えるような僥倖を当てにする気には、どうしてもならないのです。』
 私は弟子の言葉に、或いは現実の容赦ない過酷さに、返答する術を持たなかった。それと共に、この反抗的な意見を頑固に持っている公子を追い出す気にもならなかった。
 俯いて、じっと地面に書かれた自分の字を凝視する彼の姿が、寂しげであったせいでもあろうか。彼は間違いなく若く、私は既に老いていた。
 まさか、彼が私よりも先に逝くとは思いもしなかった。

 使者は私の礼物の目録を差し出した。今頃は家人や弟子が、倉に運び入れ終わった頃だろう。
 まだ存命の不肖の弟子は、律儀に−或いは悪律儀に−師である私へ礼物を送ってくる。門下を飛び出して、自分の立身を図りに行った者にしては珍しく、かつての師に折々の礼物を寄越す。
 突き返しても良かったのだが、あの人の良さそうな顔立ちの、訛りの強い青年の面影が先に立って、できなかった。仮にも師であった私の存在が、何らかの形で彼の歯止めとなるのであれば、交渉を続ける意義があると信じていた。
 同窓の友であった公子非に自殺を迫った男。
 彼らは遠い咸陽にいて、私は遠い蘭陵にいて、あの二人の不肖の弟子に何もしてやることは出来なかった。秦の暴君に仕える内、あの人の良い田舎の青年は変貌してしまったのだろう。立身に急かされて、自己の修養を疎かにした彼だが、気立ては良かったのだ。不敬である上に重度の吃音を抱えて、誰とも打ち解けなかった狷介な韓公子非と衝突もせずに付き合っていたのだから、師である私も驚いたものだった。
 渡された目録を開く気にもならず、私は彼の近況を尋ねた。
「師は、忙しくなさっておられます。荀卿にくれぐれもよろしくお伝えするよう、言付かって参りました。」
「師と?」
 初耳だった。彼は何度も入れ替わり立ち替わり使者を送って来はしたが、彼を師と呼んだのはこの者が初めてだった。
「貴方は李斯に師事しておられるのか?」
 恐縮した様子で肯いた。しゃちほこばったその姿に、嫌味を言えなくなった。
 李斯は学も中途で蘭陵を飛び出して行ったのだぞ。学ぶだけ学んでから反旗を翻して法術の徒となった韓非の後を追ったのだぞ。
 しかし、あの二人は−。
 最後まで、先生、と私を呼び続けた。堂々と反旗を翻した不肖の弟子達は、それでも何処かで自分は私の弟子であるという確固とした認識を持っていた。高弟と呼ばれる今や取り巻きのようになってしまった数人とは違い、儒者でも君子でもなく、ただの教え子として親しんだ、あの二人を私は何処かで憎めなかった。
『この男は少なくとも礼では甘いことが判っていますから。』
『お前、師匠にそんなこと言って、ええんかい!』
 師匠の前で、無礼な口を叩く、不肖の弟子達だった。
「李斯は、おっとりと教えるであろう?」
「はい。」
「間違ったことを言っても、怒ったりはしないであろう?」
「はい…皆は、あの方が冷たく厳しいと思っているようですが……。」
「あれは、厳しくはできまいよ。ひたすら甘いのだ。人を甘やかして、駄目にしてしまう。」
 だから私も驚いたのだ。李斯が、あの公子非に毒杯を持って迫ったと聞いて、驚いたのだ。
 ここへ何度もやってきた仲の良い二人連れと、韓非のいつも連れていた黒い犬。二人と一匹の組み合わせは、あの当時、ちょっとしたここの門下の名物だった。いつも韓非の暴言をなだめたり他人との調停に入ったりしてやった李斯の姿は珍しくもなかった。
 少しはたしなめればよいのに。歯痒く思う師の心も知らずして。
 恐らく秦王もたしなめないのであろうな、あれは。
「貴方は、李斯をどう思うかね?」
「立派な方です!あの方は、全てを身に着けた君子です!」
 君子、と。
 彼は、あの茶色い目を満丸にして面食らうであろうな。
「そ、その方の師と仰がれる、大儒にお会いして、恐縮致しております……。」
「あれの師が儒者とは、驚いたのではないか?」
「…はい。」
 そう、李斯は君子になろうなどと考えてここに来たのではなかったからな。立身するために学問を身に着けようと私の下へ来て、そこで韓非と出会ったというだけだ。
 学問とは何か。私はあの二人の心を動かすことができずに、今でも彼らを忘れかねている。
 韓非。学問とは治乱の理を極めて天下を統制するためだけにあるのではないのだ。
 李斯。学問とは立身して人笑われのしない才子になるためだけにするのではないのだ。
 では、何のためにあるのですか?
 韓非の漆黒の瞳が、李斯の茶色い瞳が、詰問を、或いは素朴な疑問をたたえて私に向かう、ような気がした。

 教えてやれなかった。
 かさりと音を立てて、また梧桐の葉が落ちる。

 修養というものは、自ら積むものだと信じていた。経験を重ねる中で、次第次第に身に着けていくものだとばかり。弟子の行状には不関知だったし、彼らも行動に自己責任を取るべきだと信じていた。私の下で礼について学んだのであれば、惻陰の心の命ずるままに行えば良いのだと。
 私は、それが効果を上げていると信じていた。あの韓の公子が立ち去るまで。
 あんな国でも、戻ってやるつもりです。一応、公子、ですから。
 吐き捨てるように韓非は呟き、そして続けた。
『先生の礼法による徳治は夢物語ではあるでしょう。…しかし、誰もが先生のような君子であったら、とは私も思わないわけではありません。』
『この門に入る者は、皆君子の素養を秘めている。学び、それを行うことで、君子は己を律してゆくのだ。』
『ええ、君子は。』
 その後、不敵に笑って吐き出した言葉を、私は一生忘れない。
『私は、先生以外の君子に会ったことはありません。後は先生の後にぶら下がって、名声のおこぼれにあずかり、あわよくば栄達を望もうとする連中か、それすらもできぬほどに頭の悪い鈍物か、学問のために学問をする者達ばかりだ。おっしゃった仁とやらは何処にあったのです。貴方にしかなかった。怵タ惻陰の情とは?所詮、人というものは利害と賞罰でしか動かすことができないものだと、知りました。』
 だから、私の語った言葉は美しい夢物語であるのだと。
 先生、ご壮健で。きっと、先生の弟子で名を上げるとしたら、それは私の友人だった李斯だけですよ。
 最後まで不遜の弟子であった彼に、私は二度と会うことができなかった。名を上げた友人に渡された毒の盃を呷り、彼は私より先に逝ってしまった。
 私はまだ、老いたとはいえ壮健で、こうして李斯の弟子なる者に会っていた。

「李斯は、貴方にどんなことを教えてくれたかな。」
「古い歴史や詩文や政務のあり方などを。師は高名な荀卿の門下であったのですね。ようやく、あれほどの博識に合点が参りました。」
「飲みこみは早かったからな、あれは。」
 早過ぎたのだ。私の教えようとすることを、はいはい、と素直に吸収し、それに留まらず、韓非のいうことまでも、そうだそうだと吸収してしまったのだ。だから李斯は、誰もが無意識に避けて通ろうとする、建前と現実という虚実取り混ぜた世界の二者択一を迫られる羽目になったのだ。鋭敏に過ぎた韓の公子が突きつけるままに。そして李斯は、猫だか鼠だかの話をして、自分も安楽に暮らせる環境に行きたいと切実に願っていた李斯は、実態の見えづらい君子となるのではなく、現実世界で暮らす道を選んだ。私は僅かな趙での逗留の際知り合って、当時秦で権勢を誇っていた呂不韋殿に紹介状を書き、不肖の弟子の残った一人をも送り出した。
 彼らが去って、私は平穏になるはずだったのに、何故か無性に寂しかった。それ以来、誰一人、私に楯突くような不肖の弟子は現れず、一種画一的な君子の予備軍を抱えて私は蘭陵に取り残される。
 もう、蘭陵からは何も生まれない。ただ私を絶対視する弟子達からは、師を越えるような奇才は出て来はしない。
「それに呂不韋殿の食客は多才であった。李斯なれば、様々な知識に接して、見聞を広めたであろうな。」
 そこをすら飛び出して、遥かに年下の秦王についた李斯だった。
「李斯にもう少し仁の心があれば、秦が虎狼のように他国を侵略することを防げたであろうに。」
 つい、愚痴が出る。とぼけていて、いつも賢く狷介な韓非にいいだけ翻弄されていた、愛すべき素朴な青年を、不肖の弟子とはいえ、私は好いていたのだ。
 何故、毒杯など。私はそれを李斯に尋ねることができずに、今に至っている。
「あの…お言葉を返すようでございますが、師は不仁ではないと、存じます。」
 目の前の青年は、顔を真っ赤にして、それでも精一杯、この蘭陵の荀卿に対して抗弁した。腹の内に秘めて置けばよいものを、口に出した。
 良いことだ。貴方はまだ、若いのだ。正しいと思ったことを、するがよい。そして、人は年輪を重ねてゆくのだ。
 私は完爾として肯き、貴方の言葉を容れよう。私はもう十分に老いたのだから、孫弟子よ。
「秦は確かに六国を滅ぼしました。しかし、それらの国は滅びるべくして滅びたのではありませんか。かつて、天下は一つであった。中華の民は分裂し相争うべきではない、一つの民として和親し、安全を保証されて安楽に住まうべきであり、そのために皇帝は覇業をされたと師はおっしゃいました。今だ、途上ではあるでしょうが…師の願ったことは、不仁でありましょうか。私には…仁だと…思えるのです……。」
 固くなって身を縮める青年が、茶色い瞳の教え子に見えた。
 お前の言っていることは滅茶苦茶ではないかと私は言うべきで、それでも言えなかった。
 法で規制することは安全を保証することにはならぬ。人の心を変革しない限り、達成などおぼつかぬ。私の教えたことと韓非の理屈をごちゃ混ぜにし、恐らくは呂不韋の下でかき集めたことと自分の所見までも混ぜこんだ上に、あの残忍な秦王の影響を多分に受けてもいるだろう李斯の理屈を、それでも私は否定できなかった。
 一つの天下で、みんな安楽になったほうがいいでしょう、先生。
 そうしてお前は、照れたような、才子に不似合いなとぼけたような笑いを浮べるのだな、李斯。酷薄な秦王に仕え続けて変ってしまったかもしれないが、それでもお前らしさはまだ残しているのだな。
「一面の理はあろう。ただし、それは本当の仁とは言えまい。」
と言った私は、既に弟子と争うのが億劫になってしまっただけかもしれない。不肖の弟子の安息を乱したくなかっただけかもしれない。
 いや、自分の教え損ねた彼の現在から目を背けたかっただけかも知れぬ。
「この度はまた、仰山なものを送って寄越したことだ。これほどの気遣いは無用と、李斯に伝えておくれ。私には消息だけで十分だよ。」
「それは、丞相が各所から送られたお祝いを師の荀卿にもと……。」
「丞相?あれは、李斯は丞相なのか?」
 はい。ご存知なかったのですか。
 きょとんとした顔を上げる孫弟子は、何処かで不肖の弟子と良く似たとぼけた味を残していた。そんなものまで教えずとも良かろうに、李斯よ。
 とぼけていて、優しかった、素朴で単純な李斯よ。
 私の教えたことに一々反抗して、時折とんでもない打算的な発言をしては叱られて目を丸くしていた、不肖の弟子よ!
 無理だ、お前に秦の丞相など、無理だ!

 秦の丞相というのは、命がけなのですよ。
 かつて会った秦の范丞相は苦笑いをしていた。
 失脚すれば、たちまちこうですからね。
 喉元に手を当てて、すっと引いて見せた。
 范丞相の前から、秦の丞相は権勢も大きいが、終わりをまっとうできない危険も他国に比べて遥かに大きかった。彼は後任に地位を追われ、その後任も辞職し、その後相国となった呂不韋殿は自殺に追いこまれた。呂不韋殿を自殺に追いやった男が、『皇帝』を名乗る李斯の主だ。
 冷酷で、非情で、私のもう一人の不肖の弟子を殺した男。その友人に毒の盃を持たせて送りつけた、残虐な男。
 才長けた韓非ですら殺したのだ。気の優しい、飲みこみだけの早い李斯がそつなく勤められるほど秦の丞相は甘くはない。
 お願いだ、私に残された不肖の弟子を、殺さないでやっておくれ……!

「丞相は、徳がおありですから…陛下も丞相を必要としておられるのです。成功は全て陛下に捧げ、陛下の失点は全て自分が被ると…私は人づてに聞いたのですが……。」
 やはりそうだ。あれは人に甘いのだ。
 その甘さが仇となる位に就いたことに気付かないのか、不肖の弟子よ。
 私は嘆き、食を絶ち、門人は慌て騒いだ。李斯の送ってきた孫弟子はうろうろしながら出発を伸ばし、連日私の元に赴いてはしどろもどろに食を取るよう懇願した。

 からからと枯れた梧桐の大きな葉が、庭を舞う。門人が落ち葉を掃き集め、燃している。
 秋晴れの空の中に、絶ち上る一筋の煙が、静かに消えてゆく。
 仁、などと振りかざさずとも、お前の優しさは門人に伝わったのだな、李斯。私はそれを韓非に教えることがどうしてもできなかった。
 お前は人の師としては、私より上かも知れぬ。その証拠に、お前の送ってきた呉青年は今日も私のところへやってきた。まるで、いつぞやのお前にように、恐縮しながらなあ。
 二人と一匹で連れ立って、ここにやって来た頃のように。
 呉青年は急使を飛ばして私の絶食を師に伝えたそうだ。使者が使者を飛ばすとは、また頓狂なことを仕出かしたものだが、李斯も李斯で、慌てて見舞の書状を新たに書いて寄越してきた。普段は個性的でありながら感服するほどの達筆を書く−韓非などは、あれでは能筆の吏になりたがっているとしか思えない、と毒づいたものだが−李斯が、余程慌てたのか、乱れて誤字脱字までを仕出かした気の動転した文章を書き飛ばしていた。
「愚か者…推敲くらいするものだ……。」
 そして、私は呉青年に、返書を託して秦へ帰らせた。絶食は止めるから、身を慎んで君子としての礼を忘れずに、民の規範たれと伝言した。
 恐らく、李斯にも二度とは会えまい。秋空に消える煙のように、私の寿命は消えてゆくだろう。もう、百も近いのだ。
 韓非を叱りに、先に行くよ。あの不肖者が。
 しかし、私は老人の愚痴を書かずにはいられない。今は秦の丞相として、恐らくは学者としても名声を博しているらしい李斯は、ただあの茶色い瞳で笑うだけだろうが。

 この不肖者め、道を極めること遠いお前に丞相が務まるなど片腹痛い。お前が言うのだから絶食は止めよう。鍛え直してやる故に、直ちに職を辞し、蘭陵へ戻れ。
 蘭陵へ戻って、また梧桐の木の下を歩いて、この門をくぐれ。お前は、いつまで経っても不肖の弟子なのだからな。




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久し振りのお題シリーズというか小説。(笑)『思い出』で荀卿です。『塩鉄論』にあるという、李斯の丞相就任を聞いて荀卿が絶食したという、九割九分嘘だろうと(笑)の記事を元ネタに。このとき荀卿は百近いから、死んでるよ…というのがこの根拠なんだが、皆様何故か李斯と韓非が荀卿のとこにいたのが三十後半ってんのね。そいでぴこちゃんが死んだとき二人して五十代という…政君が29なのよ?いや、同年代で行くのが嫌だとか言う前に、政君が巡行中に死んだとき、李斯も一緒にいるわけで、この年で計算したら李斯は七十過ぎだったことになっちまって、おいおいそれこそこの時代にないんじゃないかと。つーわけでうち設定では、李斯とぴこちゃんは政君より12年上になってます。李斯はまあ、高卒で就職してから一念発起で退職し、荀卿んとこに行って、四五年で出てきたと。(笑)ぼけぼけの李斯、リバイバルで磨きが掛かってますなあ。(笑)
と書き上げたときはこんなこと言ってたんだが。物書き以外のために読んでいた論文に同時収録されていた代物で、私と似たような御意見の先学もいたことが一月前に判明しました☆めでたいなあ。…というよりも、それって「李斯なんか悪玉だから名前が出てくりゃ年が幾つでもかまやしない」つーことですか?韓非も括弧でくくって同類項?(笑)いまだに定説ないもんね、この二人の年。

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