| 曲逆、宏達にし謀を好みて能く深汪す。 曲区の句は反逆の音に遇う。 −『珩璜新論』収録陸士衡「高祖功臣頌」より
おめでとうございます。 何の悪気もない祝賀の言葉を次々と受け、俺は鷹揚に微笑みながら面倒でない程度にそれをあしらう。さすがは陛下の信任厚い謀臣であられる、とあちこちでたたえられる。 奴の取得は知恵だけだ。 そんなやっかみまで。 顔だけじゃなかったのかよ、と軽く内心で茶々を入れながら、笑顔を振りまいて歩く。 これで万戸侯に列する身になるのだが、そんなことはどうでもいい。誰だって金より首の方が大事に決まってる。ついでに実数なんざ、半分ときているし。 いっそのこと気が付かない程度に鈍ければよかったのかもしれないが、残念ながらそれは無理だ。そもそも鈍ければかしこくも『皇帝陛下』なんぞとお名乗りになるなまず親父に目を付けられるはずがない。なんだよ、曲逆侯って。 食邑が増えるだけなら大歓迎なんだけどな。 忌々しいとも色に出せない俺は、引きつりそうな顔の筋肉を総動員し、今日も笑顔で祝福を受ける。 本当は、あのなまず親父を玉座から蹴り落としてやりたかった。 なまず親父こと劉邦が皇帝の座に据えられて一件落着、天下泰平と考えた奴もいたらしいが、俺にはそんな概念自体がなかった。毎年毎年遠征に付き合わされている身が『泰平』なんぞ、聞いて呆れる。 筋肉馬鹿の元気な男ばかり揃っていて、司令官とか頭脳労働者が絶対的に不足しているのが漢軍だ。だから戦闘に強い奴がいても、かき集めた兵がさっさと逃亡したり戦意喪失したりして、あっさり項王に撃退されてたってーのが『漢楚の戦い』の日常だった。持久戦でいいだけ疲れた楚軍と結んだ講和条約を破棄して背後から攻撃するという、詐欺そのものの決断が漢軍に勝利をもたらしただけで、元々戦闘能力の高い集団ではない。おまけに、笑顔でその空前の詐欺をやってのけた軍師張子房はさっさと隠居を決めこみ、漢軍随一というよりはほとんど唯一のまともな司令官だった韓信は半端に独立しかけたせいでなまず親父につぶされて目下飼い殺し状態だ。 その通り、諸侯の独立と離反がなまず親父の最大の恐怖だ。元々黥布だの彭越だのは皇帝と対等に交渉していた将なのだし、実戦ではうちのなまず親父より強かったものな。奴らは韓信の前轍があるせいかおとなしくしているが、しょうもない小者がちょろちょろと反乱したがるので皇帝も過敏になってしまった。ま、匈奴ってやつにそいつらを吸収されては北の脅威を自分で増やすようなものだから、早期発見早期対策は必要だ。 俺に全部押しつけられなければいいんだけどさ。大体俺は天下の枠組をちょいちょいと風通し良くしてやろうと思っただけで、戦争屋をするつもりなんてないぞ。ついでに曲逆侯なんぞと呼ばれて喜ぶほどおめでたくも無邪気でもないからな。 曲逆侯を音にして読んでみろ。『反逆侯』、そいつが奴の本音なんだよ。 つまり、俺はあの足りないなまず野郎からいっぱしに疑われてるってことさ。 皇帝に疑われるな。 隠居中の強情者が俺に言い残した台詞はそれだ。今更のように、俺はあの人の賢さと先見を身に染みて感じていた。あの一見脳天気な親父がここまで疑り深いとは、俺もいささか認識が甘かったらしい。酒と女の話でつながった親密さなんてその程度なんだろうが。 それでも、だ。 元々項王麾下でよそ者の上に若造で素行不良の凶状持ちだった俺を疑うのはわからなくもない。だが、沛以来の腹心たちまでが遠ざけられているような気がするのは俺の見間違いじゃないだろう。 そんなことはありませんよ、と疲れたような笑顔で諭す蕭何さんも。 昔は良かったなあ、と始終口にしている樊噲も。 馬の話きりしようとしない夏侯嬰も。 普通と変わらず、それでも俺に話しかける回数が次第に増えている周勃も。 結局、奴と『功臣』との間に最早友情なんぞ存在しない。誰がどう誤魔化そうと、なまず親父は誰も彼もを疑った上に利用してかかり、女と宦官に囲まれるだけが気分転換になっている。判断力はなまっていないらしく、後宮の言いなりという事態だけは避けられているが、いつまで持つか保証はない。それでなくともちーちゃんこと呂后の影響力は次第に増している。奴は止める気がないのか知らないが、細君の越権を阻止しない。ちーちゃんならまだ男並の判断力を持つだけましで、それにくっついている一族ときたらでかい面をする割に一つも物の役に立ちはしないのだ。場所塞ぎだから宮廷に来ないで欲しいんだが、そういう奴に限ってまめに参朝する。来て欲しい人はちっとも顔を出さないのに。 俺はこんな代物の為に、なまず親父に『使われて』やったのか? −私はあれだけの男に『使われる』存在に過ぎなかった。− 絶望の中で吐き出されたかの半仙の声を時折思い出す。あの人を救ってやれない俺は、結局自分も同じ現実に直面せねばならないのだろう。 『沛公』に荷担するという俺の決定には、一体何の意味があったのだ? かつての決定が間違っていたとは思わない。 糠を食わずにすむようになったし、兄貴には水呑み百姓をしなくてもいいだけの身分と豪邸で恩返しもできた。もっとも兄貴は、落ち着くから、と道楽で菜園を作っているらしい。強烈な訛りもある上、一度訪れた未央宮のでかさに萎縮してしまった兄貴は、その場所で『お偉い方々』と対等な口を利き、茶化して回る俺に恐れをなして、可能な限り表舞台には出たがらなかった。俺にしてみれば、片思いの相手には強烈な肘鉄を食らい、次から次へと戦略を捻り出さされ、ついに嫌味混じりの昇格までさせられるという状態で、昔のようにただ可愛がってくれる兄貴がほとんど唯一の救いだった。何でも素直に感心し、俺のすることなすこと誉めてくれる兄貴に、俺は相当救われている。 必要な富貴は手に入れた。ついでに秦がのさばっていると年貢や傭役で一般人が相当迷惑するからつぶしてやった。そのままだと困るので、頭に頂いたのがなまず親父だ。別に誰でも良かったんだがな。項王でも韓信でも良かったさ。俺の好きなようにさせてくれるのならな。我流に固執する奴の下では、俺がいくら提案を出しても無意味だ。要領が悪い上に頭の悪い奴と心中するつもりはないし、俺だって良い条件を出す主に助力したい。 だからなまず親父を選んだことも後悔しているわけじゃない。軍師殿のように、それ以外の手段がないとまでは思わないが。大体人間なんて相当な程度まで代替が利く。 結局俺自身も代替が利くってわけなんだがな。そこでそうと気付かせないのが俺の面目だ。考え方が柔軟なのは自負しているが、魏無知とか周勃が感心するほどの神業ってわけでもない。でもある程度高く売っておかないと、面倒なことになるから否定もしないでいる。 『神算鬼謀』の俺が助言したことは、大抵通る。かつての相談役であり、今でもほとんど無制限の信任を皇帝から受けている張子房がいないだけ、尚更だ。なまず親父は俺を疑っているのかもしれないが、くだらないところで気は合うし、計の即効性と確実性は信用されてるし。 つまり、なまず親父に睨まれない程度に小細工すれば、誰かを助けてやることもできるってことだ。別段慈悲深いわけでも何でもないが、兄貴だの無知だの周勃だの樊噲だのに何にかあっちゃ嫌だからな。 何故か、それが義務のような気がした。無意味なことかもしれないんだが。 もう少しましな枠組になるはずだったんだけどなあ…なんでこうも根暗い国になったかな。 いい加減に嫌気が差した。ぞろぞろとついてくるお供を断り、昔の気楽な格好で街を冷やかしに飛び出した。 それにしても、さすがにあのくそ真面目蕭何が造っただけはある。夜間外出禁止令なんて、ありか?おちおち逢い引きもできたもんじゃない。美人が釣れたら家に引き込むしかないだろうが。田舎は楽でいいよなあ、とつくづく思う。堅苦しい上に面倒だ。やめてくれと反対したくても、造ってたのが俺の留守中で、反論できそうな奴が長安に残ってなかったのが運の尽きだ。お役人蕭何様の風紀と安全を考慮した措置に、官吏一同儒者一同諸手を上げて賛成し、武官は訳がわからないからそんなもんかと納得している間にこの体たらく。自主性に任せるという判断はないのかよ、蕭何さん。 仕方がないから、危険な恋の落ちている日暮ではなく、昼日中をぶらついている。それでも物売りのにーさんは元気だよなあ。それなりに屋台も集まってきてるしな。何か食おうかな。 闘鶏やってる。人だかりに混じってみると、ちび同士の遊びだ。つぶされた方の鳥は誰かの晩飯になるのかな。俺が引き取ってやってもいいけどさ。久し振りに鳥の串焼きなんかも悪くないか。 「おら行けっ、右だっ!」 「そっち攻めろ、そっち!」 ほー、目下右優勢ですか。…あ。 「違う、攻めるなら左だな。」 ひたすら右を攻めていた鶏の持主が、小生意気な顔で俺を見た。 知りませんよ?俺は。どーぞお好きなようにお攻め下さい。 結局俺は、無責任な放言を続けている。聞かないならご随意に。俺はどっかに行くだけですから。 なまず親父と出会った時から既にそういう方針だった。結局俺は主君を屁とも思わないまま言いたい放題を続け、それなりに漢軍を勝たせたせいで成り上がったようなもんだ。 俺は誰かを勝たせてやりたかっただけなんだろうか。目指せ列侯、目指せ高収入が全てでなかったことだけは確かだな。俺の能力を認められたかっただけなのか。 生意気坊主のこれまた生意気そうな鶏は、左に行けと連呼する飼い主に反応したのか、一回り大きな鶏の左側面に体当たりした。勢いよくぶつかられて、大きな鶏がよろめいた。そこを散々蹴り飛ばして、生意気そうな鶏の勝ち。 「ひでえぞ、おっさん!入れ知恵しやがって!」 負けた鶏の持主が頬を膨らませて抗議する。失礼は承知で周勃を思い出した。ここんところ長安詰めだから戦場で周勃ちゃんと飲むこともなくなって久しい。 「おっさんはねーだろ、にーさんと呼べ。安心しな、その鶏引き取ってやる。今度は足の強い鶏を買いな。」 恢の奴が聞けば、何だと!じじいのくせに!と目を剥くだろーな。どうもあの初孫は孫って気がしないんだよな。どっちかってーと息子だぞ、俺の中での位置付けは。知らない間に長男が生まれてて、知らない間に兄貴が引き取ってたという曰くつきだもんなあ…息子が弟にしか見えないぞ。あいつも兄貴の方になついたことだし。 「何でわかったんだ?!」 口々に教えてくれと騒ぐちびたちに囲まれてちょっと気分が良かった。 −陳護軍は何でもわかりますから。− 当然のように『知恵』を求められる身としては、素朴な感心が素直に嬉しかったり、した。 「右に当らせよう、当らせよう、と動いてたからさ。左をかばってるのがわかって、左に何があるか観察してたら足取りが時々危なかったというわけ。人間様ならおとりということもありうるが、鶏は正直だからな。」 「すげー…おっさん、軍師じゃん。」 はあ、軍師です。ちびどもに『感嘆の眼差し』を向けられて、俺は田舎にいた時を思い出した。 本を読み散らし、友達とだべり倒し、ごくつぶしと罵られていた頃。気軽に酒場に行けば誰か友達がおごってくれたし、小話をせがむちびたちに古い戦記だの武将だのの話をしてやって、やつらの人気者だった頃だ。そーいや俺、女の子と子供には好かれるんだよなあ…本当は頭、悪いのか?俺。 別に、誰に好かれようなんて思っちゃいないけどさ。 出し抜けに腕を掴まれた。やられた鶏を俺に押しつけたちびが、赤い頬して見上げていた。 「おっさん、来てくれ!」 鶏を選んでくれと言う。そいつはいいと歓声を上げたちびどもに背中を押され、引っ張られ、もみくちゃにされて市場の方へ押されて行く。 「いい加減にしろっ、俺は忙しいんだっ!」 「嘘付きやがれ、暇なくせに!な、俺にとっちゃこれが一生の大事なんだよ!」 そーだそーだとちびどもの賛成の声が上がる。反論できないのが俺の日常だったりも、する。 「何だよっ、んなくだらねーこと一生の大事にするんじゃねえ!」 「うるせー、おっさん、俺はいつか鶏の伯楽になってやるんだ!」 くだらねーっ、と突っ込む奴、感心する奴。俺は宮仕えがしたいんだと言う奴に、豪商に成り上がってやると息巻く奴。ちびどもの思い描く未来は適当で、かつくだらないほど華々しい。 かつて俺が思い描いた程度には。 そうか。俺は夢を見ていたのだ。 王に顎で使われてたまるか。飯を食うだけのためにせこせこ働かされてたまるか。俺は好きなように生きてやる。俺の才能の導くところへ。くっだらねーほど仰々しいばかりで役に立ちもしないこの枠組をぶち壊して、くだらなくも華々しい未来を好き勝手に歩いてやる。 くだらないことを大真面目に考えられる程度に平和な日常ってのを手に入れてやる。 俺にはまだ、そいつは手に入れられていないのだけれども。 鶏の籠の前でぎゃあぎゃあ騒ぐちびどもに混じりながら、こいつらはとりあえず平和なのかな、と考えた。もしそうなのだとしたら。 あのなまず親父を玉座に放りこんでやったかいが少しはあるんだろうか。 「なあ、おっさん?」 「あ?」 「ぼけるなよ、こいつとこいつ、どっちがいい?」 こっち。と昔取った杵柄で指差し、暴れる鶏の入った籠がちびの手に渡る。俺は店主とかけ合ってからお代を払い、つぶれた鶏をぶら下げて騒々しいちびの集団と別れた。そろそろ日暮れだ。とっとと帰らないと巡羅にしょっぴかれるぞ、とだけ言ってやった。 この格好じゃ、俺もしょっぴかれるな。上品な馬車がからからと通り過ぎるのを待ちながら、屋敷への最短経路を計算した。すると、埃を立てて馬車が止まった。迷惑。誰の馬車だよ、一体。 よくよくちびに縁のある日らしい。お貴族の子らしい、小綺麗な服のちびが扉を開けて駆け寄ってきた。 「護軍中尉殿!」 ば、ばれた?!どこかで既視感のある面差しが俺を見上げて綻んだ。何か、随分懐こい子だな…って、この子! 「張侍従殿。いや、よく俺がわかったね。」 「乗って行ってくださいよ、嬉しいな、恢のおじいさまに会えるなんて。今日は参内してもお見かけしなかったから、お忙しいのかなって。」 暇、暇、とぶら下げていた鶏を振って見せると、物珍しいのか食い入るように見つめていた。 あの人が自分の子にこんな物見せるはずないものな。 どうやって手に入れたのか聞きたがり、容赦なく自分の馬車に引きずりこんだ。 「いいのか、侍従殿。恢の札つきじじいと仲良くしたら父上に叱られるぞ?」 「そんなことありません!父上は護軍中尉殿をとても尊敬していますもの。仲良くして頂きなさいって、おっしゃいますよ?」 それもあの人なりの英才教育のつもりなのだろうか。本当に手段を選ばない人だ。自分の軍略だけでは足りないとでも言うのか。 揺れる馬車の中、闘鶏の話をしてやりながら、綺麗な顔立ちのこの子の親を思い出す。身を乗り出して、それでそれでと続きをせがむこの子にはあの人の面影が色濃く残っている。 俺の話なんか聞こうともしない人だったが。計略を立てる頭脳だけあれば十分だと言わんばかりに。 「…で、そいつは鶏の伯楽になりたいんだと。だっせー、って笑われてたぜ。」 「あのね、兄上は護軍中尉殿みたく賢い人になりたいって言ってましたよ。」 …複雑な気分である。あの人と他の誰かの子に憧れられるというのもなあ。 「侍従殿は?末は丞相国公か?」 侍従殿はちょっと首を傾げてから、ふわりと笑った。あの人によく似た綺麗な笑顔で。 胸が痛くなるほど良く似ていた。 「ねえ、恢のおじいさま。僕、もう少し遊んじゃいけませんか?」 意外なことを口にして、ふふ、と笑った。 「だって、父上たちの小さい頃は戦ばっかしで忙しかったんでしょう。今は僕何もしなくていいもの。だからまだ遊んでたいなあって。父上もね、ちゃんと勉学するならそれでいいって。護軍中尉殿は漢に何があっても守ってくれるから、小さいうちは遊んでいいよって。」 …貴方という人は……。 そうまでして、俺に束縛を課しますか?漢と劉氏に対する責任を丸投げした挙句に、天下のちびどもの面倒まで見ろと投げてきますか? ねえ、それともそれは、俺に対する期待だと、思い上がってもいいですか? 何もせずに遊んでいても許される程度にくだらない枠組みを維持せよと。『漢と劉氏』にはそれだけの意味合いが篭っている。 −貴方ならできる。− ねえ、それはもしかして。 もしかして、貴方と貴方の望みを守るのが、俺がここにいる意味なのですか? ねえ、会ってもくれない子房殿。 「侍従殿の遊びなんかたかが知れてるさ。好きなだけ遊んでも大したことなかろうよ。」 「そんなことありませんよ!僕、ものすごく遊んでるって兄上も怒りますよ。」 「遊んでりゃいいさ。子房殿の分まで。」 あの自分に構いつけない人の分までこの子が羽目を外せば、あの人も少しは自分の生活の味気なさを知るだろうか。そして、もう一度このくだらない世間に怒鳴りこんでやろうと思ってくれるだろうか。 でも、それだけが待ち遠しい人間もいるのですよ。 「俺だって仕事しないで遊び暮したいなあ…侍従殿、代わらない?」 列侯の地位は上げるから、代わりにあの人に甘えてあげる。決してそうは言わないけれど。 「駄目ですよ、護軍中尉殿は漢の大事な柱石じゃありませんか。」 「曲逆侯なんていう男が?」 侍従殿が少し首を傾げる。 「あの…それ、何かの謎々ですか?」 「ま、多少意地の悪い謎掛けだね。」 「父上がね、曲逆侯になられた時にやっぱりびっくりなさってたんですよ。けどね、すぐ解けたみたいで笑ってた。この程度ならまだまだ護軍中尉殿の手の内だって。」 あの人は、気がついた。 侍従殿もさすがにあの人の子だ。これだけ幼いのに、何かあることは嗅ぎ取っている。 でも、教えてやらない。男なら自力で俺と張り合いなさい。まだそうとは言わないけれど。 馬車が止まった。うちの前だ。まだ喋りたそうなちび侍従殿に、鶏丸一羽押しつけた。 「どーせ親御は避穀の修行だろ?鶏で湯でも作って滋養をつけさせてやんなさい。渋ったらね、侍従殿が可愛く泣き落とせば落ちるから。いい、俺が入れ知恵したのは内緒だぞ?」 「うん!兄上にも誰にも言わない!」 「じゃ、ありがとうな、侍従殿。」 ぽん、と外に飛び降りても、まだ俺を見ていた。扉を閉めてやってから、御者に礼を言って馬車を出させる。侍従殿は、恢によろしくね、と大声で言いながら、窓から身を乗り出して一生懸命に手を振っていた。 何の変哲もない夕焼けと、何の変哲もない『また明日』。もしもそれが『泰平』という代物だとしたら。もしもそれが必要なのだとしたら。 しゃーねーな、みんな要領悪いんだから。もう少しちびどもに好き勝手させてやれる程度に、朝廷もたせてやるとするか。匈奴も諸侯もちーちゃんも、しょーがないから引き受けてやるさ。なまず親父もちょうどいい大将だから、そこそこ大事にもしてやるさ。 ただし、俺の忠誠はあの人のもの。俺が忠実なのは自分の望み。漢も劉氏も呂氏も、全ては付属でしかない。大切なのは『漢』という枠組でしかない。その意味は、すなわち現状維持。 てきとーに食って、てきとーに好きなことができれば、それが『泰平』ってもんだよな。友達をかばってやって、朝廷のもめごとを外で出さない、そんなとこかな。後はみんな勝手に生きてくさ。俺みたいに。 結構面倒な仕事を丸投げされているような気がするが、まあいいか。仕事に不足はない。陳平さんの力量、とくとご覧じろってなとこだ。そうそう簡単に朝廷に丸めこまれてたまるかってんだ。なまずさんの都合より俺の都合優先、これ鉄則。 だって、さ。 侯爵閣下は反逆児、ですからね。
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