泣き泣きお別れ
泣き泣きお別れ
泣き泣きお別れ
泣き別れよ!
     −ヨハン・シュトラウス『こうもり』より−


Oje,oje,wie ruhrt mich dies!
−『気も晴れ晴れと』−

 嘘だろーっ!!
「何だって、そーゆーことするかなあ……。」
 解ってはいたんだけど、取りあえずそれが義務でもあるかのようにぼやいてみた。何って?反乱したんだよ、人の迷惑顧みず。誰がって?魏王咎。え、知らない?参ったなあ…まあ、弱小勢力だからしょーがないけどさ、一応こないだ俺が味方にしてきたばっかの男なんだよね。無論、兵力に物を言わせて降伏させたわけだけど。我ながら、あんだけ少ない人数でよくやったよな、偉い偉い。だから都尉にもなれたし。栄転できたし。…あ、喜んでると思ったでしょ、それが全然なんだなあ。もっとましな扱いしろよって、范増さんに食って掛かりたいんだけど、無理だからせめて自分で自分を誉めてやるしかないじゃない、陳平君、天才!ってさ。項王は金もくれたことだし。
 それが一気に暗転。全ての原因魏王咎が、あっさり反乱したんだよ。迷惑ってった訳、判ったでしょ?
 ったって、元々は力ずくで俺が潰してきた以上、仕方ないんですけどね。別段楚を嫌ってたってさ。構わないんだけどね、そのせいでこっちの身が危なくなるのは、はなはだ迷惑なわけですよ。うん、目茶目茶めーわく。
 先立って魏王咎を討伐した将兵の事後処理が悪かった所為だ、全員処刑しろって喚かれちゃたまりません。それが楚の項王、秦兵三千人を一気に穴埋めしただとか、咸陽一都に平気で放火したとかいう凶状持ちの命令だからな。さしもの俺も顔が引きつったね。
 項王は気い短いしさ。後先考えないもんなあ。あの人の頭は絶対飾りだぜ、賭けてもいい。使ってんの見たことないもん。使えよって言ってやりたいんだけど、どーせ俺はお飾りの都尉です。項王様のお側になんか下々過ぎて寄せて貰えませんよーだ。けっ。
 つー訳でだ。俺の身が危ない。ということは、三十六計逃げるにしかず、とこう来るわけさ。逃げてやる逃げてやる、すたこらさっさと逃げだしてやりますとも!何せ予行練習済み。そ、俺って生粋楚軍じゃないの。だから楚に思い入れがないんだろうと言われれば、まあそれもあるけどさ。
 俺、ここにいてもすることないもんな。
 だから、未練なく逃げ出してばかりいるんだろう。本当は、いい加減腰を据えたいと思っているはずなんですけどね。
 誰か、何かさせてくんないかなあ。俺、そいつの役に立ってやるんだけどなあ。ま、取りあえず逃げ支度するか。

 逃げ支度といって、俺が全財産荷造りしたと思う?甘いんだなあ、それが。全財産耳を揃えて封印しました。だって、とんずらしちゃう相手から物ふんだくって逃げるのは、こそ泥みたいで嫌だったし、ささやかな自尊心ってとこかな。だからさ、着の身着のまま、防犯用の剣を杖にして、ふらりふらりと脱出したさ。勿論、白昼堂々とね。みんな散歩だと思ったみたい。
 何処行くかなあって考えたんだ、これでも一応。沛公のところしかなかったんだけどね。消去法で、そうなるしかないじゃん。普通は項王の所に行くのが正解なんだけど、その項王に殺されかかって逃げるんだから、項王と対決してる奴の所へ転げ込むのは常識ってもんです。黥布だの彭越だのってところは項王に近過ぎる上に、盗賊に毛の生えたような奴ばっかしだったし。よーするによそ者なんか入れてくんなさそうな人々って訳さ。
 というわけで、つらつらと歩いてたわけなんですけどね。川に出たわけですよ。で、舟を拾って西に行こうって話になって、渡守を雇ったんだけどさ。こいつが滅茶苦茶あやしいの何の。どーも人相悪いなとは思ったんだけど、取りあえず乗ったのさ。そーしたら。
 じーっとこっち見てるわけ。川の真ん中で。上から下まで、じじーっと見るわけさ。それでいて、俺が話し掛けたり、そっちを見たら、ささっと顔を背ける。挙動不審もいいとこで、こいつは十中八九物取りだと確信したね。どーも相客達も同じ空気をようやく嗅ぎ取ったみたいで、真っ青になって俺の方見てるわけ。口開けてさ。
 困るんだよね。そんなに期待されたって。
 何とかしてよ。ね、何とかして。
 船頭の不審な視線は、段々俺にだけ向かってくる。他の連中は、肩寄せ合って小さくなっているばかりだし、見たところ舟に乗らなきゃならない距離はまだまだある。
 段々腹が立ってきた。
 そーなんだ。どこ行ったって、別段大したこともやらせて貰えなかったのに、何だか知らないけど『責任』ばっかし押し付けられたんだ。俺の話なんかろくに聞きもしなかったくせ、自分の世渡り下手の付けが回ってきた途端、俺に全てを引き被せて、誅殺しようとしてくれるんだもんな。誹謗中傷を鵜呑みにしてさ。
 責任、なんて言葉は大嫌いだ。してもいないことの割を食わされるのは、願い下げだ。そんなの、俺は大嫌いなんだ!
 少しばかり偉くなって、少しばかり兄貴と嫂さんに恩返ししてやろうかなって、ただそれだけだ。天下の仕組みなんて、大したものそうで、実はしょうもないものでしかないんだから、俺にちょいちょいといじらせて貰えれば、少しはましになるさ、その程度。覇王の交替も、王朝の交替も、所詮その程度。大体、世の中頭の悪い奴が多すぎる。もっと言わせて貰えれば、頭が悪いくせに人の話を聞かない奴が多すぎる。
 田畑を見捨てて、人様の畑で迷惑な戦なんかせずとも、多少のペテンがあれば勝敗つくのに。世の中楽に渡れるいかさまのこつ、誰か聞いてくれれば教えてやるのに。俺、そいつのこと勝たせてやる自信はあるんだけどな。
 魏王も、項王も、はったりだって笑ったけれど。その上、根拠もなしに疑った挙句、殺しかけてくれたんだけども。
 ここで、こんな有象無象を助けてやるためなんかに、どうして俺が物取りに殺されなきゃならないんだ!
 立ち上がると、上着をかなぐり捨てていた。

「竿貸しな。手伝ってやるから。」

 相客も、船頭達も、目を剥いた。笑って申し出たつもりだったけど、近付いた親父の顔が引きつっていた。着物を全部脱ぎ捨てて、親父と同じ下帯姿になった俺に、ようやく竿を投げて寄越した。力任せに川床へ突き刺すと、親父の方が慌てた。
「兄さん兄さん、手伝ってくれるのはいいんだが、あんた、漕いだことあるのかい。」
「あるわけないじゃん。結局泊に着けばいいんだろ、着けば。」
「そんなに突き刺しちゃあ抜けなくなるだけだぜ。いいかい、川の流れに逆らうんじゃあなくだな、流れを使って舟を進めるもんさ。ちっと加減を教えてやらあ。」
 後ろで俺の着物をごそごそ探っている奴がいる。金目のものなんかあるもんか。全部置いて出てきたんだから。
 だから、貸し借りなしなんだぜ、項王。俺はあんたに貰った物は全部置いてきたんだから。
「あんたさ、都落ちした将軍様かなんかじゃないのかい。」
と船頭の親父が聞いてきた。
「将軍に見えるかよ、この体。俺は肉体労働は嫌いです。それが元で家を出た人間に、何てことを言うかなあ。俺は頭を使うのは好きだけど、ものぐさの不精者です。」
「なるほど、もっと筋肉をつけた方がいいぜ、兄さんよ。」
 余計なお世話だよ。
「それにしてもあんた体格がいいねえ。お貴族か何かかい?」
「あのね。うちは破れむしろしかない素寒貧の貧乏なの。糠ばっかり食わされてたんだから。」
 げげ、と船頭が引いた。ほーら見ろ、どーせ魚を食ってるそっちの方がましな暮らししてるに決まってるんだ。
 嫂さん、どうしてるかな。俺がいなくなったから、もう少しましな物二人で食べてるといいんだけど。待っててね、その内に絶対楽させてあげるからさ。
 西へ。川の流れを操って、或いはただ流されて、俺はどこにたどり着くのだろう。沛公の元に帰順して、その後は?ううん、明日のことなど、知るもんか。陳平さん、いつからそんなに気弱になった?
 天下を切り分ける秘訣、売ってあげます。被害は最小、効果は最大。ね、誰か、試してみない?俺、大口叩いただけの事はする自信があるし、あるから言ってるんだけどな。
「…悪いな、兄さん。あんた、本当に貧乏なんだなあ。」
「そ。みんなしてどこに目え着けてんだよ。あのね、金持ちで脱走するような奴は、もっと貧乏臭い格好で、ずだ袋か何か担いでます。ついでに、乗り合いの舟なんか乗りません。大抵一艘借り上げてついでにみんなに賄賂なんかばらまいてくれます。…利口な奴はね。利口でない奴は多分、こんなとこに来る前に殺されてるよ。今逃亡将軍狙ってる奴多いもん。田舎なんか、都会より危ないしさ。」
 ほおー、と全員から感嘆の溜息。あのね、感心するところが間違ってます。
「にーさん、あんた賢いねえ……。」
 そーゆー問題か?
「だあからあ、俺は頭で稼ぐ人種なの。肉体労働嫌いなの。わかる?」
「でも筋肉はもう少しつけた方が男ぶりが上がるぜ、兄さん!」
「よけーなお世話だよっ!」
 まあ、飲みなよ、と薄汚い酒壷を放って寄越した。お、焼酎だ☆久し振りだなあ、安焼酎なんて飲んだの。田舎にいた時以来だ。
 兄貴、元気かな。俺のこと、きっと心配してるだろーな。
 待ってろよ、兄貴。今に見てろ、絶対成り上がって目指せ列侯、目指せ高収入!
「だから兄さん、そんなに深く突き刺しちゃあ駄目だって…ほらっ、舟が回転してるだろうっ、もういいから貸しなって!」
「やだね、気に入ったからもっとやるーっ♪」
「駄目っ、止めろっ、にーさん、俺達が悪かった、謝るからその危険な素人運転をやめてくれ…うわ、そこ、そこ浅瀬なんだーっ!」
「へ?あ、ここね?」
 何だか、がりがりっていったような…ま、いっか。別段船底に穴も開いてないしさ。
 船頭の親父がついに見かねて竿をひったくった。
「返せっ。次はちょいと流れの早いところがあるんだ。あんたなら間違いなく渦にはまるから、俺がやる!」
「いーんだよ、やってあげてもさあ。」
 にたあ、と笑って寄ってみると、泣かんばかりにして、頼むからおとなしくしててくれと言われた。だから俺なんか初めから狙わなきゃいいっての。
 皆さん、童顔の素行不良だからって、人のこと馬鹿にしない方がいいですよ。俺は世間様の常識なんて物ともしない策士でもあるんですからね。

 無事に対岸へ到着した。さーて、ここから沛公のところに行くか。榮陽だかにいるって言ってたよなあ。ま、ぼちぼちと行きますか。
 結局仲良くなった船頭連中は船賃をまけてくれて、ついでに弁当と酒を少々渡してくれた。
「金もないのに旅をするなんて、あんたもどうかしてるぜ。どこで一旗上げるのか知らないが、精進しろよ。」
「食いはぐれたら、戻ってきな。仕込んでやるからさ!」
「…お気持ちはありがたいけど、俺は不精者の頭脳労働派だぜ?」
 そいつはいただけねえや、と舟のみんなが笑った。
「あ、俺金持ちになったら、弁当の礼をしに戻ってくるから。ここにいろよ!」
「このご時勢、また会えたらいいな、にーさん!」
 剣を杖に、弁当下げて、ふらりふらりと歩き出す。なーんだ、俺って結局めげてたのかも。項王のところから叩き出されたも同然だからなあ。
 川を渡ってふっ切れた。
 俺のぺてんすれすれの計略があれば、母集団の強い弱いなんか関係ないんだっけ。項王に当てられて忘れるところだった。次の狙いは沛公なら、まあ上等じゃないですか、陳平さん。
 短い人生、楽しく生きなきゃ間違いだ。口笛吹いて、弁当下げて、再就職に乗り込んでやろう。そーいや、あそこ知り合いがいたっけな。伝があるってーのはいいことさ。友達がいるってーのもいいことさ。
 そりゃあ、項王殿下にお別れするのは涙ちょちょぎれるほど悲しかったりも…すると思うーっ?
 新しい出会いと新しい主君。俺と気の合う奴だって、こんなに世間は広いんだ、一人くらいいるはずさ。
「ぺてん師一人、買いませんかあ☆」
 榮陽の方に向かって叫んでみた。




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お題シリーズ『旅』。実は、構想はもっと前からあったんだが、なかなか出来なくて、意外なところで苦戦した代物。コミカルにするか、シリアスにするか中途半端になったんで、決着つかなかったともいえる。その上、一度相当書いたんだけど、その時にJORNADAがふりーずしちゃって、復旧ボタンを押したために全てパー。(TT)だから、本当はもっと長かったんだけど、ショックのついでに資料を読み返したら船頭が一人じゃなかったとか、相客がいたとか、高松の勘違いが結構出てきた。結局完全お笑い路線。元々のイメージが『仮名の会』テキストだった『絵本実語教』の挿絵だったもんで(ボートに船頭と陳平だけ、荷物全くなし(大笑い))確認しなかったんだよなあ。…この旅をしぼちゃんが見ていたら、一体どんな酷評をすることやら。

いんでっくすへ