弦楽小夜曲

秋楓之段


 決定罪状は大逆罪である。この場で異論を唱えられた尚侍を敬仰の眼差しで見つめている式部卿の君であるが、それでも震えが止まらなかった。
「尚侍の女性らしいお優しさには一同敬服するが、秩序は秩序として守らねばならん。」
 腹立たしいほど落ち着いた内大臣殿が、こういう局面では如何に頑固か予期していた尚侍は、取りあえず時間稼ぎに出た。
「男女を問わずの怵タ惻隠の情さえお持ちであれば、私の申し上げたいところはご理解頂けると存じますが?」
 貴方は女性だから、という皮肉を切って返すなり、
「主上の権威を転覆しようとする動きは看過できるものではあるまい。」
と左中弁殿の声がする。
「弾正台で審議資料を全て拝見いたしましたが、そのような証拠はまだ見つかっていないようですね。左中弁殿ともあろう立派なお方が、大理寺に情報を隠匿しておられたのですか?そうでなければ、人一人の命というものを軽々に絶つのは御代を汚すことと存じます。」
 う、と左中弁殿。
「許嫁殿をおかばいになるのか。」
 誰からともなく野次が飛んだ。尚侍は厳しい声音で、
「御前にてくだらないことを申されるのはいかがかと。院のお勧めではあっても、こちらから正式かつ率直にお断りしたことは、院も関白殿も重々ご承知です。ここは私事を討議する場ではなく公事を検討する場ではございませんか、右大臣殿。」
とやり返す。右大臣殿は、その通りだ、と納得なさった。
「しかし事は大逆。極悪人に極刑をというのは唐の古より決まったことではないか。」
 これは右大臣殿である。関白殿の政敵ではあっても、どうやら話のわかる人として接してくれるこの人を何とか説得しようと尚侍の言葉も滑らかになった。
「元より博識な右大臣殿のおっしゃること、唐という国はそのような国でございます。大逆と名のつく罪に落とされたが最後、親子であっても命を奪うのが唐と申す国で、だからこそ私は主上の御代に戻太子のごとき後悔の種をまいてはならぬと申し上げます。」
 下座が軽くざわめいたのは、故事がわからなかったためと思われる。一方、右大臣殿はなるほど、という微笑をたたえて御簾を見やった。内大臣殿は腕を組んで思案の体であられる。
「戻太子か……。」
「その通りです、内大臣殿。かの太子のときも噂をまいたのはめでたいと姿だけが評判の若者でしたが、性急な判断を下した結果太子は追い詰められて挙兵し、自害なさり、慈しんでおられた后宮にも死を賜るということになったのではございませんか。若者が太子をうらやむあまりに根も葉もない誣告をしたことと天下に明らかになった時の帝のお嘆きがいかばかりであったことか。殷鑑遠からずと申します。尚侍として、現段階で帝にそのようなお嘆きを招く種となるような提議に反対するのが責任と存じます。」
「貴方は内侍所というよりは台諌の長に向いておられる、尚侍。」
 御簾の陰で内大臣殿に一礼する尚侍に、式部卿の君がガッツポーズを送る。
「そこまで庇い立てをなさるとは、邪推の種をまくようなもの。貴方もまた梨壷に荷担しておられるのですか。」
 笑いすら含んだ大納言殿の一言で、殿上の間は一度に冷ややかになった。しかし同じほど冷ややかな尚侍の声が御簾の中からはね返る。
「今の動議のどこに梨壷の宮が登場なされたのです、大納言殿。要点を逸らされるとは、博学才穎の大納言殿らしくもございません。」
 暗黙の了解をあえて無視である。感心して御簾をご覧になる内大臣殿であった。かなりご苦労をなされているようである。
「関白が擁立しようとしたのは梨壷。とすれば、梨壷もまた帝に対する反意を持つとして訴追されても致し方ないのでは?」
 みし、と音がしたのは、危うく檜扇を両手で折りかけたからに他ならない。相当ぶち切れている。御前で檜扇を真っ二つにするにはまだ早いと式部卿の君が止めた。
「関白殿の思惑は不肖尚侍は存じません。けれども、」
と尚侍の瞳が剣呑にきらめいた。
「梨壷の宮であればよく存じ上げております。弟子でございますから。」
 爆弾炸裂。事もあろうに御代の東宮を満座の中で弟子呼ばわりである。一座がどよめいたのは無理もない。更に完全にぶち切れた尚侍は更なる爆弾を投下した。
「先日宗祖清原俊蔭が夢枕に立ちまして、かのお方は蓬莱にて自分に秘琴を伝授してくれた仙女の子孫であられるゆえ、おられるべき場所へ召されることとなった、ついてはお前の波斯風もお返しするので心せよと申したのでございます。冗談と存じまして取り合わずにおりましたが、昨日賢所にて唐櫃を開けましたところ、大切にしまっていた琴が跡形もなく消えておりました。」
 これでは怪異譚である。清涼殿にざわめきが走る。
「貴方御自身が琴をお隠しになられたのでは?」
 皮肉な大納言殿のお声がする。ふ、と尚侍は鼻で笑った。
「音楽に造詣の浅い方はご存知ないのかもしれませんが、俊蔭の持ち帰った琴というのは、不相応な者の手に渡ると天へ帰るのですよ。更には兵部卿宮があれほど心を込めてお探しになっているのに一向においでなさらない。東宮ともあろう重いお方が、まして検非違使と弟宮の双方が全力を上げてお探し申しているのに見つからないということがありますか!本来であれば、関白殿がこのようになった以上、帝の元に真っ先に馳せ参じて無実潔白を主張すればお咎めがなくなるお立場なのですよ!人を侮辱なさるのも大概になさい!」
 大納言殿が反論を封じられたのは、説得されたからではない。輝くばかりの尚侍が、檜扇を笏代わりに御簾を払って現れたからである。今日はまた一段と立ち勝って美しい尚侍に、方々の間からは感嘆の溜息が洩れた。しかし尚侍は帝の簾前に向き直って平伏する。
「御代を血でお汚しになってはなりません。主上の仁徳をお示しくださいませ。どのような身分であろうと、命というものは尊いものでございます。まして今まで親しくお語らいになったこともある方ではございませんか。現下の状況で命をお奪いになり、後に漢武の如く、英主も衰えたりと後世に謗りの種をお残しになってはなりません。むしろ、このような状況にても寛大に慈悲をお示しになり、百姓を心服させ天化を平かになされますよう、伏して奏する次第にございます。お聞き入れにならなければ、不才など元よりお役にも立たぬ者、剃髪して琴の道に専念いたす所存でございます!」
 爆弾どころか辞職宣言である。それは行き過ぎだ、と大臣二人が慌てて止めるほどである。レトリックでないと判断されたのは、即座に箱を持って現れた式部卿の君がいたからである。すわ櫛箱と小刀、と全員がおののいた。不吉極まりない。
「…貴方の申すところは理に叶っている、尚侍。」
 御簾内から落ち着いたお声が聞こえた。尚侍は頭を上げない。まことに主上は寛大、と右大臣殿が扇を鳴らす。内大臣殿が、お顔を上げられよと手ずから助け起こしにいらっしゃる。
「であれば、何卒勅にてお命を保証してください!」
 必死の声音に、内大臣殿は哀れと思われたのであろう。
「尚侍、貴方のおっしゃることはよくわかった。さあ、御簾内にお戻りなさい。貴方にそのようになされると、私たちも心苦しい。ではないか、大臣。」
と、お声を掛けられる。まことに、と右大臣殿も賛同をなさる。
「尚侍。貴方の見識、心栄え、才覚はまさに中宮に値する。」
 恐れ多くももったいなくも御簾内からは帝のお声が続いた。
「貴方がこれからも后の宮として私を支えてくださるというのであれば、貴方の助言を考慮しよう。」
 式部卿の君が喉の奥で引きつった音を立てた。尚侍は弾かれたように顔を上げ、内大臣殿は硬直し、冷静で鳴る右大臣殿が腰を浮かせ、大納言殿はついつい舌打ちをなさった。今度上がったのはざわめきどころかどよめきである。
 尚侍は無意識に左の胸元を押さえた。つい、と式部卿の君が立ち上がって清涼殿を後にする。
「そこまでのお覚悟がおありか、尚侍。」
 淡々と続けられる帝のお言葉に、尚侍が食い入るように御簾内を見据えた。帝のお声に聞き覚えがある。
「…貴方は、どなたです。」
「尚侍?」
「仮にも主上に向かって何を……!」
 あまりの展開に錯乱でもしたかと二人の大臣が顔を覗き込まれたのだが、すぐにそれどころではなくなった。
「御簾を上げよ。」
「主上!」
 ためらう命婦の悲鳴を一顧だにせず、帝は畳み掛けられる。
「御簾を上げよと申しておる!」
「主上!お立場を!」
 右大臣殿の制止もむなしく、するすると引き上げられた御簾の向こうに尚侍は知った顔を見つけて立ち上がった。
「た、き、ぐ、ち、ど、の……。」
 蒼白になって震えている尚侍に、玉顔を拝し奉って一斉に顔を伏せる下位の殿上人である。すたすたと麹塵の袍が近付いてくるのを、尚侍は呆然と眺めていた。
「尚侍、私は貴方の力になりたいし、なることが出来る。御代の中宮ともなろう方の諌めであれば聞き入れることは当然だ。」
 膝が笑っているのは、別に帝のご威光に打たれたからなどというマトモな理由ではない。今にもよろめきそうな尚侍の腕を、滝口殿ならぬ帝の腕がしっかりとお支えになった。
「私が歌など詠めぬ無風流者であることは貴方がよく御存知だ。しかし、私は帝としてではなく、滝口の武士として私と親しくしてくださった貴方を心底よりお慕いしている。尚侍、私を頼ってはくれまいか。」
 どなたの度肝も抜く展開である。さすがの右大臣殿が目を泳がせ、内大臣殿は彫刻と化しておられる。何か抗議の言葉を上げられかけた頭弁殿は右中将殿にびしゃりと口を塞がれた。
「尚侍、至急御報告です!四条河原では既に関白殿の処刑準備を整えたと情報が入りました!」
 簀子の辺りから叫んだ式部卿の君の言葉に、再び舌打ちなさったのは大納言殿であった。式部卿の君は勢い良く殿上の間に突入する。一方で、仲良しの滝口殿が実は散々罵っていた帝だったことにショックを受けていた尚侍は一気に立ち直った。というよりは、勢いに任せて帝を吊るし上げたのである。
「つまり、貴方は関白殿を殺したかっただけですか!見損ないました!ぷーちゃん、こんな所に用はない、一気に出家だ!」
「お供します!」
 喧嘩を売る気満々の尚侍は髪に手をやりかけたのだが、慌てて帝がその手をお掴みになった。
「待て!俺はそんな命令は出していない、尚侍!」
「じゃあ撤回してください!」
「貴方次第だ!」
「…それ以外は、ないんですか!」
「ない。」
 一度下を向く。
−真葛、俺の北の方になれ−
 顔を上げた尚侍が、眦を決して帝を睨みつけた。
「よろしい!取引成立です!関白殿のお命、私が買う!二言がなければすぐに令旨をお書きください!ぷーちゃん、硯箱!」
 ぎょっとする一同を尻目に、蒼白になった式部卿の君が先程の箱を差し出した。陸奥紙と小筆を帝に突きつける。一死を免じ隠岐へ遠流とする、との文言を書かせ、署名を要求した尚侍の剣幕に、帝を始め誰もが震え上がった。
 令旨を一瞥するや、尚侍は帝の手をすさまじい勢いで振りほどき、
「令!道を開けて!」
と言うなり清涼殿を飛び出していったのだった。御前での、不始末という言葉程度ではすまない展開に、どなたも尚侍を追えなかったのである。ただお一人を除いては。
「尚侍!待て!」
と続いて飛び出して行かれたのは恐れ多くも勿体なくも帝で、右大臣殿は絶句なさったのであった。
 式部卿の君は、文筥に蓋をして、その上に打ち伏して泣き出してしまった。


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