

爆弾炸裂強権発動の後遺症はすさまじかった。
関白殿を粗末な船に放りこんで隠岐に護送して捨ててくるのは一番簡単である。それまでの尋問で気力体力を削ぎとられているというよりは重態瀕死というご様子なのだ。さしたる抵抗もないので、荷物の宅配と変わらずに取り扱えばよいのである。
それよりやや面倒だったのが左近蹴鞠友の会にいたさして身分も高くないメンバーの殿上への復活である。が、これはただ殿上させればよく、この先出世させるつもりも発言させるつもりも全くないと公卿上層部が結託しているので、それなりにスムーズに終わった。
「君に会えて嬉しいですよ。」
と、誠実な頭弁殿に迎え入れられた頭中将は、開口一番、
「尚侍ちゃんが入内ってどういうこと!」
と問い質した。人のうちの地下室にいたわけでも、下獄して百叩きを食らっていたわけでもないので、下人から世の動きは聞き知っていたのである。
「主上があのような挙に出るとは誰も想像しませんよ。」
苦虫を噛み潰したような弁殿のお言葉に、そうだけどさ、と座り込んだ頭中将殿である。個人的に主上を知っているわけではないので露骨に反感を現してもいいと考えておられるようである。
「何してたのさ、兵部卿は!」
「兵部卿宮を呼ぶわけに行きますか!梨壷の宮にまで飛び火するところだったんですよ!一の院のお見舞いにいらしているのは当然でしょう!」
むぐ、と理性的なご友人のお言葉に口を閉ざした頭中将殿である。八当たりの矛先がさしあたりは鈍ったと見た頭弁殿は、再び文机の書類に戻られた。
右中将殿が戻ってきたお友達を大歓迎なさったのだが、蔵人頭二人の顔は晴れぬままである。
というのは、一番の難題、尚侍入内がずしりとのしかかっているからである。
東宮失踪の後、ご実家に戻られた桐壷の御方はそのまま三条のお屋敷で気ままな日々を過ごしておられる。兄関白殿と東宮の冷たいお仕打ちに当てつけんとばかりの騒々しさで都雀の眉を顰めさせておられる。宣耀殿の御方は、元々静かな御方ではあられたのだが、今はひっそりと息を詰めるようにして過ごしておられる。となると、今上の女御であり、今をときめく右大臣家の姫でもあられる梅壷に脚光が当たるはずなのだ。
普通ならば、である。
顔をさらして裳唐衣で馬をすっ飛ばし都大路を駆け抜けた美人が、院の御養女で琴の名手の才媛、尚侍であると知った都雀の間で話が広がらない筈がない。それが縁談の持ち上がっていた関白殿を助けるためと知れ渡った時、同情の声が溢れたのであるが、更に追い討ちをかけて院の御所から情報漏洩が起きたので、一気に京は尚侍の味方についたのである。というのは関白殿の助命と引き換えに入内を迫られたことが都中に広まったのである。
「入内させたいがために許嫁を処刑させようとはひどい!」
という世論が都を席巻しているのだ。さすがの右大臣殿もこれには思い及ばず、早く入内を、と望む帝を黙らせておいでなのだった。それにしても情報漏洩を起こしたのは誰だ、と追求しようにも、院の御所の女房たちの口の軽さは常識である。更に尚侍本人が下級女房に友人ネットワークを持っていて、相談に乗ったり乗られたりしている以上、尚侍情報がほいほいと通用門を通って流出していくのは致し方ない。
やっと日の当たる場所に、とお思いになった梅壷女御はヒステリーを起こしてぶっ倒れられるし、後宮は蜂の巣を突いたような大混乱であった。その中で不気味なまでの静けさを保っているのは、温明殿である。
「思い知らせます。絶対尚侍の入内は阻止します!」
と断固兵部卿宮に宣告した式部卿の君は、賢所の才媛たちと結託し、目下情報操作に励んでいるのだった。
下人から四条河原の事件を聞かされた兵部卿宮は、夜半に一の院から馬を飛ばして温明殿においでになったのである。そしてちり紙の山に埋もれながら涙と鼻水で大変なことになっている式部卿の君を発見なさったのであった。聞かされた顛末に、ふい、と顔を背けておしまいになった兵部卿宮であられた。
『尚侍は全てを御自身に引き受けておしまいになったのか……!』
『最後で最強の切札ですよ!あの帝、絶対許しません!いつか必ず追い落として隠岐に流し返してやります!』
盛大に鼻をかみながら式部卿の君は断言した。ぽい、とごみ箱にちり紙を放るのだが、既に入りきらないので山からころころと転がって畳のあちこちに散乱していた。
『尚侍は?』
『賢所におこもりになってます。梨壷組も心配してますし、周防さんは泣き喚いたし、院からもお手紙が来ました。』
『お会いしない方がいいのだろうな。』
何も言わずにお帰りになった兵部卿宮であった。
賢所の尚侍は、空の唐櫃の前に跪いて、袖を噛んで泣いていた。物音一つしない賢所を不安そうに見守る女房達のことも忘れ、ただひたすら泣いていた。
波斯風も弾き手も最早ない。
中宮の位なんかよりうつほの山奥が良かった。
結局一晩出てこなかった尚侍を案じた人々が翌朝賢所を開けると、目を腫らして横たわった姿で発見されたのである。
尚侍に全てをかぶせてしまったという感慨は兵部卿宮だけのものではなかった。鼻をかんでいる場合ではないと切り替えた式部卿の君は、今や反帝、親梨壷で一致した女房達を扇動し、尚侍入内阻止のため組織し直したのである。
「公卿なんてどうせ一枚岩じゃありません。ターゲットは庶民です。尚侍のお優しさと帝の理不尽さを思いきり対照増幅させて都で広めます。」
広めるのは簡単である。院の御所に周防の君経由で流せばあっという間に内裏に広がる。そして連携している下級女房ネットワークが、野火のように都で広めるのである。しかし、渡す情報は完全に式部卿の君がコントロールしているのだった。
公卿が一枚岩でないのは、そもそも利害が一致していないため、内裏中の共通認識である。一番難しい立場に立っておられるのが、皮肉なことに右大臣殿であった。右大臣家から入内している梅壷女御に何としてでも皇子を産ませなければならないのに、帝といえば尚侍の入内だけを要求していて女御とは疎遠になられるばかりである。更に自分の入内を『人身取引』と放言して憚らない尚侍が積極的に行動するはずがないのである。入内競争にまだ関与しておられなかった内大臣殿は比較的平和だったのだが、策士策に溺れた感があるのが大納言殿であった。尚侍は自分の立場を利用して猛然と反撃を開始したのである。これでは恋が遂げられるはずもない。
右中将殿の奔走を利用して、徹底的な殲滅作戦を実行しようとした大納言殿だけは尚侍の逆鱗に触れた。ことあるごとに朝議の席で皮肉りいびり倒すにとどまらず、文書事務は故意に遅配する、情報は一番最後に通達するといった具合である。挙句、内大臣殿にあんな黒幕を使ってはならないと顔を合わせるたびに忠告する始末である。
尚侍も女性か、と笑っていた大納言殿だったが、事の重大性に気付いたのは内大臣殿であった。
「笑っていられる場合か。帝の中宮と目される方に嫌われては先はないぞ。おまけにあの方はただの寵姫ではない、並の公卿より頭の切れるお方だ。」
大納言殿の顔は一気に引きつったのである。しかし物事には手遅れになるタイミングというものがあるのも事実である。今更一切の憐憫も持つつもりはない尚侍は、関係修復を狙って送られてくる大納言殿の文を、全て『受取人不明』で公に突き返してきたのである。
当然駆け引きである以上、尚侍が内裏を追放される可能性も高いのだが、それに関しては望むところなので、むしろ積極的に攻撃を仕掛けている節すらあった。入内取り消し、内裏追放になったら、南風を抱えて即刻唐行きの船に乗る気満々なのである。
滝口殿、つまり帝がそんな暴挙をお許しになるはずもなく、現実は一日一回事務仕事の奏上のため必ず顔を合わせているのであった。今までは全て代理のお使いで誤魔化していたのであるが、顔は割れているわ入内は決まったわでは逃げようがないのである。滝口殿は身分を隠していたことに大層恐縮なさって、何度も詫びられたのであるが、そもそも勘違いしたのは尚侍である。ご本人が積極的に詐称なさったのではなく、ただ訂正をしなかったというだけのことなので、あっさりと水に流したのだった。その鷹揚さがまた滝口殿のお心を捉えたらしいのであるが、本人としては最早どうでもいいというのが本音である。
とぼとぼと清涼殿を後にする姿は、確かに痩せていた。院までお運びになられたのであられるが、尚侍はきっぱりと、関白殿の命と私の未来では関白殿が重いと言い放ったのである。ここまで爽快な『私の将来真っ暗だ』宣言もない。滝口殿は肩を落とされ、右大臣殿は目を剥き、弁殿は溜息をおつきになった。
「見捨てちゃえばよかったのに。」
と餅を食べながらのたまったのは頭中将殿である。
「宮は絶対怒るよー。宮さあ、尚侍ちゃんのこと、大好きだったんだよ。」
「知ってるよ……。」
「知ってたの?!」
言い募れなかったのは、尚侍の目が潤んでいたからである。さすがに女性を泣かせてはいけないという程度の理性が働いたようである。
「ほんとはね、一緒に唐に行くはずだったんだよ。私が動けなくなって、船に乗れなくなったから、宮だけ嵯峨に行って、きっともう唐に行ってるよ。」
「ちょ…尚侍ちゃん、宮の消息知ってるの?!」
嵐山の集い以来雲を霞と消えている東宮の情報である。頭中将殿が腰を抜かしても仕方ない。
「嵯峨の、一の院にゆかりのお寺に行けば、宮の消息はわかるはずだよ。それに、もし宮が戻ってきたら力になってあげられるのは私じゃない。関白殿だよ。だから、関白殿には生きててもらわなきゃ駄目だよ。友達だしね。」
ぐの音も出ない頭中将殿である。
「ごめん…何にも知らないのに言いたい放題言って。」
ほんとですね、と式部卿の君が突き放した。さらにつぶれてぺしゃんこになる頭中将殿である。ぷーちゃん、やめてあげなよ、とフォローが入る。
「こうなったら尚侍がいいとおっしゃるまで引き伸ばし作戦に出ます!そして機を見て破談を目指します!」
「うん!俺も協力するよ!」
がばりと起き上がって、俄然やる気をお出しになった頭中将殿であるのだが、持続性という点で全く信用の置けない方ではあるので、式部卿の君は聞こえるように溜息をついた。
「何それ!そのリアクション!」
「だって兵部卿宮が、中将殿は人畜無害に寝ているだけの人だから簡単に許されるだろうって言ってました。」
「寝てるだけって何さー!兵部卿の奴ー!!」
日頃の積み重ねはこういうときに物を言うのであった。それも雄弁に。
寝ているだけの人畜無害ですめばよいのだが、ヒステリー発症の梅壷女御と帝の日常は、元々淡白なものではあったのであるが、ここに至って天文学的勢いで疎隔の度を増していったのであった。そして右大臣殿は、あれだけ嫌がっていたのだから、あの場で自分が譲歩して尚侍入内を阻止するべきだったと真剣に後悔しておられたのであった。尚侍に恩も売れたであろうし、右大臣家にとって後宮の栄華を一人占めする機会も訪れたであろうと、逃げた魚の大きさを嘆いておられるのである。
そのようなわけで式部卿の君の作戦を察知するや、素早くコンタクトをお取りになったのである。敵の敵は味方なので、とりあえず式部卿の君は右大臣殿と手を組んで尚侍入内阻止作戦会議を立ち上げたのだった。右中将殿や頭弁殿も頭数に入っている。
昇殿を許されたばかりでおとなしくしなければならない頭中将や左近少将が頭数に入っていないのは当然としても、兵部卿宮が入っておられないのが式部卿の君にとっては大いに不満であった。
「っつったって、兵部卿が今まで無事だったのは、あの全てにおいて自分はノータッチ東宮の後始末役と一の院のヘルパー役ってのが知れ渡ってるからだろうよ。本来なら弟宮のくせにあれだけほいほい出歩けるのが不思議だぞ。」
と宥めたのは、やはり常識人で、頭中将殿は几帳の垂れを上掛け代わりに寝てしまっている。
「そーそー。仏頂面の東宮嫌いのくせに、いざとなると宮を一番庇うのってあいつなんだよねえ。」
と侍従殿も相槌を打たれる。そこまでご存知なのはやはり付き合いが長いからで、だからこの二人は真っ先に兵部卿宮宅へと転がり込んだのであった。
「だよねー…今回相当兵部卿宮のお陰をこうむったもんなあ……。」
腕組みしながらしみじみ呟くのは尚侍であった。落栗に鼠色という、左近少将が気でも違ったのかよと評した老人スタイルの尚侍は、レジスタンスの意味も込めて、このところ無頓着な服装に更なる磨きをかけているのだった。いや、意図してろくでもない格好をしているのだから、東宮がおられれば梨壷に連行されて改造されるのは必至である。もっとも明らかに方向性を間違っているこの格好でも、斬新だ、とお褒めになる帝というものも存在されるので、関白殿でなくともクーデター計画を練りたくなろうというものだ。普通は一目でとち狂った恋を鎮火させてくれるスタイルである。
胡座をかいてぼりぼりと高杯に盛られたのりあられを音高くむさぼり食っている左近少将は、
「まあいざとなればお前頭丸めて脱走するしかねーな。」
ととんでもないことを言い出した。丸めるのはさすがになあ、と思案している尚侍に、布の固まりから声がする。
「そんなことしなくても、髢外しちゃえばいいんだよ。」
「髢い?!」
驚きのあまり声がひっくり返った式部卿の君をよそに、一同は、成程!と手を打ったのである。まことに孝行はどこで役に立つかしれないのである。
何はともあれ、抜け駆け独走体勢を許すものかとあちらこちらで尚侍の入内阻止同盟は結成されていたのであった。あわよくば我がものに、という悪あがきの発露らしく歌は増え、院のところへの直訴も増えるという始末である。
尚侍が好きである、これは一番妥当な理由である。もっとも左近少将にしてみれば一番理解不能な理由であるらしい。尚侍を一族に取りこんで朝議での発言力を増したい。目の付け所がなかなかである。難攻不落の尚侍を落として色好みの戦果をあげたい。出世とかはどうでもいいらしい。とりあえず帝をいじめてみたい。そんな理由で人の恋路を邪魔するのはいかがなものかと思われる。が、結果は手段を正当化するので、式部卿の君は女房たちを扇動し、あちこちで帝への見えないトラップを仕掛けているのであった。
見えるトラップの充実も図られている。温明殿の床をナビなしで歩くのは既に自殺行為である。穴という穴の下には、こんにちわ、と棒杭が林立している『百合』が仕掛けられており、落ちたら相当痛い目に遭うのだ。何しろ大秦の兵書を読んで気に入ったらしい式部卿の君が面白がって増やし続けたのである。また弓の見物に行かないかとお誘いに来た滝口殿に尚侍が気付いたのはラッキーで、
『滝口殿!簀子に上がるな!』
と一喝しなければ、すんでのところで串刺しになるところだったのであった。あんな頓狂なことを言い出さなければいい人なんだが、とは尚侍の感想であるが、賢所一同は、尚侍は甘すぎる!絶対落としてやるんだった!と不穏な計画を練っている模様である。
これも仕方ないのだろうかとある意味巻きこまれ式被害者の筒井筒を眺めながら、文字通りのトラップにはまった被害者の、ぎゃー、という叫び声に頭を抱える左近少将であった。