

穴に落とされたり文を無視されたりという大納言殿が内大臣殿のお身内であるのはご存知のことであるが、常日頃思い上がった方々がプライドなるものを傷つけられると大抵するのが逆恨みというものである。当然飯の種にも才芸の種にもならないのだからやめとけばよいのだが、大層物事のよくできる方々を羨むあまり、逆に他人様の不幸を願うという、百害あって一理なしの感情原理である。
ここに派閥の利害と打算が絡むと目も当てられないのだが、あろうことか内大臣殿はこのお身内に策謀の全権委任をなさっていたのだった。強引だろうが汚い手だろうが、目的のためには使って憚らない人が権勢のある方々には必須なのである。自給自足の左右の大臣のような方もおられるが、内大臣殿は下請型であった。もっともこれを内大臣殿の清廉と直結させて考えるのは短絡といえよう。
せっせこと関白殿糾弾の先陣をきっておられるのはまさにこの方で、だからこそ弾正台が多忙を極めているのである。元々人を食ったようなところもある関白殿のご愛嬌がお嫌いだった上に、尚侍との仲は院公認(ただし当人からは非公認)、ついでに政事でも仲間ではないとなると、容赦するいわれは当然おありにならないのである。
右大臣殿と内大臣殿がさて如何様に左大臣家を朝廷から追い払うかということに頭を悩ませておられたところ、右中将殿のところに現れたのはまさにこの方だった。鼻歌混じりに右の近衛府に遊びに来たとおぼしき大納言殿は、
「君、頭中将殿を助けたいんだって?物好きだねえ。」
と開口一番、一見のほほんとのたまったのであった。さすがに右中将殿は閉口の体である。が、
「君の言うことには一理あるよ。罪をかぶるのは一人だけで十分だ。関白を捨てれば、残りは何とかなるかもね。」
と続いたお言葉に、反応してしまったのである。
「あんたがそう言うとは意外じゃったけど……。」
どう考えても大臣の方が程度問題で穏やかなため、この政敵に容赦ない人のご発言は意外の二段重ねであった。失礼だね、とにっこりお笑いになる大納言殿も周囲の女房の溜息を誘っておられる。
「君のご提案を御前に出そうと思うんだ。もう少し、詳しく話を教えてくれないかな。」
御前会議のメンバーでない中将殿は、ありがたく大納言殿を近衛府に上げた。
少将や侍従殿たちならば何をしたわけでもないし、廟堂に復帰しても問題はないだろうと請け合われた大納言殿に、中将殿も、報せを受けた弾正宮も、ほっと胸を撫で下ろしたのだった。
「…きな臭い。」
と納得しなかったのは尚侍である。うんうん、と側で式部卿の君が頷いている。
「何が文句あるんじゃ?」
この反応に納得の行かなかった中将殿であるが、尚侍はまだ喜色を見せなかった。
そうこうしている間に御前会議である。
結果の如何によっては次の除目で昇進できるかもしれないとか、どのくらいのポストが各勢力に分配されるのかとか、殿上人の興味ばかりか受領階級や地下人の興味も集めた会議となった。庶民の間では左大臣家の失脚など、まあそんなこともあるよな、程度のニュースでしかないのである。そもそも本朝の中枢に、政策などというものは皆無である。世は全てこともなしなのである。
けれども、大納言殿や右大臣殿といった面子が何を仕掛けてくるかと警戒体勢を解いていない尚侍は、珍しくも貰い物の唐渡りの衣一式を取り出して念入りに身支度をした。唐の錦は本朝の物に比べて華やかである。浮線綾を織り出した蜀江錦の唐衣を仕上げに羽織り、紅紅葉の色目で盛装を完了する。式部卿の君が感嘆の声を上げた。
感嘆の声を上げたのは式部卿の君だけではなく、温明殿の女房たちも同様である。更には几帳や御簾で尚侍を直に見られない方々も垂涎の溜息をあちこちでおつきになったのであった。もっとも尚侍はそのような甘ったるい感傷に同調するどころか、平素の三倍は気を張りつめて喧嘩を売る気も買う気も満々という激辛状態であった。
とはいえ議事は温明殿二人組の予測を裏切って進み、左近衛府の人々をあまり追求しないでおこうという方針で進んだのである。上達部も特に異論は挟まず、四位以下の人々に関してはこの事件への関与を不問に伏すとの決議が採択され、方々は主上の徳をほめたたえ、もっと念入りに右大臣殿の御徳を持ち上げたのであった。
反対の急先鋒と内心マークしていた大納言殿が珍しくおとなしいので、式部卿の君は几帳の陰でガッツポーズを決めていた。が、尚侍は相変わらず剣呑な表情を御簾の向こうに投げていた。
絶対おかしい。何かがおかしい。上手い話には裏がある。伊達に唐の戦略論に通じているわけではないのである。
果たして問題が関白殿の処遇にまで及んだ時、不吉な予想は的中した。
「御代を盛り立てるべき臣下の身でありながら、主上を害したてまつらせたまおうと画策せしこと、不忠にして不遜!大逆無道の臣を再び本朝より出さぬためにも、四条河原にて斬に処す!」
式部卿の君が息を呑んだ。口を噛んだ尚侍は、予定通りなのか静々ととんでもない判決を決議しようとしている上達部に向かって声を上げた。
「異議あり!」