弦楽小夜曲

夏日之段


 かくして時の人である院の君こと内侍の君に星祭の招待が届くのは当然といえば当然であった。おまけに主上の命婦が直々にお越しくださったという始末である。ありがた迷惑を絵にしたような光景である。几帳の奥で内侍の君は不機嫌そのものであった。
 無断エスケープして捜索されるのは迷惑なので、脱走に共謀させようと東宮に話を持ちかけてみた。東宮も面白い話ではないのであわや協力を約束しかけたのであるが、すんでのところで思いとどまったのは理性というより勝手な好奇心である。
「出るだけ出ればいいだろ。院もおられるし、俺様もいるし。展開がやばくなってきた時の脱出には手を貸すぜ?」
「君子危うきに近寄らずってゆーじゃんか…危ないところには最初から行きたくないよ。」
 聞いていない。さりげなく女房を呼びつけて装束の相談など始めておられる。
「宮っ!だーかーらー、衣装はもう山程もらってるんだからいらないってさ!大体行きたくないから相談したのに、全然助けてくれる気ないでしょ。それなら私も別な人に相談するから、余計なことしないでよ。」
 別の人、という文言にぎくりとなさった東宮は、それこそ危険度が増すということを口を大にしてお説きになったので、内侍の君もそれは思いとどまったようである。
「行きたくないで帝の命令蹴れたら誰も苦労しねーだろ。」
 落ち着いたところで、もっともな台詞を嘯かれる。だから頭が借りたいんだよ、とは内侍の君。
「逆にお前がエスケープしたら、下手したら血を見るぜ。」
「脅す気かっ!」
「いや…計らずも、お前が右と左の中立地帯になってるような気がすんだよな、最近。お前、この頃右の奴らに始終声掛けられてねーか。」
「そういえば。こないだの蹴鞠会で変に顔を売っちゃったみたいでさ……。」
 でも右大臣殿と弁殿はいい人だよ、と呑気にしている。
「院御自身が、そもそも中立地帯だからな。」
「あー…弟子見れば思いっきり左の贔屓ってわかるじゃん……。」
「少なくとも、この間の一触即発を阻止したのはお前だ。それまでの御前の会話なんて、物騒極まりなかったぜ。」
「それなら白拍子でも呼んでパーティーすればいいじゃんよ…何故に清く正しい音楽馬鹿一代を引っ張り出す必要があるんだ。」
「院には院の思惑がおありだろうよ。関白のことをあれだけ嫌がったお前の気が変わらねーかとか、この際右近衛府の連中でもいいから婿取りしたいって仰せだったしな。」
「ちょっと、宮!宮まで院にほだされないでよっ、頼むから!物好きに手を貸したりしたら化けて出るよ!」
「誰が貸すか、そんなもの!!」
 こっちが貸してもらいたい、とは東宮の本音であった。四面で楚国の歌でもコーラスされているような御気分である。
「安心しろ、力一杯邪魔してやるから。」
 無論ボランティア精神ではない。
「ありがとね。やっぱ持つべきものは友達だよ。宮が少将ばりに話がわかる人だったとはねー。」
 くははははっ、と軽快に笑う内侍の君に見とれつつ、内心複雑な東宮であられる。
 筒井筒の左近少将くらいまで信用度が上がったのは大層嬉しい。
 しかし少将と同じということは、男君としては全く意識されていないと等号で結べるのである。
 少し意識しろよ、この唐変木!
 あーあ、と両足を投げ出して行儀悪く座った内侍の君は、天上を仰いで息をついた。
「何でもいいから婿取りしたいって院は仰せだけど、別に内侍さん欲しがってる人なんていないし。私も色好み戦歴に輝かしい記録を付け加えてやるようなヒマな親切心持ってないし。院とのコネクションが欲しい人に協力したばっかりに留学がおじゃんになるなんて絶対しないぞ!徹底抗戦だ!」
 かなり正確に大量の求婚の意図するところを把握しているようである。姫君としては知らない方がいい無駄知識というものである。
「…コネクション作りに協力する義理はねーだろ。」
「だよね。右大臣殿みたいに、クールに放っといてくれれば一番なんだけどなあ。最近の歌なんて、テンプレートはめこみ式が続出なんだもん、作曲のネタにもなりゃしない。いつだか観蛍の宴で文章博士殿が詠んだ四韻は格好良かったなあ…だーれも聞いちゃいなかったけど、あれで小さいのを一曲作ったんだよ。聞く?」
 東宮に否のあろう筈はない。エスケープ相談に来たので胡琴を持っていなかった内侍の君に、御愛用の三千年を押しやると、軽く流して爪弾いた。
 …こいつ、本物だ!
 きらきらと、月を受けて輝く銀色の流れ。川の辺に明滅するささやかな光のアクセント。
 半分聞いていなかったその四韻は、確か後半でいささかオーバーに御代の太平をたたえていたのだが、内侍の君は後半部分をばっさりとカットしてきた。いや、テーマとして扱ってはいなかったのだが、表情を変えるせせらぎの細かな連符の連なりと穏やかな主旋律の絡み合いが、何よりも雄弁に平和な時間を表現している。
 短くとも、幸せな一時を。
「…どうかな?」
 自作自演を人前でするのは初めての内侍の君は、少し照れながら東宮を見上げた。勝手に弾いている分にはまだしも、そうと知らせた上で自作を披露するのはやはり気恥ずかしいのである。辛口批評家の東宮は、はっとして現実に戻ってきた。きらきらと輝いている双眸に再び現実から逃避しかけたのではあるが。
「…その譜、起こしてからくれよ。」
「わーい、宮に合格もらえたらオリジナルもまんざら捨てたもんじゃないや。いーよ、ヒマをみつけて書いておくよ。」
 幸せ一杯という笑顔である。どうやら内侍の君のツボを直撃なさったらしい。マニアを落とすためにはマニアネタが必須のようである。
 もっとも、内侍の君に相当入れ込んでしまわれてはいるが、東宮も御所では随一と名高い琴の名手である。純粋に曲想が気に入ったので欲しいというお気持ちもかなりあるのだ。恐るべき相乗効果である。
「他にねーのか?あったら欲しい。」
「んー…気に入った小曲は何回か弾いて覚えちゃうのもあるけど、長いのとかは忘れちゃったのも多いなあ。ノリと勢いが全てだもん。文ネタの曲なんて、ほとんど覚えてないし。」
「桜の下で弾いてたのは?」
「桜の下?弾いてたっけ?」
 全く記憶にない。が、しばらくして思い出した。
「もしかして、宮が内侍さん見つけた時のこと?あれは俊蔭卿の曲だよ。桜ネタで作ったことはないなあ。やたらあるから、もういいやって。」
「それ習ったか?」
「まだ。あれ長い上にしみじみ系の曲だから暑い時にやったら、ただでさえだれてる宮が更にだれそうだもん。涼しくなったら教えるよ。」
 誰がだれるか、と内心で毒をお吐きになる東宮であった。
「何だかなあ…御前になんて上がらなくてもいいから、楽器だけ弾いてるほうがいいよ。宮がヒマそーにしてるわけがわかった、よーくわかった。あれだけきょーれつな面子が含み笑いと共に無意味な会話を繰り広げているのをエンドレスに聞いてるなんて不毛以外の何でもない。みんな悪い人じゃないけど音痴だしさー。」
 そこか!と左近少将なら突っ込んでくれるのであるが、マニアは納得してしまうのである。常識が狂っている。
「だったら尚更来い。つーより、お前が来ねーとこっちもヒマだ。安心しな、帝に妙なそぶりがあれば琴でも持ち出して黙らせてやる。」
「あ、じゃあ一応私も楽器持ってくよ。いやあ、持つべきものは友達だ!」
 間違ってはいないのだが、現在の状況に当てはめるべき言葉ではないような。
 結局、来たついでにその日のレッスンをつけて、衣装を押し付けられて院の御所に戻った内侍の君であった。
 その様子を梨壷に行こうとしていた関白殿が黙って見守っておられたのを誰も知らない。


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