

物騒な決意を聞こえないよう口にしながら笑顔で女房たちに愛嬌を振りまいている関白殿は、桐壺で立ち止まった。あちこちで固まってお喋りに夢中の女房たちが、鳴らした扇の音に振り返る。
「まあまあ関白左大臣様!」
さささ、と御簾内に席を作ってもらえたので、遠慮なく上がりこんだ。
「ご機嫌は如何です?」
「大層よろしいようです。左大臣殿も色々とお忙しいようだと宮から伺っておりますよ。」
几帳の奥から声がした。もう少しおっとりした物言いをなさってもええのにな、と余計な感想を抱いた関白殿であるが、桐壺の方はいつもの調子でお続けになる。
「けれど宮も困ったこと。相変らずつまらない女房ばかり追い回しておられるのですわね。宣耀殿の御方も御身分の割に良くできたお方だというのに、そちらへも足をお向けにならないというではありませんか。関白殿が何か余計な入れ知恵をなさっておられるのではないかとお恨み申上げておりますのよ。」
「坊宮には俺の入れ知恵なんか必要あらへんから、濡れ衣かけられても困りますわ。」
紅梅の几帳の向こうにクレームをつけると、神経質な笑い声が聞こえた。
「桐壺さんもかりかりせんことや。春宮のしはることなんか一々気にしてたら身が持ちませんわ。」
「左大臣様。それが妹女御に対するおあしらい?」
「俺は坊が何しようと勝手や思うてますからな。帝王が身辺に女性を多く置くんは御世の華やぎになってよろしいゆうことくらいわかっとられますやろな。故関白殿にそないなことも教わっとらんかったとは言わせませんで。それとも三条の御方が妙なことを吹き込みはりましたか。」
「母君は心細い私を案じて何かと文を送ってくださいますのに、腹違いだと兄大臣も頼りにはならないものなのですね。」
「公私に渡って忙しいですからな。」
「御存知なのでしょう?」
「何を。」
「春宮が今夢中になって追い回しておられる、女房のことですよ!全く、近頃は分際をわきまえない成り上がりの者が増えて困ります。後宮の風紀が乱れるではありませんか。見栄えの良さばかりを売りにして、心栄えも教養もお話にならないという女房が多すぎます。」
「そないな説教を俺にされてどないなさる。坊にしたったらええと思いますで。」
几帳の奥が黙り込んだ。関白殿は追い討ちをかける。
「坊は女を見る目だけは無駄に肥えとられますからな。あんたも気い抜かんようにせなあきまへんで。御子を上げへん女御になりたくなかったら、坊の御心を大事にして下手な悋気はあきまへん。俺かて公務で忙しいいうのに、坊の手をつけた女房まで一々探しとったらきりがあらへんわ。」
「私は、ただ、下臈が分不相応な御寵愛を頂いているのが間違っていると申し上げているまでです!」
「ほな、坊に申し上げたればええ。ふざけるなくらいはゆうてくれるで。」
ヒステリックになられかかる桐壷の方を一言でやり込め、関白殿は周りの女房たちに一転して笑顔をお向けになった。一座を軽くおからかいになり、
「ほな、うちの我侭な女御さんをよろしゅう頼みますわ。」
と席を立った。
回廊を春の風が吹き抜けた。関白殿の表情が固くなる。
「何が成り上がりや…金目当てで先の関白に目をつけられた受領の娘の腹のくせしとってからに。坊が気の毒ちゅーもんやな。」
「俺様が気の毒だ?」
おわ、と関白殿が飛び上がる。供も連れずにふらりと東宮が桐壺へ現れるのは大層珍しいことなのだ。
「桐壺を偵察に来とったんや。あの阿呆が何ぞ思い上がって仕出かしとらんか気がかりでな。」
「仕出かすも仕出かさねーもねーだろ。お前に言いたくねーが、あの貧弱な頭で大したでかい口を叩くじゃねーか。何様だと思ってやがる、劣り腹のくせして。」
容赦ない東宮であられるが、兄関白殿も容赦ない。
「せやけど、あんなお粗末でも一応俺の手駒には変わりないんでな。お前の皇子を産んでくれれば俺かて用済みなんや。解放されたかったら皇子だけ頼むわ、坊。」
ぽん。と肩を叩かれて、無論東宮が嬉しいはずはないのである。
「てめー、俺様を何だと……。」
「無駄に種まきしとらんで、とっとと皇子の一人二人作ったれ。今がチャンスやん。帝にはお子があらへんのやから、お前の子を切り札にすれば退位に追い込むきっかけにもなるし、逆に帝の女御が下手に皇子を上げれば、お前はあっさり春宮を廃されるで。わかっとんやろな、宮腹の皇子は後見が甘くなるから、桐壺を押し付けたんやないか。振りだけでも仲良うしてもらわんと、第三者に付込まれるで。」
東宮は舌打ちした。事実は何より強いのだ。常日頃毛並みの良さを振り回しておられる東宮なのだが、現実主義者関白殿のおっしゃることは痛いほど事実なのである。
宮の母君は梨壷の女御と呼ばれていたお方で、だからこそ宮は目下梨壷を我が物顔に使っておられるわけなのであるが、関白殿の母君であられる大宮の腹違いの妹姫に当っておられ、その縁で先の左大臣の御一族が宮の後見もなさっている格好になっているのだった。右大臣家の弘徽殿女御がお産みになった一の御子が目下の帝であられる。よって、隙あらば帝を退位させてやろうと目論んでいる左大臣家と東宮をとっとと廃位して帝の御子を後釜にと狙っている右大臣家が不仲なのは仕方がないのである。
不仲はいいのだが、昨年の流行病で両家の大臣が呆気なくはかなくなっておしまいだったから仕方ない。順送りに人を宛がおうとしたところ、左右の大臣が身贔屓もはなはだしく御自分の御子息達を顕職、暴露してしまうと近衛の大将などにしておられたため、どちらかだけを昇進させると間違いなく血を見ると判断なされた内大臣殿の思慮のお陰で左右の大将殿は揃って左右の大臣殿になられたのだった。
「ったく、お前…人を何だと思ってやがる……。」
「甘ったれたこと言うなや。えーか、俺は仲良しさんなんぞ要らんのや。お前は後見役が欲しい、俺はキングメーカーになりたい、それだけのギブアンドテイクやろ。ごたごた言っとらんで、ちゃんとプロセス踏めや。俺は一緒に心中する気なんぞないで。」
「知ってるよ。」
にこにこ笑いながらこれだけの悪態をつくのだから、関白殿はお若いながら朝廷で一目も二目も置かれているのである。また秀才でもあられるので、その仕事ぶりと博識には、博士達ですら三舎を避けるという噂が立つほどなのであった。
御多忙な関白殿は別の待ち合わせがあるらしく、すたすた歩いていかれた。悪友の関白殿が桐壺においでというので、あまりお好きでもない女御の御許に足をお運びになった東宮は無駄足をしたとばかりにこちらも踵を返す。関白殿と碁でも打とうとなさっていたのだが、女御にまとわりつかれて過剰に接待されるのもなかなかに疲れるのである。
次善の策として、蔵人所主催の蹴鞠大会で必勝を期すべく、秘伝の策を教わりに院の御所へ向かった東宮だった。