おさななじみ |
僕、八歳の時小学に入ってさ。道士の張易簡さんが先生だったの。児童は幾百人かいたんだけど、先生は僕と陳太初だけを誉めてね。太初は眉山の一般庶民の子供だったんだ。僕は大きくなるにつれて日毎勉強してさ、結局進士の試験にパスしたわけなんだけど、太初は郡の小役人になっちゃったわけ。その後僕が黄州に流されて住んでたら、眉山の道士陸惟忠さんが蜀から来てくれてね。こういうわけ。
「太初はとうに尸解しちゃったよ。蜀の呉師道が漢州太守だった時、太初はそこ行って客になってたんだ。正月に、師道に会って衣食と銭を求めてから別れを告げてね。持ち物を市井の貧乏な人たちに全部上げちゃってから、戟門の下に戻ってって座り、そこで亡くなったんだ。師道が家来に担がせて、野外で火葬にしようとしたんだが、その家来が悪態ついてさ。
『道士が何者だというんで、正月から俺に死人を担がせやがるってんだ!』
すると太初が微笑して目を開いてね、言うのさ。
『またお前さんを煩わせたりはしないよ。』
それで戟門から金鴈橋の下まで歩いてっちゃってさ、足を組んで座ったまま逝ったのさ。焼く時、城に仕える人たちが火と煙の上に小さく陳道人がいるのを見たって言ってたな。」
…とーばの少年時代の思い出かと思いきや!(笑)こんな幼馴染を持っているとはえらい変人です。やはり類は友を呼ぶのでしょうか。それとも北宋には変人しかいなかったのでしょうか。うーむむむ。ちなみに先生は最初しか出てこないのにタイトルが『道士張易簡』なのは何故だろう。