范増さん |
漢は陳平の計略を使って、楚の君臣を離間したよね。項羽は范増さんがさ、漢とプライベートに付き合ってると疑って、じわじわとその権利を奪ったんだ。増は無茶苦茶怒って、
「天下のことは大体定まりましたよな(-_-メ)君王殿下がご自分でこんだけやったんですな。もーそろそろ骸骨を賜って、その他おーぜいの中に帰していただきたいですな!」
帰って、まだ彭城に着かない内、疽が背中に出来て死んじゃったんだよね。蘇子ちゃん、ゆーけどさ。増さんが辞職したの、正解。辞職しなかったら、羽が絶対に増さん殺してる。惜しむらくは、さっさとしなかったことだけさ。と、したら。つまり何をネタにして辞めれば良かったのでせう?増さんさ、項羽に沛公殺せって勧めたじゃん。項羽ったら聴かなくってさ。結局そのせーで天下を失っちゃったじゃん。ここんところで辞去すべきなんであろーか?:うんにゃっ、ノー!范増さんが沛公を殺そうとしたのは人臣の分だよね。項羽が殺さなかったのは、まだ君主としての度量ってのがあったから。范増はいつ頃辞職すべきだったんでしょうか?さて、『易経』にはこーあるのです。
「知幾其神平」
『詩経』には。
「相彼雨雪、先集維霰」。
范増さんエスケープは、まさに項羽が卿子冠軍を殺したときに実行すべきだったのですね。陳勝は民心を得てたじゃん。項燕はさ、扶蘇のネームバリューで項氏を興したじゃん。それってさ、楚の懐王の孫の心さん擁立したからだよ。諸侯が叛乱したのは、義帝を弑逆したからさ。ついでに、義帝を立てる時は范増が謀のリーダーシップとってたんだから、義帝の存亡は単に楚の盛衰ってだけじゃなくってさ、また范増の禍福も一蓮托生だったってことじゃん。義帝が亡びてなかったらば、増さんもひとりでに無事だったわけだよ。羽が卿子冠軍ぶっ殺したよね。これって、義帝弑逆の前兆だよ。で、義帝を弑したってことは、つまり范増の本心を疑ったってこと。陳平をわざわざ(「必」字要確認)待つことあるかいっての!物ってのはさー、絶対にまず腐るんだよ。んで、その後から虫が湧くのだよ。人ってのはまず疑うんだよ。んで、その後から讒言を入れるのさ。陳平がいくら智者だって、どやったら疑いなんか持ってない君主と仲たがいさられるかってーの。僕さ、前に義帝を論じたことがあるんだけど、あの人天下の賢主だよ。沛公だけを遣わして関中に入らせてさ、項羽を派遣しなかったじゃん。たくさんの人から卿子冠軍を認めて上将に抜擢したりね。賢くなかったらこんな処置ってできる?羽はとうに高ビーになっちゃって卿子冠軍を殺したけど、義帝は絶対我慢できなかったよ。項羽が帝を殺らなきゃ、帝が項羽を殺ったって。智者なんて待たなくたって、成り行きわかるじゃん。増さん始めにさ、項梁に義帝を立てなって勧めて、だから諸侯は服従したよね。途中で弑したのは増さんの意志じゃないんだよ。だからってさ、"そんなことしたかねーよ"と一人思ったって、きっと必ず激突した上に、聴いちゃもらえないに決まってるし。言うことは用いてくんないし、立ててた者は殺すし、で、項羽が増さん疑うのはきっとここから始まってたんだね。項羽が卿子冠軍殺したときはさ、范増、項羽が肩を並べて義帝に仕えてたわけで、君臣の分ってのは、まだはっきりしてなかったんだよね。増が計を使ったのは、その力がよく項羽をやっつけられればこれをやっつけ、駄目なら去るってこと。どうして毅然とした大丈夫じゃないっ、なんてことになんのさ?范増は年もとっくに七十歳。合えば留まる、合わなきゃ去る、で、この時去就の仕方を明らかにしなかったわけなんだけど、でも羽の下で成功したかったんなら小者だよなあ。とはいえども、増は高帝の畏れる人だったんだから、増がいなくならなかったら項羽って亡びなかったんじゃないかな。ああ、范増さんもやっぱし人傑だよね!
はい、項羽のところの頑固じいさま参謀の范増さんでございます。いやあ、あの項羽と劉邦のどさくさを(文中の高帝ってのは劉邦のことね)儒学倫理で判断しようという、素晴らしい力業を使っています。とーばちゃん。いや、しろーとの現代人から見ると、
「あのお…何かえらく論点がずれているような気がするのですが……(^^;)」
と思ってしまった。私なんぞわ。ううん、傀儡だった楚の義帝が賢君だったというのはちょっと苦しい気がする…証拠が少なすぎるしさ。卿子冠軍って、威張ってばっかで殆ど仕事しない太ったおじさんって印象が残ってるしなあ。司馬遼太郎さんの本で……。
これでも私は項羽と范増の陣営の方が好きなんだけどねえ。いや、なまずひげの劉邦が嫌いというほうが正しいな、きっと。