いないほうがまし


稷下の隆盛は驪山の禍をはらんでたし、三万人の太学生は軽々しく世嗣を論じていたけれど、これまた党錮の冤の兆候だった。この頃僕が本・秀のおぼーさん二人を見てるとさ、学識も大した事ないのに得意がって王公のため奔走しちゃってさ、都邑に騒ぎを巻き起こしちゃってさ、んなことしててどうしてボロ出さずにいられるかってーの。きっと仏門にとっていいことにはならないよ。


誰の事を攻撃しているのかも皆目不明。驪山は政君の話にも出てきます。この故事って何なのかも不明。稷下の学士が増えたから問題が起こったというのは何のことなんだろう。党錮の禁は後漢の話で、清流派を名乗った士大夫VS宦官の泥試合。結果は宦官の圧勝。これで政権を握った宦官が頭のよくない霊帝を好きなよーに動かすんだが、黄巾の乱が起きた上ダークホースの外戚何進の引き入れた董卓軍にやっつけられるといいう過程を経て、三国時代に突入するきっかけを作ります。しかし、えらいものと比べられてますねえ。