高麗事件その後 |
元裕五年、二月十七日。王伯虎こと炳之君に会ったら言ってたんだけど。
「昔枢密院礼房検詳文字してたときに、高麗事件の裁判を見たんだよ。張誠一が契丹に使いしたのがそもそもの始まりなんだけどさ、捕虜テントの中に高麗人がいたわけさ。私的にね、本国の主は中国の意を迎えようと切望してます!って言うもんで、帰ってから奏上したのさ。先帝は始めの内お迎えになりたいご様子でね。そのせいで枢密使の李公弼が迎合したのさ。で、親書を書いて招致しましょうって上奏したもんだから、結局発運使の崔極が商人をやって招いたってわけなんだよ。」
世間では崔極の間違いは知ってるけど、悪いのは公弼だってことは知られてない。誠一みたいなのに至ってはお呼びでないってこと。
元タイトルは『高麗公案』。何の事件か良くわからない上に登場人物も良くわかっていないが、追跡する気力も体力もない。