政策の盲点



他家無羅のドアホが、住宅金融公庫取りつぶしを言っているが、全く見当違いな理論である。
今需要をいかに引き出すかであるが必要なのは明白である。
従って低利子の住宅ローンはもっと低利子にして継続するのが常識的な判断である。
このことで需要を出す為の策は得られた。
少し高めのいわゆる贅沢品の売上を上げるために、住宅金融公庫と郵便局が超低利子の個人貸付(担保の代りに上限額を500万円と決める。)を始めるべきである。
(郵便局に住宅金融の機能を持たせて競走を計るというのも名案だ。
民営化だけが機能向上とは言えない。
N-dなどは、ショップに圧力をかけて携帯本体価格の自由競争を阻害しているではないか。
正当な競争は、同規模の組織が複数存在するときに健全に行われるのだ。)
また、短期ベンチャー事業(企業ではない)への短期貸付(最大1000万円)を実施するのも実に効果的だ。
散々日本に借金をさせたドアホをいつまでも登場させるのは、いかにもマスコミ中心の民主主義だと考えさせられる。
オヤジャが死んでも私が死ぬわけではない。
おまえたちのしていることは、服にもかすらない。
まあ、馬鹿が馬鹿なことを成就するのは当然のことである。
また、悪が悪行により地獄に行くことも当然のことだ。
勿論、悪に従い、或いは悪を行わせるものが地獄に行くことも当然のことである。
人に命令されたからとか、実際にやったのは私じゃないから等という言い訳は、全く通用しない。

マタイ22章
「天の御国は、王子のために結婚の披露宴を設けた王に例えることができます。
王は招待しておいたお客を呼びに下部を遣わしたが、彼等は”来たがらなかった。”
其れでもう一度、次のように言いつけて、別の下部を遣わした。
『お客に招いた人達にこう言いなさい。「さあ食事の用意ができました。雄牛も肥った家畜もほふって、何もかも整いました。
どうぞ宴会におでかけ下さい。」』
ところが、彼等は気にもかけず、”あるもの”は畑に、”別のもの”は商売に出て行き、
”その他の者たち”は、王の下部達をつかまえて恥をかかせ、そして、殺してしまった。
王は怒って兵隊を出し、その人殺しどもを滅ぼし、彼等の町を焼き払った。

今のあなた方の姿勢で今後継続していくのであれば、あなた方のしていることや、これからする事柄等によって、あなた方はこういう結果を招くことになる。
今の東洋は、昔の東洋とは違う。
陰謀的な企みによっては、もはや解決できない。
これは単なるコケ脅しではない。
私を遣わされた方がおられる以上、私を迫害し或いは殺しても何も変わらない。
言って分からないなら、体験するしかない。
1000年の地獄の苦しみを。
さあ、やろうと思うことをやれ。
天の御国は秒読みに入っている。
私の運動は第2段階に入った。
マスコミ中心の民主主義(アメリカ言いなりの民主主義)なら、亀井を支持せよ。
国民中心の民主主義なら私を支持せよ。
私を支持するものは徹底的に神の道を究めよ。
すなわち、悔い改めの門をくぐり、キリストの道を服を敷いて整えたように私の道を開け。
つまり、私の名を表明して当選し、公開されている政策を全て実現せよ。
決して欲望や誘惑に惑わされてはいけない。
欲望や誘惑に惑わされそうになったら、退いてもう一度悔い改めの門をくぐれ。
私は全ての罪を赦す権威を頂いているものである。
私は神ではないが、神に遣わされてきたものだ。
私の目的は神の御旨の実現である。
従って私に協力するものは、神の御旨を行うものである。
キリストが言ったように天の国に入るには神の御旨を行う者である。
私に協力するものは損なわれることはない。
あなた方は大いなるチャンスを得た。
上記の記載のことの無いように立ち上がれ。
どんな罪人でも受け入れる用意ができている。
まさに宴会の準備はできているのだ。
唯識にみられる「ものには実体が無い」という考え方は、
この世が無常で、人の魂が永遠であるということからきている。
それは、「お金の価値が人によって違う」という例えは全く見当違いなもので、
「お金というもの自体ただの紙切れや鉱物の塊であり、社会の変化によって価値が無くなってしまうものである」という例えがその本質を正確に表している。
前者の間違った例えによって、金を貪る生臭坊主ばかりになってしまった。
話を戻すと、ものには実体が無いというのは上記お金に限ったことではない。
食べ物でさえも、しこたまため込んでいても、腐ってしまったり、氷らせておいても、あまり贅沢なものを食ってばかりいると病気になって寿命を縮めたりするのである。
それに加えて神の怒りに触れるようなことがあれば、運命(縁)自体取り崩してしまう。
昔より栄華を究める者は、とかく弱者から取り上げて独り占めする。
それで神の裁きは、そういう栄華でさえ、地獄に落ちてしまえば、苦しんで平等どころか大損失をしてしまうようになっている。
すなわち、この世のすべてのものには絶対的な価値はないのである。
貯金ほどばかばかしいものはない。
今飢えに喘ぐ者たちは世が改まると王として蘇る。
今のうちに貢ぎものを納めるものは幸いである。
まさに、施しを受けるものより施すほうが幸いなのである。
重複していたら申し分けないが、長期的な株価の推移が低下傾向にあるのであれば、私にとってこれほど好都合なことはない。
株式に依存しない安定した経済構造の実現が近いからである。
政府の評価から株価というものが無くなる。これほど安定した政権はなくなるであろう。
おそらくこれで株価は下げどまるであろうが、あなた方は、株式の本質が他国からの資産の吸収にあることを悟らなければいけない。
もしこれで下げどまったとしても、株式への依存を断たない限り、安定した経済成長は期待しないほうがいい。
もちろん、下げどまれば、この記事が2001/9/3にアップされたということをクローズアップするであろう。
いかに弱者救済が重要かを説明する。
下の図は有効需要と価格調整を説明する図である。
まず、円が有効需要を表しており、四角が商品やサービスを表わしている。
大まかに、安定した市場経済は円の中に四角のすっぽりと収まっている状態である。
しかし外乱が起き有効需要が減少すると、円は小さくなって販売数が低下する。
すると在庫過剰に陥り、価格を下げない限り効率的な収益は得られない。
価格調整によって極力有効需要を吸収するような収益を得る。
これは、非常に重要な点で、四角を無理やり大きくしても有効需要が伸びるには時間がかかるということである。
すなわち、使用者が懐に入れてしまい、収益増の還元は、労働者に低い率でしか行き渡らない。
従って需要の円はなかなか大きくならない。
つまり使用者の搾取が経済のダメージを大きくするのである。
ところが、弱者を保護すると、需要の円はまたたく間に大きくなり、在庫数も回復する。
こちらは、弱者がぎりぎりの生活をしており、懐に入れる率が低いので弱者の搾取は究めて低く、経済のダメージはきわめて小さい。
そもそも、弱い人間と強い人間のどちらが我慢できるかといえば、強い人間のほうである。
金持ちの非難を避けるための誤魔化し政策展開などはただちに止めて、日本の経済のために弱者を救済するべきである。

IT産業がいまいち飛躍しないのは、2つの要因がある。
段違いのビジョンが得られない点。
もう一つは高創造でない点。
あと付け足せば、人の行動を監視するのが当初の目的であった点。
産業は必ず飽和する。
それは、需要となる人の数が限られているのに対しサービスの提供やインフラ整備が速く進むからである。
金持ちや会社役員が自分の地位を安堵するためにチャレンジを忘れ、すなわち同じ産業や遅い産業波及でやっていくというのであれば、人口を肥大(サービスの提供先)させるか、弱者を救わなくてはいけない。
アメリカの独裁手法による減反の食料政策においては、食料供給に限界が生じ、後者しか道はない。
地域紛争を本気で終らせて需要を創出しなければ、もはや現体制での進展は不可能である。
このことを理解させるために、今まで殺人が野放しにされてきたのだ。