政策の盲点
2001/12/30 宇宙開発
(2002/1/2 削除)
2001/12/31 天罰
それは、豚肉ととり肉の中にある。
2001/12/31 天罰2
幼児番組を通じて悪魔の洗脳は始まっている。
それは、体内に入れて治療することを名目にして、人間の脳をコントロールするものである。
神を排除し神から逃れようとするが故に、あなた方には、暗黒の世界が用意された。
後は、あなた方が悔い改めてただ一人この国に与えられた天の使者を受け入れるか否かの単純な問題だけだ。
2001/12/31 勘違いするな!
私に与えられた権威は、継続して行われる犯罪を目溢しするようなものではなく、悔い改めて神に仕え正義を実現するために尽力する為の特赦/恩赦の権威である。
2002/1/2 理由
なぜ、人類は進化し続けるか。
それは、感情という機能を人が身に付けたからである。
人の悲しみに神様は慈悲の心を示された。
だから、人には末永くその生を全うしてほしいと御考えなのだ。
太陽の結末が本当に大爆発なのかそれとも、単なる光の消滅と冷却なのかを私には示されないが、いずれにしても、あなた方が知ったように、この地球は、有限である。
その環境の中で我々人類が永遠の生を営んで行くには、どうしても人は崇高な精神世界に辿り着かなくてはいけない。
そして、あなた方が自分の親と性格が似ているように、世代毎に人類の精神は、遺伝の要素を含みながら受け継がれて行く。
従って、前述した驚愕的愚行に陥らないように、神様は、多くの遺伝子の中から相応しいものに継がせるのだ。
つまり、悪魔の遺伝子を継がせることは、人類の進化という点に関し、超長期的に見てつまずきとなる。
(科学の発展は、放っといても時間が解決する。)
あなた方が再臨される王に全てを委譲するか、全ての文明を排斥するか(すなわち荒れ布をかぶって悔い改めるか)しなければ、人類の数千数万年の将来の為に、選ばれたものだけが、天の国に入る。
キリストはこういっている。
「たとえ世界を支配したとしても、命を失っては何の意味もない。
では、命を得るために何を差し出したら良いのだろうか。」
これだけいっても分からないなら、どうなっても知らないよ。
2002/1/2 ヒーロー(英雄)の要件
私は自分のことを英雄とは思ったことはない。
でも、あなた方はヒーローをいただいているようだ。
そこで、古代インドにおいて先人達が英雄と慕ったラーマについての記述を見てみよう。
まず、聞きなさい。
イクシュヴァーク王の家に生まれたラーマという令名高い人がいる。
自制心があり、非常な勇気があると共に威厳があり、落ち着いていて、感情を抑制していた。
・・・
正義を知り、約束をかたく守り、人民の幸福をひたすら願い、名声があり、智恵を備え、従順で、冷静である。
・・・
あなた方のヒーローもきっと、布施によって貧者を救うだろう。
救わなければ、目減りしたヒーローということだ。
また、国民に順番を付けて、この人は救ってこの人は救わない等ということはしないだろう。
また、首相公選制という公約をやぶるようなこともしないだろう。
なんていっても、「正義を知り、約束をかたく守り、人民の幸福をひたすら願い」というヒーローがいたのだから。
まあ、”退化したヒーロー”ならそれも仕方ないことだ。
「智恵を備えて」いるのだろうから、国民の飢えを取り省きのどの乾きをうるおすに違いない。
まさか、道路の工事をとめるだけのヒーローっていうことはないだろう。
銀行だけには大金を注ぎ込むヒーローとか?
「正義を知」るということだから、金持ちだけ優遇されるという差別はやらかさないさ!
「名声がある」というのだから、その名声に見合った要件を満たしていることだろう。
神はいわれた、彼でさえも、天国にいけるってね。
そして、彼は最貧者を救うともいっていた。
きっと、布施によって最貧者を救う。
神様がいったことだから、救われなくても私を恨まないように。
彼が要件を満たさなければ、それまでだし、満たせば、それまでだ。
すなわち、要件を満たせば、あなたは神とともに真のヒーローとなるが、満たさなければ、私の予言の不成立とともに、退化し或いは目減りしたヒーローとなる。
神の顔に泥を塗らなければ、あんたの顔にも泥は塗られない。
2002/1/2 文献
神様が公開せよといわれるので、公開する。
あなたの職務は行為そのものにある。
決してその結果にはない。
(これはいわゆる黙示録コースのアドバイスだ。
大きな門を通るには、行いを正すだけでよい。)
行為の結果を動機としてはいけない。
また、無為(なにもしないこと)に執着してはならぬ。
執着を捨て、成功と不成功を同一のものと見、ヨーガに立脚して諸々の行為をせよ。
ヨーガは平等の境地であるといわれる。
人は行為を企てずして、行為の超越に達することはない。
また、単なる放擲(ほうてき)のみによって、成就に至ることはない。
全ての行為を私のうちに放擲し、自己に関することを考察して、願望なく、『私のもの』という思いなく、苦熱を離れて戦え。
人が信愛を込めて私に葉、花、果実、水を供えるなら、その謙虚な人から、信愛をもって捧げられたものを私は受ける。
あなたが行うこと、食べるもの、供えるもの、与えるもの、苦行すること、それを私への捧げものとせよ。
かくてあなたは、善悪の果報をもたらす行為の束縛から解放されるであろう。
放擲のヨーガに専念し、解脱して私に至るであろう。
たとい極悪人であっても、ひたすら私を信愛するならば、彼はまさしく善人であるとまなさるべきである。
彼は正しく決意した人であるから。
すみやかに彼は謙虚な人となり、永遠の寂靜に達する。
確信せよ。
私の信者は滅びることがない。
私に意志を向け、私を信愛せよ。
私を供養し、私を礼拝せよ。
このように私に専念し、専心すれば、あなたはまさに私に至るであろう。
↓ここから私説。
供養とは、花や供え物や祈りだけではない。
行いや苦行もまた、神への供養である。
これらのことは、人に要求する類いのものではない。
ただ、人に対してどんなことをするのかそれ自体が、神に対してどんなことをしているかということである。
あなたが、してほしいと思うことを人にしていれば、人によく分かる。
その人には、彼のやっていることをしてあげよう。
それが彼の望みなのだから。
上述した内容は古代インドのものである。
2002/1/2 文献2
つづき
それゆえ、立ち上がれ。
名声を得よ。
敵を征服して、繁栄する王国を享受せよ。
彼等はまさに私によって、前もって殺されているのだ。
あなたは単なる機会となれ。
しかし、ひたむきな信愛によりこのような私と一体(同一)となることができる。
私の為の行いをし、私を愛し、私を信愛し、執着を離れ、全てのものに対して敵意ない人は、まさに私に至る。
また、不動なる信愛のヨーガにより私に奉仕する人は、これら諸グナを超越して、一体となることができる。
というのは、私は不死不変の一体の基底であり、永遠の正義のまた絶対の幸福の基底であるから。
何ものにも執着しない知性をもち、自己を克服し、願望を離れる人は、放擲により、行為の超越の、最高の成就に達する。
一体になり、その自己が平安になった人は悲しまず、期待することもない。
彼は万物に対し平等であり、私への最高の信愛を得る。
信愛により彼は真に私を知る。
私がいかに広大であるか、私が何者であるかを。
かくて真に私を知って、その直後に彼は私に入る。
主は万物の心の中にある。
その幻力により万物を、からくりに乗せられたもののように回転させ続ける。
全身全霊で彼にのみ庇護を求めよ。
彼の恩寵によりあなたは最高の寂靜、永遠の境地に達するであろう。