政策の盲点3
馬鹿の原形
先日テレビでD婦人がこのような発言をした。「あなたは馬鹿ですか。”馬鹿”というのは鹿の絵を見て馬といった人の事をいうのですけど・・・。」このような小さい事に顔を突っ込むつもりはないが、ちょうどいい材料であるので、この件を取り上げる。
馬鹿とはどういう言葉か?それは、古代中国の秦の末期始皇帝が死んだ後の出来事に由来するものである。秦の始皇帝の宦官(かんがん)に趙高というのがいた。彼は、始皇帝の死後、皇帝の補佐役として実権を握り、いつしか皇帝を上回る実質的権力を手にすることとなった。
あるとき彼は、皇帝と部下達にに鹿の絵(或は鹿そのもの)をみせて皇帝にの動物は何ですかと聞く。皇帝はもちろん鹿という。趙高と対等の立場の人間達は、みな「鹿」という。趙高と彼に従うもの達は、皆「馬」という。趙高は鹿の絵を見て「鹿」といったものを皆殺しにする。
とまあこんな話しであるが、これが馬鹿の原形ではない。”馬鹿”は趙高の行いとそれによってもたらされる彼自身の最後に由来するもので、”馬鹿”はその象徴とされるものである。では、その後の彼はどのようになったか。
その後彼は政治の実権を握るようになった。ところが、彼の政治によって多いに国家は乱れることとなる。各地で反乱が起き、項羽と劉邦とが台頭してくる。その中趙高は、反乱のことを皇帝にはひた隠す。さらに、業績を挙げる人間を妬んで、次々に殺し或は追い出してしまう。彼がトップでいるということで、彼より能力のある人間はその組織からいなくなる。その結果、項羽と劉邦の軍に対抗できる人材はいなくなった。このようにして最後には自らが滅んでしまう。
つまり、馬鹿の原形は、この様なものを表現しているのである。鹿の絵など直接関係の無いことである。
さて石原都知事が銀行税を導入するといったとき、自民党幹部はオブチ首相を通してこういった。「控えろ。」ちょっと待て。控えろとはどういう意味か。なぜ政治家が政策を展開することを”控え”なくてはいけないのか。
これは政治家に蔓延している風潮である。(すなわち、趙高のごとき様相ということ。だから石原さん。あなたは今の日本を漢末期といったが、むしろ私は秦末期だと思いますよ。)そして、日本の社会全体やあなたの身の回りに目を配りなさい。それは日本全体に蔓延している風潮であろうから。そして、この風潮によって培われた国民から政治家は選ばれている。
知事会・市村町会の役割
市原市の予算書でもそうであるが、必ず知事会・市村町会といわれるものへの拠出金が予算に盛り込まれている。彼等はこの様な会合に参加して何やら話し合っているようである。ところがこの知事会・市村町会こそが、地方政治の不正の温床である。彼等は談合して横並びの政策を展開する。そうしないと、税金の金額や政策の内容によって競争することとなってしまうからである。この競争に負けたら、自分がただの人になってしまう。すなわち、政治で食べていけなくなってしまうのである。そうなったら大変であるので、彼等は横並びに空工事(ここでは経済の波及がとても小さい工事の発注をいう。)や公債の発行を行う。だから、私の様に市政モニターとして意見を提出しても、どんなにいい意見であっても取り入れない。いや、バランスが崩れるのを恐れて取り入れられないのである。
(やっぱり、日本から出る杭を打つ様な風潮を”(口だけではなく)実質的に”排除するよう日々努力しなくてはいけません。これは、あなたの生活よりも重要な要素です。というのは、子孫がより一層その傾向を増すからです。自ら不正と正対し、そういう社会体制を確立すること。この事が、あなたの身の回りに必要なことです。ですから、あなたから始めなさい。「悔い改めよう。」そういいなさい。それが怖くて出来ないなら私の政策は実現しません。私のもとに来なさい。私が代わりにいってあげよう。)
問題は、横並びの体質が県と県の間だけでなく、県と国との間にもあるということだ。それが、石原たたきの現状である。我々国民が本当に効率良く国や県のサービスを受け取りたいのであれば(税金として納めた分が効率良くサービスとして返ってくる状態)、政治の実権を握らなくてはいけない。それは、歴史を塗かえる大変な事である。それだけに多くの苦難が待っているであろう。(彼等は我々の目をごまかすために、代表制民主主義とか「混乱する」とかいうだろう。)でも決してくじけてはいけない。子どもや孫の将来のために、日本人が虐待されない国際環境を作るために、そして自分の老後の環境を作るために国民は尽力しなくてはいけない。それが、”君主の君主たる務め”である。
マスコミの政治支配の構想
先日、読売新聞の一面トップにこの”様”な記事が乗った。「地方税法を改正する。外形課税は業種を限らず広く浅くかける。」石原都知事が外形課税を導入するのはなぜか。その点が載っていない。彼は、銀行が他の業種と比べて事業の失敗の責任をとらずに多額の税金を受け取っているから、銀行に導入するのだ。もし読売新聞の報道が理を得ているのであれば、なぜ、倒産しかけている中小企業には税金を導入しないのか。マスコミは国民を馬鹿にしている。世論ずらするのは程々にしろ。お前達が何を求めているかは容易に創造がつく。
ロッキードー事件の発端が何であったか。それは、女性問題だ。有りもしないデマで、自民党内の角栄の勢力を弱める。次に、裁判官や政治家を巻き込んで不正をでっち上げる。繰り返し報道してオウムのように国民を洗脳する。(何度も聞かされると何かそんな気がしてくる。麻原の”修行するぞ。修行するぞ.。”はここをヒントにして彼が得たものである。すなわち、目糞鼻糞を笑う。)不公正な裁判の手法で証言をさせない。写真を使わず、絵をかいて国民の目をごまかす。あのとき出てきた”分けの分からない外人の証言”。(偽証罪にかけなければ、証言をするというもの。しかも、彼がいうには、札束を玄関先までもってきたという。そしてそこで渡された”領収書”?。)その存在自体が茶番を証明している。
そしてその後、そのボロを隠すために、次から次へと情報をくっつけて本当に有ったかのように見せる(ついでに商社経由の情報網をたたいた(丸紅)。ニュースが扱う情報には通信社経由と商社経由と特派員経由とがあった。)。その行状が、あなた方も共犯である事を証明している。お前達は、自分に都合良く働く政治家や役人達を祭り上げて、世の中のためになる政策を展開する政治家を蔑む。
そして今度は、警察の不正を暴露して警察権力までも手中に納めようとする。マスコミのいうことを聞かない警察関係者は潰すという具合だ。
はっきりいっておくが、この世は全てが実質で動く。お前達など利用し終われば捨てられる。彼等からすれば、使える間だけの駒である。お前達は笑いながら川を下る。私の政策に似せて作るということは、”反対を向いて逆に漕ぐ(結局船を加速させる)”ということだ。お前達(マスコミの社長達)がぬけぬけと予算委員会や公安委員会に出てくることが無くなれば、多少この国は良くなるだろう。一方で世論を着飾り、他方で政治に参加する。いうことを聞かない政治家を自分のところの報道権力で脅迫まがいに報道し、自分達の権力を拡張しようとする。一時的に権力を握って喜んだところで、全く無駄なことだ。お前達のやっていることは長く続かない。なぜなら、お前達よりもっと悪い悪がお前達を利用してこの狭い領土をいただこうと口を開けているからだ。
そしてそれは、国際化という美化された麻薬で、(毒蜘蛛が獲物を麻痺させて食べるように)お前達を麻痺させながら行われる。お前達は笑いながら川を下るのだ。
少しでも私の政策の実現を必要だと思うものは、勇気をもって私と共に悔い改めの道を歩め。そうしないと・・・船はますます加速する。
止めどの無い殺人マシーンの製造
今度、少年犯罪について法改正がなされるらしい。犯罪者の実名を公表するようだ。少年犯罪の多くでは、犯人の心理はどのようなものか。感情である。冷静な判断できないがゆえに起こしてしまう犯罪。そのものであろう。社会が犯罪者を疎外するのは勝手であるが、何の解決にもならない。はぐれものを疎外するゆえに、ぐれた心がますます萎縮する。仮出所の度に犯罪を起こす。恐らくそうなるだろう。
犯罪者を殺してしまうのは簡単だ。でも、あなた方には解決は出来ないだろう。(社会は凶悪化する。)はみだしものを排除するしか脳が無いからだ。はっきりいうが、秩序を守ることを自ら実行し、それを子孫に伝えろ。小さいうちに、世の中にやってはいけないことがあることを教えろ。それだけ教えれば、小学生の高学年になるまでそれほど教えなくて十分だ。遊ばせておくほうが、後から伸びる。子どもにすることが、あなたの老後にされることを占う。
今の若い親は特にそうだ。自分達が「自由(=勝手)」を好み、束縛や干渉という事を嫌ったから、子どもには秩序や社会を教えない。自分達のしつけ問題であって、子ども達のしつけでは無いのだ。皆が子どもの社会性や将来を考えて行うならば、少年犯罪は起きないだろう。これらは全て、物で満たされる欲求によって培われる精神を根源とする。小さい時から物づけ金づけで育てられることで、人間すら”物をくれる物”として見てしまうのだ。そして前提条件として、いうことを聞くのがあたりまえ、或は意見が通るのがあたりまえという精神がのこる。(誕生日の度にプレゼントをもらい、だから、いうことを聞かない人間や子どもは徹底的に排除/無視する。
はっきりいっておくが、いうことを聞かれないのが大概の事である。あなた方は口先では人の考えは十人十色というが、それは無視することを前提として述べているに過ぎない。だから、被害を被ると感情だけの対処方法となってしまう。
兵法にいう。「敵を知り、己を知れば、百戦危うからずや。」相手の気持ちになって考える努力をせずに、どうして世の中のことがうまく運ぼうか。相手の気持ちになって考える努力をしていれば、名前の公表など大した問題ではない。それより、犯罪者を赦して且最小限に死刑を減らし、その死が無駄にならないように公開で処刑する。さらに、貧しくとも満たされる基盤を作り、原因を撲滅してしか世の中は好転しない。名前の公表が”急鼠猫を噛む”とならないことを切に願う。