政策の盲点6



しゃべり場

 3chの若者トーク番組で、ある女の子がこう発言した。「さっきから聞いてて不思議に思ったんだけど、恋愛ってそんなに重要なの?」「それって個人的なことじゃん。そんなこと話してじゃあ(結局)どうすんの?(結論出るの?)」「一日中恋愛のことばかり考えているなんて、なんか馬鹿っぽい。」この言葉の背景には、若者の大きな悩みの一つ恋愛の相談がなされていた。
この言葉を聞いてどう思うかなあ。もちろん「場を盛り下げる嫌な奴」「真面目腐った奴」と思うのが大半かもしれない。
でも、それでは困るのだ。彼女の言わんとしていることは、(若者なりにも)人生でもっと考えるべきこといっぱいあり、「恋愛」のことばかりというのは思考が希薄すぎるということであろう。
それは、自動車の運転に例えることができる。フロントガラスから見える風景の中には多くの像が入っている。例えば、車、人、木、道、空、雲、鳥等。これらの像の一つのものだけにピントを合わせていると、今通っている通りはやり過ごしても、次の交差点で大きすぎるリスクを背負うことになる。人生も同じ様なものだ。
会社から帰って自分の家族のしかも自分の世代のこと(社会体制)だけを考えているのではだめなのだ。もちろんそんなこと分かっているなら、結果が重要だから結果を残せ。はっきりいって今やるべきこととは、民を不敗の地に立たせることだ。あなたの財産のことではない。それは、不敗の地に立ってから、十分効率良くやりえることだよ。
何でもそうだ。人を裏切らない様になってから、女とつきあう。女を養うことができる様になってから、結婚する。子供を一人前に育てる自信がついてから、子造りをする。
「やりたいからやる」「やって貰えれば何でもやって貰う」「やって貰えるのがあたりまえ」「私の勝手」「(迷惑をかけても)私の自由」本当に迷惑なんだよ。無責任なもの達。年相応なことをする?馬鹿いうな!精神レベルに相応なことをしろ。
親に甘やかされ、彼氏(彼女)に甘やかされ、亭主(奥さん)に甘やかされ、それで子供にまで甘やかして貰おうというのか?「◎◎ちゃん〜〜してね。」この言葉、完全になめられるね。是非の判断ができない人間に何を期待するのか?自分がどう仕付けられたか良く考えろ!親や先生に叩かれないと分からなかったことがあったはずだろ。お前の子供も同じことだ。いうことの聞く小さいうちにいうことを聞かせなくて、どうやっていうことを聞かない時期に聞かせることができるのか。そういう輩が、子供に胡麻をすってしか子供と共存できなくなるのだ。手を上げられない子供が町角で怒鳴るのは、家庭内暴力だよ。(飯を食わせる奴隷ぐらいにしか思ってないよはっきりいって)怒鳴りが手足に変わるのは容易なことだよ。(奴隷がいうことをきうのはあたりまえだからね)せっかく、3子の魂100までという言葉があるのに。どこから逃げるんだ。家族からか?自業自得だね。でも、社会体制を変えれば、まだ間にあうよ。一生懸命やりなよ。他人のためのことを。愛育(甘やかすことではない、本人のために本気になることだよ)で曲がったものはない。兵法にいう「心攻めるを最上とせよ。」(兵法と宗教の本質的理解は平和の維持にあまりに有意義だから、敵は、隠したがる。混乱して貰わなくては○○○れないからね)

加藤氏の乱の本質的意味

 今回の”主流派”による加藤山崎派切り崩しをマスコミが取り上げているが、我々の理解すべき本質的部分を論じよう。これは、マスコミやアメリカにとっていわゆる恥部である。
私は、今回の政局に関して、日本政治が国民の手から実質的にはなれていることを証明する具体的な事例と考える。すなわち、森内閣の支持率は10%台であるにもかかわらず、”この支持率を見た時点でも”議員達の自主的な首相の交替は全く計られず、なおかつ国民の80%の意見に基づく首相交替が実現せず、さらには、国民の80%の意見に準ずる首相交替論を堅持する加藤山崎派が切り崩されたということである。;水かけよりもよっぽどスキャンダラスである。
もし、政治専門家が唱える議員内閣制度という間接政治がある程度(例えば60%(以後仮定反映率と呼ぶ))国民の意見を繁栄する体制であるとすれば、現に不信任案を否決した60%の議員数は、33% (=20%(信任率) x 60%(仮定反映率))程度に止まっていたはずである。
ところが実際、80%意見(不信任率)が40%(議員数)の力しか発揮しないということだから、国民の意見が(40/80=)50%すなわち半分しか繁栄されない政治体制ということになる。また、80%の国民が意図しない政策に関しては、実に、(20%(信任率)/60%(議員数)=)33%の国民の支持を得るだけ(検疫)で実現してしまうということである。
これが私のいう間接政治の度合の行きすぎということである。
だから、国民としては、一度実験的に、野党第一党の民主党に政権を委ねてみるべきなのだ。そこで、我々は、民主党がどのような政策展開をするか見極めて、自民党と全く同じようであれば議員内閣制度に三くだり半を投げつけるべきである。これが、政治の科学的論証であり、政治浄化の最短コースである。
加藤山崎派は速やかに新党を結成すべし。さらに、無党派と共に野党と合流すべし。野党は一時的でも刃を収めて合流を認めるべし。多数決 負けた与党は 野党なり。
これが実現すれば、80%の意見が51%実現する(反映率63%)こととなり、条件次第(例えば、消費税増税やその他の国民的不利益条件とセットでということなら、もちろん支持できないが・・・政○家の無能を国民に押し付けるなよ!)ではあるが、”短期的な”国民的政策としては、私的な支持をさせていただきたいと考える。

堺屋経済企画庁長官の辞任

 公共投資のばらまきで上辺の景気回復に喜んでいた長官が辞任した。
これで日本の借金は100兆円近増加してしまった。
本人はやむ得ないというが、それは本人の能力がそれだけのことだったということだ。能力の低いものが政策をもてず、能力高いものが政策をもちえる。ただそれだけのことで、それ以上の複雑なことはない。
では、彼のやったことがどれだけ可笑しなことだったかを例えで説明しよう。
ある家庭があった。そこの亭主は甲斐性がなく、月に20万円しか稼げない。今まではその中でどうにかやりくりしていたが、その年たまたま米の価格が値上がりしてしまった。こうなると、おかずに金がかけられなくなる。子供達は文句をいうし、一番小さな子は、毎日泣くようになった。
その時たまたまいじわるな親類が来てこういった。「知り合いの金貸しに当座の資金を調達させよう。」亭主はいう。「仕方ない。」このようにして、2万円ずつ金を借りることとなった。ところが、親類先の親類はいう。「クリスマスが近づいたから、子供を喜ばせたほうがいいよ。」この言葉に乗せられて亭主は次の月に1万円借りることとなる。その次の月には、お年玉、次はバレンタインデー、そして七五三、入学祝、etc.という具合に毎月1万円ずつ借りることとなってしまった。ずいぶん羽振りがいいと奥さんが問いただすと、借金は7万円になっているという。奥さんがその親類にあって文句をいいに行くと、その親類はいう。「私は親切にも毎月のお金を調達したのだ。考えてみろ。借金ではあるがあなたの家庭の経済成長率は全体で35%も成長したのだ。感謝されても文句をいわれる筋合いは無い。一言いっておくが、新しいパフォーマンスが一番困る。この路線でこれからも行って欲しい。」あまりの言葉に奥さんは言葉を失った。
さて、この親類の問題点はなんだろうか。それは、会計の方法が間違っているのだ。一国の経済力は本来、借金を含めた総計ではなく、財源であるはずだ。その財源のうち税金の比率が高くなると、税収が経済の変動を受けやすくなる。この家庭の例では、恐らく借金を返し終えるまで、借金をする前以上に苦しくなる。国も全く一緒で、財源を新たに開発し、支出を減らす方向で乗り切る以外に実質的な経済成長を達成させることはできない。まあ、アメリカが日本の財政破綻を望んでいるというなら、その手先が借金を増やすのもありえない話しでは無いが・・・。
『あなたが見た10本の角と、あの獣とは、その淫婦を憎み、彼女を荒廃させ、裸にし、その肉を食い、彼女を火で焼尽くすようになる。それは、神の御言葉の成就するときまで、神の御心を行なう思いを彼等の心に起こさせ』るためである。

科学は嘘をつかない。

 まさしくその通りだ。ただ、今までの人類の歴史のなかで、常に人々の誤解を生んだ原因が、「仮説」である。これが嘘をつくことが多々ある。仮説とは何か。例えば、何万年も前に恐竜が住んでいた。地球には氷河期と温暖期がある。これらはすべて仮説である。得体の知れない大きな骨が地中から出たので、恐竜がいたと考えた。フィヨルドの存在という科学的証拠から、氷河期があったと仮説を立てた。ただそれだけのことである。では、私も科学的な証拠から仮説を立てよう。
 仏教の寺院はいつも山の上にあり、山の名前をいただいている。(比叡山延暦寺等)また、中国では仙人(長生きする人)は深い山の中に住んでいると伝えられている。インカ帝国は高い山の上に立てられた(遺跡が残っている)。これらはある歴史的事件によりそうなったと仮説を立てる事ができる。それが、旧約聖書やコーランに書かれた事件。ノアの洪水である。そして、その洪水をどういう分けか予見していたノアの存在。なぜ彼は動物を一つがいずつ方舟に乗せたのか。なぜ多くの人が一緒に方舟に乗らなかったのか。また、なぜ洪水が起きたのか。この疑問に対してさらに仮説を立てられる。洪水の前に現代と全く同じ様な高度な文明社会が存在していた。(水晶の髑髏やピラミッドの建設)そして、今と全く同じように人々は科学を完全と思い込んでいた。唯物主義が科学の不完全さに目隠しをしたために、皆洪水が起こるのを知りえなかった。「ばかばかしい。そんなことがあるはずもない。」しかし、将来を予見できたごく少数の人が方舟を立て、動物を一つがいずつ方舟に乗せた。他の地方でも、高い山に小屋を立て、その時が来るのを待っていた。そして、その通りに洪水が来てすべてを押し流してしまった。
この仮説によれば、全くつじつまが合う。あとは、受け入れる人間の側の問題だ。
 神様から見る人間は、水槽の中の魚のようである。人の子から見る人間は、目隠しをした馬が崖に向かって突っ走っているようだ。