グレゴリオ暦2002年12月16日執筆
分かりづらいタイトルになってしまったので、ことの起こりから書くこととしたい。
もう2、3ヶ月前になるが、某福神氏と私との間で、我々の年齢差はいくらかという話になった。一部ではすでに有名であるため書いてしまうが某福神氏の生年は1985年10月、対する私は1972年2月である。
さて、年齢差はどうなるか。
私は「14歳差」を主張した。私は2月生まれと早生まれであるため、学年度換算では1971年度となる。一方某福神氏は1985年度であるから、1985年度−1971年度=学年でいえば14つ差。よって14歳差と考えたのである。
しかし、某福神氏は「13歳差」であると言う。学年度ベースではなく、西暦ベースで引き算したのだ。そうすれば西暦1985年生まれ−西暦1972年生まれ=13歳差となる。
この考え方の違いが生まれた一因に、私に弟がいることが挙げられるだろう。弟は1973年11月生まれで、1972年生まれの私と西暦では1年違いだが、学年は2つ下となる。たとえば私が中学三年生のときに弟は中学一年生。そのようにつねに「2つ差」と言われてきたから、学年度換算で歳の差を考えるクセがついていたのだ。また、おそらく日本には私と同じように学年度換算してしまう人の方が多いだろう。
さてこのときは「変わった年齢差の数え方をする高校生だなあ」と感じただけで、いったんこの疑問は忘却される。
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しかし偶然とはあるもので、そんなことがあって数週間のうちに故ナンシー関氏が「学年概念」という呼び名で前述の学年度ベースの数え方を著書の中で取り上げているのを目にしたのである。彼女は「1月1日から4月1日に生まれた者を早生まれとし、前年の4月2日から12月31日に生まれた者を同時に就学させ、などというのはたかが文部省が都合よく決めた約束事にすぎない。 何が都合がよいのかもわからん。」と斬るものの、自分は松田聖子と生年は同じでも学年が違う(から正確には同い年じゃない)と「学年概念」にすがって松田聖子と同い年であるという重責から逃れているという。
これは日本人として非常によく分かる感覚であろう。私の場合はSMAPの木村くんと生年は同じだが学年が違う。 このため感覚的に同い年でないのを常々残念に思っている。しかし木村くんと同生年同学年の中居くんに対しては、むしろ学年が違ってよかったとそこはかとない安堵を感じている。どうでもよいことだが。
さて、ナンシー氏の「学年概念」の文章でもっとも虚を突かれてショックだったのは、次の文面だ。「『私、早生まれだから、マライヤ・キャリーと学年は一緒』なんて、真面目に言ってるマヌケもいる始末」。 ・・・私である。 さりげなく国際派を装っている割に、この「学年概念」が日本でしか通用しないことを今まで意識したことがなかったのだ。 蟹は甲羅に似せて穴を掘る、状態である。
反省として、ここにいくつかの国の学年度を列挙したい。
韓国は3月スタート。中国は9月だが台湾は8月。アメリカは9月始まりと思われているが、実は制度上は7月始まりで最初の2ヶ月が休みらしい。ロシアは9月。英仏も9月だがドイツはなぜか8月。オーストラリアは1月からとのこと。
はちゃめちゃである。 各国がそれぞれの国の事情で決めた結果らしい。
ちなみに日本においては、正式に4月スタートを法制化したのは1900年からだそうである。 ただし随時入学可能だった江戸時代の寺子屋時代から、子供の寺子屋入学は一家のめでたい日とされていたことから気候がよい春先を選ぶ親が多かったらしく、法制化が慣習の後を追った向きもあるようだ。
つまり4月基準などというのは世界的に通用しないどころか、国内でも確たる根拠があるものでもないのである。
無邪気に4月スタートの学年度基準で物をとらえてしまうことは、ちょっと恥ずかしいということが判明した。エセ国際派としては某福神氏に従い西暦が変わる1月1日基準で年齢差を勘定すべきであろう。 老いては子に従え。
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と、ここで「待った」がかかるのは言うまでもない。
そもそも現在我々が使っている「西暦」は、B.C.(Before Christ)、A.D.(Anno Domini:ラテン語で神の年)の符号から明らかなように、キリスト教の暦である。 4月1日基準を採用して明治政府に義理だてる筋合いはないが、西暦の1月1日派のキリスト教にはさらに恩義がない。
加えてエセ国際派としても、宗教がからむだけに学年度の問題よりさらに性質が悪そうな気がしてきた。 世界には他の日を正月として祝う非キリスト教国も多いはずだ。
しかもよく考えれば、キリストの誕生日は12月25日ではないか。 じゃあ1月1日ってのはなんなのだ? 西暦元年の1月1日には何が起こったのだ。 誰か(ジャイアン的な人)が「今日が1年1月1日にするからなあ!いいな!?のび太?」とでも言ったのだろうか。
ということで年齢差を計算するにあたり、こんどは西暦の起源を調べることとなった。
まず、キリストの生没年から調べてみる。 手元の辞書に拠れば「B.C.4年〜A.D.30年」。・・・明らかにおかしい。 キリストのくせに紀元前生まれ、Before Christ生まれである。 そして西暦元年1月1日のキリストは満4歳と非常に中途半端な年齢となる。 七五三ですらない。 いったい西暦元年とはなんなのだ?
と調べてみると、どうやらこういうことらしい。
現在の西暦(正式にはグレゴリオ暦と呼ぶらしい)をA.D.525年に提唱した神学者ディオニシウス・エクシグスは
「キリストが死んだのはA.D.30年と記録されている(当時にA.D.という概念は当然ないが、便宜的にこう書く)」+「キリストは30歳のときに死んだということになっている」との根拠で西暦元年を決定した。 しかし後世の文献研究により、キリストが死んだのは30歳ではなく34歳だったということが明らかになり、結果4年ずれてしまった。 マヌケな話である。
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なんとなく疑問が解けた気になったが、よく考えると肝心の疑問が解けていない。
西暦元年の由来はいいとして、問題は1月1日はどういう根拠で決まっているか?である。 調べてみるとこれがまたややこしい。
まず1月の由来から。月の呼び名が始まるのはB.C.753年の古代ローマ建国時で、このときは現在のMarchからDecemberまでの10ヵ月しかなかったらしい。そして一年の初めは春分に近い新月の日とされていた。 つまり今でいう3月21日付近=正月であり、そこから月の満ち欠けに合わせてMarch, April, May・・・と数えていく。
ちなみに太陰暦で一ヶ月=約30日だからこれではどう考えても一年300日にしかならず計算が合わない。 残りの60日あまりはどうしていたかというと、たんに日付がなかったそうである。これまたはちゃめちゃである。
さすがに60日分も日付がないのはまずいと思ったのか、B.C.710年に現在のJanuaryとFebruaryが年末に加えられ一年=12ヶ月となった。 つまりこの頃の一年はMarchから始まってFebruaryで終わる。
そしてその後「Januaryの神ヤヌスは偉いから」という理由で(これまたはちゃめちゃな理由であるが)ローマ政府によってJanuaryが一年の初めとされ、B.C.46年に太陰暦から太陽暦に移行した際にこれが追認された。
というわけで、これがJanuaryが一年の初めの月になった経緯である。
一月の謎はすっきり解けたので、こんどは一月一日元日の起源について調べてみた。
もともとMarchの始まり≒春分であるから、Januaryの始まり≒春分の2ヶ月前(現在の1月23日)付近になってもおかしくないのに、どうして今の位置に元日を置いたのであろうか?
実はこれも前出のデュオニソスのせいであるらしい。 デュオニソスの時代、キリストの誕生日は冬至の3日後とA.D.325年のニケア会議に於いて定められていた。 余談だがこれは西暦元年頃最大派閥であったミトラ教の復活祭=キリストの誕生日としていた通例に沿ったものらしい。
そしてデュオニソスはそれに従い、キリストの誕生日を一月一日とし・・・なかった。 なんとその8日後を1月1日元日と定めたのだ。 8日後とは何かというと、ユダヤ教で生後8日目に赤ん坊に割礼の儀式を施す日であるという。
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長々と書いてしまったが、つまるところ、元日とは「キリストが割礼を受けた日」である。 現在の元日は「割礼年初」と呼ばれるそうだ。
しかし、よりにもよって割礼。 うーん割礼。 そりゃクリスマスやイースターに主役を奪われるね、という感じである。 キリスト教に関係ない日本に於いても、割礼かと思うと羽根つきも凧あげもなんとなく気が重いだろう。
メリー割礼!もちょっと。
せめてキリストが初めてあんよした日、とか初めて「ママ」と言った日とかだったらかわいいのに。
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さて年齢差の話に戻る。
ここまで書いてきたとおり、学年度基準、西暦基準ともに採用の根拠がないことが判明した。
ということで、疑わしきは罰せずの心により私と某福神氏との年齢差は無いということとしたい。 同様に某相方、某弟などとも年齢差は無い。 ちょっと得した気分である。
しかし、それではいざというときに困るので、上述のように複雑な歴史を紐解かなくてよいシンプルな数え方をここに提案したい。 その方法とは、ひとことで言えば四捨五入である。 たとえで以って説明すると、1985年10月生まれの某福神氏と、1972年2月生まれの私との生年月日の差は、13年と8ヶ月である。 よって四捨五入により14歳差であると言える。 これなら地球の公転周期と四捨五入という2つの万国共通で客観的な概念により年齢差を算定することが出来る。
さらには宇宙人に歳の差を尋ねられたときでも「地球が13と12分の8回公転するだけの期間の差なので、約14歳差である」とすっきり答えることができる。 なまじ学年度や西暦を持ち出して答えれば、地球の文化についてつっこんだ質問をやぶへび的に誘起してしまう可能性があり、これはなんとしても避けたいところであるし。 ただし、宇宙人に説明する際は相手が十進法を使用しているかについて事前に確認する必要があることに留意されたい。
うまく落ちないけど終わり。