ウソのレベル

2001年8月2日執筆


ごくごく一般的な話として、ある物語で、主人公が高さ10mの崖から落ちたとしましょう。主人公はどうなるでしょう?未来少年コナンの世界だったら、、、一回転でもして着地するか、地面に人型の穴があくかでしょね(^^。カリオストロの城でも、おそらく怪我はないでしょう。ところが、となりのトトロの世界でやったら、サツキorメイは大怪我です。打ち所悪かったらかなり危ないです。耳をすませば でも同じですね。

これが、それぞれの物語の世界が持つ「ウソのレベル」。現実への近さ、と言ったら(ちょっと意味変わるけど)分かりやすいかもしれません。

物語はウソの世界だけど、そのウソを徹底的に作り上げて観客をだます、これが物語作りの手法です。そのためには「ウソのレベル」を作品中で変えるのは御法度です。これを侵すとなんでもありになっちゃうからです。上の例だと、となりのトトロの中で「メイが10mの崖から落ちた!」といったら大事件です。ところがこの時、メイが一回転して平気で着地する描写があったら・・・そこから先、観客は次に事件が起こったとき心配していいのか平気で観てていいのか分からなくなっちゃいます。迷子になったメイちゃん靴らしきものが池に浮いてても、「まあ崖からおっこっても大丈夫なんだから・・・」ってみんな思いますよね。

前置きがめっちゃ長くなっちゃいましたけど、千と千尋の神隠しの不思議の町で、この「ウソのレベル」って一体どうなってるんでしょうね。私はかなり混乱させられました。

一番端的なのは、一番初めに釜爺のボイラー室を訪ねるシーン。ボイラー室まで降りる階段を千尋は一段一段這うように降りていきます。これで、観客は無意識に、「この世界で千尋が階段を踏み外して下に落ちたら死ぬんだろうな」っていう認識を植え付けられます。まわりはおとぎばなしの世界でも、千尋自体は人間のままの感覚を持ってるんだと。ところが、ご存知の通り、この後は階段を転がり降りた挙句、踊り場の石壁に激突するシーン。もし千尋が現実に近い身体能力&身体感覚を持っているなら、あそこは途中で足がもつれて後は転がり落ちるか、もしうまく走り抜けられたとしても石壁激突で腕か歯を折るか、かなり痛い目に遭うはずです。ところが何もなかったようにボイラー室に入っていく。。。この世界での千尋の身体感覚って一体??でもボイラー室の中での千尋は、石炭は重そうだし、ボイラーは熱そうだし。

この辺を曖昧にしたままシーンが展開していくと、千尋の行動一つ一つについて、物理的に失敗したら大怪我なのか、笑って済むのか?千尋の精神的にも、大怪我を覚悟しての行動なのか、軽い気持ちなのか?とてもぼんやりとしかつかめなくなってくるんです。この辺が「千と千尋の世界に入り込めなかった」という感想を持つ人が多い一つの理由かな・・・って気がしてる次第です。

なんだか長くなってしまった(^^;;尻切れとんぼになっちゃったので、また何か書くかもしれません。


【2002年10月6日追記分(抜粋)】

「ウソのレベル」という言葉の出典について、長らく出典不明だったんですが、今日、資料を漁ってるうちに出てきました。

「黒澤明、宮崎駿、北野武 ‐日本の三人の演出家‐」(CUT特別編集 ロッキングオン刊)1989年11月の宮崎駿監督のインタビューの中で登場する言葉でした。このツリーでの「ウソのレベル」という言葉の使い方はほぼ間違ってなかったので、一安心。(^^;オリジナルは「嘘のレベル」と漢字でしたが(^^;;興味のある方、まだ絶版にはなってないようですので、立ち読みどうぞ。


■ 共感者が多いだろうと思ったら、意外に反論ばっかり来た投稿。 投稿直後一週間、仕事で出張に出ており、帰ってきたら意外なことにたくさん反論レスがついていたのだ。 しかし、それらはフォーラム一のキレものがすべて代わりにSWEEPしてくれており、非常に楽をさせてもらった。
その後、私自身は反論への反論に手こずったため某高校生より「まわりくどい」と評されていたことはまだ根に持っている。ずっと出張に行っておくべきだった。
【2002年7月13日】