2001年12月2日執筆
【パンフレット中の監督の関連発言】
インタビュアー:千尋はあの異世界でのことを覚えていないということでしょうか?
監督:自分がやってきたことをきちんと全部覚えてる人はいないでしょう。 でも銭婆が「一度あったことは忘れないものさ」と言うとおり、人間の記憶というものは、思い出せないだけでどこかに残っていると思うんです。千尋もどこかにあの世界の記憶を残しているはずです。 僕はこの映画を作っていて、小学校3年の遠足で浄水場に行った時のことを思い出しました。大きな地下の水槽を見て、しばらくその絵ばかり描いていました。 人間一人一人の体験とか記憶は、DNAの記憶なども含めて、得体のしれないところで繋がってるんだと思います。
果たして千尋は油屋での出来事を覚えているのか、いないのか? 作り手側の設定は?という点について、上に引用したパンフレットのインタビューから読み解いてみます。
(1)「覚えている」という言葉の定義
曰く、覚えている/いないというのは、簡単に二元的に分けられるものではなくて、「ぼんやり覚えてる」「思い出せないけど覚えてる」なんていう中途の状態もあるアナログなものであると。
また、一度経験したことを完全に忘れる(完全に覚えてない)なんてことはありえないのではないかと。
そういう話に監督は持っていってますね。
そしてそういうアナログな事柄に対して、覚えている/いないをYES/NOで答えよというのはナンセンスな質問だということで
「自分がやってきたことをきちんと全部覚えてる人はいないでしょう。」
というどちらともつかない答えが出てくる訳です。
「覚えている」という言葉の定義を問題にしているんですね。
例えばID196-5の書き込みで私が書いた「君の誕生日はちゃんと覚えている。ただし思い出せない。」なんてことを言ったら、相手からただのヘリクツとして却下されること請合いです。
この場合、一般的な言葉の使い方として「覚えている=何月何日かを思い出せる」という約束がお互いの共通認識とあるので、それに違反した「覚えてるけど思い出せない」は通用しないわけです。
言葉というのは大抵そういうもので、どんな言葉でも厳密な意味を突きつめようとすると底無し沼にはまってしまうため、普通は、ほぼ全員が共通認識を持てる一般的な意味で使うことになります。
では、前述のインタビュアーの質問の場合「覚えているのか? いないのか?」という問いの一般的な意味はどんなでしょう?
ごくごく普通に考えれば、下のような意味じゃないかと推測できます。
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例えば、千尋の家族がトンネルを抜けたら、不思議の世界ではなく、ただのテーマパークがあったとする。そして千尋はそのテーマパークで一人でしばらく遊んで、その後両親と一緒にトンネルを出て車に戻った。
その場合でも、トンネルを出た時点で千尋はテーマパークでの経験のうち、いくつかは思い出せなくなっているだろうが、(記憶喪失でない限り)テーマパークで遊んだことを千尋は「覚えている」と表現するのが一般的である。
では、このように日常的な経験をしたのと同程度の記憶を、油屋での経験について、千尋は持っている=「覚えている」のか?
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この問いに対して、宮崎監督は明確な答えを述べていないんでしょうか?
> 人間の記憶というものは、思い出せないだけでどこかに残っていると思うんです。
> 千尋もどこかにあの世界の記憶を残しているはずです。
この言葉だけで、(2)で述べた日常的・常識的な意味での「覚えている」のか?という問いかけに対しては、監督は十分「千尋は覚えてません」と明言していると言っていいんじゃないでしょうか。
一応説明してみます。
上の言葉の中で監督が「千尋"も"どこかにあの世界の・・・」と語っていることからも、
「千尋は、油屋での経験を、思い出せないだけで、記憶のどこかに残しているのだ」
という文脈であることは確かです。
ではトンネルを出た時点で「思い出せないだけで、記憶のどこかに残している」状態になってしまった千尋について、一般的な、ごく普通の意味での「覚えているか?」 を問うなら、答えは「覚えていない」でしょう。
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■ 「千尋の記憶はどうなったんだ??(
」のツリーにレスポンスとして書き込んだ内容。 偶然にも某NO.1フォーラマーがメールで某高校生に書いたという内容とよく似ていたそうで、一安心した記憶がある。 (権威崇拝) それにしても上記は丁寧に解説しているが、本音では「千と千尋のエンディング観て、『千尋は覚えてない』と理解しないのは、解釈うんぬんじゃなくて読解力に問題があるからでしょ」と偉そうにもに思っている。 パンフレットの文章を読んで、なおも分からないなんてのは絶望的読解力の持ち主であろう。 【2002年8月15日】
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