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監督:イアン・ソフトリー
主演:ケヴィン・スペイシー
久しぶりに1人で観た。
思いの他よかった。やっぱりケヴィン・スペイシーは演技がうまい。
例えばこれが、「プロートはやっぱり人間だったのだ」、とかまたは「やっぱり宇宙人だったのだ」、とかいうエンディングではなくて、「人間であるロバートが、辛い目にあったトラウマからイマジナリー・コンパニオン的存在であったプロートを呼び出してなりきってしまったのだ」、という解釈もできるような気もするし、「いやいやそれでは説明がつかない所がたくさんある、彼はやっぱりK-PAX星人で、ある人間の体を借りて地球人として存在していたので、7月26日に、彼の存在はやはり光の旅によってK-PAXへ戻り、「入れ物」であった硬直病患者が後に残されたのだ」、と考えることもできるような気もするし、その気になれば、きっと5、6の解釈が考えられるような複線の敷かれた終り方だったのが私としてはとてもよかった。ただのSFXでもなく、お説教映画でも、ヒューマンドラマでもなく。
人が治る、ということ、症状がなくなるということはどういうことなのだろうか。
私たちは、大多数と違うものを異質とみなし、病的だと考え、そう見なされた本人たちも、自分は他と違う、異質だ、病的だ、狂っているのだ、と考えるしかなくなる。
それでもその状態が何らかの意味を持っていることももちろんありうるのだ。
例えプロートがプロートでなく、ロバートであり、K-PAX星の話は彼の空想なのだとしても、そのことで、残酷極まりない事件のことを忘れることができ、平穏な顔で暮らしていけるなら、それでよかったのではないか。
もちろん現実に目を向けたほうがよいとか、もっと根本的に彼を癒す方法があるとか、そういうふうに、親切なマークは考えたのだろう。
ただ、そういう可能性を一切考えようともせずただ、「彼の話は妄想だから、治さなければならない」と、頭から決めつけようとする姿勢に腹が立ったのだ。それがいくらホスピタリティから出たものだとしても。そんな考え方は間違っているのではないかと。
K-PAX星その他、進化した惑星の住人たちは、地球人の及びもつかない生き方をしているようだ。しかし「(そんな生き方をしていて)地球人は滅ばないのが不思議なくらい」だと言われても、未分化な地球人である私からすれば、彼の言うような生態であれば、生きていても意味がないと思う。例えば、善悪の区別は誰もが自分で知っている、裁く人は必要ない、刑罰もない、生殖には不快が伴う、子どもは大勢の手で育てられ家族は持たない…。そんな一人一人の個性や価値観が意味を持たないような生き方でいる、ということが納得できない。(私が純粋な地球人だからだろう、多分…)
それでもただ一つ、心を打ったのは、「人はみな自分を癒す力を持っている。K-PAXでは常識だ」という言葉だろうか。どこかで知ってはいても、現代人はそれを忘れがちであるし、西洋の人は特にそうだかもしれない。「医者」が「患者」を治す。それが決まり。自己治癒力を信じない人たちの集まり、それがマンハッタン精神医学協会であった。そこにいる患者たちは、ただ保護され、投薬され、隔離され、ひたすら患者扱いされるだけだった。「患者を作り出す精神病院」の見本みたいなものだった。そんな環境にいたからこそ、プロートの存在、そしてその信念に基づく助言や声かけは、患者たちの心を強く打つ。彼らは自分が自分の力で治る、ということに気づいたのかもしれない。
不潔恐怖症患者は「死は自分でコントロールできるものではない」と悟り、緘黙の女性は口を開き、強迫症患者は青い鳥を見つけて図書館司書にまでなる…。
そこにはできすぎだ、と言う揶揄を控えてもよいような生命の輝きがあふれ、きっと人間には自己治癒の力があるのだ、それを信じるだけでよいのだ、という気持ちになった。
全体的に優しい映画だった。
光をあちこちにうまく取り入れている映像も美しい。
そして、ケヴィンの演技は本当にリアルだ。
最後のシーン、硬直病患者になってしまったプロートをマークが散歩させて話しかけている。
マークが声をかける前と、患者のその後についての朗報を伝えた後の、超微妙な表情の変化、
それがものすごく微妙なのに、絶対に変わったとわかる、その繊細な演技に心打たれた。