変身  著者:フランツ・カフカ


何でグレゴールが毒虫になったのか。
ならなければならなかったのか。
そしてどうして家族はそれがグレゴールであり
愛する息子であることを疑いもしなかったのか。
またどうしてグレゴールは自分が毒虫でありうることに疑問を抱かなかったのか。

最後の最後まで「???」で頭が渦巻き状態。

グレゴールが死んだ後の
両親と妹の解放感あふれるピクニックは
いったいどう捉えればよいのだろう??
妹よ、あんたはおにいちゃんのこと、心配して泣いてばかりだったんじゃないの?

解説によれば、これは資本主義社会への
抵抗の物語だそうだ。
資本主義社会であくせく働くことに
一瞬でも疑問や不安を見出し、そこに自己一致だか自己実現だかを見出そうとすれば最後、
その人は、容赦なく社会の毒虫となって
はじき出される。

なるほど。

でも私には、あまりにも普通に毒虫になり、
あまりにも静かに死んで行った、グレゴール・毒虫・ザムザ氏に対して歯噛みする思いが強かった。
淡々とセールスマンであった自分の仕事についての思いをもらし、
淡々と家族の慌てぶりを観察する。
己の危機だというのに…

社会の歯車についてゆかねばならない。
社会の動きにあわせてゆかねばならない。
それを幸せと信じねばならない。
例えば、グレゴールが家族のために購入した家。この家は一家には広すぎて、グレゴール亡き後は家族はさっさと小さくてこじんまりした家に住み替えてしまった。
グレゴールが働いていた時には、
大きくて広い家を買うことが、幸せであり
ステイタスであったであろうと思う。
現にグレゴールは自分の働きによって家族を養え、家を変えたことに満足していた。
その家が一家にとって住みやすかったかどうかは問わなかったに違いない。

どこかの時代のどこかの国によく似てるな


自分に気づけば
社会からはじき出される、というのは
何だか私にもよくわかる。
その恐怖感は、毒虫、という存在の中に
飲まれてしまっているのだろうか。
グレゴール自身は口にしないその恐怖は
想像によって読者に押し寄せられる
だって、朝起きたらでっかい毒虫になってるのだ。シンプルすぎる恐怖。

何だかうまくいえないが、
無性にインパクトだけはあった小説であった。
考えれば考えるほど、何やら背筋がざわざわしてくるような。

同時収録の「断食芸人」もこれまたインパクトのある話であったが、この感想は
またいつか
☆☆

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