仮面の告白 著者:三島由紀夫
この主人公は、傍から見れば、本当に普通の、どこにでもいるような、気難しい、ひ弱な体つきの、少しばかり頭の良い青年に見えるだろうことは疑いようもない。
その年頃の若者にありがちな女性への欲望、羞恥、衝動も同様にさずけられているように見えるだろう。本人が超人的かつ涙ぐましい努力によって、その姿を保っていることなど、他の人には誰一人見抜けないであろう。本人も、そのことを痛いほど意識している。しかし、その「本性」は彼に「人としての道を歩ませない」とさえ言わしめる。男色が悪徳とされながらも、常に小数ならぬ人々によってなされていたヨーロッパとは違い、戦時日本で、そのような性のありかたは、そうそう認められもせず、知られもしなかったであろう。それゆえ、幼少時代から始まっていた彼の強い衝動の対象が無垢な若者であったことは、根本的な彼の不幸であり、それは彼の生活史の中で、どうすることができたわけでもないのである。
時代は、戦争によって濃く彩られている。人々は明日のことで精一杯であり、若者は、20以上の自分のことを想像しえない。この主人公も、自分は当然戦死するのだと、その時を夢見てさえいる若者である。主人公の死への憧れ、血への憧憬はかなり他者とその質を異にするものがあった。自分は必ず死ぬ、という甘美な思いは常に彼にあった。彼の人生はきっと、園子と別れ、自分は決して女性に欲望することがありえないのだと悟った晩まで、「舞台」の上のできごとであり、「仮面」をかぶっているはずの人生だったのである。彼はそこに出てくる主人公であり、演出家であった。しかし、肉まで食い込んだ仮面は、けしてとれることはなかった。彼は絶望と共に、その人生を現実のものとして、(終戦によって、彼の人生は継続を余儀なくされる)受け入れ、その中で生きてゆかなければならないことに気づいてしまう。死によってその舞台からおりることはたやすくあるように思われていた彼にとって、このことは、物憂い衝撃であった。
しかし、愛とは何なのだろう。どこへ向けられたベクトルなのだろう。「肉欲の伴わない愛はない」。それも事実である。しかし、主人公の園子への気持ちは何なのだろう。自分でもわからない。わかるのは彼女に欲望することは決してない、という冷たい事実だけ…。それでも園子への清冽な想い、聖なるものへの憧れのような気持ちは、愛ではないのだろうか?しかし園子の良人への嫉妬はない。それでは嫉妬とは何か?自分の得ることのできないものを得ているものへの憎しみではないだろうか。彼は、園子の肉体への関心はつゆほどもなく、それによって良人への嫉妬も生じないのではないだろうか?しかし園子が良人を愛しているとはっきり言っていることによる痛みも感じないのはどういうことなのか?
主人公は、ひたすら自分の内界奥深く住む怪物と闘い続ける。その様子はばかばかしいほど痛々しい。女を愛することができない、という明白な事実だけに苦しむのではなく、園子という存在によって、未知のものである「愛情」とでも言えそうな気持ちが主人公に生まれること、それによる「生木を裂かれるような」葛藤が、より一層この物語を濃く、重く、深くしているように思う。また、戦争の中に生きる、という時代背景が、彼らの無頓着さ、またはその反対の視野の狭い真剣さのようなものを一層浮かび上がらせてもいる。