シッピング・ニュース

監督:ラッセ・ハルストレム
主演:ケヴィン・スペイシー
   ジュリアン・ムーア

<勝手な心理分析編>

この映画に出てくる人たちはみんな何らかの理由で傷ついている。
そして、ニュー・ファンドランド島という厳しい土地の持つ力を受けながら少しずつ少しずつ癒されてゆく。なかなか溶けない、この島の雪のように、ゆっくりと。

 クオイルは、なぜ、ぺタルにあんなにほれてしまっていたのだろう。男好きで、次々と男を渡り歩き、結婚し、子どもができてもまったく家を顧みない。もちろん子どもも夫も愛していない。そんな「悪妻」なのに、クオイルは「愛している」と、まるで虐待されている子どもが母親をなお慕うように、愛している。自主性がないかのように思えてしょうがない。彼は子どもの頃から感情を抑えて生きてきたらしい。父親との確執があったからだと最初に少し出ていたが、そのことについてはことさら詳しくは描かれていない。しかし、そうやって「何も感じていない」と信じ込ませて無理やり生きてきたクオイルにとって、ぺタルのような奔放(すぎるよなぁ
)な女性は、ある種の衝撃、そしてユングにならえば、彼の中の原始的なレベルのアニマ像を一気に掻きたてるような女性だったのだと思う。クオイルはそこで、感情の嵐の中に放り出された。そこで一気に愛してしまったのはよいが、それからあっというまにぺタルの興味はどこかの男に移ってしまう。しかし、クオイルは自分の感情をどうしてよいのかわからなかったのではないだろうか。きっと、そのわけのわからない自分を何とかしてくれるのはぺタルだと信じるしか、生きていけなかったのかもしれない。彼は、妻とも母とも機能しないぺタルに対して一切悪感情をもったりしない。それは、許しとか、寛容さとかではなく、否定的感情の否認、拒否であると思う。ぺタルがきっと戻ってきてくれると、本当は自分を愛していると、どこかで信じていないとどうしてよいかわからなかったのではないか。彼は、これまでの人生で、否定的感情も自分に許した事はなかったのだから。

 ぺタルが死んだことは、クオイルの中に非常に激しいショックを与えた。見捨てられた気持ちがあったと思う。愛を返してくれる、という幻想さえもう抱く事ができなくなったのだから。そして彼女が車で河に落ちて死んだ、という出来事が、彼の圧倒的なトラウマになる。
 叔母のアグネスに薦められて、彼女と、娘のバニーとともに祖先が住んでいた島に移ったクオルグは、そこで、少しずつ少しずつ自分というものを得てゆく。ウィヴィとの出会いだ。ぺタルが、生物学的な段階のアニマ像であるとすれば、ウィヴィはロマンチックな段階、それからやや霊的な段階のアニマ像であるかもしれない。彼女には、まったく肉体的なアピールはないし、そういう描写もない。ぺタルと服装も対照的だ。寒い冬のなかであり、まったく体の線の出ない、分厚いコートや暖かそうなセーターで登場するからでもある。そして少し障害をもった息子(この子がまたウィヴィの霊的な、マリア像とでもいうようなイメージを引き立てている・・・というか作り出しているように見える)を女手ひとつで育てている。ここに「母」のイメージはあっても、「女」のイメージは少ない。そんなウィヴィとクオイルは、少しずつ少しずつ気持ちを触れ合わせてゆく。今回は、体が結ばれるのはかなり後である。ウィヴィに認められ、尊敬され、頼られることで、クオイルは1人の男性として成長していったのだと思う。
 そして、クオイルの変化に重要な影響を及ぼしているのは、娘のバニーだ。そしてまた、この物語は、バニーの傷の癒える過程でもある。この2人の変化は、微妙に重なりながら、並行して進んでゆく。バニーの母、ぺタルは、虐待するというわけではなくとも、まったく娘に気持ちが行かない母親だった。バニーは母を慕い、母のネックレスや指輪を美しいと思っていた。母によって売られたことも知らず、母親を慕う。母が死に、父に「天使と眠っている」と告げられてバニーは、それを信じる。しかし、バニーは、心の底で、母親がいなくなったのは、自分が退屈な子だからだと信じていたのである。それは、ぺタルが家を出る時、「お父さんは退屈だから」一緒に行かない、とバニーに告げたからである。退屈なお父さんはお母さんに捨てられた。お母さんが「眠ってしまった」のは、自分が退屈だからではないだろうか
という図式が、彼女の中で渦巻き、深い不安に陥っていたのだから。溺死したと思われていたジャックが息を吹き返した時、バニーは父にどうして母親を目覚めさせてあげなかったのかとなじる。そうすれば、自分はこんなに不安になることはなかっただろうに、という思い。本当は死んだんだ、とクオイルが誠実に告げ、クオイルが真実を語ってくれていると感じたバニーは、「それって私のせい?私が退屈だから?」と涙ながらに尋ねる。(観ているこっちが涙もの〜)あぁ、子どもの思考回路というのは、かくも単純で、純粋かつ自己中心的なのだ。
 岬にワイヤーで固定された家の破壊は、クオイルたちにとって、過去の破壊であり、明るい未来への第一歩だったのだろう。「大嵐、家を奪う。あとには絶景が」というクオイルの心の中の記事の見出しが、ものすごく心を打つし、少しずつ明るくなってゆくであろう未来を連想させる。

 最後のシーンは、島の夏だ。(とはいえ、少し緑がかっているくらいのものだが)クオイル、アグニス、ウィヴィ、バニーたちの少し悲しみの鎖から解き放たれたような表情が素敵だと思った。その表情が完璧に明るい表情ではなく、まだ傷を引きずっている複雑な明るさであることがまた美しいと思った。みんな、演技がうますぎる。


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