ストレンジデイズ  著者:村上 龍


 読んでいてどんどん引きずり込まれるのを感じた。
5章か6章くらいまでは、趣旨の読めないストーリーで、キマジメな中年が人生に疲れて、世の中を斜に構えて眺める話か?みたいに思っていた。

 途中からはジュンコの圧倒的な、存在感、観察力、ストイックさ、直感
そういうものに圧倒され、飲み込まれ、流され、必死で物語の意味を探っていた。
村上龍の主人公にしては反町公三はかなりまともな(世間的に)考え方をするし、言っていることもわかりやすい。私のような平凡な人間から見ても、陳腐な人生の書みたいだー、ゴタク並べるなよー…みたいなつまらなさを感じそうになる所もあった。しかし、そうはならなかった。
それは、そこにあまりにも共感できたからかもしれない。
でもそれだけではない。
その反町と対比するかのように存在するジュンコに圧倒されたのである。
反町はジュンコをそういう存在にするための「普通の」人間として登場していたのかもしれない。
こちらが恐れを抱きたくなるほど、あいまいなことを許さない、感じたことを感じたままに吸収するジュンコ。
単純だけどでもそれが難しいのだ。
そんなジュンコの存在があったからこそ陳腐を陳腐とは感じられなかったのであろう。
もしかしたら、私は反町を見て、自分の凡人さ加減を慰めることができていたのかもしれない。
ジュンコの紡ぎ出す言葉の中には、本当に自分を落ち込ませるものがいくつかあり、私は一生自分はうだつのあがらない人生を歩むのではないかと思ってしまった。
現代社会の病理というが、私の病理を切り開いた物語だったかもしれない。

 私も、自分の中の「サナダムシ」をもっと大切にしなければならないのかもしれない。
「サナダムシ」はいない、と思っていることがそもそものまちがいなのかもしれない。
でもそれを認めることは、きっと怖いことの始まりなのかもしれない。
その存在を知らなくてよければ、陳腐かもしれないが、普通に生きていけるのに。

 この本を読んで数日後、すごく気持ちの悪い虫が出てくる夢を見た。
私の中にもいたんだと思った
。それを意識化することの恐ろしさ。
その虫の存在は、私の中にいることは確かだが、それを見つめることはとうていできない。
しなくてもいいならしない道を選ぶと思った。
ジュンコはそういう存在を否応なしに見させられている女の子だ。
そんな彼女だからこそあれだけの力を持っているのだと確信する。
世の「おかしい」と思われている人々逆に「天才だ」といわれている人々の孤独と辛さを感じる。


戻る