量子力学とメタ理論
〜日常生活におけるツッコミの果たす役割及びその有効性と利用法〜





 ツッコミとは何ぞや。
 そう問われた時、私はこう答えるだろう。
 それは笑いの基本であり極地である、と。
 世の中には勘違いしている面々もいる。
 すなわち、「ツッコミなんて誰にでもできる」「ツッコミなどボケの付属品だ」などの見解を持つ愚鈍なる者どもである。
 そう、愚鈍である。
 愚鈍極まりない。
 確かに、「ツッコミを入れる」という行為自体は誰にでもできよう。
 それこそ、日本に越してきて2日目の外国人にでもできる行為である。
 しかしながら、真の意味で「ツッコミになる」ということは、ある意味カリンの塔を制覇するよりも難しい行為である。
 まず愚鈍なる者どもの最初の勘違いは、ツッコミが「単にボケを止める行為である」と思っていることである。
 ある側面で、確かにそれは間違いではない。
 しかしながら、ツッコミの本質とはむしろ「ボケを促進する」ことである。
 笑いにおいて、ツッコミの果たす役割は果てしなく大きい。
 ツッコミのない笑いなど存在しないと言っても過言ではない。
 それは例えば、調味料のようなものである。
 確かに素材さえよければ、焼くだけでも大層美味かろう。
 しかしながら、調味料を加えることによってその素材の味は何倍、何十倍にも増すのだ。
 ここで、ツッコミの果たす役割をいくつか紹介しよう。
 
@ボケを完結させる
 これが、まず一般の愚鈍なる者共にも理解されている役割であろう。
 単発のボケだけでは歯切れが悪い場合に主に果たすのがこの役割である。
 というか、基本的に全てのツッコミはこの役割を持っている。
 いわゆる「一発ギャグ」と呼ばれるようなもの以外のボケは、ほぼ例外なくツッコミを必要とするからである
 ツッコミを受けることで、初めて1つのギャグとして成り立つのだ。
 かのセクシーコマンドー外伝でさえも、フーミンというツッコミ無しで成り立つギャグは多くないのだ。
 嘘だと思うのなら、手近なギャグマンガをご覧なさい。
 例外なくツッコミ役が存在するはずである。
 そして、ツッコミのないそのマンガを想像してみなさい。
 それは、とんでもなく面白くないものにたちまち変化するだろう。

Aボケに意味を持たせる
 ツッコミがなければ、単に流されてしまうようなボケも存在する。
 それはつまり、読者(あるいは観客・他)もツッコミが無ければ気付かなかったということである。
 本来なら気付かなかった事象だからこそ、さらに笑いを誘うのである。
 これはそれなりに高度な技術ではあるが、これを使いこなせないものは素人としても芸人(あるいは作家)失格だ。
 『ハレグゥ』などは、このタイプが多いのではないだろうか。
 また、日常生活においてはこのツッコミの需要も多い(逆に、漫才などではほとんど見られない)
 どんな細かいツッコミ処も見逃さない。それがツッコミストとしての最低条件であろう。
 もっとも、この技術はもちろんボケにも必要とされることであるが(どんな小さなこともネタにするのである)
 日常生活においてのボケは、ほぼ全てがこの場合であるからである。
 例を挙げてみよう(実話である)
 小山慎司という少年が、水を啜っていた。
 自らの水筒のコップで、水を啜っていた。
 白く平たいコップで、水を啜っていた。
 生理的嫌悪感が生じるとかの問題を除けば、それはごく自然な風景である。
 「なんか、犬の水入れみたいやな」
 その一言が、自然な風景を笑いへと転じさせたのである。
 ここに書いてみるとさして面白いことのようにも感じないが、異様なテンションも手伝って、ナマさんなどは半日ほどこのネタで笑っていた(ボケとしては、場の雰囲気を読んでボケることも重要な技術である)
 ツッコミの例が思いつかないので、ボケで代用させていただいたことをお許しいただきたい。

Bツッコミ自体がボケとなっている
 これが最高度の技術である。
 私はこれが最高のツッコミだと思う(もちろん、その場その場で最高の定義は変わるわけだが)
 柴田亜美氏(代表作『南国少年パプワくん』の諸作品は、見事にこのツッコミを使いこなしている。
 このツッコミ用いた場合、ボケが大して面白くなくてもかなり笑いを誘うことができる。
 私がツッコミストと認める者は、少なからずこの技術を持っている者である。

 とりあえず3つ挙げてみたが、ツッコミの果たす役割とはこんなものではない。
 ツッコミを入れる時には、細心の注意を払わねばならない。
 特に光系の者に多いのが、「ボケを殺す」ツッコミをする者である。
 ボケとしては、そのツッコミをされるとどうしようもないのである。
 「あ、うん。そうやね」と言うしかなくなってしまうのである。
 ツッコミの役割とは、「ボケを生かす」ことなのである。
 そうでなければ、ツッコミの存在する意味すら、ひいては笑いの存在する意味すらない。
 「そんなわけあるかい!」「なんでやねん!」とは、非常にポピュラーなものであろう。
 しかしこれらのツッコミは、ボケを殺す代表例でもあるのだ。
 使用の際は、十分に気をつけてほしいものである。

 総じて良いツッコミとは、より細かいツッコミのことである。
 先に挙げた「なんでやねん!」などは、最も簡単なツッコミだ。
 ゆえに、それが最良である場面はほぼ皆無であると言っていい。
 より細かくツッコムことで、読者(あるいは観客・他)に、何がボケなのか、ということをわかりやすくする効果もある。
 また、細かくツッコミを入れられた方が、次のボケに繋げやすくもある。
 「なんでやねん」と全てを否定されてしまっては、次もクソもなくなってしまうのだ。

 ここまで来て言うのもアレだが(というか言うまでもないが)、私はボケである。
 ツッコミなど、社交辞令以外ではほぼ使用しない。
 逆に言えば、私がツッコミを入れるということは、それはあなたが社交辞令を使う程度のあからさまな他人であるか、さもなくばツッコミを入れなければ仕方ない程の素晴らしいボケだった、ということである。
 まぁとにかく私はボケなので、ツッコミの例は上手く浮かばないのである。
 それゆえにわかりづらい文章になったことを詫びよう。
 そして最後に私は、声高にして言いたい。
 ツッコミとは、選ばれた者のみが実行し得る最高難度の笑いの技術である。
 それはそれ自体が笑いであり、またボケの効果を何倍にも引き上げる調味料でもある。
 ツッコミを軽んじる者は、笑いを理解しない愚鈍で矮小な者である。
 ツッコミとは笑いであり、笑いとはすなわちツッコミなのだ。