高校騒動記


 一年生編

//Girl meets Boy 〜そして僕は恋に落ちた〜//



 一目惚れなんて言葉、今まで信じていなかった。
 だってさ、それってつまり、外見に惚れたってことだろ?
 俺はそんなの信じない。
 男であれ、女であれ、やっぱり一番大事なのは心だろ。
 そりゃ見た目はイイにこしたことはないけれど、でもやっぱり心に触れて、それから好きになりたい。

 …そう思っていたんだ。

 だけど、そんな考えは一瞬であっけなく破壊された。


 黒い頭の群れの中、陽光を反射してきらきらと輝くその髪を見た瞬間。
 透き通った、真夏の空の色のような青の瞳を見た瞬間。

 眼を奪われた、なんてもんじゃない。
 そのときの衝撃はどう考えても。

 ――恋に落ちた瞬間 そうとしか考えられないような衝撃だったんだ。



 山里だからだろうか、このあたりの桜の開花は遅く、四月に入ってから蕾がほころび始める。そしてちょうど入学式の頃に満開を迎える。
 俺の頭上の桜も今がちょうど見ごろ、満開だ。
 目の前には、同じように真新しい制服に身を包んだ、俺と同じ年頃の生徒の波が広がっている。体育館、つまり式場へ向かうまでの空白の時間。引率の先生の姿は見えない。
 浮ついた、落ち着かない空気が流れる中、落ち着かないのは俺だけではなく、当然回りのやつらも不安と期待が半分半分といったような表情で周囲を見渡している。
 なんとなく同じ中学出身のメンバーで固まっているのは、どいつも同じようだ。見ればそこここで小さな集団が形成されつつある。俺の周囲にも、顔見知りのメンバーがいつのまにか集まっていた。
「おい、渡会」
 隣の男が袖を引いた。少し大きめの制服はところどころぶわついている。俺はでかくなる、という母親の期待がものの見事に表れているサイズ。
「んだよ」
 振り返ると、そいつはなにやら興奮した表情で指をさしていた。
 …マナーの悪いやつだな。
 そんなことを考えながら、指の先を追う。
「見ろよ、あれ」
 言われるまでもなく、眼に飛び込んできたのは金色の髪。まばゆいほどの、黄金。
 人の頭の間から見え隠れするそれだけでは性別までは判別できない。
 ――驚いた。
 だってこれ、入学式だぜ?
 いきなりキンパツなんて、ずいぶん気合入ってんなあ。
 誰か知らんけど、目立ちまくり。
 まあ、あんまりお近づきにはなりたくないタイプだな。
 そんなことを考えていると、いつのまにか先生が来ていたらしい。マイク越しに指示が飛ばされ、クラス別に整列させられる。
 俺は一組だ。
 だべっていたやつらと別れ、一番端に移動する。
 すれ違う制服、同じ方向に動く制服。
 人を避けながらとろとろ歩いていたら、ふわ、とすぐ横で明るい色が動いた。
 ――金色。
 そう認識した瞬間、思わず傍らを振り返ってしまった。
 そこにいたのは、女子だった。
 肩にかかるぎりぎりの高さでそろえられた金髪が揺れていた。さらさらしていて、触ると気持ちよさそうな、そんなきれいな髪。
 …女だったんか。
 驚いて、知らず眺めてしまっていたらしい。
 背の高い女だと思った。そして、細い。すとんとしてる。鉛筆みたいだ。
 身長は俺と同じ…いや、俺より、でかい?
 俺が今165ちょいだから、170近いんじゃないか、こいつ。
 と、視線に気づいたのか、そいつがいきなりこっちを向いた。
 その眼を見た瞬間、思わず声を上げそうになった。

 瞳が、青かった。

 青い眼は俺を一瞥すると、何事もなかったかのようにす、と先に行ってしまった。こんな反応は慣れていると言わんばかりの態度だったが、俺はそんなことには気づかなかった。
 動けなかった。
 大きな二重の眼。そして、強い光を宿した青の瞳が、眼に焼きついて、はなれない。
 我に返ったときには、そいつは二組の列の、前のほうに行ってしまっていた。
 二組なのか。
 ちらり、と、胸をよぎった感情はなんなのか。
 よくわからない、淋しさにも似たざわめきを胸に抱えて、一組の列の最後尾に並んだ。


 式の間中ずっと見え隠れする金髪を眺めていた。彼女は二組の前から…七番目に座っていて、おかげで名簿を数える手間も省けた。真ん中あたりに座られたら、数える努力も放棄していただろうから。
 PTA会長のおばさんの話を聞きながら、こっそりと、最初に配られた名簿を取り出し、広げる。一組から五組まで、一年生全員の名簿が乗っているやつだ。
 二組の名簿七番の名前を見る。
 ……いきなり、読めなかった。
 【青海詩織】
 なんて読むんだ、これ。
 名前の方は、いいとしても……あおうみ?
 いやでも、前の名前が【江口】で、次が【小川】ってことは…【お】か? 【え】ってことはないだろうし。
 わっかんね。
 もっとわかりやすい名前にしてくれよ、どうせなら。
 かなりがっかりしながら紙をしまった。金の髪は相変わらず真っ直ぐ座って真っ直ぐ話を聞いてる。
 なんとかさんが前のほうでよかった。俺の席が一番後ろでよかった。
 おかげで遠慮なく眺めることができる。
 少し眺めて、すぐに気づいた。
 なんとかさんは、姿勢がいい。ピンと背筋を伸ばして、長い校長の話も、要領をえないPTAのおばさんの話も、微動だにせずに聞いている。…まあ、姿勢に関しては、剣道部でならした俺も捨てたもんじゃないけどさ。
 多分、あの青の瞳は、壇上に向いてるんだろう。
 そう思うと、また、胸のあたりがかすかに痛んだ。



 俺が一組で。そして彼女が二組でよかったと思ったまず第一は、一組と二組は体育の時間が同じってことだ。もちろん男女はばらばらだけど、姿を間近に見る機会は増えるってことで。
 体育が一二組合同だって知ったとき、まず真っ先に頭に浮かんだのはそのことだったんだから、どうしようもない。
 青い海とかいて【おうみ】と読むってことは、真っ先にチェックした。もっとも同じ疑問を持った奴が何人もいて、そいつらから自然に情報が回ってきたってだけなんだけれど。
 さすがに、金髪碧眼の彼女はかなり注目の的になっていた。眼を奪われたのは俺だけではないということに、なぜかむかついたけれど、その理由はよくわからない。


 気がつけば、眼が追っていた。
 ただ目立つからっていう理由だけじゃないことは、すぐに自覚した。
 ――青海が目立つ人間で、本当によかった。
 もし地味〜な女だったりしたら、眼で追ってるって時点で周りの人間にこの気持ちがばれてしまうだろうから。
 もちろん、あいつを見るのは俺だけじゃない。一年だけじゃなく、上級生たちも興味津々ってな表情で眺めてるの、俺は知ってる。
「あ、またいる」
 俺の前でメシ食ってる佐藤がポツリと呟いた。顔をあげて見やると、ジュースのストローをくわえたまま「あれあれ」と眼で示した。
 視線を追って、廊下に目をやる。
 すると、いた。
 ひときわ目立つ金髪。入学して二ヶ月経った今じゃさすがに視線も減ってきたけれど、それでも皆無にはならない環境の中、ぴんと背筋を伸ばして堂々としてる女。 …素直に、すげぇと思う。
 が、佐藤が青海を指差した理由は、青海本人にはない。
 その隣にいる、男。肩を並べて、親しげに談笑してる男。
「…五組だっけ? 確か、住吉とかいったよな、あいつ」
 小さい学校だ。名前はともかく、同年のやつの顔ぐらい覚える。目立つ人間は当然として、その周囲にいる人間も、当然のことながら名前を知られるのは早い。
 住吉もその一人。
 今日だけでなく、あの二人はよく一緒にいる。
 肩を叩いたり、腕に触れたり……些細なことかもしれないけれど、そういうスキンシップを普通にできる間柄。
 ただ仲がいいっていうよりも、もう一歩深い感じがして、正直見るのもいやになったりしてるけど。
 でも眼が離せないのは………我ながら、情けないよなぁ。
「睨むぐらいなら見なきゃいいのにねぇ」
「ほっとけよ」
 言い返すと、佐藤は「へいへい」とふざけた調子で肩をすくめた。…むかつく。
 青海と住吉はなにか談笑しながら教室の前を通り過ぎていき、見えなくなった。
 もう興味を無くしたのか、コロッケパンを頬張りながら佐藤はいきなり話題を変えた。
「そういや、剣道部、今度試合だって?」
「ん、ああ。練習試合だけどな。今度の土曜」
 相手校はここら辺ではわりと名の通ってるところだ。この話を聞いたときはなんでうちみたいな弱小校と? と思ったけれど、主将から詳しい話を聞いて納得した。
 …どうやら、これから始まる総体前の軽い前哨戦らしい。弱小校相手に白星あげて部員、特に一年に自信をつけさせる腹らしい。
 ……ふざけんなっての。あんまりなめんな。
「でも渡会、お前なんでこんなところに来たんだ? お前アタマ悪くないし、剣道だってめちゃ強いんだろ?」
「フツーだよ」
「なに言ってんだ、中学ん時全国行ったんだろ?」
「…中学じゃ剣道部の数自体そんなに多くねぇし。別にたいしたもんじゃねえよ」
「多くないって……アマレスに比べりゃマシだろうがよ」
 そうぼやいた佐藤は割と大柄で、柔道部に入ってる。本人はアマレスをやりたかったらしいけど、うちにはあいにくアマレス部はない。
 確かに、青葉以外にも選択肢はあったけど。私立からお誘いもあったけど。
 交通費とか、学費とか、そこら辺を綿密に計算してみた結果、ココが一番条件がよかったんだよな。まあ、それは親の側の理由。
 家の経済状況があまりよくないって知ってるから、俺も取り立てて反対はしなかった。青葉はわりと評判もいいし、学力も低くはない。それに、剣道部がある。
 …さっき、俺は「中学には多くはない」と言ったけれど、それは他の運動部と比べての話。陸上部や野球部とは違って、まぁ、どの中学にもあるってわけではないわな。だからうそは言ってないと思う。
 そう多くはないかもしれないけれど、強いところはとにかく強い。伝統があるし、規模が違うから。
 ――いや、そんな話はどうでもいいんだよ。
「…青海さぁ、さりげに結構眼ぇつけてるやつ多いぞ」
 佐藤がポツリと呟く。
「……知ってるよ」
 なんたって、目立つから。しかも、結構顔もいいとくる。
 これをほっとく男は少ないだろうな。俺でさえこの体たらくなんだから。
 なんてことを考えると、ため息がこぼれた。
 そんな俺を見て、佐藤は言ってくれた。
「ま、がんばれ。骨は拾ってやるから」
 ――うるせぇよ、お前。


 土曜の午後、一年の俺の仕事はまず道場をきれいに掃除することだ。先方が到着する前になんとか道場をぴかぴかに磨き上げて(神棚の埃もしっかりと払って)、準備を整えて、待つ。
 相手校の接待は一年の仕事だ。といっても一年が俺を含めて二人しかいないので、更衣室の案内やらお茶だしやらでかなり忙しい。
 そんなわけで、やることやってようやく道場に戻った俺を待っていたのは、先輩たちといつの間にか道場の入り口に集まっていたギャラリーの視線だった。
「うわ」
 思わず呟くと、主将がちらりとこっちを見て笑った。
「なにビビってんだ?」
 いやビビってはいないけど。
「たかが練習試合にギャラリーくるんだなーって。こんな小さい学校なのに」
 中学ん時には練習試合じゃギャラリーはいなかったな。本戦とかいかないと学校のやつらもこなかったし。
 そういうと、先輩たちは揃って苦笑した。
「田舎だから娯楽が少ないんだろ」
「奴ら俺たちが何対何で負けるか賭けてるんだぜ」
 先輩の視線の先を見やると、そこには数人の男子が固まってなにやらやっていた。紙のようなものを見ている。俺の視線に気づいて顔を上げて、にやりと笑って見せた。
「……負けるって確信してる顔だなあれ」
 ボソッと隣から声がした。振り向くと、同じ一年の片瀬が奴らを睨んでいる。
「まー負ける可能性大な相手だけどなー」
 のほほんと言ったのは二年の池山先輩だ。剣道着に身を包んではいるものの、ピンチヒッターとして駆りだされているこの先輩ははっきり言って素人同然。今日も今日とてくるなり片瀬をつかまえて技の復習をしていた。
 生徒数の少ないうちの学校は、当然のことながらどこのクラブも人数かつかつで、練習試合のたびに運動神経のいい奴をピンチヒッターとして引っ張ってくるなんてことはよくあることらしい。池山先輩は高2にしては小柄だけれど(だって俺とあんまり変わんない)、運動神経はかなりのもので気がつけばサッカー部やら野球部やら果ては水泳なんかにも顔を出しているみたいだ。
 ちなみに俺にもそんなお誘いがかかってたりする。ギャラがいいので落ち着いたらそっちにも手を伸ばしてみようか。
 そんなことを考えている横では池山先輩の言葉に片瀬がムッと眉間に皺を寄せていた。反論しないのはそれが事実だと知っているから。
 ぞくぞくと増えていくギャラリーを呆れた気持で眺めていると、後ろから襟を引かれた。振り向くと、主将がにやけた顔で立っている。
「さて、敵さんが来るまでに、やることやってしまおうじゃないか」
 やることと言いながら突き出されたのは大きいこぶし。そこから生えている数本のこよりをぼんやりと見る。
「……先輩、もしかして」
 主将はにやりと笑って、言った。
「お前らくじ運いい? 悪い?」

 なんというか、公平を期すために試合の時には主将以下すべてをくじで決めるのがこの部のならいなんだそうだ。

 いくらなんでもそりゃないよ。


 結局俺は次鋒になった。ちなみに池山先輩は先鋒。なんの因果か副将になんかなってしまった片瀬はくじを握りしめて激しく落ち込んでいた。
 身支度を整えた相手校のやつらが現れる。
 互いに挨拶し、神前への挨拶を済ませると稽古開始だ。いつもの基本メニューのあと互角稽古。
 相手は全員一年だ。それでも二十人近くいるってところが自分たちを顧みるとなんとも悲しくなる。助っ人入れて五人だもんよ。
 相手校がいくら名の知れた名門とはいっても、相手は同じ一年だ。しかも中学時代に何度も試合で顔を合わせたことのあるやつらばかりだったので、特に気負わず竹刀を握れた。
 小学校入学と同時に放り込まれた剣道塾。警察署のおっちゃんたちが地域の子どもたちを集めて剣道を教えてくれた。豪快に笑っているおっちゃんたちが暴力団とも渡り合う猛者だと知ったのは中学にはいってから。
 今でも時間を見つけては警察署に遊びに行っている。
 そんなわけでおっちゃんたちに叩かれまくったおかげでか、同い年のやつらにはあんまり負ける気がしない。さすがに全国大会では自分より上の人間がごろごろいることを思い知ってカルチャーショックを受けたけど。
 稽古を終えて休憩を挟むといよいよ今日の締めである練習試合だ。相手校に冷やしたやかんを私にいった時、ふと眼の端に金色のものが映ったような気がした。
 目の前の男の視線が流れる。それを追い、入り口を見やって、思わず声を漏らしてしまった。
「あ」
 金色の髪に青い瞳。
 見間違えるはずもない、青海がそこにいて、こちらを眺めていた。
「留学生?」
「いえ」
 答える声がぶっきらぼうになってしまったのは、その傍らに寄り添う男の姿に気づいたからだ。
 額を寄せ合うようにして笑う二人の姿を見たとたん、腹の中がかっと熱くなった。
 見たくない。見ていられない。
 相手のマネージャーにやかんを押し付けると、逃げるように背を向けた。それから休憩が終わり主将に呼ばれるまで、俺は入り口に背を向け続けた。

 いらいらする。
 眼をそらそうとしても目立つ金髪は試合中の選手の向こうに絶えず見えて、そちらから顔をそむけるわけにも行かずただじっと耐え続ける。
 住吉の言葉に青海が笑う。住吉の手が青海の肩に触れる。青の瞳がまっすぐ池やん先輩と相手に注がれたかと思うと、ふと揺らいで隣の男に向けられる。
 なんでその視線の先に俺がいないんだろう。
 ひときわ高い音が響いた。小田やん先生の持つ旗が上がる。
「面あり!」
 あわせて二本、勝負あり。
 池やん先輩の肩ががくりと下がった。
 けっこういい勝負してたんだけどなぁ。
 礼を終えて戻ってくる先輩の肩を主将が叩いた。
 片瀬が背中を叩いてくる。
「勝てよ」
 その声に押されるように、傍らの竹刀を手に取り、立ち上がった。
 見据えた先、相手の向こうに金の髪が見える。
 俺にはけして向けられることのない青の瞳。
 せめて試合中だけでも、俺にその視線が注がれるのなら。
 す、と腰を落とし、相手と向き合う。
 小田やんの声が響くと同時に膝を伸ばし、前へと踏み出した。

 今この瞬間だけでいいから

 俺を見て




「そんなに好きなら告ればー?」
 チャイムが鳴ると同時に窓に張り付いて校庭を見下ろす。
 体育を終えたばかりの二、三組のやつらが高跳びの用具を片付けているところだった。
 その中でひときわ目立つ金色を、ぼんやりと見つめる。
「無茶言うな」
「無茶かどうかわかんねえよ? だいたい不毛じゃんお前。いつまで“見てるだけ”やってんの?」
 佐藤はなおも言い募る。
「あいつ付き合ってるやついるし」
 季節が替わって、また春が過ぎて、気がつけば二年になっていた。窓の外に見える山は新緑で青々としている。
 何度も仲のいい二人の姿を見せ付けられて、俺を見ることのない青の瞳にいいかげん切なくなっていた。
 何度も青海に近づく機会を探したが、どれも空振りに終わった。いつもその傍らにはあの男の姿があったから、近づくこともかなわなかった。
 一年経ったけれど、いまだ言葉を交わすどころか、視線を合わせたことすらない。
「俺もいいかげん女々しいよなぁ…」
「わかってんなら諦めれば? 他にも女はいっぱいいるだろに。西岡とかさ」
 佐藤が上げたのは同じクラスの女だった。去年の秋頃から時々話すようになった。遊んでそうな外見の派手な女だけど、中身はけっこう女らしい可愛いやつだと思う。だけど恋愛感情を抱けるかどうかは別問題で。
 気のない声を出した俺を呆れたように佐藤は見下ろしてきた。
「お前自分がさりげに女に人気あるのしらねえの?」
「へー、初耳」
「うわなにその棒読みむかつくー」
 一年の夏ごろから、急に背が伸びはじめた。一年間で10センチ以上伸びたおかげで今では180センチも夢じゃない。おふくろの願いが形になったってわけだ。
 そのせいでか知らないけれど、やたらと女子から声をかけられるようになった。
 でもどれだけ女子に好かれても、見て欲しい人に振り向いてもらえないならこんな身長も意味がない。
 溜息がこぼれて、ほぼ同時に佐藤にどつかれた。いてえ。
 いつの間にか校庭には人がいなくなってしまっていた。そりゃそうだ。とろとろしてたら昼休みが終わっちまうし。
 もう一度ため息を落とすと、窓から身を引き剥がした。辛抱強く待っていてくれた佐藤に謝ると、弁当に手をかける。
「お前本当に重症だなぁ」
 という佐藤の呆れたような声に「うるせ」と返した時、ジジ、と教室のスピーカーが音をたてたかと思うと、聞き覚えのある声が流れ出してきた。
『二年一組渡会君、二年四組片瀬君、今すぐ職員室まできてください』
 小田やんの声だった。
 一度あけた弁当箱の蓋をまたもとに戻して、箸を片付ける。
「部活?」
「たぶん」
 片瀬と俺の両方呼び出しなんて、剣道部関連のことしか考えられない。
 椅子を引くと、見上げてくる佐藤に一言断って、職員室へと向かった。


「廃部!?」
 困惑した表情で落とされた言葉に、俺と片瀬は絶句した。
「なんで」
 小田やんも困ったように眉を下げている。ふしくれた手で頭をかいた。
「会議でなぁ…クラブの体制を見直すことになって、部員が5人以下のクラブは継続見送りになってしまって」
 けいぞくみおくり
 頭の中でぐるりと平仮名が輪を描き、漢字に変換されていく。片瀬が叫んだ。
「なんで!?」
 クールな片瀬が取り乱すところを見るのは初めてだ、などと頭の片隅でちらりと思う。
「なんで急にそんなことになったんだよ、こないだの部長会議では何も言われなかったのに」
 剣道部には三年がいない。ので必然的に俺と片瀬が主将副将をやっていた。
 廃部のはの字もなかったこの間の会議を思い出す。
 急すぎる。
 ひとりだけど一年も入ってくれて、これから大会に向けて調整していこうかーってな話を昨日したところじゃないかよ。
「なんで」
 俺の声に、小田やんが困ったようにため息を落とした。
「生徒会がなぁ…」
 ポツリと落ちた言葉に眉を上げた。
「生徒会?」
 このあいだ新しく発足したばかりの新生徒会。なにやら精力的に風紀強化活動とかいって校門前で頑張っているようだが正直うざいとか思っているのもまた事実で。
 冷たい感じの顔が頭をよぎった。
「生徒会がなに。なんか関係あんの?」
 小田やんは困った顔をして、ただ「力が及ばなくてすまない」と頭を下げた。


 いっぱいいっぱい考えた。
 午後の残りの授業をフルに使って考えた。
 なんでこんなことになったのか。
 なんで廃部になんかされなきゃならないのか。
 そりゃうちの部は弱小だし人数も三人しかいないしたいした実績もないしどーでもいーような部なのかもしれないけれど、それでも去年は個人戦でいいところまでいったし他のクラブに比べりゃまだましな実績を残せていると思う。今年は全国行けるかもとか思ってるし。
 こんなところで立ち止まってる場合じゃないんだ。
「渡会」
 背後から声が追ってくる。振り返らず、ずんずん廊下を突き進む。鞄を手に帰ろうとしている生徒をかき分けるようにして、一路生徒会室を目指した。
「渡会って」
 片瀬が必死になって追いすがってくるけれど、無視した。とにかく今はこれから自分がすること、いうことで頭がいっぱいだった。
「井名里にあってどうするんだ? あいつはただの生徒だろ、相手が違うよ」
「でもあいつが一枚かんでんだろ」
 井名里が言い出したことだと聞いた。
 小田やんは何もいわなかったけれど、同じように突然廃部を言い渡されたほかの部のやつらから自然と話が流れてきた。
 クラブ活動の縮小。
 勝手に決めるな、と怒鳴りたい。思いっきり怒鳴りたい。
 がんがんと足音荒く歩く。生徒会室に近づくにつれて人が少なくなっていく。
 自分には縁がないだろうと思っていた場所が見えると、一度足をとめてこぶしを握った。
「渡会、殴り込みじゃねえぞ、わかってるか」
「わかってる」
「わかってるっておい!」
 片瀬の言葉を無視してドアに手を掛け、勢い良く開いた。
「井名里!」
 生徒会室には数人の生徒がいた。その中で、見覚えのある顔が振り返る。
 メガネの奥の細い眼がちらりと俺たちを見て、そしてすぐに手もとの書類に戻された。
「なんだ剣道部」
「なんだじゃねえよなんだじゃ」
「渡会!」
 ええい片瀬うるさい!
 手近な机を思い切り叩いた。びくり、と肩を振るわせたのはたぶん一年。
「廃部ってなんだ。縮小ってどういうことだよ」
「それについては明日部長会議を開いて説明する」
「事後報告かよ!」
「渡会ーっ」
 止めるな!
 掴みかかろうとする俺とそれを抑えようとする片瀬とで短い小競り合いが起きた。その時。
 バタバタと廊下をかけてくる足音が聞こえたかと思うと、乱暴にドアが開け放たれた。
「井名里っ!!」
 高い声が耳を打つ。
 反射的に振り向いていた。
 俺を抑えていた片瀬の力がゆるむ。
 翻る金髪。ずっとずっと欲していた青の瞳が目の前にある。
 青海は乱れた金髪に取り合わず、きれいな目に険しい光を浮かべてつかつかと近づいてきた。
 俺の横を通り過ぎ、井名里の目の前までくると、おもむろに――

「いいかげんにしてよ!」

 机を、蹴った。

 片瀬の腕が完全に離れた。
「毎朝毎朝毎朝毎朝人のこと捕まえてグダグダわめいて」
 青の瞳が輝いている。強い光を映して井名里を射抜くように睨んで。
「そんなにこの髪が珍しい? 頭が黒くないからってなに?」
 細い手がひらりとひらめいて机に振り下ろされる。ダン! とその細腕からは想像できないほど大きな音がした。
「黒髪じゃなくて悪かったな! アンタなんかにあたしのパーソナリティーにまで口出しされるいわれはない!!」
 ガシャン、と再び机が大きな音を立てた。衝撃に、机の上に置かれていたプリントが床に落ちる。ひらひらと舞うそれを目で追ってしまった俺は、不意に落ちた沈黙を割くように飛んできた声に我に返った。
「詩織!」
 ――しおり
 一瞬誰のことかわからなかったが、すぐに悟った。
 開けっ放しの入り口から飛び込んできた男が、俺たちを押しのけるようにして青海の腕を掴んだ。
「馬鹿お前なにやってんだ」
「馬鹿はこいつだ!」
「お前だ馬鹿ッ」
 住吉だった。
「ただでさえ睨まれてんのに余計な騒ぎ起こすな馬鹿」
「それもこれも全部こいつのせいだろ」
「やかましい!」
 住吉が力任せに青海を引っ張った。
 暴れる青海を強引に引きずり出す。
 毒気を抜かれてそれを見送ってしまった俺たちだったが、すぐに我に返った片瀬に同じく強制退去を強いられるハメになった。

 鞄をとってくるからその間に頭を冷やせ。
 そういい捨てて片瀬が階段を駆け上がっていく。重い身体を引きずるように昇降口までいったところで見慣れた姿に足を止めた。青海が住吉に叱られている。
「だいたいお前は」「だって」と続いたところで二人がこちらに気づいた。
 まっすぐ俺に向けられた青い瞳に、状況も忘れて心臓が跳ねた。
 金色に煙る睫が瞬く。
 青海が俺を見た。俺を見てる。
 その事実に頭が真っ白になった。
 きれいな唇が弧を描く。
「…あんたさっきあそこにいたよね」
 その言葉が俺に向けられているんだと理解するのに少し時間がかかった。
「あ、ああ」
「井名里になんか用だったんじゃないの? 邪魔しちゃった?」
 青海が俺に話し掛けてる。俺を見てる。
 うおー心臓静まれー。
「なんか、急にクラブが廃部になって」
 それで抗議に。
 そう続けようとした俺の言葉は驚いたような声で遮られてしまった。
「廃部!? 剣道部が!?」
 え?
「マジで?」
 住吉の声に青海の声が重なる。
「ナニそれ! 井名里がやったの!?」
 その勢いに俺のほうが驚いた。
「あいつがかんでるみたいだから問い詰めようと思って」
「うわーなにそれ職権濫用? てか越権行為じゃん! なんでたかがイチ生徒にそこまでされなきゃなんないんだよ」
 はーらーたーつーと叫んで足を振り上げた青海をすかさず止めるのは住吉だ。
「蹴るなよ」
「マジむかつく、本気で腹たった」
 今度は手を振り上げた青海にすかさず住吉。
「殴るなよ。下駄箱にあたるな」
 持って行き場のなくなったこぶしを住吉の肩にぶつけて怒られる。が青海も負けない。
「むかつく腹立つあのキツネ」
 ねえ、と振られて思わず頷いた。
「むかつくな、かなり」
 青海のあまりの怒り様に気をそがれたけれど、俺もかなり怒ってるんだった。
「だよねぇ」
 なにやら力を込めて頷かれる。
 それからしばらく青海はぶつぶつ文句を言っていたが、やおら俺を振り向くと、覗き込んできた。
「ねえ、ちょっと手を組まない?」
「は?」
「あ?」
 住吉と俺の口から同時に間抜けな声が落ちた。
 なに?
「このまんまあいつにいいようにされたくないしさー、虐げられてるものどうし仲良くしようよ」
「虐げ…られてんのか、俺」
「虐げられてるじゃん、立派に」
 そうなのか。そうだったのか。
 なんとなくショックを受けていると、目の前にてのひらが差し出された。
「じゃ、はい」
 はい?
 たぶん怪訝な顔をしてたんだろう。俺を見て、青海は笑った。
「これから仲間ってことで、握手」
 初めて間近で見る青海の笑顔と、手のひらを見比べる。
 いつの間にか青海を見下ろしていることに気づいた。一年前のあの時は、俺よりも背が高かった青海。
 俺も少しは成長できたんだろうか。
 青海の視界に入れてもらえるようになったんだろうか。
「……ん」
 手を重ねる。

 そっと握り締めた手のひらは、思ったよりも柔らかくて、暖かかった。



 余談だが、この一件で俺と片瀬の『青海詩織』のイメージが木っ端微塵に粉砕されてしまったなんてことは俺たち二人だけの秘密だ。




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2005.3.17  けら