退屈と苛立ちと鬱屈と 1
//青海詩織//
ふと見上げた空は、ぽっかりと蒼く澄んでいた。柔らかく、それでいて冴えた高い空。白い層雲が遥かかなたを流れている。
早朝の空気は冷たく澄んでいて、うなじにかかる髪をふわりとかすめて肌から熱を奪う。
寒くなった。
日中でも、日差しは暖かいくせに風だけは嫌になるほど冷たくて、着るものに困ってしまう。と言っても、一週間のうち七割がたは制服だから困るもなにもないんだけれども。
昼間は軽く汗ばむくらいに暖かくなるのに、朝の空気はブラウスの上にカーディガンを着ていてもそれでも冷たい。
風が吹いて、足元の木の葉を攫っていった。
周囲にはのどかな田園風景が広がっている。右手には軽く百坪はある家々がポツリポツリと建っていて、家の間には広い畑が広がっている。そして左手には、収穫が終わり、稲の株だけが等間隔に並んでいる田圃。吊るされた藁にスズメがたかり、株の間でハトがもそもそと動いている。
のどかだ。
思わず溜息が漏れた。
のどか過ぎて、ノーミソが溶けそうだ。
秋も深まりつつある。
焼芋や栗、おでんが美味しい季節になる。
ぐるりと見渡せば一点の例外なく眼に入る山々もじきに色づくだろう。
十月の終わりには体育祭が、そして十一月のはじめには学園祭が待っている。
その後はクリスマス。正月。バレンタインやホワイトデーなどというものはなんとなく腹が立つだけだから無視するとして、終業式が終わると春休み、そして学年が上がり、最上級生になる。
受験するとかしないとか、就職するとか今は不況で就職先が見つからないとか、そんなことは今の段階ではどうでもいい。興味がない。
将来のことを考えることすら嫌になるくらい、暇だ。
そもそも、時間がとろーんと流れるこのド田舎で、なにかおもしろいことが起こることを期待している自分がバカらしい。
「………暇だ…」
ポツリ、と呟いた時だった。
突然背後から悲鳴が聞こえた。「きゃー」「うわあ」「ぎゃー」と様々な種類の悲鳴と、轟くような音が聞こえてくる。滝の音にも似たそれは、なんとなくどんどん大きくなっているような…?
聞こえる悲鳴は切羽詰ってきている。
振り向いて。
「ンな!?」
絶句した。
呆然とした。
なんとなれば、道行く登校中の生徒たちを蹴散らしてこちらに突進してくるものは――。
ブタ。だったのだ。
ブタが、こちらへ向かってくる。
真っ直ぐに、脇目も降らず、悲鳴を浴びながらこちらへ突進してくる。
曲がる、とか、避ける、とか、そういった選択肢は見られないくらいのスピードで。
…やっぱり、イノシシの親戚だなー。
そんなことを考える余裕が自分にあったことに驚いた。
最初は小さかったブタはあっという間に眼の前に迫ってきていた。白目を剥き血走ったその小さな眼と、泡を吹いた口元が見えるほどまでに、近く。
「………いくら暇だって言ってもさぁ」
す、と身体を斜めに構え。同時に右足をひいて。
地面が揺れる。ブタが走る震動で、だ。
一直線に走るブタ。その進路を見切るのは、カタツムリを箸でつまむくらい簡単だ。……やりたくはないけどさ。やろうともしないけどさ、頼まれても。
ブタの顔が眼の前に迫った。
「……登校中の女子高生、錯乱したブタに衝突されて全治一ヶ月とかさ」
ブタが射程距離に入る。
ぐっと腰を落とし、軸にした左足に体重をかけて。
ローキックの容量で振り抜くと、右足にずし、と物凄い負荷がかかった。かかったけど、それがなんだ。
「そういうローカルニュースのネタにしかならなさそうな事件ってのも、どうかと思うんだよね」
軸足に更に力をこめて踏みとどまり、思い切り足を振り切った。
ピギイ、だか、ブギャ、だか、そんな悲鳴が聞こえた……ような気がする。
白桃色のブタは綺麗な弧を描いて宙を舞い、ズズン、と地響きを上げて地面に衝突した。ぴくぴくと身体がかすかに痙攣している。
死んだかな? こういう場合でも賠償責任とかなるの?
のぞきこんで爪先でつついてみたら、ぴくりと白目が動いた。ああ、生きてるや。セーフセーフ。
賠償とかしなくてもよさそう。そう思いつつ乱れたスカートを直していると、突然「ぶははは」と遠慮のない笑い声が聞こえてきた。そう遠くもないところで聞こえるその声に、聞き覚えがあった。
振り返ると、家の塀に手をついて一人の男子生徒が苦しげに腹を抑えてうずくまっていた。よほど苦しいのか、時折喉を鳴らしながらも、なおも笑い続ける。…腹が立った。
「…なに笑ってんのさ、渡会」
いやいやいやいや、と彼はぴらぴらと空いている片手を振る。なにが「いやいや」だ。
「青海さんならばね、自力で片付けてしまうだろうと思って静かに静観していたんですよ」
「傍観の間違いじゃないの? 大体さ、あんた手に持ってるのナニ。こういうときこそ使うべきものなんじゃないの? 世のため人のためにさぁ」
大事そうに持っている竹刀が入った袋を指して言ってやる。すると、渡会は竹刀を両手に抱きしめた。
「あんな凶暴な奴を相手にしたら折れるじゃないか。俺の大事な竹刀をそんなことに使えるか」
「………あたしの足が犠牲になるのは構わないってか?」
「あったりまえだろ。俺にゃ関係ねーもん」
………あーそうですか。
相手にするだけバカらしくなって、くすくすと笑う渡会は置いて先に行く。なんだか、周囲の人々の視線が痛かったりするが、気にしてないフリ。
と、渡会が追いついてきて、すぐ横に並んだ。肩には竹刀の袋をかつぎ、そこに大きく膨らんだ防具入れを下げている。以前、重くないかと訊いたら、あっさりと否定されてしまったことを思い出した。
渡会は背が高い。姿勢もいい。いつも、真っ直ぐに背を伸ばし、真っ直ぐに歩く。
「…最近どーよ」
渡会が訊いてきた。眼の前には正門。門を入ってすぐのところに、数人の生徒が立っている。
口を開く前に、でかい声が飛んできた。
「青海詩織! ストップ!」
渡会が視線を落としてくる。その眼を見返して、軽く肩をすくめて見せた。渡会は「しょーがねえなあ」というふうに苦笑した。
どどど、と音を立てて一人の男子生徒がこちらに向かってくる。なんとなく、さっきのブタを思い出してしまった。渡会も同じモノを思い出したのだろう、軽く肩が震えていた。
「んじゃ、俺はお先に。ガンバレ」
「誠意のないお言葉ありがとう。てか逃げんなや」
「だって俺関係ねーし」
さらりと言われて、こちらも苦笑する。
渡会は嫌な眼で睨んでくる生徒や教師に愛想よく挨拶をして、校舎の中へ消えていく。
いつのまにか、眼の前にはさっき人のフルネームを叫んでくれた男子が立っていた。細い眼鏡の奥から不躾な瞳が睨んでくる。
「髪の色、何度言ったらわかる?」
「何度言われてもわかりませんねー。だってこれ地毛だしー」
長い髪を引っ張って見せる。視界に映ったそれは、金に近い茶色をしている。
入学してから一年半。髪のことをうるさく言われるようになったのは半年前からだ。それまでは軽く注意されるだけで済んでいたのに、このバカのせいでねちねちと嫌味まで言われる始末。
そう、このバカが生徒会長になったときから、全てがおかしくなったんだ。
「その色は、高校生活を送るに相応しくない。だから染めろといってるだろう」
「染髪は校則違反なんでしょ? 生徒手帳にもしっかり書いてあるじゃん。生徒会長サマが校則違反を示唆するわけ? そういうのって教唆って言うんだっけ?」
「その髪が地毛だと、誰に証明できる?」
「あっれー? 確か入学したときに親の証明書も渡してあるし、小さい頃の写真も何枚か渡したし、両親の写真まで渡してあったと思うんだけど?」
「…その髪が、他の生徒に悪影響を与えているんだ。そんなきらきらしい髪の人間がいるから、他の奴も髪を染め始める」
「そんなのただの言い逃れでしょ? あたしは別に髪を染めてるわけでも脱色してるわけでもないんだから、迷惑なんですけどねー」
「それならその目立つ色を変えるなりなんなり」
「言ってること矛盾してますよ? 染髪は、校則違反なんでしょ?」
眼の前の男は黙り込んだ。つ、と中指が眼鏡を押し上げる。
この仕草が、嫌いだ。眼鏡の奥の細い目も、嫌い。なんだか、背筋がぞくぞくするから。
「…青海に限り、許可する」
そんな科白が聞こえて、思わず眼を丸くしていた。
今、ものすごいこと言ったよこの人!
「…うっわ。そーいう特別扱いしていいの? 信じらんない最低じゃんそれ」
「その髪が、明らかに周りの人間に不快感を与えているんだ」
吐き捨てるような言葉に、さすがにムッとした。
不快、とか言われてにこにこ笑えるほど、人間出来てないんだこちとら。
「あのさ。高校生活を送るのに相応しくない、とかさ。みんなが思ってるとかさ。あんたよく言うけど、みんなって誰? 相応しいって、どこの誰が判断してんの? てめーの考えを一般化するなよ。それすげえ不愉快」
言い捨てて、背を向ける。こんな人間の顔など見たくもない。
ああ。一つだけ、思い出した。
「…そーいやさあ。肩より長い髪はくくらなきゃなんないんだっけ? 忘れてた。あたしが違反してるのはそれだけだよなあ、会長さん?」
今すぐ、結うよ。
言い捨てて、完全に奴に背を向けた。
猛烈に腹が立った。
昇降口に入ると、下駄箱のすのこに座ってこちらを見つめている男に気づいた。渡会だ。
奴は無表情でじっとこっちを見上げている。
「…なんだよ」
渡会はへらっといつもの笑みを浮かべた。
「いや? 毎朝毎朝大変ですねえ」
「そう思うんなら助けてよ」
「青海女史に手助けなど不要でしょう」
「……どーせね」
どうせ、あたしはかわいげがないさ。
のろのろと立ち上がった渡会の背中にわざと鞄をぶつけると、「いて」と呟いている男は無視して下駄箱を開ける。青いスリッパを手に取ったとたん、ころり、とかすかな感触が手に伝わってきた。
スリッパを傾ける。
コロン、と手の平に転がり落ちてきたのは、小さなビー玉だった。
「あらま」
小さく呟いて、隣を見る。渡会も、スリッパを手にしたままこちらを見る。その手には、小さなビー玉。
お互い、指ではさんだビー玉を見せ合う。
「…お呼び出し?」
口が、同時に、同じ言葉を吐き出した。
学校が変わったのは、今年の春頃からだったように思う。そう、井名里仁史が生徒会長に就任してからだ。
それまで、校則などあってなきが如し、みごとに形骸化していたはずなのに、いきなり『校則』が口うるさく教師の口から飛び出すようになった。男子はタバコの持込からシャツだしまで口うるさく言われ、女子に至ってはスカートの長さをぐちぐち言われる始末。更に、それまでは非常にのどかで、のんびりとした学校だったのに、突然『成績』がうるさく言われ始めた。のんびりした校風だが、それが功を奏しているのか生徒の性格もみな実直で穏やかで、そのためか就職率も悪くなく、進学率も全国的に見て中くらいの成績を保っていた。
それが、ここへきて、「この学校は他の高校に比べて進学率が低く」「カリキュラム改変などに対応するために」「これからの不況を生き抜くためにも」などという理由をつけて、「授業時間を増やし」「授業のペースとレベルを上げ」た。「地域社会に根付いた、特色豊かでレベルの高い学校」を謳いながら。
今までのレベルは、そりゃ高くはなかったけれど、別に低くもなかったように思うし、地域とのつながりは昔から強かったから今更いうことでもない。
そして、部活動の扱いが変わった。
のんびりと、だが真摯に部活動に力を入れてきた我が校だが、突然学業の二の次の扱いになったのだ。これまでは、学業と部活動は全く対等の扱いだったにもかかわらず。
そして、成績不振のクラブは学業の妨げになるし生徒会費の無駄遣いだ、という理由で次々と切り捨てられた。その一方で、成績の良いあるいは行いの良いクラブは優遇された。
切り捨てられた側としてはたまったもんじゃないだろう。現に不満なら、たくさん見聞きしている。
これまでののんびりとした雰囲気など嘘のように、今ではとてもぎすぎすして、せかせかした校内。
わからない。
なんで、こんな風になってしまったのか。
わかっているのは、この変化が井名里が生徒会長になってからのものだということ。それだけ。
単なる偶然かもしれない。
でも、個人的な嫌悪もあって、どうしても疑いの眼を奴に向けてしまう。
授業のペースは去年に比べると明らかに早い。
板書と教師の説明をノートに書き写し、言われたことを理解するだけで手いっぱい。英語や数学は、一日に進むページ数が多いので、予習が大変だ。中にはすでに捨てている生徒もちらほら居る。そういう生徒は、テスト後に必ずといっていいほど呼び出される。
やってられない。
心の底からそう思う。
授業終了のベルが鳴る。
一斉にペンを置く音やペンケースを開ける音が教室に起こったが、それでも教師は喋り続ける。秒針が動くにつれて、周囲からイライラとした空気が生じ始める。
もちろん、あたしもそれは例外ではない。
机の下、膝の上で、小さなビー玉を訳もなく転がす。
右手はシャーペンを握ったままだ。
古典の授業は、いつも長い。古典が四限目にある火曜日は、みんな殺気立っている。
係り結びとか、どうでもいいから。
縁語とか、そんなのほんとにどうでもいいから。
だんだん周囲の殺気がシャレにならないくらい高まってくる。
ピリピリした雰囲気に気づいていないのか、中年のおばさん教師は秒針が四周したところでようやく授業を終えた。
終わると同時に、ほとんどの人間が立ち上がる。教室を飛び出す一団は、学食組みか購買組みだ。それに混じって飛び出したとたん、背の高い男に腕をひかれた。
「あ、オス」
渡会だ。
なにか言いたそうにするそいつの手を振り切って、せわしなく言う。シャレにならんくらい時間がない。これから購買行ったら、十五分は待たなければならない。
「ごめん、先行ってて。あたし購買行くから」
駆け出そうとしたとたん、また腕をひかれた。
「そういうと思って、買っといた」
「は?」
渡会のなに考えてるのかわからない顔と、その手の中にある大きな袋を見比べる。買っておいた。そう聞こえた。
「………ああ、あんたの奢りか。そりゃ助かった、ありがとさん」
「おい。」
睨まれてしまったけど、相手をしている暇はない。それは渡会も気づいているようで、ちらりと周囲に視線を走らせて袋を肩にかついだ。
「じゃ」
「ん」
お互いに軽く手を上げて、反対方向へと歩き出す。
渡会は左の階段へ。あたしは右の階段へ。
階段を駆け上がる。
お昼を買いに行くのだろうか、財布を片手に階段を駆け下りる生徒たちと幾度もすれ違う。
空中にかけられた渡り廊下を走り抜ける。向かいの棟は、打って変わって人気がない。人気がない校舎を、一人走る。パタパタと足音が響く。
自分のものではない足音が聞こえてきた。同じ方向に向かっているらしい、足音。
再び階段を駆け上がり、眼の前に迫った鉄製の扉に手をつく。とたん、顔のすぐ横から誰かの腕が突き出されて、自分の手の上に大きな手の平が置かれた。
「…負けた」
渡会だった。
ふ、と上を向くと、息を切らせている渡会の顔がすぐ近くにあって、一瞬心臓が止まりそうになる。
慌てて顔を背けたそのとき。
「……なにやってんのよあんたたち」
ハスキーな声が響いた。
とたん、渡会の腕が顔の横から消え、すぐ後ろに感じていた熱が遠ざかる。
「なにって言われても、競争してただけだけど?」
さらっと、薄笑いすら浮かべて、奴はこういう。
仕方なく振り返り、現れた少女に軽く会釈する。
西岡のぞみは鼻で軽く笑い、「早く開けてよ」とつっけんどんに言ってくる。
彼女は、いつもこんな感じだ。
あたしに対する時は、いつも。
軽く肩をすくめて、ドアを開ける。ずしりとした感触が手にかかる。
ドアを開けると、冷たい風が吹き込んできた。
「さむ〜い!」
のぞみの黄色い声が聞こえた。
屋上に立った瞬間、眼に飛び込んでくるのは打ちつけたコンクリートの白と、空のかすんだ青。そして遠くにそびえる山の青と緑。田圃の茶色。それらを背景に、数人の生徒が談笑していた。風にあおられてばさばさ翻るレジャーシートの上に座って弁当を広げているのは三人の生徒。
その中の一人がこちらを振り向き、大きく微笑んだ。
「遅いよ、のぞみんにしおりん!」
反射的に顔に力が入ってしまった。たぶん、ものすごい顔をしたと思う。
「…しおりんて言うな」
こちらの渋面に気づいていないはずはないのに、透子はあっけらかんと笑って手を振る。
「いいじゃないしおりんてあんたに似合ってるよ。ほらほら早くおいでって」
…似合ってたまるか。
背後ではのぞみがキャーキャーうるさい。
「さーむーいー♪」
「はーなーせーッ!」
渡会の腕を両腕で抱え込んで、のぞみはキャーキャー言いながらレジャーシートに座り込んだ。それにつられるように、なし崩し的に渡会もシートの上に崩れこむ。
あほらしい。
なにやってんだ、鼻の下伸ばして。
奴を無視して、のぞみからなるべく離れた場所に座る。離れていて、それでいて巧妙に視界に入らない場所。座ったとたん、背中を叩かれた。
「どうした詩織! 眉間にしわ寄せて」
「…痛いよスミ君。今思いっきり叩いたろ。壊れたらどうする気さあたしこれでも女なんだよ」
隣で豪快に笑う男を睨む。日に焼けた浅黒い顔全体で、住吉は笑う。
「なに言ってんだお前がこの程度で壊れるわけねえべ」
「そうそう。しかも、突進するブタ蹴り飛ばした人間の言う科白じゃないよーそれ!」
「…トーコうるさいよ。ていうか見てたんかい」
「うんもうしっかりと」
透子はきっぱりと笑う。からっとした、夏の空にも似た笑顔。
ひょい、と透子の後ろからのぞみが顔を出した。コンタクトレンズできらきらしている眼であたしを見て、言う。
「朝っぱらから乱暴さ丸出し? おかげで構内でも有名だしねえ怪力青海ってさ」
「……男好き西岡よりましだと思うわ、あたし」
怪力で悪かったな。自覚してるさ、黙ってろこの男好き。
さっと顔を高潮させてわめきだしたのぞみはきっぱり無視して、隣の住吉を見る。でっかい弁当箱を抱えるようにして白いご飯をほおばっている住吉。
「んで? 招集かけた理由はなにさ」
寒いのに屋上なんか来たくないんだけどね、本音は。言いつつ手を伸ばして楊枝に刺さったつくねを失敬する。タレが効いてて美味。
あらためて周囲を見渡して、一人静かにお弁当を食べている少女を見る。ぽやぽやとした、春のたんぽぽのような少女。向井詠理だ。彼女と、透子と住吉、そして後から来たあたしたち三人。他に人は居ない。
人数が、いつもよりも少ない。
内心首を傾げていると、住吉がのそりと口を開いた。
「いや…まあ、いろいろと、な。焦る気持ちもわかるが、残りの面子が来るまで待ってくれや。それまで腹でも満たしてろ」
そこで、ふ、と住吉がこちらを見た。細い目が軽く見開かれる。
「お前メシは? 食わんの?」
「食うよ?」
ああ、そうか。今日は手ぶらだからスミ君心配したんだな。そんな警戒しなくても。弁当隠さなくても、もう取ったりしないって。…今日は。
透子の前をちょいと失礼して身を乗り出し、手を伸ばす。渡会がしがみついてくるのぞみでいっぱいいっぱいなのを見て取って、ビニール袋を取り上げた。
ずしり、と確かな重量感。
袋をあさると、コンビニおにぎりや、お惣菜パンがごろごろ出てきた。その中から甘くないパンを二三個選び出して、渡会に返す。のぞみがものすごい顔で睨んできた。
「ちょっとあんた! なに当然って顔で渡会君のお昼ご飯を取るのよ! 返しなさいよ泥棒!」
あーもうキーキーうるさいなあ。
「うーるーさーいよ西岡。これは渡会のおごりだってさ」
「いつ奢るなんていいましたか青海さん」
「奢りってなによ青海!」
あーもうほんとうるさいなー。
相変わらずキーキーのぞみはうるさいし、その隣では渡会が薄笑いを浮かべたまま睨んでる。
「ちゃんと代金返すよ」
「当たり前だバカヤロ」
誰がバカだ。
バリ、と音を立ててパンの袋を開ける。顔に力が入っている。眉間にしわがよっていることだろう。
と、ことり、と目の前に紙コップが置かれた。白いコップの中では赤色の液体がゆうらりと揺れている。立ち昇る湯気が、眼に見えて暖かそう。
「…ありがと、エーリ」
詠理はにっこりと笑った。優しい笑顔だ。
「…詩織ちゃん、元気なのはいいけど、あんまり危ないこと、しないでね?」
囁くような声で言われた科白がイタイ。
紙コップを持ち上げようとした手が固まってしまっている。
詠理は紙コップを両手で包み込むようにして持ち、その表面に息を吹きかけながら微笑む。
「怪我とかしたら、大変だから。ね?」
……にこっ。
その笑顔が、とてもとてもイタイ。
自然と頭が下がっていた。
「うん。気をつける」
詠理は、たとえて言うなら西遊記の三蔵法師。人間の格が違う。
ずず、と年寄りくさく音を立てて紅茶をすすりながら住吉が視線を泳がせた。
遅いなあ、と呟く声が聞こえた。
それに応えるように、屋上のドアが開かれる。
「ワリ、遅くなった」
大声で怒鳴ったのは、ひょろりとした男だった。
つんつんした茶色の髪が風に揺れている。
住吉が大きく笑った。
「おう、野島」
透子がぶんぶんと手を振る。
「ノッチー遅いよ。早くしないと昼休み終わっちゃうってば」
…相変わらず、彼女のネーミングセンスは謎だ。
野島は「いやほんとすまん」と言いつつ住吉の隣に滑り込む。手際よく差し出された紅茶のコップを受け取ると、破顔した。
「あったけー」
一口すすり、人心地ついたように大きな溜息を落とす。
おにぎりをほおばりながら渡会が口を開いた。
「なに。もしかして今日の集まりって、野島のこと?」
住吉と透子、そして野島が同時に頷いた。
「俺のこともあるんだけど、それだけじゃねんだわ」
「そう、一応あたしと詠理も関係ある」
透子の言葉に、もしかして、と頭を一つの考えがよぎった。
「もしかして…文化祭関係?」
軽音の野島と演劇部の透子と詠理を結ぶものといえば、それぐらいしか思いつかなかった。しかもこの時期だ。
案の定、透子は手を叩いて肯定した。
「あったりー! さすがしおりん、鋭いねえ」
「いやその呼び方やめてほんとに。で? またなにか起こったの?」
退屈の虫が騒ぎ出す。
視線の先で、野島が軽く肩をすくめた。
「聞いて驚け。なんと、軽音文化祭出場停止。しかも男子限定」
さすがにその一言は想像の範疇を越えていた。
文化祭の花とも言える、軽音。一年間の部活動の中のもっとも派手なステージとなる文化祭に、出場できない。しかも。
男子限定。
「…なんだそりゃ」
さすがに呆れた声、呆れた表情で渡会が呟いた。
野島は怒りすら通り越したという表情で自嘲気味に言い募る。
「もうただびっくりだろ? 男子限定てなんですかそれ。びっくりしすぎて怒りすら通り越しちゃったよおいら」
「ちょっと待て。それ原因は? 理由ぐらいあるんだろ?」
渡会の言葉に、野島は大きく肩を落とした。
「俺らさあ、いつも駅前の広場で路上ライブやってるだろ? 練習もかねて。それがさ、迷惑だとかなんとか、連絡が行ったらしいのな」
「どこから!?」とはのぞみの発言。
「…どこかの教育熱心なおばはんだろ。それで、学校側…っていうか、生徒会から通達があって。路上ライブやってたのは男だけだったから、女子は免除しましょう、と。軽音のライブは全校生徒も楽しみにしているし、全てなくしてしまうのも問題なので、せめて女子だけは例年通り活動できるように取り計らいましょう、と。ンじゃ俺らはなんだっての!」
また、生徒会か。
眉間に力が入る。間違いなくしわがよってるはずだ。
他の面々の表情も似たようなものだった。
それで、と透子を促す。
「トーコのほうは、なにがあったの?」
透子は小さく溜息をついて詠理と視線を交し合った。夏空のような顔立ちが、ふと曇り空になる。
「そのものずばり、活動停止よ。たった三人のために舞台を取るぐらいなら、他のクラス劇とかの演技時間を長くするんだってさ」
「なにそれ!」
思わず叫んでしまった。
「だって、演劇部って毎年劇をするって決まってるじゃない! それがなんで」
「さあ? 三人しかいない部活は認めないらしいわよ」
自嘲気味に、笑う。透子の夏空が曇っている。
「それも、生徒会が?」
そう、と肯定の返事が返ってきた。
ペタン、と浮かせていた腰を下ろす。
しんとなった空気を破ったのはのんきな渡会の声だった。
「文化祭出れなくなったのは演劇部と軽音だけなん?」
「…剣道部」
ボソリ、と住吉に言われて「あそか」と渡会は頭を掻いた。
剣道部も、部員が四人しかおらず、成績も悪いというので取り潰し寸前だった。最も悪いのは団体戦の成績だけで、個人線の成績はかなり良いのだが、それは全く考慮に入れられなかった。
「だいたいさー。こんな田舎のガッコなんだから、部員が足りなくなるのは当たり前じゃん。バレー部なんか男女合わせて八人だよ? それでも潰れてないんだよ? それに家庭部だって、四人しかいないけど続いてるじゃん。明らかに差別してない?」
のぞみの言葉は、真実だ。
「バレー部は知らんけど、家庭部は潰されないように毎日生徒会に差し入れしてるんだってさ」
そう。あたしは知ってる。おそらくそのおかげで、家庭部がなんとか存続しているのだろうということも。
「なにそれ、賄賂じゃん!」
「そうだよ」
賄賂を使って、なんとか存続している部活。なんでか知らないけれど、優遇されて部費も格段に増えた部活。そして、いろいろと難癖つけられて結局潰れた――潰された、部活。
「…なんかさ、悔しいね」
ポツリ、と透子が呟いた。
「みんな、クラブが好きなだけなのにね。なんで好きなことできないのかなあ」
ここに集まっているのは、みななんらかの形で生徒会に恨みのある人間ばかりだった。
透子達はクラブ関係で。
あたしとのぞみはその外見から、風紀的な関係で。
あたしは、この長い、金に近い色の髪のせいで眼をつけられて。
のぞみは、下着が見えそうなほど短いスカートとゆるくパーマをあてた茶髪、そしてピアスのせいで。
それぞれ生徒会に眼をつけられている。
ぐちぐち言われていいかげん頭にもきている。
そして、頭にきているのは他の面子も同様だ。
もう湯気を立てなくなった紙コップを片手に、住吉がボソリと呟いた。
「そろそろ、頃合だと思うんだよな」
全員の視線が住吉に集まる。
「みんなも…生徒の間でも、いいかげんフラストレーションたまってると思う。毎朝毎朝校門前にたまってるのも鬱陶しいし」
のぞみとあたし、二人で大きく頷く。
「成績成績ってくどくどいわれるのも大概腹立つし」
全員が大きく頷く。
「ひいき丸出しの生徒会には、もう爆弾投げ込みたいぐらい腹立ってるし」
これには透子とのぞみ、野島がしっかりと頷いた。
ちらり、と眼を上げて住吉が全員の顔を見た。
そして言った。
「ここらで一発さ、生徒会に泡吹かせてやらんか?」
「いいねえ!」
諸手を上げて賛成したのはもちろん野島とのぞみ、透子だ。
対して慎重派の渡会は軽く首を傾げている。
「泡吹かせるって…なにするんだよ」
ニヤリ、と住吉が笑った。
もともと強面のこいつがこういう笑い方をすると、得体の知れない迫力が出て、怖い。
「そうだなー。いっそのこと」
文化祭、のっとるか?
いたって普通に、冗談のように言った住吉の眼は、ちっとも笑っていなかった。
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