始動準備、あれこれ 5
//森本遼一//
六時半。そろそろ良いだろう。
ロッカーの中をあさっていた俺は、適当に手が触れた教科書を取り出して用務員さんを振り返った。
「すみません、ありました」
落ちつかなげに時計を睨んでいた用務員さんが振り向き、ほっとしたように笑う。
「そうか、じゃあ、早く戻ろうか」
そんなにテレビの続きが気になるのか。
どうせ、ニュースの途中でちょっと入った相撲中継だ。もう終わっているに違いないのに。
思いながらも、鞄の中に教科書を入れて、教室を出る。
用務員さんの手で電気が消された。とたんに、灯りに慣れた目の前がくらむ。
だが、それも歩いている内に徐々に闇に目が慣れてきた。
一瞬頭の中を「暗順応」「明順応」という単語がよぎってしまった。…そういえば、もうすぐ中間試験だ。
「もうすぐ試験だね。大変だねえ、生徒さんも」
「そうですね」
あたりさわりのない返答をしておく。
そういえば、あいつら、試験のほうは大丈夫なのだろうか。もうすぐ一週間前に入るけど。
…少し不安になってきてしまった。
赤点なんかを取って教師にマークされたりしたら、動きが制限されてしまうじゃないか。しかも、あながち杞憂ではなさそうなところが、怖い。
…一度ちゃんと言っておかないと。
そんなことを考えている内に、用務員室についていた。
ありがとうございます、と礼を言った俺に「気をつけて帰りなさいよ」とそう応えた用務員さんの手はすでにテレビに伸びている。
まあ、いいけど。
もう一度頭を下げて、校舎を出た。
校舎と校門までの距離は短い。
ほんの少しだけ開いていた通用門の隙間を通り抜けると、門のすぐ脇に黒々としたわだかまりがあった。一瞬ギョッとしたものの「森本」という声を聞いて緊張を解く。
「どうだった」
現れた住吉たちに訊くと、住吉はにやりと笑って掌を俺に向けて突き出した。その上には、小さい箱が乗っている。
「成功?」
「成功。野島のおかげで」
野島?
怪訝に思って野島を見やると、野島は手にもったものを振って見せた。暗くてわからない。
青海さんのマンションに向かって歩き出しながら、道々話を聞いた。
なんでも、野島がロッカーの鍵を開けたという。針金一本で。
なんでそんなことができるんだ? そう訊くと、野島はあっけらかんと笑って答えた。
「いや、俺の兄ちゃん結構いろんなことやっててさ。教えてもらった」
………ああ、そう。
なんだか、聞いてはいけないことを聞いた気がして、そうとだけ応えた。
チャイムを鳴らすと、すぐにドアが開いて青海さんが現れた。
「お疲れさん。どうだった?」
「成功」
住吉と渡会が答えて、青海さんと向井さん、西岡さんがほっとしたように笑った。
居間に通されて、腰を下ろした俺たちの前にグラスが置かれる。冷たい紅茶を飲んだとたん、ふ、と気が緩んだ。やはり緊張していたらしい。
「これが生徒会調印?」
女性陣が箱を開けて覗き込んでいる。
「なんだ、フツーじゃん」
西岡さんがそう言いながら取り出した会長印を机の上に乗せた。
木の台の上に「生徒会長」と彫られたゴムが乗っているだけの、極めて普通のはんこだ。特別なものじゃない。
でも、そんなものが結構重要になってくるのが、「学校」のおもしろいところだ。
「これをネタにして生徒会を強請ってみようか」
言ったとたん、沈黙が降りたのは気のせいだろう。
「……本気?」
青海さんが引きつった顔で言う。
「森本、お前、悪だなー」
人聞きの悪いことを言わないでくれ、渡会。
「いや、冗談なんだけど」
住吉、怖いからあまり睨まないでくれないか。
まあ、これで材料は揃ったわけだし。
「生徒会が、新しい会長印を買い直す可能性は?」
それはないわけじゃないと思う。でも、可能性としては低い。
模擬店の許可も出し終わった。後は体育祭の賞状だけど、あれには前もってはんこが捺してあって、名前を後から書き込めばいいという形のものだから、やっぱり必要ない。
一月の生徒総会までは、会長印が必要になることはないはずだ。
だから、急いで買いなおすことはないだろう。
「それに、会長印をなくしたとなれば、生徒会のかなりの失態になるから」
買いなおすにはやはり学校から業者に委託しないとだめだし、そうなると教師に言わなければならなくなる。あの井名里が、そんなことをするとは思えない。
まあ、普通「盗まれた」なんて考えるはずがないから、またでてくるのを待つだろう。なくしたと考えるのが普通の人間の思考パターン。
「じゃあ、問題はないわけだ」
「ああ。後は、文化祭まで待つのみ、だね」
そうそう。大切なことを忘れてた。
目の前のメンバーを見てみる。
…やはり、不安が残る。
「…もう少しで中間だけど。みんな、勉強は大丈夫だよね?」
言ったとたん、固まったのが数名。
………かなり、不安だ。
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