高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 始動準備、あれこれ  6

//青海詩織(おうみしおり)//

 テストのことなんかすっかり忘れていて、ふと気がつけばテスト一週間前。
 これにはさすがに、みんなが慌てた。
 授業とか、ここの所まったく手につかない状態だったから、まずノートが取れてない。
 …となると、やるべきことはただ一つ。
「――お願いします、詠理サマ」
 住吉や森本君と並んで成績がいい詠理に、朝イチで頼み込んだ。詠理は困ったように笑っていたけど、「仕方ないなあ」というようにノートを貸してくれた。
「放課後には返すから」
「うん。ゆっくりでいいよ」
 いや、そういうわけにもいかないし。
 それに正直なところ、他にも写さなきゃいけないノートがあるんで。
 最近ぼんやりと聞き流していることが多い授業は、ところどころわからないところがあったけど、住吉あたりに訊けばなんとかなるだろう。
 基本的に、自分の成績は悪くないと思う。
 赤点なんて、一年のときからこちら取ったことがない。
 だから、今回も多分大丈夫だと思う。
 ……ある一教科を除いて。


 住吉にノートを貸してくれ、と言うと、とたんにいやな顔をされてしまった。
「……べつに、かまわないけど。一つだけ訊いてもいいか?」
「イヤ」
 訊かれることなんかわかってるから、英語のノートだけを借りて鞄の中に入れる。そのまま屋上を出ようとしたとたん、呼び止められた。
「おう、女史。お前はテスト大丈夫なんか?」
「あんたと一緒にするな渡会。あたしは成績優秀なの」
 言ったとたん、壁にもたれて読書をしていた森本君に突っ込まれた。
「そう言うわりには、上位者の中に名前を見たことないけど?」
 …一々チェックしてるんですかあんたは。
 寒い寒い屋上で、森本君は寒さなんか感じていないとでも言うような涼しい顔でページをめくる。その神経が疑わしい…とか思っていると、彼は相変わらずさらりとした表情でさらりと答えた。
「べつに。でも、名前が上がるメンバーは大抵決まってくるからね。覚える気がなくても覚えるよ」
 さようですか。
 でも、こっちにも一応言い分はあるんだけどね。
「詩織ちゃんは、英語さえなかったら二十番以内には入るのにね」
 おっとりとした詠理の言葉が、グッサリと突き刺さる。
 渡会と森本君が驚いたような顔でこっちを見たのがわかった。
 住吉の呆れた声が飛んできた。
「ガキのころイギリスにいたくせに、なんで苦手なのか俺にはわからん」
 それを言うなってば!
「大体、お前、初めて会ったときなんか英語しかしゃべらんかったんだぞ? なんで今更英語が苦手になるんだよ」
「知るかそんなこと! 苦手なものは苦手なんだって!」
 日本語喋ってるうちに英語なんか忘れたし、大体文法もあやふやな幼児の英語力をこの場に持ち出されても困る!
 それに苦手なのは英語じゃなくて文法! オーラルは全然オッケーなのオーラルは。
 ぐちぐち言っていると、森本君が声をかけてきた。
「やっぱり、青海さんってハーフなんだ」
 …やっぱり、ってなんですか。
 ちょっとムッとしたけれど、今更なので頷く。
「…うん、まあ」
 だから、「英語が苦手」とか言うと誰も彼もが変な顔をする。喋れて当然、得意であると決めてかかってくる。一年のころなんか、それでどれだけ苦労したか。
 発音だって、ちょっと綺麗ってだけでネイティブの人には全然及ばないのに。
「んじゃさ、親に訊けば?」
 あっさりと渡会が言った。
 とたんに顔に力が入った。
「…単語を並べさえすれば後はジェスチャーで全然オッケーとか言う人に、なにを訊けって?」
 そう。とっくの昔に両親には訊いている。そのたびに返ってくる答えがこれだ。もう、訊く気すら起こらない。
 それよりも、と目の前でのほほんとしている男を睨みつけた。
 渡会は、ノートを借りるでもなくのんびりと空を見上げていたりする。
「そう言う自分はどうなの。テスト、大丈夫なの?」
 渡会はこっちを見てにやりと笑った。
「青海さんとは違って、俺はどの教科もそこそこできますから。授業もきちんと聞いてるし? 今更慌ててノートを借りに走るなんてことも、もちろんないんですよ」
 うわ。腹立つ。
 穏やかに微笑みながら詠理がぽつりと言った。
「へえ、なんだか、意外だね」
 とたんに渡会の笑みが凍りついた。
 ははは、いいぞ詠理。
「…向井ー。あんた俺のこといったいどう思ってんの?」
「えっと…。どっちかと言うと、勉強苦手なんじゃないかなあ、って……ごめんね」
 渡会はなんともいえない引きつった顔で「…いや、別に」とかなんとか呟いている。
 詠理の微笑みに勝てる奴など、いないのだ。
 住吉が、相変わらず一人読書をしている森本君に声をかけた。
「森本は、ここでなにしてるんだ?」
 …なにしてるって、読書だろ?
 質問の意図が読めなくて首を傾げていると、
「なにって、読書」
 と、愛想のかけらもない言葉が返ってくる。
「いやそうじゃなくて。お前この時期いつも忙しそうじゃないか」
 …ああ。
 とたんに、数ヶ月前の一学期の期末試験のときのことを思い出した。
 あの時は、クラスの子の中にも何人かわざわざ五組まで質問をしに行った人もいた。確か、目当ては森本君だったように思う。そう言われて良く考えれば、テストの前後、やたらと「森本」という名前を訊いたような気がする。
 森本君は憂鬱そうに溜息をついて本を閉じた。
「…だから、ここにいるんだ」
 苦々しい声に、なるほどと納得してしまった。
「図書室にも人がくるし、教室にもいられないし。まったく迷惑この上ないよ」
 学年一の秀才サマは、いかにも鬱陶しい、という顔でそう言う。
「第一、テストの前にだけ俺に話し掛けてくる奴が多すぎる。自己中にもほどがあるよ。鬱陶しいッたらない」
 それは、そうだろうねえ。
 あたしが森本君の立場にあっても、やっぱり絶対腹を立てるだろう。
 内心で納得していると、けたたましい音を立てて屋上のドアが開いた。驚いて眼をやると、転がり込んできたのは七尾君とのぞみ。
 珍しい組み合わせ。とか思っていたら、二人は座ったままの森本君に駆け寄ると両手を顔の前で打ち合わせていきなり拝み出した。
「頼むッ、森本! 後生だからなんとかしてくれ」
 情けない声でそう叫んだのは、言わずと知れた七尾君。
 それに追従するみたいにのぞみがその後を引き継ぐ。
「お願い! 今度の物理、ホントにヤバいの!」
 必死で頼む込む二人を見上げて、神様仏様森本様は溜息を一つこぼした。そして、いかにも嘆かわしい、というように首を振る。
「…だから、俺に試験は鬼門なんだ」
「学年1位がなに言ってんだ」
 住吉の呆れたような声と渡会の非難の声がすかさず飛んだけど、森本君は心の底から鬱陶しいという表情をしている。
 一体、今までどのくらいこんなことがあったんだろう。
「頼むよ。俺たち、一蓮托生だろ? 今赤点取ったりして先公に眼ぇつけられたらやばいんだろ? マジで頼む!」
 七尾君は必死だ。
 意外だった。
 七尾君て、なんでもそつなくこなしそうなのに。
 まあ、のぞみが勉強嫌いだってことは前から知ってたからべつに今更驚くもなにもないんだけど。
「…それも、立派な脅迫だと思うけど」
 溜息混じりの声を吐き出すと、森本君は手にしていた本を鞄の上に乗せた。そして拝んだ姿勢で固まっている二人を見上げる。
「それで? どの教科がヤバイの?」
 とたんに二人の顔が輝いた。
「あ、俺、物理と数学と英語と古典と」
「ちょっと待って。それ、ほとんどじゃないか?」
 指を折って数え上げた七尾くんを慌てて遮る森本君。心なしか、そのこめかみが引きつっている。
「うん、まあそうとも言うけど」
 七尾君は、その綺麗な顔で乾いた笑い声を上げた。
「……で? 西岡さんは?」
「あたしは物理とー、後はやっぱり数学? あ、日本史もやばいかもー」
「……………わかった」
 森本君はしばらく沈黙していたかと思うと、絞り出すように声を発した。そしてゆっくりと顔を上げる。
 メガネが、光った。
「物理と数学は俺が面倒を見よう。それ以外の科目は、他の人に頼んで」
「ええ〜!?」
 とたんに不満げな声を上げた二人は、その鋭い眼で見据えられてぴたりと口を閉ざした。
「大丈夫、見捨てるわけじゃないから」
 静かな口調で言い、こちらを振り向く森本君。
 …ちょっと待って。なんで、こっちを見るわけ?
 めがねが空の青を反射していて、その奥の眼はここからじゃ良く見えない。
「住吉君は、英語が得意だったよね?」
「あ、ああ」
 つりこまれるように頷く住吉。
「向井さんは、古典や現国に強かったよね」
「う、うん」
 こっくりと頷いたのは詠理。
「青海さん、前に社会系…日本史世界史地理倫理、なんでも得意だって豪語してたよね」
 瞬間的に背筋が凍った。
 言ったっけそんなこと!? 確かに得意は得意だけど、森本君相手にそんな身の程知らずな科白、普通言わないって!
 メガネを光らせてこっちを見つめてくる森本君は、なんとも言えない迫力があって、「違う」なんて言うことはできそうもない。
 …そして、結果的に、あたしも頷かざるを得ないわけで。
 あたしが頷いたのを見て、森本君も満足そうにまだ固まっている二人を見た。横を向いたおかげで見ることができたその眼は――…ちっとも、笑ってない。
「じゃあ、あと一週間、ビシバシやろうか」
 とてもとても優しい笑顔でそう言った森本君が――…なぜか、般若に見えたのは、あたしだけじゃないはずだ。


 そんなこんなで、自分の勉強に加えて二人の勉強も見るなんてはめになってしまったわけだけど、あっという間に日は巡り、一週間後にはみな屋上で憔悴した顔を付き合わせることとなった。
 テストが終わってハッピー、とか、そんな表情はかけらもない。
 あの、いつも明るい野島でさえ、ぐったりと床にしゃがみこんでいる。
 七尾君なんかは、空を見上げて涙ぐんでいるようだ。
 …この一週間、傍から見ていても、森本君はスパルタ教師だった。
 間違えても怒鳴ったり叩いたり、なんてことは一切なかったけれど、冷ややか〜な声でひたひたと、じわじわと締め付けてくる。
 あれは、怖い。
 のぞみも七尾君も、答え合わせのたびに身を縮めて森本君の顔をうかがっていたから、かなり怖がっていたみたいだった。
「で、どうだった? 勉強の成果は出た?」
 何気無い森本君声に、とたんにのぞみと七尾君の顔が引きつった。
「も、もちろん! 完璧とは言わないけど、平均はクリアしたわよ!」
 西岡西岡、あんた声裏返ってますよ。
「お、おう! それどころか、過去最高点な予感がしてるさ!」
 七尾君七尾君、どこを見てるんですか? 視線が泳いでますよ。
 あまりにも不審な二人を森本君はしばらくじっと見詰めていたけれど、やがて放置しておくことにしたらしい、ひとつ頷くとこう言った。
「そうか。じゃあ、結果を楽しみに待とう。――言っとくけど、一つでも赤点を取ったら――…わかってるよね?」
 瞬間、木枯らし一号が屋上を吹きぬけたような、そんな錯覚。
「俺が貴重な時間を削ったんだから。それで成果が出なかったりしたら、それこそ……覚悟、しておいてね?」
 ひんやり。
 どころではなく。まさに極寒ブリザード。
 完璧に凍りついた屋上で、一人森本君だけはさくさくと帰り支度をしてしまうと、「じゃあ、また明日」と片手を上げて屋上を出ていった。
 音を立てて屋上のドアが閉まる。
 とたん、全員の硬直が解けた。
「こ、怖かったぁ〜」
 気の抜けた声でそう言ったのは透子。無意味に両手を動かして、無意味に「うひゃあ」を連発している。
「レオってばクールビューティー。まさかあんな調子でずっと勉強会してたの? そりゃすごいわ。あたしだったら耐えられないよ」
 若干意味不明なところとかあったけど、それは置いといて。
 多分、思うに。透子だったら、森本君にも対抗できるような気がしてるのは、あたしだけなんだろうか。
 事態を傍観していた渡会と野島は、顔を見合わせて「こえ〜」と繰り返している。
「やっぱあれだな。「森本」って感じだったな今の」
 野島の言葉は意味不明だけど、理解できた。
 知り合う前の、噂の中の「森本君」は、あんな感じの人だったと思う。
 冷静沈着、とか、冷血漢、とか。
 多分、今みたいなところから、あんな噂が立ったんだろう。
 でも、幸せそうに髪をいじったり、時々他愛もない冗談を言ったりするのも、森本君の姿の一つ。
「おもしれえなあ」
 渡会が呟いた。
 なにがおもしろいのか、それはわからないけど。
 ちょうど、同じことを心の中で呟いたのと同時だったから、ちょっと驚いた。
 野島がのんきに笑いながら、まだ硬直が解けない二人に話し掛けている。
「お前らも、あんまり迷惑かけてやるなよ。そうでなくても、森本この時期ピリピリしてくるんだから」
 そう言う野島は、髪を染めたり立てたりとですでに教師や生徒会からマークされているから、これ以上攻撃のきっかけを作るものか、と勉強だけは必死でやっていると言う。やっぱり、人は見かけにはよらないものだ。
 うん、と住吉が軽く両手を天に向けて伸びをした。
「まあ、これで一つハードルはクリアしたわけだし」
 てことは、次のハードルは…体育祭か?
「体育祭は、ただのお祭だし。まあ、布石にはなるかな」
 ニヤリ、と相変わらずの笑みで住吉は言う。
「後は、転がるだけだ」

 そう。
 軽音との打ち合わせも終わり、生徒たちにもあたしたちの存在は浸透しつつある。その証拠に、知らない人から声をかけられることが多くなった。毎朝生徒会と対立しているあたしは、多分格好のシンボルになっているんだろう。
 外見とともに。
 いい宣伝になる、と最初のころに住吉と森本君がそう言っていたのを思い出す。
 …まあ、いい。
 準備は、完璧。
 後は転がるだけ。
 そう、後はただ、走り出せばいい。

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