高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 始動準備、あれこれ  8

//住吉数実(すみよしかずのり)//

 軽音の女子が協力してくれる。
 それは、願ってもないことだった。


 体育祭当日。
 俺の周囲は、興奮とは別種の空気が張り詰めていた。
 隣の男がこそこそと話し掛けてくる。
「…住吉、お前マジでやるん?」
 何を。そんなこと、訊くまでもない。
「ああ。ここまで来たら引けないだろ。別におまえらに無理言って協力させようなんて思ってねえから」
 目の前では一年の女子たちがキャーキャー言いながら玉入れをしている。
「別に、そういうことが言いたいんじゃなくてよ…」
 気まずそうに顔を見合わせる。
「やっぱさ、まずいんじゃねえか? 生徒会の後ろには先公もついてるんだぜ?」
「知ってる」
 空砲が響く。女子がぞろぞろと名残惜しそうに籠から離れる。火薬の匂いがここまで届いてきた。
「下手したら、停学とか…親呼び出しとか…受験にも響くかもだし」
「わかってる」
 呼び出されてもあの親なら教師相手に大笑いしそうな予感がするけれど。まあ、それはともかく、そんなことは覚悟の上だ。
 ひとつ、二つ。大きな声でカウントされながら、白や赤の玉が空に向かって放り投げられる。そのたびに上がる歓声。沸き立つような、明るい雰囲気。
 ふ、と視線をめぐらせると、見慣れた金の髪が見えた。あいつの髪は、目立つ。
 見ると、詩織も数人の男女に取り囲まれていた。どことなく、ここと同じような、張り詰めた空気が漂っている。
 俺の視線をたどって、どこか遠慮がちな声を発する。
「…青海も、仲間なんだろ? まずくねえか? その、あいつ、それでなくても目立ってるのに」
 そんなこと、言われなくても俺たちが一番よくわかってる。
「…これには、俺たちのプライドがかかってんだ。間違っても他の奴に迷惑はかけないようにする。だから、好きにやらせてくれ」
 男子四百m走に出場する選手の招集が始まった。それを言い訳に、不安そうな顔をしているやつらからはなれて、召集場所へ向かう。
 最後の玉が、一際高く空に投じられた。とたんにはじけた歓声。
 
 明るい空気。湧き上がる興奮。
 それなのに、そこここで、それとは異質の空気が流れている。
 わかってる。
 その発生源は、俺たちだ。
 こうして歩いているだけで、たくさんの視線が俺に向けられているのがわかる。
 すれ違いざまに、上級生に肩を叩かれた。見知らぬ人だ。
「がんばれよ」
「楽しみにしてるぜ」
 そう言い残して、そのまま何事もなかったかのように通り過ぎていく人々。
 応援してくれる人がいる。
 それだけで、何でもやれるような気がしてくる。
 あいつらが不安になる気持ちもよくわかる。
 だけど、もう動き出したのだ。俺たちが不安がっていては、何にもならない。
 あいつらが、俺のことを心配してくれてるって言うのはわかる。でも、それに甘えるわけには行かないんだ。

 今の学校は、好きじゃないから。


 召集場所に行くと、見慣れた顔がいた。飄々と、男子たちとくだらない冗談を言い合っている男。
 渡会は俺に気づくと軽く右手を上げた。
「おう。どうした、しけたツラして」
「ほっとけ」
 渡会にも関係あることなんだが、一々言うのも面倒くさいのでそれだけ言う。
 渡会は追及しない。そう言うところが、ありがたいと思う。
 渡会と何か話していたやつらが、俺たちを興味深そうに見やった。
「住吉も、渡会の仲間なんだよな」
 俺としては、渡会が俺の仲間、って言って欲しいんだけど、まあいい。
「まあな」
 目の前のやつらが突然真顔になった。
 そのまま、声をひそめて囁く。
「…ガンバレよ。俺ら、応援してるから」
 その声の響きに、驚いた。
 真面目な表情をふと和ませて、そいつは笑う。
「あんたらさ、めっちゃ有名だぜ。生徒会以外は、全員知ってる」
 その言葉に、また驚いていると、いきなり背中を叩かれた。
 振り向くと、見知らぬやつらが立っている。
 三年に…一年まで。
「がんばれよ」
 静かに言って、そのまま俺たちに背を向ける人々。
 視線を戻すと、俺たちの顔を見て笑う。
「な?」
 その笑顔が、嬉しくて、思わず俺も笑顔になっていた。


 走り終わって、そのままなんとなく渡会とともにぶらつく。俺は三着だった。陸上部や剣道部に勝てるはずもない帰宅部の俺が三位になっただけでもいいとしよう。
「お前って、結構足速かったんだな」
 陸上部も破って堂々一着を果たした剣道マンは、飄々とそんなことを言う。
「意外か?」
「そうでもねえか」
 じゃあ、言うな。
 渡会が足を止めた。
 視線の先には、女子が一生懸命走っている姿がある。女子の二百m走だ。
 確か、詩織が出ているはず。
 そう思って女子が集まっている場所に視線を投げると、いた。
 黒い髪の群れの中、一際目立つ金の髪。
 長い金髪は、首のあたりで一つにまとめられている。
 女子にしたら高めの身長。改めてみると結構細身で、大き目の白い長袖の体操着と、黒いハーフパンツが意外と似合っている。
 隣の男を見てみると、そいつの眼は真っ直ぐ詩織に向いていた。
 声をかけても、多分無視されるだろう、真っ直ぐな瞳。
 こんな眼で詩織を見ていることに、こいつは気づいているんだろうか。
 詩織は気づいているんだろうか。自分を、真っ直ぐに見つめる男がいることに。
 …多分、気づいていないだろうな。
 気づいてたら、詩織の渡会に接する態度が変わっているはずだ。あいつは、そんなに器用な奴じゃないから。
 詩織がスタートラインに立った。空砲とともに一斉に飛び出す。
 長い金髪は後方に流れた、
 そのまま、後ろの女子を大きく引き離してさっさとゴールする。
 相変わらず、足が速い。
 思い起こせば、小中と、あいつに走りで勝てたためしがなかった気がする。
 なんとなく落ち込んでいると、隣で渡会がポツリと呟く声が聞こえた。
「…あいつ…」
 そのままものすごい勢いで踵を返し、来た道を引き返し始める。
「あ、おい」
 今にも走り出さんばかりの勢いで歩きだした渡会を慌てて追いかける。
 出場待ちの人を押しのけて、渡会はずんずん先へ行く。
 なんなんだ、一体。
 困惑しながらも見失わないように後を置くと、いきなり渡会の背が立ち止まった。
 ほっとするよりも早く、渡会の向こうに金の髪が見えた。
 詩織。
 俺たちを見つけた詩織の眼が笑みに細められる。
 何とか渡会に追いついた。と思ったときだった。
「来い!」
 いきなり渡会が詩織の腕を掴んだ。
「え!? なに」
 詩織が当惑した声を出す。俺も、当惑していた。多分今、俺の眼は点になってるんじゃないだろうか。
 そのまま渡会はずんずんと大股で歩き出す。周囲の視線は、当然俺たちに集まっている。
 好奇の視線。
 おい。渡会。
 気づいていないのか、渡会はずるずると詩織を引っ張って、人気のないところまでやってきた。倉庫の裏まで来ると、ようやく手を離す。
「…いったいなぁ。なんだよ」
 倉庫の裏には、当然のことながら誰もいない。そこに、渡会の声が響いた。
「お前、脚どうしたんだ」
 あし?
 詩織を見る。
 すると――詩織の顔は、強張っていた。
「詩織?」
 詩織の足を見る。
 すらっとした足は、別になんともないように見える。
 詩織を見据える渡会の顔は、これ以上ないほど無表情だった。
 渡会が無表情になるとき、その意味を、今の俺は知っている。
「さっき。いつもより遅かった。それに、最後の方、ちょっと引きずってたろ」
 詩織の肩が震えた。
「いつからだ?」
 渡会の言葉に対する答えはない。顔を伏せたまま、黙っている。
 ――詩織らしくない。
「詩織。足、痛めてんのか?」
 静かに聞くと、かすかな首肯が返ってきた。
 渡会がわずかに身体を傾けた。うつむいている詩織の顔を覗き込むように、顔を寄せる。
「右か? いつ痛めた」
 詩織は答えない。
 渡会の目が細くなった。
「――あの、ブタを蹴ったときか?」
 詩織の肩が軽く震えた。
 答えなくても、声に出さなくても――それは、何よりも雄弁な肯定。
「お前、バカか!!」
 怒鳴りつけられても、詩織は顔を上げない。
 渡会が詩織の肩を掴む。それでも、詩織は顔を伏せたまま。
「なんであんな無茶すんだよ。それに、そんな足で無理して走ることねえだろ。棄権しろよ!」
「…でも。あたしが棄権したら、あたしの代わりに誰かが走ることになるわけだし。そしたら、その人に迷惑になるから」
「あほか! だからって、自分のケガひどくしてどうするんだ!」
 俺は溜息を吐きたい気分になった。
 渡会の怒りが、とてもよく理解できた。
 頑固も、時と場合を考えろ。
 冷たい風が吹いた。
 倉庫の裏は日がささない。
 見ると、詩織のからだがかすかに震えていた。走って軽く汗をかいた身体も、きっとすでに冷えてしまっているのだろう。
 渡会の顔が歪んだ。
「…お前のそう言うところ、俺、すげえ腹立つ」
 静かな声だった。
 そのまま渡会は顔を伏せて、脱いだジャージを詩織の肩にかける。詩織が弾かれたように顔を上げた。
 日向に出ていく渡会の背中に何か言いかけようとして――でも、結局声にはならなかったようだった。
 渡会の姿はそのまま視界から消えてしまった。


 静まり返った倉庫裏に、歓声が遠く聞こえる。近いはずのその声は、何かに遮断され、遠く耳に届く。
 傍らには、顔を伏せたまま身じろぎ一つしない少女。乱れた金髪がかすかに震えていた。
「…風邪ひくぞ」
 仕方なくかけた声には、首を振るだけ。
「とにかく、日の当たるところに行こう。ここは寒いから」
 無言でいやいやをする。
 子供じゃあるまいし、何か言え。
 詩織は身動き一つしない。
 伏せられた顔が、どのような表情を浮かべているのか、それすらもわからない。
 本気で溜息が漏れた。
「……ごめん」
 小さな声が聞こえた。普段のこいつからは想像もできないほど、弱々しい声に、こちらが狼狽してしまう。もしかして、泣いてる? いやまさか。
「…ごめん」
 再び、謝る。
「それは、俺に言う言葉じゃないだろ」
 謝らなければならない相手は、他にいる。
 なぜ、あいつがここにいるときに、それを言わないのか。
 再び黙り込んだ詩織に、声をかけた。
「足、ホントにあのときに痛めたのか?」
「…うん」
「なんですぐに言わなかった」
 短い沈黙の後。
「…言ったら、迷惑かけると思って」
 ―――筋金入りの阿呆だこいつは。
 思わず落ちた溜息に、びくりと身体を震わせる。
「それに、すぐに治ると思ったし。まさかこんなに長引くとは思わなかったんだってば」
「だったらなおさら今日は休むなりなんなりするべきだったんじゃないのか」
「それは…」
 こちらを見た詩織の瞳が揺れている。その口が紡ぎだそうとしている言葉には、容易に想像がついた。
「迷惑をかける…とか言ったら、本気で怒るぞ」
 黙りこんだところを見ると、図星だったようだ。
 ――腹が立ちすぎて、怒鳴る気にもなれない。
「…お前さ、なんで渡会があんなに怒ったのか、わかってるか?」
「………こんなときに、足ケガしたから」
 ―――大バカヤロウだ。
「もう、いい。お前もうちょっと頭使ってみろ。それでもわからなかったら本人に訊け」
 たぶん。
 小さいころからこいつは一人でなんでもする癖がついていたから。両親が忙しい人だったから二人に心配をかけないようにする癖がついてしまっていたから。
 だから、こういうことになるんだろうけど。
 ――でも、やっぱり、俺たちから見たらすごく淋しいし悔しいし――腹が立つ。
 信用されていないのかと、そう思ってしまうから。
 日向に出ると、秋の日差しが冷えた身体に心地よい。
 振り返ると、詩織もちゃんとついてきていた。心なしか、右足を引きずっている。
 今まで気づかなかった。いや、詩織が俺たちの前では無理をしていたんだろう。
 それに気づくほど、渡会は詩織のことを気にかけている。
「あさって、大丈夫なのか?」
「大丈夫」
 はっきりとした答えも、どこまで信用していいのやら。
 …もう、いい。
 俺が何か言ったところで、きっとこいつは理解しないから。
 そのまま二年の桟敷の方へ向かおうとすると、袖を引かれた。振り返ると、詩織がひどく困った表情をしている。
「あの。スミ君」
「なんだよ」
 詩織はもう渡会のジャージを脱いで、胸の前で握り締めている。
「これ…渡会に、返しといてくれない?」
「自分で返せ」
 そこまで面倒見切れるか。
 詩織は、なんだか泣き出しそうな顔をしていた。


 自分のクラスの場所に戻ろうとしていたら、いきなり呼び止められた。振り向くと、案の定渡会がそこに立っていた。
「…あいつ、何か言ってたか?」
 不機嫌そうな表情は変わらない。
「“ごめん”だとさ」
 渡会の眉間にしわができた。
「それ、俺が怒った理由わかって謝ってんの?」
「さあ。多分、理解してないな、あいつ」
 渡会の顔が歪んだ。
「―――腹立つ」
「まあな」
 空は、秋晴れ。
 気持ちのいい、清涼な風が吹く。
 あさってには、俺たちの命運を分ける大事な日が迫っていると言うのに。

 なのに、なにを考えているのやら、あのバカは。

 俺と、渡会、二人分の溜息が落ちた。
 それすらも、大きな歓声に飲み込まれ、消えてしまった。

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