高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 激走!文化祭  7

//森本遼一(もりもとりょういち)//

 例えば、誰にでも得て不得手というものはあるわけであって。
 俺の場合はたまたまそれが勉強であったり、まあその、スポーツであったりするわけだ。
 ぶっちゃけ運動があまり得意ではない俺は、当然のことながらあまり足も速くはないし、体力も――まあ、その、人よりあるとは言いがたい。

 つまり、なにが言いたいのかというと、だな。
 そんな俺が、四時過ぎまで生き長らえたというのは、奇跡に近いのではないか、と。そう言いたいわけだ。

 そう。
 今、俺は「生き長らえた」と、過去形で言った。
 
 察しの良い人はもう気がついているだろう。

 回りくどいのは嫌いなので完結に言う。
 俺は、つかまった。

 まあ、足も速くない体力もない、とナイナイづくしの俺が最後まで逃げられるとは思っていなかったので、それは別にどうということもない。教師連中が多少うざいだろうな、というくらいで、別に俺自体のダメージはそれほどないし、他の連中の弱みにもならないだろう。
 ――と、たかをくくっていたのだが。
 
 どうやら現状認識が甘かったようだ。


「どういうことなんだこれは」
 目の前にいるのは、ある意味教師よりも厄介な男。メガネを外せばそれなりに整っているはずの容貌は今青ざめていて、その一方で目元は怒りのためかやや赤らんでいる。メガネの奥の細めの瞳は、真っ直ぐに俺を睨んでいた。
「今更俺に説明しろと? 君なら、今の状況ぐらい理解できているだろう」
 言ったとたん、青ざめていた顔が今度はさあっと紅潮した。握り締めた拳が震えているのを見て、すす、と後ろに重心を移動させる。
 が、予想に反して井名里は殴りかかってくるようなマネはしなかった。やはり、そこのところは腐っても生徒会長だ。
 俺たちがいるのは、グラウンド脇の校舎を入ってすぐ、入り口のホールに設けられた放送席の前だった。放送局員が青くなって俺たちのやり取りを見守っている。
 井名里が一つ息を吐いた。そして、まだ震えが残る指でメガネを押し上げる。
「……理解できるとは言わないが、想像はできる。だからこそ、なぜお前がこんなことをしているのか、その理由が知りたいんだ」
 井名里らしい、自分を偽らない率直な言葉だ。
 こいつには、理解できないのだろう。
 自分が歩いてきた道が正しいと、そう信じ続けてきたものにはわからない。
 己の道を奪われた人間の気持ちは、わからない。
「…確かに、想像できるのと理解できるのとは、べつだな」
 隣の放送席にチラリと視線を投げた。怯えたように身をすくませた放送局員の後ろには、使われていないパイプ椅子が何脚か残っている。視線を移せば、遠巻きにこちらの様子をうかがっている生徒たちの姿が見える。好奇心――という言葉ではすまない、真剣な表情で、こちらを窺う生徒たち。
 …見世物になるのは、好きじゃない。
 一つ息をつき、井名里に背を向けて放送席の後ろに回り込んだ。
「おいっ」
 怒鳴り、追ってきた井名里に、開いたパイプ椅子を押し付ける。
「座りなよ。あんな場所じゃ人の邪魔になる」
 いちいち足を止められて様子をうかがわれてはたまらない。
 井名里がようやく集まりだした生徒に気づいた。表情を険しくさせたのを横目に捉えて、恐る恐るこちらの様子をうかがっている放送局員に声をかけた。
「ごめん、ここちょっと借りるよ。――ああ、君」
 一人の男子生徒の手が操作盤の上を動いたのを見て、声を投げた。
「今入れたスイッチは、切って。そうする必要があるかないかは、俺が判断するから」
 無言で同じ手がスイッチを切った。今のは、俺の記憶に間違いがないなら校内放送のスイッチだ。放送局だからといって、勝手なことをさせる気はない。
 広げたパイプ椅子に腰を下ろす。そしてまだ立ったままの井名里に、椅子を示して見せた。
「とりあえず、座れば? 立ち話もなんだしね。……真面目な話になるんだから」
 井名里は俺の顔とパイプ椅子を見比べたと、険しい顔で乱暴に椅子に座り込んだ。

「なんでこんなことをしたのか――本当に、わからない?」
 目の前の男を見やりながら、そう声を投げる。
「軽音の野島や、西岡や青海のことなら、理解できる。その理由も。わからないのは他のやつらだ。なぜ、お前たちがこんなことに加担するんだ」
「加担する、とは、表現が穏やかじゃないな。…じゃあ俺から訊くけど、俺がこういう行動をとるのって、そんなに意外?」
 そこの放送局員。頷かないように。
「意外に思わない奴がいたら顔を拝んでやりたいぐらい、意外だ」
「…そうはっきり言われると、俺としても傷つくんだけどね。だけど、俺の理由なら、さっき放送で全部言ったんだけど」
 井名里は黙り込んだ。
「この際だから言うけど、俺、高校に進学するとき、周りからはもっとべつの――こんな田舎の小さい高校じゃなくて、もっと都会の、もっと有名な進学校を進められていたんだ。だけど、親や先生の説得も全部無視して、俺はここに入学した」
 メガネの奥の井名里の眼が、軽く見開かれた。
「理由は簡単だ。この学校の校風が気に入ったから。のんびりしていて、穏やかで、開放的で。それが気に入ったから、俺はこの高校を選んだんだ。のんびり。穏やか。――いいじゃないか。それが青葉の最大の持ち味だろ? 受験受験ってぎすぎすした青葉なんか青葉じゃない。大体、勉強は強制されてやるものじゃないだろう。それに、成績成績ってうるさく言うほど、この学校の進学率も就職率も悪くなかったじゃないか」
 井名里が何度も口を動かして、なにか言おうとしているけれど、声にする暇なんか与えてやらない。
「俺の視点から言わせてもらうけど。はっきり言って今の授業はおもしろくも何ともない。あれじゃそこら辺の塾に通うのと何も変わらない。こういったら悪いが、寝てるほうがよっぽど有意義だ。
 俺には、前の授業の方がよっぽどおもしろかったし、やる気もわいた。
 アンケートでもとってみるか? 去年までの授業と、今年の授業、どっちの方が楽しいか。おもしろいか。やる気が出るか。
 そんなことをするまでもなく、結果は予想できるだろうけどね」
「…お前が、そんなことを言うのか?」
「俺が言うから、意味があるんだと思うけど?」
 これが七尾の言葉だったりしたら、はっきり言ってただの負け惜しみとしか受け取られない。自惚れでもなんでもなく、「俺の言葉」だからこそ、意味があるんだ。
「だからって、こんなやり方がいいはずないだろう」
「いいとか悪いとか、そういうことは問題じゃない。もし、新聞部の協力で全校生徒にアンケートをとったとしても、生徒会は動かないだろう? 今までのやり方を改善したと、そう胸を張っていえるか?」
 井名里は答えない。良くも悪くも、正直な男だ。
「言えないだろう? 生徒会がそれなら、教師が動くはずがない。だからといって、このままの状態じゃ絶対に生徒は爆発する。放送のときにも言ったけど、君たちは結局俺たちを信用していないんだ。そんな相手に本音で話そうとするものはいない。本音でぶつかるわけがない。
 ――だけど、俺たちはいやだったんだ。
 こんな状態が、耐えられなかったんだ」
「だからこんなことをしたって? 自分たちが生徒の気持ちの代弁者だとでも言うつもりか?」
「まさか。そんなつもりはない。俺たちは所詮アウトローだ。だけど、アウトローでも青葉の一員なんだ。
 俺たちが動くことで、俺たちの気持ちが生徒に伝わればいい。教師に伝わればいい。
 そうなったら、もしかしたら少しはこの状態が変わるかもしれない。
 何かを変えたいと思ったら、誰かが行動に移さないとダメなんだ。
 だから、俺たちは行動した。少しでも、なにかが変わればいいと思ったから」
 …まあ、自分のしていることが正しいことだとは、言い切れないけれど。言い切ろうとも思わないけど。
「……盗みを働いてまで?」
 低い声が、一番痛いところを突いてきた。
 そこを突かれると、弱い。
「最初はなくしたと思っていたが、お前たちの言い分を聞く限りじゃ、どうやら違うようだな。…泥棒のくせに、なにが『変化』だ。もっともらしいことをいう権利はお前たちにはない」
 …まあ、それはまさにその通りなんだけど。
 だからといって、ここでやり込められるような人間では、ない。
「そうでもしないと、君たちはここまで真剣にならなかっただろう? こっちにも大義名分が必要だったし」
「それは言い逃れに過ぎない」
 言われなくてもわかっている。
「…確かに、これはただの言い逃れだけれど。なくなって、何か困ったことでもあったのか? 一応、書類や何かの捺印が終わってから持ち出したんだけど」
「それは」
 井名里が言葉に詰まった。それを見逃すような俺じゃない。
「困らなかっただろう? これからしばらくは必要になる行事もないし。一応、生徒会に迷惑がかからないように気を使ったんだけど」
「気を使うとか、問題はそういうことじゃないだろう」
 気づかれたか。
 今更言い逃れとか、そういうことをするつもりは毛頭なかったので、ただ肩をすくめるだけにとどめた。
 井名里が額を抑えた。長い溜息が聞こえた。
「…俺は、束縛するとか、そういうつもりじゃ……」
 かすかな呟き。
 それには、俺は答えなかった。
 ただ、黙って、うなだれる井名里を見つめていた。
 一年のときの彼のことを、少し知っていた。今ほど視野も狭くなく、融通も利いた。
 井名里がこんな風になったのには、何か理由があったはずだ。
 だけど、そのことを訊こうとは思わない。俺には訊く権利も義務もないから。
 

 ざわざわと、人のざわめきが耳に届く。
 放送局員が流すポップスが場違いに明るく感じられ、どうにも居心地が悪くなった。
 ――他のみんなは、どうしているんだろう。
 無事なのだろうか。
 …まあ、俺と違って、みんなそれなりに運動神経もいいし、足も速いから、たぶんなんとかなっているとは思うけど。
 そんなことを考えていたとき。


 廊下をこちらに歩いてくる人物が眼に止まって、思わず眼を見開き、立ち上がっていた。
「舟木さん」
 女性の教師――あれは確か、家庭科の先生だ――に付き添われているのは、舟木さんだった。
 つかまったのか。
 俺がそう思うのと、彼女がこちらに気づいたのは同時だった。
「あ――」
「森本君!」
 舟木さんが声を上げるよりも早く、その女教師が大声を上げて俺に歩み寄ってきた。
 あまりいい予感がしなくて、そのまますとんと椅子に腰を下ろす。
 案の定、放送席の後ろに入り込んできた教師は、いきなりこう言ったのだ。
「森本君! なんであなたがこんなことを――。西岡さんたちに脅されているのね? そうなんでしょう?」
 思わず、舟木さんを見た。舟木さんはぺろりと舌を出す。
 ……なんとなく事情を悟って、思わず、溜息。
「それとも何か弱みでも握られているの? なんで先生に一言相談してくれなかったの」
 なにを勘違いしているのか、そんなこと想像するのもいやだった。
 もう一度大きく息をつき、化粧の濃いその顔を見上げる。
「これは俺の意志でやったことです。西岡さんにも、もちろん舟木さんにも責任はないし、先生がそこまで心配するような事態は何もありませんので」
「でも」
 その先は言わせない。
「それよりも、先生たちの方こそ余裕がないんじゃないですか? あと一時間切っているんですよ?」
 その一言で、教師の口が閉まった。
 悔しそうに俺たちを一瞥したあと、「井名里君、彼らをお願いね」と言い残して忙しそうに走り去っていく。
 その姿を見送った舟木さんが、俺を振り向いて申し訳なさそうな表情をした。
「ごめんね。いやな思いさせちゃって」
「いやな思いをしたのは舟木さんだろ。まあ、お疲れさまでした」
 言いつつ椅子を引き出して、手で示す。すると、舟木さんは「ありがとー」と笑ってそれに腰を下ろした。
 それから、興味深そうに井名里を眺めると、俺を振り返ってこう言った。
「レオは井名里君と二人でなにやってたの?」
「……その呼び方やめてくれない?」
 こらそこの放送局員。なに笑ってるんだ。そこの井名里クン。その表情はなんだ。
 全然良くないんだが、舟木さんは「いいじゃん別に―」と笑って取り合わない。
 仕方なく、深く考えないことにして溜息を一つこぼした。
「…まあ、いろいろとね」
「そっかー。じゃあ、レオは井名里クンに身体検査されたんだ」
 は?
「何の話? いきなり気持ち悪い話しないでくれる?」
 俺が井名里に身体検査?
 想像するだけでもジンマシンが出そうだ。
 ところが、舟木さんは意外そうな顔でこう言ったのだ。
「ええ? されてないの? あたしなんか保健室つれてかれて、保健のセンセと鈴木センセと、二人がかりでされたよー」
「なんだって?」
 声を出したのは俺ではなくて井名里だった。
 驚いて井名里を見ると、妙に真剣な顔で舟木さんを凝視していた。
「そんなことされたのか?」
「え、あ、まあ、うん」
 気圧されているのか、こくこくと頷く舟木さん。
 井名里は、難しい表情で何か考え込んでしまった。
 舟木さんと二人顔を見合わせる。
 よくわからないが、放っておこう。
「…レオは、いつ頃つかまったの?」
「四時過ぎかな」
「あたしと一緒だ。…みんな、無事かなあ」
「まあ、絶対無事そうなのは向井さんだろうけど」
 あはは、と明るい声を上げて舟木さんが笑った。
 その笑いが、ぴたりと止まる。
「……今、何時だろ」
 その声に、時計を見る。
「四時十七分」
「……まだまだ、だね」
「そうだな」
 ふー、と、溜息。閉じた両膝の上に両肘を置いて、その上に顔を乗せて舟木さんは呟く。
「早く、時間経たないかなあ」
 それには、心の中でだけ同意する。
 早く過ぎて欲しいときに限って、時間は遅々として進まない。
 ざわめきが聞こえる。
 昇降口の向こうには、行き交う人の波が見える。
 流行の曲が流れている。
「…さっき、鈴木先生が言っていたことは本当か?」
「はい?」
 思わず井名里を見た。井名里は、メガネの奥から俺たちをじっと見つめていた。
「鈴木先生が、言ったこと?」
 舟木さんが繰り返す。顔を見合す、そしてすぐに何のことか思い至って二人して手を打っていた。
「ああ、あの「脅されて」とか? そんなわけないじゃん」
 からっとした口調であっさりと舟木さんが一蹴する。
「そもそも、この計画立てたのは俺だしな。脅されてしたのならもっとどうしようもないようなプラン立ててるよ」
「…でもレオって黙って脅されるような人じゃないでしょ」
「よくわかっていらっしゃる」
 その通りなので、特に否定することもないしそれだけ言うと、なぜか舟木さんは嬉しそうに笑った。…べつに褒めたつもりはなかったんだけど。
「…舟木さんは、なぜこんなことに参加したんだ?」
「え」
 井名里の言葉に、なぜか舟木さんの笑顔が固まった。気のせいか、口の端が引きつっているように見える。
「…演劇部が、文化祭に参加できなくなったから、だろ?」
「レ、レオッ!」
 いやそのお面白おかしいあだ名を大声で叫ばないでくれないか?
 じゃなくて。
「いやその、そうじゃなくてっ。ほらレオが放送で言ってたじゃん。あれよあれっ。あたし、前の青葉が好きだったからっ」
「…そんなこと、聞いた覚えないんだけど」
 舟木さんの参加理由って、そういうことだったか?
 それに、なんでそんなに慌ててるんだ?
 と、井名里が思いっきり溜息をついた。
「……。言わせてもらうなら、それは、逆恨みって言うやつじゃないのか?」
「え?」
「ち、違うってば!」
 慌てて否定する舟木さんと、それを呆れたような表情で睨む井名里。何がどうなってるんだ?
「演劇部に文化祭参加不可の決定を下した理由を、俺はちゃんと説明したはずだが」
「あ、そのー」
 両手を握ったり、離したり、落ち着きなく動かし始めた舟木さん。対する井名里の瞳はどんどん細くなっていく。
「他の部とは違って、演劇部は取り立てて活動をしている様子もなかったし、部活をするにしてもただ集まって菓子を食いながら世間話して終わりだっただろう。だから、それくらいなら他の劇の上演時間を長くするほうをとると、俺は言ったんだ」
「でもっ、文化祭は演劇部が唯一舞台に立てる機会なんだよ? それを潰すことないじゃん!」
「俺は事前にちゃんと、きちんと活動をしている様子を示せば許可すると言っていたはずだ。一月経っても、部活の様子が改善されていなかったから、参加不可の決定を出した。
 ――俺がしたことは間違っていたか? 森本」
「………いや」
 なるほどね。
 なんとなく、事情が理解できてきた。
「レオッ!?」
 だからその名を呼ばないでくれ。
「でもでもっ、それだけじゃないもん! あたしたちのことよりも、じゃあ軽音はどうなのよ! あっちは理不尽じゃないの!?」
「…確かに、あれは短慮だったと反省している。その証拠に、直前まで教職員の方と男子部員の参加を交渉していたんだ」
「え」
「その証拠に、演奏を止めたりしていないだろう? 最初は連絡が届いていなかった教師が騒いでいたけれど、今はもう誰も咎めていないはずだ。違うか?」
 …そういえば。
 思い当たることがあったのか、舟木さんも動きを止めていた。
 軽く息をついて、井名里が足を組んだ。
 そして二の句がつけずに立ち尽くしている舟木さんを軽く睨む。
「…で? まだ言い訳することがあるのか?」
「…………」
 何度目かに落ちた沈黙が、その場を支配した。

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