高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 退屈と苛立ちと鬱屈と  3

//住吉数実(すみよしかずのり)//

 朝、起きぬけにいきなり母親に言われた。
「バートさんのお父さん、具合が悪くなったらしいのよ」
 いきなりだった。
 本当に突然だった。
「…あ?」
 寝起きで頭がぼんやりしているときに言われたものだから、なにを言われたのか理解するのに時間がかかっちまう。
 バートさん。の、お父さん。
 見事な白髪の、鷲鼻の厳しい顔をした老人を思い出す。
「イギリスのじいさん? どうかしたの?」
 そわそわと落ち着きなく動く母親に訊いてみると、あっさりと肯定された。
「なんだかねえ、肺に穴があいたらしくって。それでバートさんと芙美が今朝向こうに発つのよ」
「今朝ぁ? 急じゃねえの。そんなに病気重いん?」
「どうなのかねえ。でも、向こうのお父さんももうお年だし。芙美たちは一週間ほど向こうに行くって言うから、やっぱりなにかお見舞いを持っていったほうがいいわよねえ」
 …ここで問題視するのは手土産とかよりも、バートさん夫妻が一週間家を空けるってことだと思うんだが、母上。それに、手土産探すのはいいけれど、俺の朝飯はどうなってるんだ? テーブルの上にはめざししかないぞ。
 母親は棚漁りに夢中で、仕方なく自分でご飯をよそう。幸いと言うかなんと言うか、ご飯と味噌汁だけは作ってあった。育ち盛りの息子に、この仕打ちはないんじゃないか。
 ご飯をかきこみながら、母親の背中に向かって訊く。
「じゃあ、あいつ一週間ひとり?」
 長い金髪の友人を思い浮かべる。
「ああ、そうそうそうなのよ! いくらしっかりしてるって言ってもねえ、やっぱり心配よねえ」
 嘘つけ。
 今の今まで忘れてただろう。
 めざしをおかずに白ご飯だけ三杯食べて、学ランを羽織ると台所を飛び出した。
 そうか。あいつ、しばらくひとりなのか。
 それは、さぞかし淋しかろう。
 そんなことを思って家を出て、学校へ向かうと、暴れブタ事件が起こっていた。
 いや、暴れブタ事件というよりも、青海詩織暴れブタ撃退事件と言ったほうが正しいのか。
 ただでさえ目立つ外見をしているのに、どうしても目立たずにはいられない女。それも不可抗力と言うか、トラブルに巻き込まれてしまった結果本人の意に反して目立ってしまう、厄介な女。
 自覚はしていないらしいが、かなりギャグ道を地で行っている人間だと思う。
 普通、いくら田舎だといっても、暴れブタなんてものはまず出ないし、さらにそれを蹴り飛ばしてやろうなんていう人間はまず間違いなく現れない。
 青海詩織以外は。


 昼休み、いつもの会合at屋上。
 議題というほど大げさなものではないがそれでも充分切実な問題は、文化祭について。
 軽音と演劇部が文化祭に出れなくなったのだ。しかも、軽音は男子限定。女子はお咎めなし。
 そういう、あからさまな対応が、なによりも嫌いだ。
 野島はかなりギターが上手いし、軽音の演奏は結構レベルが高いと評判だった。下手の横好きというレベルではなく、本当に上手い。もちろん野島も自分のギターには自信を持っているだろう。それを、いきなり中止にされて、黙っていられるはずがない。演劇部もそうだ。
 いいかげん、頭にきていた。
 だから、つい、言っていた。

 文化祭、のっとるか?

 全員が、それも渡会までもが賛同したことに驚いた。

 詩織も、なんとか賛成してくれたようだった。
 それで作戦会議をしようということになり、放課後の屋上はいくらなんでも寒いし嫌だ、ということで場所を探しているときに、詩織のことを思い出した。
 家にひとりは、淋しかろう、と思っていたのかもしれない。
 詩織の家でやろうと提案し、詩織の許可も出たのであっさりと会議場は青海家に決まった。あまり他人とべたべたするのを嫌う詩織だが、あっさりと頷いたところを見るとやはり不安があったのかもしれない。一週間も、家でひとりで過ごすのはたぶんこいつはこれが初めてだろうから。
 予鈴が鳴って、食べ物の包みなんかを片付けているとき、訊いてみた。
「うちに泊まってもいいんだぞ?」
 すると、詩織はあっさりと首を横に振った。
「大丈夫だって。心配性だねえスミ君は」
 いや俺よりも姉貴とかおふくろのほうがさ。
 そう言っても詩織はにこにこと笑って手を振っていた。
「平気だって。今じゃもうご飯も作れるし、子供じゃないんだからさ。たまにはひとりを満喫するのもオツなもんだろ」
 オツって…そういう問題か?
 じゃあ、せめて晩飯ぐらいはうちで食えば?
「今夜自分で作ってみて、やっぱり淋しくなったらそっち行くよ。いつまでも甘えてちゃ悪いしね」
 悪いとか、迷惑だとか考える人間はうちにはいないと思うんだが。
 それでも、詩織がこう言う以上あまり強引に誘うのも気が引けるので、それ以上は言わなかった。


 家に帰り、着替えると紙袋を引っ張り出す。ゲーム機をそのまま紙袋の中に入れようとしていると、部屋の入り口のところで人の気配がした。ふ、とそちらに顔を向けて、驚く。三十代半ばの女性がそこに立っていた。開いたふすまに寄りかかるようにして、見下ろしている。
「……果歩ねえ。出戻り?」
「ほかに言うことはないのか、弟」
 いえなにもないですごめんなさい。
 もうずいぶん前に住吉姓ではなくなったこの女は、しょっちゅう旦那とケンカして家に駆け込んでくる。今回もそれかと思ったら、どうやら違うらしい。
 抱えているゲーム機と紙袋を顎で示して、訊いてきた。
「それ、詩織に?」
「ああ。夜とか退屈だろうと思って」
 ゲーム機と、ソフトをいくつか。
 果歩ねえはずかずかと部屋にはいってくると、ひょいと身体を折ってソフトを眺めた。
「…あんたさあ。女の子に格ゲーはないんじゃないの? それも対戦モノ。ひとりでやってもおもしろくないじゃないのそんなの。それくらいならRPGをもっていってやりなよ」
 ああ。そうか。
 紙袋に入れようとしていたソフトを床に置いて、変わりにずいぶん前にはやったRPGを選んで入れる。
 ふと気づくと果歩ねえの姿が消えていた。だからどうということもないので他に持っていくものを探す。すると、すぐに果歩ねえが戻ってきた。その両手には、二十冊ほどの漫画が。
 …漫画?
「これも持ってきなよ」
「……これっすか」
 これ、と言いつつどさりと床に置かれたのは、なんと言うか、ずいぶんふるーい印象の少女漫画だった。明らかに絵柄が現代風ではない。
 いつのだ。
「あたしがあんたくらいの時のかなあ」
 …何十年前だよそれ。
 こんなの、あいつ読むかなあ。
 きらきらと星が飛び交っている絵柄を見て首を傾げるが、断ると後が恐ろしいので、一度紙袋の中のものを出して、一番底に漫画を入れる。その上にゲーム機と、ソフトを5本ほど。かなりの重量になったので、補強のためにもう一枚紙袋を重ねると、姉のよくわからない声援に見送られて家を出た。
 がんばれよーって、なにをがんばれというのか。
 しかし、あの人はほんとになんのために家に帰ってきたんだ?
 まさかマジで旦那とケンカしたんじゃなかろうな。
 詩織のマンションまでは家から十分もかからない。途中にあったスーパーでペットボトルと紙パックのジュースを三本買う。集まる人数が人数だ。飲み物を用意するだけでもかなり大変なはず。
 通いなれたエントランスを通り、エレベーターで十二階へ上がる。このマンションは付近で一番高い建物なので、見晴らしがすごくいい。田園風景が一望にできて、遠くの山々がぐっと身近に感じられるこの眺めが、俺は好きだ。
 青海と書かれた表札のかかったドアの前に立ち、慣れた仕草でインターホンを押す。すぐに「ほーい」と詩織ののんきな声が聞こえた。
 ドアノブに手をかけ、ひねると「ガチャ」という手ごたえとともにドアが開いた。
 おいおい。鍵かかってねえじゃねえか。
「なんだ詩織、鍵開けっ放しじゃないか」
 顔を出した詩織を見ながらそう言う。と、洗面所から顔を出している渡会に気づいた。どこか驚いたような、ぽかんとした顔。
 なんだこいつ。もうきてたのか。
「おお、渡会。早いな」
 渡会はどこか驚いたような顔で「よう」と片手を上げる。
 ? なんだ?
 よくわからない反応。
「いやー、渡会が来たばっかりだったし。それにスミ君すぐ来るだろうと思ったから。どうせみんな来るしね」
 いや、笑いながら言うなよ。
 思わず溜息が零れた。
 靴を脱いで、家に上がる。
「まあいいけど。…これ、差し入れ」
 ペットボトルが入ったビニール袋をリビングのテーブルの上に置くと、そのまま渡会の横を通り過ぎて洗面所に戻った。手洗いうがいは、子供の頃から母親にしつけられている。よその家に遊びに行ったときも、どうしてもこれをしないと気持ちが悪いのだ。
 リビングに戻ると、渡会がひとりソファに座っていた。
 落ち着かないのかしきりにつま先が上下している。
 詩織は俺が持ってきたジュースを冷蔵庫に片付けているようだった。
 三人がけのソファ、人ひとり分の間隔を置いて渡会の隣に座る。
 突然渡会が声を上げた。
「青海、ピアノ弾くん?」
 驚いた、という声に、詩織は振り向いて軽く笑った。
「いやー、昔はやってたんだけどね。もう弾けないな」
 …そういや、最近弾いているところを見ないな。
 昔は暇さえあれば弾いていたような気がする。
 することもないのでぼーっとしていると、また渡会の声が耳に飛び込んできた。
「これ、お前の両親?」
「…人の親をこれとか言うな」
 会話に、視線をそちらに向ける。
 テレビの上に置かれた小さな写真立て。その中で笑っているのは詩織とその両親だ。
 詩織と、詩織の父親の外見は、やはり奇異に映るのだろう。渡会の声には好奇心が満ち溢れていた。
 詩織は、好奇にさらされるのが、なによりも嫌いなのに。
 苦い気持ちでいると、思いがけない科白が聞こえた。
「美人だねえ、おふくろさん。あんた父親似か」
「…どういう意味だ」
 詩織ではないが、どういう意味だ、と内心首をひねってしまった。
 単に「美人」ということを揶揄しているのか、それとも詩織の外見のことを指しているのか。
 単なる冗談とも、そうでないとも取れる科白。
 こういうところがあるから、渡会は油断がならない。
 話題を変えようと、詩織に声をかけた。
「詩織。なにか連絡は?」
 詩織の顔が曇ったように思えた。
「あー、まだない。向こうにつくのがたぶんこっち時間で夜中になるから、連絡はないと思うよ」
 そうか。
 夜中になるのか。
 なら、詩織も心配だろうな。
 渡会が奇妙な眼で俺たちを見ているのに気づいて、飾り棚に視線を移した。飾り棚の中には、水晶の原石や、バートさんの海外土産などがきちんと鎮座している。
 と、詩織がリビングにやってきた。
 俺たちの前を横切って、テレビの上の写真立てを取り上げる。そしてそのまま、自分の部屋にはいってしまった。写真立てを持ったまま。
 …まだ、気にしてるのか。
「見られたらまずかったんかな」
 どこか気まずそうに渡会が聞いてきたので、かもな、と返した。
 詩織は、まだ、自分の外見を気にしているらしい。
 ハーフだとごちゃごちゃ言われることも。
 その後、すぐに全員が集まった。
 作戦会議と呼んでいいのかよくわからない会合は、一時間ほどで終わった。
 そのあとは、テレビとか、漫画とか、音楽とか、いろんな話をだらだらと話す。
 暗くなってきたから、と舟木と西岡が帰ったのは、五時過ぎだった。その後すぐ野島も帰っていく。
 渡会は、やはりと言うかなんと言うか、帰らなかった。帰る素振りすら見せない。
 向井は家も近いし俺たちとはなじみだからいいとして。
 時々俺と詩織が話をしているときにちろりと顔を上げる以外、雑誌から顔を上げようとしない。ソファで悠々と身体を伸ばして、くつろいでいる。
 くつろぐな、他人ンちで。
 向井も、たぶん詩織になにか話したいことがあるのだろう、ちらちらと渡会をうかがっている。俺も、向井や詩織と話すことがあるのだが、渡会が邪魔で話せない。
 会話が表面を滑っていくのがわかる。本心での会話ができない。
 どこかの誰かのせいで。
 六時過ぎになって、ようやく渡会が顔を上げた。渡会の様子をうかがっていた俺たちとばちっと眼があってしまう。
「あ、なに?」
 真っ先に口を開いたのは向井だった。
「ううん。なんでもないよ。渡会君は、時間、大丈夫なの? もし良かったら、一緒に帰らない?」
 なに?
 ちょっと待て。向井、お前詩織になにか話があったんじゃないのか?
 眼だけで問い掛けると、向井はにこっと微笑みかけた。
 なんとなく、笑顔の意味がわかる。
 向井は、俺に譲ってくれたのだろう。
 自分も詩織に話があるはずなのに。
 なにも知らない渡会がバカみたいに笑いながら言う。
「おお? 向井さんからのお誘い?」
 なんとなく、いやかなりむかついたので、背中を拳で殴ってやった。痛そうに顔をしかめるが、当たり前だ、痛がるように殴ったんだから。
 それでもこいつはくじけない。
「向井さん、家はどっち?」
「駅のほうなんだけど」
「あ、じゃ俺と一緒だ」
 にこにこーっと、狼そのものの笑顔でそんなことを言っている。
 待て。
 かなり焦っている俺を後目に渡会は読んでいた雑誌をテーブルの上に置くと立ち上がる。
「や、すっかりくつろいじまって悪いねえ」
「くつろぎすぎだってあんた」
 苦い顔で詩織が言う。同感だ。同感だが、だからちょっと待て。
 俺の焦りに気づいたのだろう、詩織がくすりと笑った。
「スミ君ももう帰りなよ」
 なにもかもわかってる、という顔で言われて、うろたえてしまう。
「でも、ほんとに大丈夫か?」
「大丈夫だってば。なにかあったら連絡するから」
 詩織はひらひらと片手を振った。
 大丈夫だから早く行け、というふうに。
 背後で渡会の声がした。
「じゃ、住吉は置いて帰りますか」
「待てや」
 とっさに言うが、無視される。
 渡会は向井を促して家を出ようとしている。
 あーもう、くそう。
「じゃ、これ、取りあえず渡しとくから。戸締りだけはちゃんとしてろよ。メシもちゃんと食えよ。明日寝坊するんじゃねえぞ。朝飯ちゃんと食えよ」
 急いでまくし立てると、わかったわかったと頷く詩織に促されて玄関に向かった。とたん、こっちを向いていた渡会と眼が合い、気まずくなって心を落ち着かせる。
「また明日ー」
 と、俺を見てひらひらと手を振った詩織の笑顔が妙に小悪魔的で、確信犯的で、あいつの前でうろたえたことを思いきり後悔した。


 外の空気は冷たかった。虫の音がうるさく耳に反響する。耳元が寒い。
 向井が「よかったの?」というふうにこちらを見上げてくる。向井は小さくて、眼が大きい。こちらを見上げてくる表情なんかは小動物みたいだ。
 渡会と向井の間に割り込むようにして、向井とだけ話をして。
 我ながら大人気ないとは思うが。いや実際ガキなんだが。
 渡会がなにも喋らないのをいいことに、二人で話し続ける。すぐに、分かれ道に出た。真っ直ぐ行けば駅に出て、左に曲がれば向井の住むマンションがある。
 ぼーっとしている渡会の肩を軽く叩いて言った。
「俺ら、こっちだけど、おまえ駅まで行くんだっけ?」
 渡会はちょっと驚いたように目を丸くして、すぐに頷いた。
「あ、そう。俺電車だし。なんだ二人とも近いんか?」
 頷く。
 すると渡会はかりかりと頭を掻いた。ぼさぼさの髪。
「あー、そっか。ほんじゃ、また」
「おう」
「ばいばい」
 ひとりズボンのポケットに両手を突っ込んで背中を丸めて歩く渡会の姿をなんとなく見送る。そして、二人、なんとなく顔を見合わせた。
 なんとなく、お互い笑った。
「…向井、あいつになんか話あったんじゃなかったんか?」
「うんと。言いたいことはほとんど住吉君が言ってくれたから、もういいかな」
 控えめに笑う。舟木のように、豪快に笑わないところが、いいと思う。
 向井は俺や詩織とも付き合いが長い。いちいち説明しなくてもわかってくれる人間というのはいいものだ。
 のんびりと歩きながら、向井は首をすくめるようにして笑った。
「渡会君って、変なの」
「かーなーり、変だな」
 くすくすと向井は笑う。
「気づいてた? 住吉君が詩織ちゃんと話してたら、絶対様子をうかがってるの。わかりやすいよね」
 言われた意味がよくわからなかった。
「は? なにが?」
 向井はふふふと笑うきりで説明しない。突然別のことを言った。
「今朝ね、ブタが出たでしょ?」
 雨が降ったでしょ? とそんな感じでこういうことを言ってしまうところが田舎の不思議なところだと、以前誰かが言っていた。
 向井は続ける。
「詩織ちゃんが、退治しちゃったんだけど。そのときにね、あたし見てたの」
 なにを。
「詩織ちゃん、気づいてなかったみたいだけど。ブタが詩織ちゃんめがけて走ってるの見て、渡会君顔色変えてね。竹刀、袋に入ったままなのに構えようとしてた」
 結局間に合わなかったけど。
 静かな、微笑みながらの言葉に、しばし考え込んでしまった。
 それは…どういう風に取ればいいのか。
 さっきの向井の科白と総合して考える。
 弾き出された結論は、はっきり言って笑い飛ばしたくなるようなものだった。
「……まさか、だよな?」
 尋ねる自分の口の端が引きつっているのがわかった。向井はくすくすと笑うきりで答えない。
「だって、渡会って西岡と仲いいし」
 向井は可愛らしく笑うだけ。
 渡会と…詩織?
 想像できねえ。
 いつもいつも顔をあわせるとどつき漫才やっているような二人だぞ?
 向井はくすくすと笑っている。
 ……世の中、まだまだ謎がいっぱいだ。

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