激走!文化祭 16
//青海詩織//
沸き返る生徒たち。音を立てて空に広がるのは煙だけの花火だ。
柵に寄りかかるようにして、長い息を吐いた。
「……終わった…」
肩に手が置かれる。見上げると、笑っている渡会の顔があった。思わず笑顔になった。
再び眼下を見下ろす。飛び上がって喜んでいるのは透子と西岡だ。七尾君も、今まで見た中で一番いい笑顔を浮かべている。住吉と森本君はステージに座り込んでしまっていた。
…みんな、がんばったもんね…。
知らず口元に笑みが浮かんでいた。
と、突然肩になにかがかかった。暖かな感触。
驚いて眼をやると、見覚えのある黒いマントが肩を覆っていた。
びっくりして渡会を見ると、どこか照れくさそうな顔で笑っていた。
「かけてろよ。その格好寒そうでさ」
「…あ…ありがと」
…うわあ。どうしよう、すごく嬉しい。
赤くなっているかもしれない顔を慌てて校庭に向ける。
と、生徒の群れが突然動き始めた。
校舎のほうから波のように一本の道が生まれる。
「…あ」
道の端に現れた人影を見つけて、思わず声が漏れた。
この距離でもわかる。
がっしりとした体躯の教頭先生と、数人の教師。
そして、生徒会長。
真っ直ぐに、ステージへ向かう彼ら。
肩に渡会の手が乗せられる。
振り仰ぐと、真剣な表情にぶつかった。
「…行こう」
「うん」
頷いて、二人同時に身を翻した。
とたん、忘れていた脚の痛みが蘇り、一瞬体が泳いでしまった。
「…ッ」
渡会が振り向いた。一瞬心配そうな顔になり、こちらをのぞきこんでくる。
「大丈夫か? 後からゆっくり来いよ」
「いい。行ける」
後からなんて、そんなのはいやだ。
首を振って身体を起こし、渡会の腕を引っ張るようにして歩き出す。
「急ごう」
住吉たちだけに戦わせるわけには行かない。
渡会はしばらくあたしを見ていたが、ややあって仕方なさそうな溜息を漏らすと、苦笑した。
「そうだな」
そして、手を離したあたしを振り返って、片手を伸ばしてくる。
差し出された手の平と、渡会の顔を何度も見比べて、その手に自分の手を乗せた。
渡会がチラリと笑って、手を握ってきた。
「行くぞ」
そうして、屋上の扉が開かれた。
校庭は奇妙なほど静まり返っていた。人の頭越しに、ステージの上に立つ住吉と森本君の姿が見える。
一度消えた道が、あたしと渡会の姿を認めたとたんに再び開けた。生徒の視線を全員に感じつつ、ステージへと急ぐ。
住吉があたしに気づいた。わずかに遅れて、森本君も。
道が割れる。
真っ直ぐにステージに伸びる。
その先に現れた人物を見て、思わず足が止まった。
井名里。それに、先生たち。教頭先生までいる。
住吉の表情が動いた。それにつられるようにして、井名里たちがこちらを振り向いた。
渡会の手が背中を押した。
傍らの渡会の存在が心強くて、真っ直ぐに背筋を伸ばして、見つめてくる視線を跳ね返した。
口を開くものは誰もいない。
何百もの視線に見つめられて、井名里のもとへと歩み寄る。
真っ直ぐ見つめてくるメガネの奥の細い瞳を、真っ直ぐ見返す。
スカートのポケットの中には小さな箱。
今日一度も取り出されることがなかったそれを手の上に乗せて、井名里に差し出した。
耳に痛いほどの沈黙。
井名里はしばらく箱を睨むようにして見つめていたが、ややあって奪うようにそれを取った。
「……なんで、こんな…」
うめくような声が漏れて、それきり口を閉ざす。うなだれた彼から、教師たちへと視線を転じた。
ステージの上の森本君が、静かに口を開いた。
「…先生方。ゲームは俺たちの――」
静かな声を打ち消したのは硬質な声だった。
「茶番は終わりだ」
教頭の声に、一瞬生徒たちが大きくざわめいた。ざわめきは高圧的な怒鳴り声によってかき消される。
「これだけ騒げば気がすんだだろう! ほら、解散だ!」
「そんな!」
あちこちから上がった声に、重なるように低い声が続く。
「…茶番、だって?」
森本君を振り向いて、教頭はさらに言った。
「ああそうだ。お前らが一方的に大騒ぎしてやったことだろう。これが茶番でなくてなんだと言うんだ?」
その一言に。
すぅ、と、全身の熱が一気に冷めるような、そんな感覚。
ざわついていた周囲が一瞬静まり返った。
茶番?
――こっちは、本気だった。
真剣だった。
それを、そんな言葉で済ませようっていうのか、この人たちは。
女教師が手を叩く。
「ほら、もういいでしょう、あなたたち教室へ戻りなさい」
大きくなるざわめき。膨れ上がるのは――不満、なんて言葉では表現できないほどの、感情。
「さあ、」
「待てよ!!」
怒鳴り声が、教師の言葉を、ざわめきを押しとどめた。
思わず傍らを――声の発生源を見上げる。
教師を睨みつけながら、怒りを押し殺した声で渡会は言った。
「茶番だって言ったな。だったら、なんであんなに血相変えて俺たちを追いかけた。つまらねえことだと思ってたんなら、ただの悪ふざけ程度にしか思ってなかったってんなら、無視すりゃよかっただろうが」
渡会の語尾に、森本君の声が重なった。
「渡会の言う通りだ。騒ぎをここまで大きくしたのは俺たちじゃなくて、先生方です。散々追い掛け回しておいて、この期に及んでそんなことを言いますか?」
「話をすりかえるな! だいたい森本、お前までがなんで」
「すりかえてるのはそっちだろう!」
教師の声を遮って住吉が怒鳴った。
「本気で茶番だと思ってたのなら、放送があった時点でなにかしら動きがあったはずじゃないか! それがなんだ? 放送を打ち消すこともせず、ただただ俺たちを追い掛け回して、タイムリミットが来たら『今のは茶番だった』!? バカにするなよ!」
普段温厚な住吉の剣幕に、教師たちは一瞬気圧される。
森本君が、息を切らして口を閉ざした住吉の後を継いだ。
「放送のあと、先生方は必死になって俺たちを追い掛け回した。その時点ですでに俺たちとのゲームは始まっていたんだ」
周りから同意の声があがった。教師に向かってブーイングが飛ばされる。
ただ黙って教師とのやり取りを見守っていると、突然耳元で声がした。
「…悪ぃ」
ボソリと渡会が囁いた。
その意味を聞き返す間もなく、ぐい、と身体を抱えあげられる。
声をあげるよりも早く、あたしの身体はステージの上に押し上げられていた。
「百歩譲って今までのが俺たちの茶番だったとしても、あんたたちはその茶番に乗ったんだ。――その結果が、これだ」
「わっ!?」
言うなり、いきなり靴を脱がされた。
右の、靴。
とたん、すぐそばにいた透子とのぞみが息を呑む音が聞こえた。
「――ちょっと青海、あんたなによこれ!」
「しおりん!?」
ストッキングの上からでもわかる、大きくふくれ上がった足首。一目で異常が見て取れるほどの、腫れ。
ステージの周りから、さっきまでのとはまた違ったざわめきが広がっていく。
声をなくした教師を静かに見やって、渡会が口を開いた。
「――俺たちは、真剣だったんだ。こんななるまで追い掛け回しておいて、『茶番』とか今更言えると思ってんのか。…ふざけんじゃねえ」
教師たちの視線がそらされる。
「俺たちは、責任取る覚悟はできてんだ。だけど、それは今じゃない。あんたたちから、俺たちの問いに対する答えをもらってからだ。逃げんじゃねえよ。こっちは真剣なんだ」
静まり返る、校庭。
渡会の声はしんと染み渡る。
ゴトン、といきなり背後で音がした。
振り返るよりも早く、マイクを通した声が響いた。
「……センセーたちの『茶番』云々には言いたいことは山ほどあるけど、暴言になっちまうから言わねぇ。交渉は森本と住吉に全面的に任せてあるから、俺は口出ししねぇ。だけどな、発起人の一人として、どーうしても言いてぇことがある」
普段の野島からは思いも寄らないほど静かな声。それだけに、彼の怒りの大きさがひしひしと感じられる。
普段は笑みを浮かべている瞳が、今はぎらぎらと光っていた。
野島が大きく息を吸う。
そして、吠えた。
「てーめーえコラ校長! 教頭矢面に立たせてなにやってんだこらこのタヌキ! てめえの学校だろうが! 真っ先に出て来るべき人間がなんで出てこねえ! こそこそしてねえでとっとと出てこいやコルァ!!」
キ――――――――――――――――ン
野島の雄たけびは、ワンワンと反響したあと、ゆっくりと消えていった。向こうの街にまで届いたのではないか、というほどの怒声。
ステージに仁王立ちしてそのままじっとしていた野島の瞳が動いた。それと同時に、後ろの方から声があがった。
人ごみから少し離れたところに佇んでいるひとりの男。
禿げ上がった頭には申し訳程度に髪がついている。スーツでもごまかせない、ぽっこりと出た丸いお腹。
この学校の者なら誰でも知っている。
『タヌキ』の愛称で日頃生徒から親しまれている、校長。
普段は人当たりのいい笑顔を浮かべたその顔は、今、固く強張っていた。
割れた人垣を、真っ直ぐに校長は歩いてくる。
先生たちを見もせずに、真っ直ぐにステージの前まで来ると、あたしたちを見上げて、一言、言った。
「マイクを離しなさい」
視線に、ムッとした表情で野島がマイクを離した。
校長は静かに言葉を紡ぐ。
「君たちのしたことは、褒められたことではない。――それは、わかっているね?」
生徒たちから咎めるような声があがったが、あたしたちは静かに頷いた。
わかってる。
かなり強硬手段だったってことぐらい。
「君たちの思いは、確かに聴いた。…だけれど、それに対する答えを、私たちはまだ用意できていない」
校長の声は静かに響き渡る。
マイクも、拡声器も、なにも使っていないのに、生徒の間に染み渡る。
「一日二日でどうこうできる問題じゃない。…わかるね」
ただ、頷く。
校長は息を吐き出した。そして、言った。
「君たちは、この騒ぎの扇動者として、それなりの罰を受けなければならない。――3日間の停学だ」
生徒たちの間から一斉に声が上がった。
だけど、あたしたちは黙ってそれを受けた。
校長が生徒たちを振り向いた。
そして、静かな声で、言った。
「――解散だ。教室へ戻りなさい」
静かな一声。
だけど、その声で、生徒たちは最初は渋っていたが、やがてぞろぞろと校舎へと引き返し始めた。
生徒との信頼が、一応は築けているという証。
校長が、振り向いた。
「……君たちのご両親に連絡します」
そうして背を向けた校長に、森本君が静かな声を放った。
「生徒の真剣さを真っ直ぐに受け止めることすらできないような人は、教師としては失格ですよ」
校長の足が止まる。
一瞬の沈黙ののち、校長は再び歩き出した。
あたしたちに背を向けて。
そうして、一人、二人、と教師が去っていく。
教頭が去り、最後に井名里だけが残った。
メガネの奥の細い瞳は、不安定に揺れていた。
「…悪かったな、それ」
住吉がポツリと言う。手の中の箱に視線を落としたあと、井名里は俯き、長い息を吐き出した。
そして、無言で背を向け、校舎へと歩き出した。
力ないその後ろ姿を見送りながら、ポツリ、と野島が呟く。
「………なんか、あいつには悪いことしちまったな」
「まあ、な」
呟いて、住吉があたしを覗きこんできた。
「しっかし詩織、無茶したなあ。立てるのか、それ」
「あははー」
いや、今になって痛覚が蘇ってきたんだけどさー。
「あははじゃねえって」
渡会に頭を小突かれる。
「ていうかしおりん、ストッキング伝染しまくり! なにしてたのさ!」
あー、そりゃあ、あんなところから飛び降りたらねえ。伝染ぐらいするわな。
ふう、と誰からともなく、溜息をつく。
そして、なんとなく空を見上げた。
胸の奥にまで吹き込んでくるような、冷たい風が頬を撫でる。
「……終わった…」
終わったんだ。
ようやく、実感した。
少しかすんだ夕方の空は、紫がかっていた。
暖かい色だった。
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