高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 秀才クン  2

//青海詩織(おうみしおり)//

「…まあまあ、会話できただけでも充分だってしおりん。そんなに落ち込まなくても。ね?」
 放課後、いつものように屋上で。透子が慰めてはくれるけど、やっぱり落ち込む。ああ、秋風が身と心に冷たく吹き込んでくる。
「そうそう、一筋縄でいけるとは思ってねえもん。まだ次があるから」
 ありがとう、野島。そうだよな、まだまだ次が控えてるし。
「一二班はだめだったとして…次は、誰が行く?」
 住吉が全員に尋ねた。チャンスは明日の朝と昼、放課後か。
「ほい」と渡会が手を上げた。
 屋上の、コンクリートの壁にもたれて、渡会はとてもとてもさりげなく言った。
「たぶん、俺は交渉ムリだと思う」
 なんで。
「一年のとき、体育で、あいつの顔面にボールぶつけたことあるし」
「―――はあ?」
 全員が、詠理までもがぽかんとした。
「いや、バレーでさ。俺のアタックをあいつ顔面で受けて。眼鏡とか歪んじまったし。だから俺、いまだにあいつと顔合わせられねんだわ」
 …まじっすか。
「…じゃあ、渡会と向井は除外して。残りの五人でなんとかやるしかないか」
 残りの五人は顔を見合わせた。
 なんだか、ものすごーく不安だったりしたのは、あたしだけ?

 …そして。

 三班、野島敦司。
「あ、はよっす」
 朝、校門前で声をかけるが。

「…思いっきり『アンタ誰?』って顔されました…」
 玉砕。


 四班、西岡のぞみ。
「こんにちはー。森岡くんだよね? お話があるんだけどぉ、ちょっと時間あるかなぁ」
 昼休み、図書室の前で待ち伏せて、声をかけるが。
「ない」
 眼も向けられず、横顔だけで拒絶される。

 と、そんなふうに、なかなか森本君は陥落されてくれない。


「なーにーよーあの鉄面皮男! こんなにかわいい女に眼もくれないなんてあいつ○◆△じゃないの!? あーもう悔しい!!」
 放課後、屋上のドアが開くなりそう飛び込んできたのぞみの様子を見ただけで、結果がわかった。確かに、のぞみは言動はアレだけど見てくれは結構かわいい…というよりも、美人の部類に入る。だから、もしかしてのぞみだったら…と思ったんだけど、ダメだったみたいだ。
 …手ごわいな。
 あれから一週間経つ。なんとか森本君との会話に成功したのは、五人中あたしと住吉だけだった。それ以外は、完敗。特にのぞみなんかは、頭っから無視されている。
 のぞみはもうこれで六回目のチャレンジだったはず。
 屋上の壁にもたれて、住吉が空を仰いだ。今日の空は全体的に白くかすんでいて、夏のような突き抜ける青さの名残はない。
「…スミ君のほうはどうさ」
 あたしが直球勝負なら、住吉は変化球で勝負するタイプだ。昼休みになると図書室へ出かけているこいつが、例の彼とどんな会話をしているのか、気になる。一体どれくらい、話は進んでいるのか。
 空を見たまま、住吉は口を開いた。
「ん? ああ。なんか、お勧めの本の話とか、このあいだ読んだ本の感想とか、そんな話」
 ………は?
「ちょっと、交渉はどうなってるのよ」
 声を上げたのはのぞみだった。
 それに対し、住吉は口元だけでうっそうと笑う。
「とりあえず、仲良くなるところから始めんとダメだろ。直球勝負は詩織だけで充分だ」
 ああ。なるほどね。確かに、そういう「仲良くなり方」はあたしにはムリだわ。
「さっすがすみよっしー! その調子でガガンと仲間に引き込んじゃってよ!」
「むちゃ言うな」
 うーん。思ったより、難航してるなあ。
「とりあえず、可能性があるのは住吉と青海女史だけなんだろ? だったら、二人が重点的に交渉しろよ。その間、俺たちは俺たちでなんか策とか練ってみるからよ」
 渡会の言葉に驚いた。
「だって、もう一ヶ月切ってんだぜ? ものになるかどうかわからねえ奴待ってるだけじゃ時間無駄になるだろーが。それだったら、同時進行して進めたほうが早いだろ」
「…わたーって、真面目なことも言えるんだねえ」
 感心したような透子の言葉に、渡会は思いきり顔をしかめた。
「俺はいつも真面目ですけどー?」
 …いや、透子じゃないけどさ。いつもふざけてるあんたがそんなこと言うなんてほんとに意外だわ。
「さっすが渡会君♪」とか言ってのぞみが抱きつくのはもういつものことなんだけども。
 住吉と顔を見合わせる。頭を掻いて、住吉が言った。
「あー。んじゃ、交渉のほうはおれと詩織がやるとして…立案、お前らに任せるぞ?」
「おう。任されてやろーじゃねえの」
 なんとなく、渡会が住吉を睨んだような気がした。
 


 翌日、昼休みに早速住吉と図書室へ出かけた。
「とりあえず、俺があいつと話してみるから。お前は本でも選んでるフリしてろよ」
 グルだと思われたら、やっぱりなにかとまずいかもしれないしな。
 まず、住吉が図書室に入る。
 それから五分ほどたってから、図書室に入った。この一週間ですっかり慣れてしまった埃っぽい匂いが鼻についた。
 森本君は、もうきていた。いつものように、壁際の席で分厚い本を読んでいる。彼の前には住吉が座っていて、やはり、小説のようなものを読んでいるのが見えた。
 とりあえず、打ち合わせ通りに壁際の本棚の前に立って本を物色しているフリをする。さて、スミ君、お手並み拝見と行きますか。
 耳をそばだてると、静かに交わされる会話が聞こえてきた。
「……の本、結構おもしろかった」
「だろ? その作者の奴なら俺何冊か持ってるけど、読んでみるか?」
「…そうだな。この……はどんな感じなんだ?」
「ああそれは………」
 ううむ。ものすごく真面目な会話。あたしには逆立ちしてもムリだ。
「カーが好きなの? じゃあ『妖魔の森の家』は読んだ?」
「おう、俺好みでよかった」
「俺、カーはほとんど制覇したよ」
「そうか? じゃあ、カーター名義の本も読んだんか?」
「ああ」
「そりゃすごい。俺、『仮面荘の怪事件』だけ読んだことなくってさ」
「それなら……の図書館に置いてあった」
「じゃあ、今度行ってみる」
 ……なに言ってるんかさっぱりわかりませーん。
 カーって誰さー? 車ー?
 それに、なんだかんだいって、住吉結構打ち解けてるじゃんか。話も弾んでるみたいだし。あたしにはわけわからんけど。
 あたしなんていらないんじゃないかい? 住吉一人で対処できてるじゃんか。
 なんだか虚しくなって、指先で触れていた本を抜き出して開いてみる。ちょうど開いたページは右から左までぎっしり文字で埋め尽くされていて、眩暈がした。
 …ダメだ。もっと簡単なの。そう、漫画。漫画を読もう。
 そう思って、別の書架へ移ろうとしたときだった。
「…で? 住吉君は、いったいなにを企んでるわけ? 青海さんも仲間なんだろ?」
 そんな、よく通る声があたしの動きを止めた。
 動きかけた足が、完璧に固まってしまった。
「なんの話だ?」
 住吉の声。
「とぼけるなよ。二人が仲がいいって有名だ。そんな二人がお互い同じ教室にいるのに挨拶一つしないのは明らかに変だと思わないか?」
 …そんなところにまで噂は広がっていたのか。
 お互い、他人のフリをしたのが失敗だったってこと?
「それに、ここ最近ミョーに俺のところに人が来るんだよな。それも顔も知らないような奴が。そいつらも、住吉君の知り合いなんだろ?」
 違う?
 そう問う声。住吉の返事はない。
 後ろを振り向くことができなかった。森本君がどんな表情をしているのか、想像がつかない。
 ばれてたんだ。全部。気づかれてたんだ。
「……わかった。俺たちの負けだ。素直に、全部話すよ」
 諦めたような住吉の声がした。そして、そのままの声音で名前が呼ばれる。
 仕方なく、身体ごと向き直った。想像通り、鋭い視線が眼鏡越しにあたしを見つめている。
 住吉の隣の椅子を引いて、腰を下ろして、そして森本君の眼を見ないまま頭を下げた。
「ごめん。こんなマネされて気分がいいわけないと思ってるけど、ごめん」
「俺も謝らないとな。本が好きなのは本当だけど…その、騙すような真似して、悪かった」
 恐る恐る顔を上げる。すると、意外なことに。
 森本君の眼が、笑っていた。
 わずかに細められているそれが、笑みの形だと、なぜか直感した。
「…なにがおかしいのさ」
 思わずそう言うと、眼鏡の奥の目が軽く見開かれた。そしてそのままつと細められる。
 …これは、睨まれてるんじゃない。その証拠に、ほら。口元は、笑みの形。
「いや? 最近俺に声をかけてきたのは…演劇部と、軽音部の奴だろう。それに、生徒会に眼をつけられている西岡さん」
 ぐぐう。
「俺もね、これでも眼はついてるから。騒ぎを起こす人間の顔ぐらいは、それなりに覚えてるよ。…それにしても、最近急に俺に声をかけてきた人間が、そろいもそろってアンチ生徒会派とはね」
 くくっと、押し殺した声。
 あたしたちは声も出ない。
「でも、ひとつだけわからないことがある。クラブにも入ってなく、成績もよくて教師や生徒会に眼をつけられているわけでもない住吉君が関わってくるのはなぜ? 青海さんとの噂を聞かなかったら、君もアンチだとは思わなかったよ」
 住吉の溜息が聞こえた。
「まあ、俺にもいろいろあるんだ。それに、こいつは関係ない。俺があいつらに反感を持っているのとこいつとは、はっきり言って無関係だ」
 …うん。そう。いわれなくてもそれは知ってる。
 問い掛けるような視線を向けられたので、黙って頷いた。
「…噂は噂ってこと?」
「そうだ」
 きっぱりと住吉が言い切る。
 ふうん、と呟いたあと、森本君は鋭い眼であたしたちを見た。
「それで、いったいなにがしたいわけ?」
 その質問を待ってたんだ。
 そんな感じで、住吉が一気に話し出した。
 生徒会の各クラブへの態度。生徒への態度。自分たちの想い。
 そんなことを熱く(でも図書室だからそれなりに声のトーンは落として)語ったあと、住吉は熱を帯びた声で言った。
「…生徒会に、一泡ふかせてやりたいんだ」
 森本君は、静かにこちらを見つめている。その薄い唇が開いた。
「一泡でいいの?」
「――え?」
 緊張して言葉を待っていたあたしたちは、落とされた科白にポケッとしてしまった。なにを言われたのかわからなかった。
「…そりゃあ、できたら、二泡以上ふかせてやりたいなーとか、思ってるけど」
「じゃあ、そうしようよ」
 あっさりと。
 本当にさらりと言われて、眼が点になった。
「仲間になってくれるのか?」
 住吉の上擦った声に、これまたあっさりと、眼の前の学年一の秀才は頷いた。
「ああ。最近暇してたし。それに、俺は、この学校の雰囲気が好きで入学したんだ。それがたった一年でがらりと変わられちゃな。イイ大学イイ大学って騒ぐ教師も鬱陶しいし」
 うわお。さすが森本さま。そんな科白言われたことすらないよあたし。こら、住吉。当然って顔すんな。
「って、こないだはそんなこと一言も言わなかっただろ。不満はないんじゃなかったの?」
「人間、初対面の相手にそう簡単に本心をぶちまけられるものじゃないってこと、覚えておいた方がいいね、青海さん」
 あーそうですか。さようでございますか。
「じゃあ、仲間になってくれるんだな?」
 こっくりと、頷く森本君。
 なんだかいきなりな展開に信じられなくて、取り残されてるよ、あたし。
 だって…だってだよ? あの、森本君が、本当に仲間になってくれるの?
 じわじわと喜びがわいてくる。
 やった、と住吉と手を取り合って喜んでいると、
「でも、その前に交換条件があるんだけど」
 なんていう声が聞こえてきて、思わず動きが止まってしまった。ついでに顔も固まってしまったと思う。
 住吉の首がぎぎぎとぎこちなく動いて、森本君の方を向いた。漏れた声は、心なしか震えていた。
「………条件、とは。なんでしょう」
 森本君は頬杖をついてこちらを見ていた。眼鏡の奥の目が、つ、と細められる。
「大丈夫、簡単なことだから。――青海さん」
「はいっ」
 なんでしょうかッ?
「そんなに怯えなくても大丈夫。すごく簡単なことだから」
「かかか簡単?」
「そう、青海さんは座っててくれればそれでいいから」
 す、座ってて…って、なにさー!?
 住吉が怪訝な、不安そうな顔で森本君とあたしを見比べている。
 森本君はにっこりと笑った。さっきのものとは違う、一目で「笑顔」だとわかる表情。
 珍しいものを見た。
 そんな顔で固まった住吉と、おそらく引きつっているだろうあたしの顔を見て、森本君は笑顔のまま、言った。


 とんでもないことを。

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