高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 秀才クン  3

//青海詩織(おうみしおり)//

 放課後の屋上。風が冷たい。身も心も寒い。薄ら寒い。
「…………なにやってんのか訊いてもいい?」
 ドアを開けて、こちらを見るなり、ものすごく胡乱げな顔で渡会がそう訊いてきた。その腕にぶら下がっているのぞみも、眼を丸くしてこちらを見ている。いつもなら嫌味の一つも飛んでくるはずのタイミングなのになにも言わないところを見ると、相当驚いているのだろう。
 目の前にいる住吉は笑い出したいのをこらえているような、困っているような、そんな珍妙な顔で沈黙している。
 フォローしてよ、頼むから。
 詠理ははぜか頬を染めてあたしと渡会の様子をうかがっているし、透子なんかはあからさまに傍観を決め込んでいる。
「…なにって言われても……見たまんま?」
「今目の前で起こっている状況を説明してと言ってるんだけど?」
 間髪いれずそう突っ込まれる。なんか、渡会目が怖い。
「説明しろって言われても――…って、いたっ!」
 髪が引っ張られて頭皮が痛み、思わず声を上げていた。とたん、背後から穏やかな声が聞こえた。
「ゴメン、痛かった?」
 そう言ったのは森本君で。
 彼の手は、今あたしの髪に触れていて。
 長い指で、髪を結ってくれている…らしい(や、だってほら、後ろに眼はついてないからさ)。
「えーっとぉ。森本君がここにいるってことは、仲間になってくれるってこと?」
 興味津々という顔で眼をきらきらさせたのぞみが覗き込んでくる。
「だから、どういうことなんだ?」
 いや、だから、なんかあんた怖いってば渡会。
 住吉ー。
 目線だけで訴えると、ようやく住吉も表情を動かした。といっても、苦笑しただけだけど。
「まあ、森本が仲間になってくれたんだ」
「それはいいから、説明」
 わたらいー。
 住吉の眉がつりあがった。なにか、おもしろいことがあったときのこいつのくせだ。なにがおもしろいんだ、こら。
 住吉がにやりと笑ってこちらを見てきた。
「それが、仲間になるに当たって交換条件なんかを提示されて」
「交換条件?」
 くるり、と渡会がこっちを見てきた。眉間にしわがよっている。
 あたしを指差して、突然怒鳴った。
「もしかして、これか!?」
「そう、それ」
 頷く住吉。
 指示語で会話するのはやめて欲しい。
 …説明するのもバカらしいんだけど。
「いやだから、“青海詩織の髪をいじらせろ”ってのが、条件」
 断る理由もないだろ?
 あっさりと住吉。
 そう。昼休み、いきなりそんなことを言われて呆然としているあたしの横で、住吉があっさりと頷いて、こう言ったのだ。
「ああ、いいぞ」と。
 あたしの意志は!? と叫んだところで、どうにもならないことはわかっていたけど、叫ばずにはいられなかった。叫んだとたん「図書室では静かに」と二人に同時に言われてしまったけど。
 回想モードに入っていたあたしは、渡会の声で現実に引き戻された。
「断れよ!」
「こいつの髪で森本が仲間になってくれるんなら安いもんだろ」
 さらりと、住吉はそう言う。
 …なんてことを…!
 真剣ショックを受けたんだけど、渡会もそうだったらしい。愕然と眼を見開いて、住吉の胸倉を掴んだまま固まっていた。
「…お前って、そう言うやつだったんか」
 低い声の響きが怖い。
 住吉の顔がなぜか一瞬緩んで、次の瞬間きりりと引き締まった。
「あー、お前さ。なんか誤解してねえ?」
「……お前って、最低だな」
 低い声でそう言って、渡会はシャツを掴んでいた手を離す。そのまま住吉に背を向けた。住吉はなにか言いたそうにしたが、そのまま挙げた手を頭に持っていく。
 渡会はうつむいてこっちにやってきた。
「…渡会?」
 いきなりその手が伸びて、腕をつかまれる。
「え?」
 ぅわっ!?
 いきなり腕を引かれて横に倒れこんだ。
 するり、と髪が森本君の手をすり抜けた感触が伝わる。
「ああ…。あと少しで完成したのに」
 言われて、慌てて身を起こすと、七分目ほどまで編みこまれたおさげが眼に入った。きっちりと、少しのほつれもなく綺麗に編まれた三つ編。
「完成なんかしなくていんだよ」
 吐き捨てられた渡会の声が、ひどくとげとげしくて、初めて聞くその響きに驚いた。思わず見上げて、渡会の、その険しい表情に硬直する。
「うわあ。森本君って器用だねえ。あたしそんなに綺麗に編めないよー」
 固まっているあたしの横でのんきな声をあげたのは透子だった。すごいねえ、と歓声を上げた透子を見て、森本君はにっこりと微笑んだ。
「ええと…舟木さんだったっけ? 君の髪も綺麗だよね。しっかりしたストレート。濡れ羽色って、そういう感じなんだろうね」
 のほほんとした声に思わずそちらを見やると、森本君はどこかわくわくとした表情で透子を覗き込んでいた。両手がわきわきと動いている。
「ねえ…触っていい?」
 え、と固まった透子の返事も待たずに、すばやくその髪に手を伸ばす。そして、本当に嬉しそうに、透子の黒髪を両手で一房すくった。髪に触れた瞬間、鋭い目が一気に細くなり、能面のようだった顔がふにゃっと緩んだ。
 幸せそうに、嬉々として、透子の髪を編み始める森本君。たぶん、あたしのときもこんな顔をしていたんじゃないだろうか。
 すばやく編まれていく透子の髪。あたしのときとは違い、細い三つ編がいくつもできる。
「上手いもんだねー。ねえ、森本君、あたしもやってよ」
 感心してのぞみがそう声を上げた。
 とたん。
「断る」
 にべもなくそう切り捨てられて、さすがののぞみも凍りついた。
「……なんでよ!」
「あんたの髪は痛みまくっていて触りたいと思わない」
 きっぱり。そう、断言する。
 ショックのあまり呆然としているのぞみを後目に、森本君は十本ほど三つ編を作ると、満足そうに微笑んだ。まとめるゴムがないため、三つ編は編みかけのままになっている。
「すごいねー」
 詠理が、心の底から感心した、と言う声を出す。
 …いや、なんて言うか。
 感心したとかそう言うレベルじゃなくってさ。
「……森本君ってさー…」
「…髪フェチ?」
 渡会が言った。その顔にはさっきまでのとげとげした表情はなく、ただ、呆然とした顔つきで森本君を見つめている。
 視線を受けて、森本君は後頭部に手を当てて眼を細めた。
「いや、そうはっきり言われると照れるんだけどね」
 ………。
 冷たい風が、屋上を一気に吹き抜けていった。
 渡会が、ひどく遠い目をして山を見つめている。住吉は、どうしていいのかわからん、という表情で頭を掻いていた。
 そんな中、突然屋上の扉が開き、やや高めの声が沈黙を突き破った。
「うおぉお、さみーっ」
 野島だ。
 両腕を抱えながら飛び出してきた野島は、森本君の顔を見て丸い眼をさらに見開いた。
「おおおっ? 森本君じゃん! なんだ、交渉成功したんだ!」
 駆け寄って、満面の笑みで背中を叩いてくる。喜ぶのはいいけどさ、痛い。
「でかした! あ、俺、軽音の野島。ちなみに三組。いやー、ほんと、どうなることかと思ってたけどさあ。仲間になってくれてよかったよかった」
 からからと笑いながらそうまくし立てる野島の顔をしばらく見た後、森本君はついと視線を外して、ニコニコ笑っている詠理に視線を向けた。その眼鏡がきらりと光った…ような気がした。
 って、ちょっと待て。森本君、まさか。
 色を変えた住吉の顔が、視界の端に映った。
「……君の髪も、綺麗だよね。猫ッ毛で、柔らかそう」
「あーっと、森本君!」
 詠理はダメだ!
 思わずその意外にがっしりとした肩を掴む。わきわきと動いていた手がぴたりと動きを止めた。
「なに?」
 振り向く。その隙に住吉がすばやく詠理を背後に隠してガードした。
「いや、その…条件はさ、“あたしの髪”だけなんだから、他の子の髪もいじるのはちょっとやばいよ」
「なぜ?」
 なんでって…。
 住吉がものすごい顔で首を横に振った。
「や、ほら、やっぱり、髪って女の子には特別なものだからさ。あんまり、恋人でもない人が触れるのは、よろしくないんじゃないかと」
 そうそう、と住吉と、そしてなぜか渡会が、頷いている。
 森本君は考えるような素振りをしたかと思うと、つと顔を上げて、そして一つ頷いた。
「わかった。じゃあ、青海さんの髪だけで我慢する」
「…人の話聞いてたのー?」
 ねえ、ちょっと。
「俺が仲間になる条件は“青海さんの髪を触らせる”ことで、それはまだ消えたわけじゃないから」
 それって詭弁じゃないですかー? あたしもう髪触らせたじゃないか。
 なんだか、住吉が「それで納得しとけ」とか、そんな表情で睨んできている。ここらで手を打って欲しいのが、あいつの本音だろう。てか、あたしの髪はほんとにどうでもいいんだな。
 しょうがない。
「…まあ、いいけどさあ。でも、程々にしてね」
「仕方ないな」
 頷いた森本君は、間髪いれず渡会に頭をはたかれて轟沈した。
「それはこっちの科白だっつの! ったく」
 一人事態が飲み込めていない野島だけが、「なんの話?」と明るい声でそう訊いていた。


 なんとか住吉の警戒と渡会の怒りも解けて(渡会がなにを怒ってるのかはわからないんだけど)、車座を組む。まだ痛むのか、頭を押さえながら森本君が口を開いた。
「…それで、俺なりに『一泡吹かせる』方法を考えてみたんだけれど」
 キラリ、とメガネが光る。誰かがつばを飲んだ音が聞こえた。
「とりあえず、一番効果的だと思うのが――生徒会長印を盗み出すことだと思うんだが」
 一瞬の沈黙の後。
「はあ――!?」
 全員の声があがった。
「盗むって、それ泥棒じゃねえか! 犯罪だろ!」頭を抱えながら声を上げたのは野島。
 その横では、額を抑えて渡会がうめいている。
「…また、住吉タイプか」
 住吉タイプ…それは、時々ものすごくぶっ飛んだ発言をかます、ということだろうか。
 みんなの反応にはかまわず、森本君は淡々と話を進めていく。
「生徒会にダメージを与えるには実に効果的だと思うんだけど。会長印がなかったら、ものすごく困るだろ? 小さな賞状とか、書類とかには決まって会長印が捺されているし、あれがないと許可が出せない。文化祭の模擬店とかの許可もあれで出すんだよ」
 あー…なるほど。確かに、ダメージは大きいな。
「…考え方としては理解できるし、効果的だとは思うんだが……どうやって、盗み出す?」
 住吉が、眉間にしわを寄せながらそう尋ねた。
「とりあえず、敵の情報を仕入れないと。生徒会の内部事情に精通している人間を引き入れたいな」
 むむう、と透子が唸った。
「それって難しいよ。だって、生徒会って五人しかいないじゃん。やっぱりそれなりに信頼関係とかあるだろうしさ。そもそも、あたしたちの敵そのものなんだから、仲間にするっていうのは無理なんじゃないかなあ」
 うーん。そうだねえ。
 仲間にするのがムリなんだったら、もうちょっと別の方法で情報を引き出せないかなあ。よくある手だと、色仕掛けとか? このメンバーでそれができそうな人は…のぞみくらいか。ちょっとムリだな。
「ムリってなによ青海!」
 いかん、声に出てたか。
「冗談だってば」
 慌ててそう言ったとき、突然透子が声を上げた。
「ムリじゃないかもしれないよ!」
 え?
「生徒会の書記の女子。あの子、一年なんだけど、中学が一緒だったからよく知ってるの。惚れっぽいって有名でさ、一度惚れたらもーう授業も手につかないくらいのめり込んじゃうのね」
 …ほほう。
 それは、なかなか、いい情報ではないですか?
「ってことは、俺たちがそのなんとかちゃんを口説き落とせばいいってことだな?」
 …や、野島。それ本気で言ってる?
 案の定、野島の言葉はのぞみによって「あんたたちじゃムリ」とばっさりと切り捨てられてしまった。男たちは神妙な顔でお互いの顔を眺めている。
「その子って、めんくい?」
「そりゃもう、好きになった人はみんな顔がいいって評判だったから」
「ほほう」
「……詩織、なんだその顔は」
 なにさ、スミ君。その怯えた顔は。
 のぞみが眼をきらきらさせながら口を開いた。
「ってことはぁ、顔がイイ男子を仲間に引き入れればそれでいいってことだよねー」
「そうそう! 顔がイイ男子といえば――」
 男たちの顔が一斉にしかめられた。
 それと同時に、ほえほえとした空気を纏いながら詠理がおっとりと口を開く。
「七尾くんだね」
 七尾栄司。学年一のプレイボーイ。泣かせた女の数は、二年の女子の数よりも多いらしい。
 顔はあたしも見たことがあるけど、確かに、そこらの芸能人なんかよりも断然上だった。常に花背負って歩いているような人。
 だけど…なぜか、特定の人と付き合っているって言う噂は聞かないんだよな。いつも「断られた」って話ばっかりで。
 いかにもいやいや、という表情で渡会が口をはさんできた。
「…なあー。ほんとにやるんか? 俺、かなりいやなんだけど」
「そうそう。あいつって、あんまり猥談とかよってこないしよー。社会人の彼女がいるとかさ、ろくな噂ないし」
 この学校に彼女がいないんだったらなおさら都合がいいじゃないか、野島。
「でもよー」
「じゃあ、あんたたちがそのこ口説いてみる? 時間の無駄だとは思うけどね」
 けらけらと笑いながら透子に言われて二人とも押し黙った。
 住吉と森本君は「俺たちはべつに…」と口を閉ざしている。女子に一任するってことなんだろう。
 のぞみが右手を高く掲げて宣言した。
「それじゃあ、なにがなんでも七尾くんをゲットするぞー!」
 おー、と透子の元気な声がそれに続いた。
 宣言が終わると、それぞれ立ち上がり、腰を伸ばしたり荷物をまとめたりする。
 マフラーを首に巻いていると、渡会がそばによって来た。なにやら顔が妙に真剣なので、どきりとする。
「…あのさ」
「……うん」
 がりがり、とぼさぼさの髪を掻く。
「……あんまりあいつに、髪さわらすんじゃねえぞ」
 は。
 思わず、口をあけたまま固まってしまった。
 ぽかんとしている隙に渡会はそそくさと帰っていってしまう。
 な、なに?
 と、くくく、と押し殺した声が聞こえてきた。振り返ると、住吉が大きな手で顔を覆って笑っていた。
「なにさ」
「…いや、なんでもない……」
 なんでもないなら笑うな。感じ悪い。
「いや、ほんと、なんでもないから。…それより詩織。今日バートさんたち帰ってくるんだろ? 早く帰らんでいいのか?」
 あ!
 しまった、忘れてた!
「そうだった。五時に空港に着くんだよ」
 帰ってくるまでにご飯作っとかなきゃ。
「じゃあ、あたし帰るから」
「ああ、二人によろしく言っといてくれ」
「おう」
 軽く片手を上げて、屋上のドアを開ける。
 と、そのとき、透子のあっけらかんとした声が耳に飛び込んできた。
「んー。森本君ねえ。そうだねー、うん! 森本君、『レオ』に決定!」
「はあ!? なんだそれ!」
 愕然とした声。
 ははは、森本君、諦めろ。
 仲間入りした人間にとって、それは通過儀礼みたいなもんだからさ。
 それにしても…レオ、ねえ。
 
 透子。あんた、単純すぎるわ。

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