高校騒動記〜文化祭死闘編〜


 タラシ……って?  1

//住吉数実(すみよしかずのり)//

 なるほど、向井の言ったとおりだ。
 渡会は、おもしろい。
 今まで気づかなかったのが不思議なほど、あいつは真っ直ぐだ。
 真っ直ぐなくせに、どこかひねくれていて。
 そんなに触りたいなら、そう言えばいいのにな。
 少し観察しただけで、渡会の眼がいつも詩織を追っていることに気づいた。まっすぐに、詩織を見ている渡会。俺や森本への態度を見る限り、無意識ってことはまずないだろう。
 自覚はある…とすると、足りないのは勇気かな?
 もしかしたら、俺の存在がネックになってるのかもしれない。あいつはなにか激しく誤解しているみたいだから。
 …と、渡会のことは今はどうでもいいんだよ。
 今は、そう、七尾。あいつをなんとかこっち側に引きずり込まないと。
 ちょうど四限目が終わろうとしているところだった。
 教科書に落としていた視線を上げて、そっと、俺の斜め前を見やる。五人ほどの生徒をはさんだその向こうに、やたら小奇麗な顔の男がいた。
 染められていない、真っ黒の髪は軽くうなじにかかる長さ。この距離からでも見えるほど、びっしりと揃った長いまつげ。肌は白いわけではなく、いたって健康的だ。夏の間にしっかりと焼いたのだろう。
 …女の眼から見たら、そりゃ「美形」だろうと思う。だけど、男の眼から見たら、ただ気色悪いだけだ。べつに七尾が女々しいとかそう言うわけじゃないんだが、なんとなく敬遠してしまうタイプ。渡会じゃないが、あまり積極的にお近づきになりたいとは思わない。
 べつに奴がもてるからひがんでる、とかそう言うんじゃなくて。なんか、馬が合わなさそう、というか。
 人を見かけで判断することはあまりしないのだが、奴に関してはなんとなくそう感じる。
 まあ、そんなこと言っても任されてしまったわけだし。
 俺が任されてしまった理由はいたって簡単。「同じクラス」だから。
 ……とりあえず、授業が終わったら昼飯に誘って。いや、誘わなくても学食なら隣とか前に座るとかして。それから、なんとか会話に持っていく。
 うん。こんな感じで良いだろう。
 段取りをつけたところでチャイムが鳴り、授業が終わった。
 よし、いくぞ。
 手早く教科書を片付けて、立ち上がる。そして硬直してしまった。
 七尾が、いない。
 まさか、もう教室を出た?
 慌てて教室を飛び出すと、階段のほうへと向かう七尾の後ろ姿を見つけて安堵する。
 いや、ちょっと待て。
 あっちは学食じゃない。もちろん購買でもない。
 …どこへ行くんだ?
 走ろうとしたのを止めて、七尾の後をついていく。尾行しているようで(いや、たぶん実際そうなんだろうが)あまり気分は良くないが、良心より好奇心の方が勝った。
 七尾は真っ直ぐに裏庭の方へと向かっている。
 …裏庭?
 裏庭方面には、当然のことながら人がいない。掃除がきちんとされていないのだろう、枯葉が歩くたびに靴の下で音を立てる。
 校舎に身を寄せるようにして、裏庭の様子をうかがった。
 裏庭には、すでに人がきていたようだった。
「あの、七尾先輩ッ」
 可愛らしい声。一年だろうか、震える声で女子生徒が声を上げた。その顔は真赤に染まっている。
 あ。
 これは、まさか。
「あのっ。今、お付き合いしてる人がいないのは知ってます。そのっ……あたしと、お付き合いしてくれませんかッ?」
 うわ―――――ぉ!
 マジですか。マジなんですか。
 自分のことじゃないのに、顔に血液が集まっていくのがわかった。顔が、いや、全身が熱い。
 ドキドキしながら息を殺していると、どこか苦しげな七尾の声が聞こえてきた。
「その、ゴメン。俺、今は誰とも付き合う気ないから」
 …!
 女子の方も直球だけど、七尾はそれに輪をかけて直球だった。
 他に言い方あるだろうが!
 女子の声がとたんに小さく、か細くなった。声が完全に震えている。
「あ……そうですか。わかりました」
 それでも、冷静に話しているらしきその様子に、好感を覚えた。同情とも言えるかもしれない。そのまま女子はぺこりと頭を下げて、俺とは反対方向へと走り去っていく。残された七尾がついた溜息が聞こえた。
 …っと。これって完璧に覗きじゃねえか。
 ヤバイ。見つかる前に消えないと。
 そう思い、七尾が動き始める前に消えようと、身を翻した。
 とたん。

 ガサッ。

 靴の下で枯葉が大きな音を立てた。
(げっ)
 そのままの姿勢で硬直する。
 こちらへ向かってくる足音が聞こえた。七尾だ。気づかれた。
 …仕方ない。
 素直に、謝ろう。
 そう思い、足音が近づいてくるのを待たずに、こちらから顔を出した。
 俺の顔を見たとたん、七尾の大きな眼がさらに丸く見開かれた。
「……住吉」
「…や、すまん。聞く気はなかったんだが…」
 そう、聞く気はなかった。それは嘘じゃない。
 七尾は気まずそうな表情で首の後ろを撫でている。
「…やあ、いいや、もう。どうせあんたも俺のことタラシとか思ってんだろ?」
「あー。その、なんだ」
 咄嗟にごまかせなかった。確かに、俺はそう思っていたから。
 七尾が溜息をつく。
「…今の子の顔、見た?」
 いきなり言われて、当惑した。
「…ああ、チラッとだけど、見たぞ。かわいい子だったな」
 うなだれていた七尾が顔を上げた。上目遣いに見上げてくる。なんだか、いつも女子に囲まれているときとは、ずいぶん様子が違うような…? そう、なんか、捨てられた子犬みたいな、そんな顔。
「…かわいかった?」
 や、そういうことを訊かれても困るんだが。
「…俺はそう思ったけど」
 背中に汗をかきながらそう答える。すると、七尾は再び溜息をついた。
 なんなんだ。
「俺、やばいかもしんねえ」
 ものすごく傷ついた声でそう言われて驚いた。
「なにが」
 七尾はその場にしゃがみこむと、がりがりと頭を掻く。
「今から結構ムカツクこと言うかもだけど、聞き流してくれな。…俺さー、はっきり言って、入学してからもう数え切れないくらい告られてんのね」
 …ほほう。
 ケンカ売ってんのか、と一瞬思ったが、七尾の様子があまりにも真剣だったので、とりあえず真面目に聞いてやる。
「その中にはまあ俺的にかなりかわいい子とか、美人さんとか、いたわけよ」
「よかったじゃないか」
 ところが七尾はふるふると首を横に振った。
「まあ、聞けって。それで、そのときは俺もよっしゃって思って即OKするんだけどさ。それが、なんか違うんだな」
 違う、といわれても。
「付き合ってみても、しっくりこないんだよ。それで、この人じゃダメだったんかなーとか思ってわかれちゃって、でまた次の人と付き合ってみて、それでもやっぱりなんか違って」
「ちょっと待て。違うって、なにが」
 思わず口をはさむと、
「まあ一言で言えば恋愛感情をもてないってことだな」
 ………それは、ちょっと。俺にはなんとも言えないんだが。そんなにさらりと言ってもいいことなのか?
 なんとも言えずただ黙って見下ろしていると、七尾はまた溜息をついた。
「…俺さー、あんたとはあんまり親しくなかったんだけどさー…親しくない相手にこんなこと言うのもどうかと思うんだけどさー…」
 ぼそぼそと、そんなことを呟く。
「住吉なら、口も固そうだし、わかってくれるとは思わないけど話聞いてくれそうだから……言ってもいいか? ていうか聞いてくれるか?」
 余程追い詰められているのだろうか。親しくない俺にこんなことを言うくらいなのだから、七尾はきっともういっぱいいっぱいなのだろう。
 そう思って、頷いた。
 すると七尾はほっとしたようにまた溜息をつく。
 そして、言った。

「俺、ロリコンかもしれねえ」

 さすがに、それには、咄嗟に反応できなかった。


 その傾向は高校に入ってから現れたのだと、七尾は言った。
 なんでも、アイドルもかくやというほどの美少女に「好きだ」と言われてもちっともドキドキしないのに、幼稚園児が戯れている姿を見るとどうにも動悸がおかしくなるのだそうだ。
 最初は気のせいだと思ったという。まあ、当然だろう。
 それでも、付き合っている彼女にはなんの感情も動かないのに、テレビのCMやドラマなどで可愛らしい少女が(いずれも十歳未満)が現れたりしたら、もう鼻血をこらえるのが大変なのだそうだ。
 それで自分の異常性に気づき、慌てていろんな女子と付き合ってみたが、それはさらに自分の異常性を思い知る結果となってしまい、それからはもう女子と付き合うことができなくなったという。
 それが、タラシ七尾の、人知れぬ悩みだった。
 笑い飛ばすにはあまりにも切実過ぎる悩みを聞いて、俺も考え込んでしまった。そんな奴に、「女子を口説け」というのはあまりにもむごすぎるのではないか。
 さて、どうするか…。
 とりあえず、他の奴らには「俺がなんとかするから手出しはするな」と言ってあるから、変なことをする奴はいないだろう。
 問題は、どうやって七尾を説得するか、だ。
 これは、ある意味森本の時よりも厄介かもしれない。


 家に帰ると、姉夫婦が遊びにきていた。といっても、義兄さんはまだ仕事から帰ってきていないらしく、果歩ねえとその子供二人が居間でごろごろしているだけだったが。
 十歳未満の幼女。俺の姪っ子もそのぐらいだろう。ちょうど今年で八歳になる。
「おにー」
 足にまとわりついてくる四歳の甥っ子を抱き上げて、座布団の上に座った。
「あのさ、果歩ねえ。ちょっと訊きたいんだけど」
「なに?」
 俺の分のお茶を入れながらそう訊いてくる。
「果歩ねえはさ、自分にショタコンのケってあると思う?」
 形のよい眉が一気に跳ね上がったのを見て、「まずったか」と思わず両手を上げてガードする。が、予想に反して果歩ねえは顎に人差し指を当ててにんまりと笑った。
「そうねえ。この年頃の女性なら、誰でもそのケはあると思うわよ。他所の子でも、かわいい子を見るとやっぱり抱きしめたくなるし。赤ちゃんなんかは思わず手が伸びるわね」
 …そう言うもんなのか。
「…じゃあ、俺ぐらいの年頃の時は、どうだった?」
「それも一緒ね。女の子って基本的に子供が好きだし。やっぱり『かわいー』ってなでくりまわしたくなるんじゃない?」
 …ふうん。
 入れてもらった緑茶をずず、とすする。茶葉が違うのか、いつも飲むのよりも美味い気がした。
「じゃあさ。男が小さい女の子を見てそういう反応をしてもおかしくない?」
「程度によるわね」
 あっさりと果歩ねえはそう言った。
「かわいい、ぐらいですんでたら、それは普通の反応。それが性欲と結びついたらそれは犯罪」
 …とてもわかりやすいです、姉上。
「なに、あんたの友達でそういう子がいるとか?」
 俺を疑わないところを見ると、俺の好みなどきっとこの姉はお見通しなのだろう。まあ、いいけど。
「うん、まあ。それで結構困っててさ。たぶん、話を聞いた感じじゃあ性欲と結びつくところまではいってないと思うんだけど」
 そこまで行っているようなら、あの程度の悩み方じゃすまないだろう。
「じゃあ、まだ大丈夫よ。あたしの知り合いにもそういうやついたけどね、そいつは、そうねえ。それを克服するのに片っ端から女の子を口説いてたわね」
 口説くん、ですか。
「そう。それでちょっとでもびびっときたら、その時点でもう克服できたってことだし」
「え。じゃあ、その人は克服できたんだ?」
「うーん、まあ、できたんじゃない? そいつもう結婚したけど、奥さんちょっとロリ入ってたような気がしないでもないけどね」
 あ。それはちょっとビミョー。
「でも、そうか。克服できるんか」
「できなきゃ困るでしょ。まあ、本人の気持ち次第ね」
 本人の気持ち次第。
 ……なるほど。
「サンキュ、果歩ねえ。それ、いけるかもしれない」
 うん、それは使えるかもしれない。



 そして早速有効活用するのが俺が俺である所以。
「と、俺の姉貴が言ってた」
 昼休み、七尾に話すと、七尾はぽかんとしたあとゆっくりと瞳を輝かせた。
「じゃあ、俺、治るんだ!」
「本人の気持ち次第だってさ。大丈夫だって。姉貴の知り合いは治ったって言う話だし」
 七尾の顔が輝く様子を見て、ちくりと良心が痛んだが、今は無視する。
「で? それで、その人はどうやって治したんだ?」
 来た。
 ここが肝心、と努めてゆっくりと口を開く。
「うん。なんでも、姉気が言うには片っ端から女を口説いたらしい」
 は。と七尾の顔が固まった。
「…おんなを、くどく…?」
「そう」
「って、冗談じゃねえってそんなの!」
「まあ聞け。そうして、びびっときたら克服できたってことだろ? 今までみたいに受身でいるんじゃなくて、お前が行動しないと治らんぞ」
 青くなったり赤くなったりしながら口をパクパクさせていた七尾は、「お前が行動しないと」のくだりでぴたりと動きを止めた。
「…そっか。そうだよな。自分から動かないと、ダメだよな」
「そうそう」
「…その人は、そうやってこのビョーキを治したんだよな」
「そうそう」
 七尾はきっと顔を上げた。瞳がらんらんと光っている。
 そのまま俺の両手を掴んできた。
「ありがとう、俺やってみる!」
 …七尾って暗示に弱いタイプだな。絶対。
「ああ、がんばれ。それと、小さい子を見て『かわいい』と思うのは人間として普通の感情だから、あんまり神経質にならなくてもいいってさ」
「…そうか、普通の感情なのか」
「そうそう」
 楽しい。
 楽しむ場面ではないのはわかっているが、楽しい。
「まあ、かわいい以上の感情を持つと、ちょっとヤバメだけどな」
 そう言うと、七尾はあっけらかんと笑った。
「ああ、大丈夫。今のところそれ以上の感情は持ってないから」
 ほう。
 じゃあ、これなんかはどうだ。
 ポケットに忍ばせておいた一枚の写真を七尾の眼の前に突き出す。とたん、七尾の目の色が変わった。
「ぶっ」
 ……鼻血吹くか。普通。
 鼻の下を抑えながら、七尾は顔を真赤にさせながら震える手を伸ばしてきた。そうはいくか。さっと手を戻して写真を胸ポケットに収める。
「す、住吉…その写真は…!?」
 いいから、まず鼻血止めろよ。
 ポケットティッシュ一袋を総動員してなんとか鼻血が止まった後、七尾は鼻にティッシュを詰めた情けない姿(色男も形無しだな、おい)で再び繰り返した。
「その写真は…?」
「ああ、お前も知ってる奴だ。二組の、青海。あいつのガキの頃の写真」
 肩までのふわふわの金髪の詩織が、目を細めて無邪気に笑っている写真だ。撮影場所はバートさんの実家の庭園で、バラの花に囲まれている。あいつの中身を知っている俺の眼から見ても、お世辞抜きで「天使のような」という形容がぴったり来る写真。あいつは六歳までイギリスにいたから、この頃のこいつを知っている人間はここにはいない。
 ちなみに、これは姉貴のコレクションから失敬してきたものだ。
 この、そこらのガキなんか霞ませてしまうだろう写真が、七尾にクリーンヒットしたのは疑いようもない。
 案の定、七尾は眼を血走らせて俺に詰め寄ってきた。
「その写真、譲ってくれ!」
 ストレートだな、おい。
「…『かわいい』以上の感情は持ってないんじゃなかったんか?」
「それとこれはべつだ!」
 いやそんなにきっぱり言い切られると、こちらとしても対応しにくいだろうが。
「やってもいいが、その場合、こっちの条件を飲んで欲しいんだけど」
「なんだ、条件って」
 いや、だから、もうちょっと躊躇するとかないんかい。
 …まあ、いいや。
「…まあ、その。俺ら、生徒会にちょっと反発しててな。文化祭で生徒会に一泡吹かせてやろうと計画中なんだが、それにお前も加わって欲しいんだ。いいか?」
「ああ、一泡でも二泡でも吹かせてやろうじゃねえか。それより仲間になったら写真くれるんだな?」
 だから、もう少し悩むとか……もういい。
 写真を渡し、小躍りしている七尾を見ながら、溜息をついた。
 …これが、学校一モテる男だと言うことが、嘘のように思えてしまう。ていうか、嘘だろう、絶対。
 踊り続ける七尾を見て、ふと思った。
 これが、詩織と渡会にばれたら、どうなるだろう。
 確実に殴られる。詩織に至っては、確実に息の根止められそうだ。
 …しばらく大人しくしていよう。
 ………それより、さあ。
 頼むから七尾。
 それ、変なことに使うんじゃねえぞ? ほんとに、頼むから。

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