高校騒動記〜三年生編〜


 春は希望の季節だとか 1

//青海詩織(おうみしおり)//

 なんでも、春ってのは、希望の季節なんだとか。
 それでもって出会いの季節なんだとか。
 …まぁ、正直そんなのどーでもいーけど、変化の季節だっていうのは、あながち間違いじゃないんだろうなあ。
 日本だけかもしれないけれど、四月ってなんか特別だ。三月までは過去の年、四月から新しい一年が始まるって言う考え方は、嫌いじゃない。
 それに、四月って、一年で一番華やかな気がする。
 空は夏の目に焼きつく青でも、冬の冴え渡った青でも、秋のどこまでも突き通るような青でもない、やわらかくかすんだ淡い色。
 その空の下には、ほんのり色づいた桜の木々が彩る春の山々。茶色と緑の隙間から山桜が覗く。時々見える白はもくれんだ。
 山里にあるためかこのあたりは桜の開花が遅く、ようやく五分咲きといったところだ。他の地方ではもう散ってるところもあるんだろうけど、ここではこれからが本番。
 民家の庭の、見事な枝垂桜の下を通り過ぎる。パステルカラーの空の下、舞うのは同じくパステルトーンのはなびら。
 春は優しい色であふれてる。


 周囲を行くのはノリの効いた制服に身を包んだ高校生。最近になってアスファルト舗装になった道路は真っ直ぐ駅まで続いている。
 道の両脇にはレンゲの花畑が広がっている。あと一月もすればレンゲの代わりに水が張られ、稲の苗が植えられるんだろう。
 層雲が広がるかすんだ空で輪を描くのは鳶のつがい。
 ……相変わらず、ここはのどかだ。
 のどかなこの日は、学生にとってはハレの日でもある。人によっては悪夢の始まりと言うかもしれないけれど。
 まあ、いくらあたしでも、始業式を悪夢の始まりと考えたりはしない。野島あたりなら言い出しそうだけど。
 そう、今日は始業式。つまり、今日この日から、あたしたちは三年になる。まあ、そのことを考えたら、悪夢とか言いたくなる気持ちもわからなくはないか。
 そんなことを考えながら、いつかのように暴れ豚にじゃまされることもなく、ごくごく無事に、幾人かの生徒に混じって正門を入った。
 校舎まで延びた道の両サイドに数人の教師が立って一人一人に紙を渡している。青葉高校ではクラス分けを掲示板に張り出したりすることはない。生徒数そのものが少ないからだろうか、一人一人にクラス分けを印刷した紙を手渡す。
 ので、あたしも紙をもらおうと顔見知りの教師のもとへ向かった。
 いな、向かおうとした。
 ところが。
 その教師は、あたしの顔を見るなり、言ったのだ。
「あ、お前一組だから。早く教室行け」
 ……ちょっと。
「紙、くれないの?」
 紙をくれ、と手を差し出したけれど、無視される。
「いいから教室に行きなさい」
 なんでよ。
 不満に思ったけれど、じろりとただならぬ顔つきで睨まれて、それ以上粘ることはやめた。なんとなく、周囲を行く生徒たちの視線が痛いような気がするのは、気のせいなんだろうか。
 あたしも顔を知ってる三年生の女子たちが、紙を見てはなにやら声をあげ、そしてこちらを見てはなんだか奇妙な表情をしている。
 なんなんだ、いったい。
 …まあね。去年の文化祭からこちら、あたしは――いや、あたしたちは、か、なんだか妙に有名になってしまって。だからこんな反応にはなれてるんだけど。
 でも、なんだか今日のこれは、今までとはちょっと違うような気がする。
 首をかしげながら、三年の校舎へ向かう。去年までの校舎にはもう入ることはないだろう。特別教室もないから。
 たん、たん、と階段を上る。はしゃいでいるのか、あわただしく女の子たちが階段を駆け上っていく様を眺めながら、のんびりと足を動かす。
 ――ふと、怪訝に思った。
 あれ?
 さっき、あたし、一組って言われた?
 変だ。と思ったのは一瞬だった。
 三年になったら進路別にクラスが分かれる。あたしは、一応四大に進学希望。だから、一組から三組のうちのどこかに振り分けられるはずだけれど、でも、一組ってことはまずありえないと思ってた。
 だって、一組って難関私大・国公立大受験のためのクラスだし。
 まあ、人数調整のため一組に振り分けられたって言うことも、考えられなくはない。三学期の成績は、総合的に見たら結構よかったから。
 ま、そんなこともあるだろ。
 廊下は、再会を喜び合ったり別れを惜しんだりする女の子でにぎやかだ。それと同じくらい、教室の中もにぎやかで。
 明るい笑い声が聞こえる教室の前を通り過ぎる。一組は一番奥だ。
 透子やのぞみは短大を志望していた。だから、クラスは別れる。野島は前から就職するって言ってたから、きっと五組だろう。七尾君は、二年の終わりでずいぶん悩んでたみたいだったけど。結局、就職進学、どっちにしたんだろ。
 まぁ、同じクラスになれる可能性があるのは、残りのメンツか。森本君は間違いなく一組だろうし、住吉もきっとそうだろう。詠理はわからないけど、まぁ三組ってことはないと思う。渡会は……わからないな、あいつは。
 そんなことを考えているうちに二組の前を通り過ぎて――そして、ふと、足が止まってしまった。
 ここにくるまで、ずっとざわめきに満たされていた廊下が、なぜか静まり返っていた。
 背後では明るいざわめき。
 目の前の廊下には――なんだか、ものすごく重い沈黙。
 …なんですか、これ。
 なんでここ、こんなに緊迫感漂ってるんですか。
 あ。とてもとてもいや〜な予感。
 いやだけど。ほんっきでイヤだけど、でもドアはあけなきゃならないわけで。
 軽く深呼吸して、ドアに手をかけ。


 そして一気にひきあけた。



 とたん、眼に飛び込んできたのは――窓際に座る、一人の男の子。
 逆光になっているけど、暗くてよく見えないけど。
 でも、なぜだか確信してしまった。直感してしまった。
 ――井名里だ。
 井名里が、こちらを見た。とたん、教室の中の空気が、さらに緊迫したのがわかった。
 井名里は、去年、生徒会長を務めていた。それで、あたしたちとはかなり激しくぶつかってて、正直今でもあいつは苦手――というよりも、きらいだ。
 静まり返った教室。その中、井名里はこちらを睨んでくる。だからあたしも睨み返そうと、眼に力を入れた。そのときだった。
「あ、しおりん」
 あっけらかんとした声が耳に飛び込んできた。耳を疑って、声のしたほうを振り返る。
 そして、絶句した。
「おはよー。しおりん遅いよ、遅刻ぎりぎり!」
 相変わらず、夏の空みたいな笑顔で手を振っているのは、ポニーテールの少女。その横で、ほわほわとした笑みを浮かべた少女がおっとりと笑っている。
「相変わらず亀ね亀」なんて憎まれ口を叩くのは、打って変わって派手な少女だ。
 っていうか、あんたら。あんたらね。
「なにやってんのさこんなところで」
 思わず口をついて出てきた言葉に、彼女たちは顔を見合わせた。
「なにって、ねぇ」
 いや、「ねえ」じゃなくて。
「ここ一組でしょ? なんでトーコと西岡がここにいるのさ」
 それに、と、彼女たちと一緒にだべっていた男どもを眺める。
「七尾君に野島まで」
 女の子顔負けのやたらときれいな顔立ちをした男の子が、困ったように笑って髪をかきあげた。決してナルシストではない、自然な仕草だ。その隣りで行儀悪く机に座っていた髪をつんつん立てた男がニヤニヤと笑う。
「なんでって、なぁ」
「ねぇ」
 いやだから、そこで自己完結しない。
 意外性丸出しのやつらは無視して、一組にいてもそれほど意外ではない顔ぶれを見渡した。昔馴染みの、一番体格のいい男を見据えて、訊く。
「なに、これ」
「いや、なにって言われても…なぁ」
 だからそこで人に話を振るんじゃない。
 住吉はメガネの少年に同意を求めた。彼は読んでいた本を閉じて、困ったようにため息をつく。その隣にいた男も、こっちを見て意味ありげに笑った。
 …だから、なんであんたまでいるのよ、渡会。
「笑ってないで、説明。遊びにきた…って言う様子ではなさそうなんだけど」
 そう。隣りの教室に遊びに来ましたってことなら、こんなにも「メンバー」全員が集まるわけがない。だって、文化祭以来付き合いは深まったけれど、だからといってずるずるべったりな付き合いってわけじゃないんだから。
 つまり、クラスが分かれたからといって始業式のその日からよその教室に押しかけるような仲ではない。間違っても、そんなことはしない。
 なんだか、考えたくないことにまで考えが至ってしまいそうで……ていうか、最悪の想像しかできないんですけれど。
 だってさ。遊びに来たってわけでもなくて。それなのに、「メンバー」全員同じ教室にいるってことは。ことはだよ。
 悶々として動かないあたしを見て、森本君がつとメガネを押し上げた。そして、言った。
「多分もう察しはついてるんだと思うけど。認めたほうが早いよ」
「………それって、もしかしなくても」
 そう、と頷いたのは、8人全員で。
 困ったように笑いながら、住吉が、いつもの太い声で言い切った。
「冗談抜きで、“反生徒会メンバー”全員一組」
 うそでしょ、と口にするよりも先に、ため息がこぼれた。
 なるほどね。
 それで、クラスメイトとなる皆様は、教室の前と後ろで固まっていらっしゃるわけだ。
 おかげで、廊下側に固まってる住吉たちと窓際の井名里との間には、奇妙な空間が出来上がっている。間に生徒がいないおかげで、遠慮なく火花を散らせるってもんですか? ちょっと。
 どうやらあたしが来るまでの間にすでに一悶着あったようで、井名里と住吉たちの間に流れる空気はものすごく冷たい。
 野島やのぞみなんかは、遠慮なく井名里を睨みつけてるし、井名里も無視すればいいのに一々こちらを睨んでくる。
 …あたしの名字は青海。だから、席につくには、井名里の方へ行かなきゃなんないわけで。
 立場上それはできないから、こうしてここに立ってるしかできない。
「ていうか、すごく周りに迷惑だよね」
 ぼそりと言ったのは、森本君だ。いつのまにか読書を再会していた彼は、顔もあげずに声だけ投げる。
「いつまでそれ続ける気? 周りの迷惑もちょっと考えたほうがいいよ。これから一年間、一緒に過ごすわけなんだから」
 最後の一言に妙に力がこめられているような気がしたのは、あながち気のせいではないと思う。
 ひるんだのはのぞみたちだけじゃなく、井名里も気まずそうに視線をそらす。
 …さすが、森本サマ。
 周囲からも感心したような声がもれていた。
 住吉が立ち上がる。それに続いて、詠理と透子も動き出した。
 それぞれ自分の席へと向かう。
 あたしが自分の席に腰をおろしたのとほぼ同時に、予鈴が鳴り響いた。
 クラスの中にざわめきが生じ始める。消えていく緊迫感。
 ざわつき始めた教室を見渡しながら、ぼんやりと思った。


 なーんか、ものすごーく、幸先不安。



 というか、それよりも。




 春は希望の季節って、絶対、嘘だ。


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