高校騒動記〜三年生編〜


 一難去って また一難 4 〜住吉の受難〜

//舟木透子(ふなきとうこ)//

「あれえ?」
 一目見た瞬間、なにか違和感を感じた。思わずまじまじと眺めていると、詠理はふと顔を上げ、ふわりと微笑んだ。
「おはよう、透子ちゃん」
 …………おやぁ?
「なんか、詠理、疲れてる?」
 詠理は軽く目を見張った。それからまたおっとりと笑って、首を振る。
「ううん、そんなことないよ?」
 予想した答え。
 でも――微笑む寸前、一瞬見せたあの眼は、なんだろう。
 んん―――?
 首を傾げる。
 なんだろう。なーんか、様子がいつもと違うような…?
 変だなあ、とか思いつつ、自分の席に向かおうとして――そして、気づいた。
 あらら?
「今日はすみよっしーと一緒じゃ」
 ないの?
 という最後の言葉を思わず飲み込んでしまった。
「えええええ詠理?」
 詠理はにこっと笑った。
「ごめん、なにか言った?」
 うわあ。
 うわあうわあうわあッ。
 なに今の。なに今の!?
 詠理はすでに視線をはずして文庫本を読んでいる。
 恐る恐る詠理の顔を覗き込もうとしたとき。
「おはよ。なんかあんた挙動不審よ?」
「のぞみんっ」
 相変わらず美人だねおねーさま、とか言いたくなるほどしゃきしゃきしたのぞみんがやってきた。のぞみんの登場がこれほど嬉しかったことはないと思う。
「あ、のぞみん、ちょっと」
 くい、とその腕を引いたとき。
 詠理が顔を上げて、そしてにこっと微笑んだ。
「おはよう」
 のぞみんの足が止まる。
 あああだからちょっと待って。
「おはよ。――なんか詠理、肌荒れてない?」
 一瞬。
 ホントに一瞬だけれども、詠理の笑みが崩れた――ような気がした。
 のぞみんの眉がつと寄せられる。
「詠理?」
「…うーん、昨日、本読んじゃって…寝たの三時過ぎなの」
 詠理の背中から緊張が消えた。ほっとしてのぞみんの腕を引く。
「のぞみんのぞみん、あのね、ちょっと」
「なによもう」
 不機嫌そうに腕を引かれるのぞみん。いいから、いいからちょっとこっちに来て。
 と、二歩ほど歩いたのぞみんの足が、またしても止まった。
 くるりと教室を見回して。
 そして。
「あれ? 住吉は?」
 うわあああああっっ。
 思わず天を仰いだ。
 のぞみんはあたしの様子なんか気にも止めず、詠理の顔を覗き込む。
「…今日は住吉一緒じゃ――……」
 ぴこん、と。
 言葉の途中で突然のぞみんの背中が伸びた。そのままものすごい勢いで腕をつかまれ教室の端に引きずられていく。
 バン、と、背中が教室の壁に押し付けられた。
「あああのぞみんこれちょっと問題アリな体勢かも」
 あたしの顔の両脇に手をついて。怯えきった顔を近づけてくる。
「ちょっとなによアレ!」
 …見たのね、見ちゃったのね。
「……人が忠告しようとしたのにさー人の話聞こうとしないんだもんさー」
「ほんっきで詠理が怖かったんだけど。なにかあったの?」
「それはあたしが聞きたいデス」
 のぞみんは恐る恐る詠理を振り返る。いつもと変わらないように見える、その背中。
「………住吉、かしら」
「………すみよっしー、かな」
 確かに詠理はすみよっしーの名前に反応した。
 うむう。と、二人思わず首をひねる。と、そのとき。
「おーっす」
 明るく元気にノッチーがやってきた。あたしたちを見て不思議そうな顔をする。
「なにやってんだそんなところで」
 ちなみにそんなところイコール教室の端。
 …こいつも、一応注意しといた方がいいかもしんない。
 ちらり、とのぞみんを見る。頷くのぞみん。
 うん。
「ノッチー、ちょっと――」
「あれ? 住吉の奴まだ来てねえの?」
 …なんで言うかなあんたはぁぁ!
 詠理の身体に緊張が走ったのが見えるようだった。明らかに固くなった背中。
 ノッチーは気づかない。慌てるあたしたちにも、詠理の様子にも、気づかない。
 ひょい、と身体を曲げて、詠理の顔を覗き込むようにして。
「なあ今日住吉は――………」
 びょん、と、ばね仕掛けの人形のようにノッチーは直立不動の体勢になった。そのままさかさかさかと横歩きに詠理のもとを離れる。
 そしてあたしたちの横で立ち止まり、壁に片手を押し当てて。
「…………なんか、見ちゃならんモノを見てしまった……」
 汗なんか流しながらそう呟いた。
 気持ちはわかる。わかるよとーっても。
 ノッチーはちらりと詠理の背中を見て、そして息を吐き出した。
「………なんかあった?」
「今それを聞いてたところよ」
「うん」
 つまり、誰も知らないってことだ。
「………なんか俺」
 ノッチーがそう言いかけたときだった。
「おはよう」
 聞こえてきた声に振り向くと、レオが立っていた。いつの間に来たんだろう。
 レオは教室を一通り見渡すと、さらりと一言。
「今日は住吉休み?」
 ――ガタン。
 物音に振り向くと、詠理がなにやらイスを直していた。
「……うわああああ…」
 のぞみんの顔がなにやら青くなっている。そして多分それはあたしも同じだろう。ノッチーの顔が引きつっているのが見えた。
 そんなあたしたちには見向きもせず、レオはちらりと詠理を見る。そして、言った。
「――なんか向井さん、雰囲気違わない?」
 ………あんたやっぱり只者じゃないよ。一目でそれを見抜いちゃうなんて。
「違うって、例えば?」
 のぞみんが訊く。
「うまく言えないけど――喩えて言うなら、オーラが違うっていうか」
「…………オーラ、ですか…」
 訂正。
 やっぱあんた、普通人じゃないよ。
 レオはいたって平静だ。たんたんとこちらに顔を向けて、訊いてくる。
「で、向井さんどうかしたの?」
「…今それを話してたところなの」
「……ふうん」
 呟いて、メガネ越しに詠理を見る。教室の喧騒がなんだか身にイタイ。
 なんとなーく身の置き所がなくてその場に突っ立っていると、にぎやかな人間が入ってきた。教室に入るなり、女の子から「おはよう」と挨拶を受けている。
 朝っぱらからにこやかに笑顔を振り撒く男。なにやら周囲の空気が光っているようなそんな錯覚。――歯とか光りそう。
 ――なんてことを考えている場合じゃあなくて。
「………ねえ透子」
 抑揚のない声で、のぞみん。
 セブンは相変わらずきらきらきらきら。
「…………やばく、ねえか?」
 どこか遠くを見つめながら、ノッチー。
 「おはよう」「あ、おはよー」「ねえ英語の宿題やった?」「え、そんなのあったっけ?」「もぉしょうがないなぁ、あたしの見る?」「え? まじ? ありがとーマジ嬉しい!」……きらきらきらきら、前髪をかきあげ、困ったような、計算し尽くされた笑顔を浮かべ。
 あんたそれ絶対間違ってるよ、なんて言葉は彼の前では絶対に禁句で。
「……強制連行をすすめるけど」
 やっぱり平坦な口調で、レオ。
 誰がするのさその強制連行。いやだよあたし近寄りたくないよあんなセブンには。
 相変わらずきらきらきらきら。間違っていよーとなんだろーと、彼にはどうでもいことなんだろう、きっと。
「………セブン、演劇部に入れたの、まずかったかな」
「…………まずくはないでしょ。おかげで部員増えたんでしょ?」
「そーゆーことじゃなくてさぁ…」
 明らかに、演技過剰。なのに誰もつっこまない。いいのかそれで。いや良くない(反語)。
「そんなこと言ってる場合じゃねえぞ」
 セブンがきらきらオーラを発しながら真っ直ぐに詠理のもとへと歩いていく。詠理が顔を上げた。ますます広がるきらきら笑顔。
「おはよ、向井」
「おはよう」
 にっこり。たぶん詠理も笑ったんだろう、セブンのきらきらオーラがさらにでっかくなった。
「あぁ…」
 なににたいしてかわからない呻き声が思わず口から漏れたりした。
 もうなにも言えずただ見守るしかできないあたしたちの前で、セブンはきらきらしながら禁断の言葉を口に出した。
「今日は住吉一緒じゃねえの? あ、休み? 腹でも壊して――」
 バン!
 奇妙な音がした。
 一瞬できらきらオーラが吹っ飛ぶ。
 セブンの顔が、面白いように色を変えて。
「え? な? あ? ……あええッ?」
 硬直し、青い顔で意味不明な言葉を発したセブンを、ノッチーとレオが強制撤去。
 撤去されたセブンは、あたしたちの前に来てもまだ青い顔で口をパクパクさせていた。
「な、な、な、な」
 ……なんであんたはああも見事に地雷踏み抜いちゃうんだろーね。
 ちょっぴり同情、でも大半が呆れ。予想通りの行動をどうもありがとうセブン。
 ようやく息を吹き返したセブンが、怯えた顔で言った。
「…あれホントに向井? 向井?」
 気持ちはとってもわかる。わかるんだけど。
 なんとなーく、四人でため息をつく。
「なんだよそのため息! なあ、今のなに!?」
 仕方なく、応じようと口を開いたとき、教室のドアから見慣れた金髪が飛び込んできた。


 しおりんは入り口に立つと、さっと教室に目を走らせる。そして、真っ直ぐに詠理を射た。さっと歩き出したそのあとにはわたー。
 一緒だったの? なんていう疑問は今はどうでもいいんだってば。
 しおりんは真っ直ぐに詠理の元に歩み寄る。
 詠理は顔をあげない。ただ、文庫本を読んでいる。…本当に読んでいるかどうかはわからない。だって、ほら。珍しく、しおりんの顔が、強張っている。
「エーリ」
 静かな声に、詠理は顔をあげた。
「おはよう、詩織ちゃん」
 ほんわりとした声。
 とたん、なぜか、しおりんの顔に動揺が走った。瞳の青が揺らぐ。
「……おはよ。あの、エーリ」
「英語の宿題やった? 今日詩織ちゃん当たる日だよね?」
「…忘れてた…じゃなくてね、エー」
「だめじゃない、今すぐやれば間に合うよ? ノート見る? 今日だけだよ?」
「エーリ!」
 しおりんが叫んだ。一瞬教室が静まり返り――そして、普段の喧騒がよみがえる。
 しおりんの顔は真剣だ。そんなしおりんの表情は、ほんわりとした詠理の声が届いたとたん、歪んだ。
「どうしたの詩織ちゃん」
 金の髪がさらりと流れる。一瞬顔を伏せ、そして再びあげたしおりんの顔は――。
 なぜか、今にも泣きだしそうに、見えた。
「……なんでもないよ」
 静かな声が落ちる。優しくすらある、ささやき。とたんに、詠理の肩が震えた。うなだれた詠理の声が、かすかに届いた。
「……ごめんね」
 二人の間になんだかものすごく気まずい空気が流れているのが眼に見えるようだった。気まずい表情で突っ立っているわたーにそろそろと近づき、袖をひく。
「……わたー。いったいなにがどうなってるの」
 わたーが、今気づいたかのように驚いた表情であたしたちを見た。
 そして、困ったように眉根を寄せる。
 なにか悩んでいるのだろうか、首を傾げる。
 そんなわたーの返事を息を詰めて待つあたしたち。
 と、わたーが答える前に、ものすごい音を立ててドアが開け放たれた。
 まさか。
 反射的にそちらを注視して。
 そこにいる人影に――。
 思わず内心滝の汗をかいたりしたのは、あたしだけじゃないはず。
 ……すみよっしー。
 しおりんが振り向く。青の瞳が見開かれて。
 すみよっしーは、これまでに見たことないほど、取り乱していた。
 短い髪はぼさぼさで、学ランのボタンは全開で、肩のあたりが少しずれていて。
 鋭い目が真っ直ぐに詠理に向けられる。とたん、詠理の肩が震えた。
 すみよっしーが教室に入ってくる。軽く弾む息を整えもせず、真っ直ぐ詠理に向かって歩み寄る。
 しおりんが身を寄せて、道をあけた。
 後机三つ、というところまで近づいたとき。
 椅子を倒す勢いで、突然詠理が立ち上がった。
 そして、顔を伏せたまますみよっしーの横をすり抜けようとして――。
「おい、向井!」
 腕をつかまれて、動きを止めた。
 ゆっくり顔をあげる。とたん――すみよっしーの表情が、固まった。
 あたしの場所からは、詠理の表情はわからない。こわばった顔で、すみよっしーが口を開く。
「むか――」
「住吉君」
 不気味に柔らかい声だった。
 静かですらある声で、詠理は言った。

「私たち、しばらく距離を置いた方がいいと思う」

 なにが起こったのかわからなかった。
 しんと静まり返った教室の中、詠理は小走りに教室を出て行く。しおりんが慌ててその後を追った。
 すみよっしーは、その場に立ち尽くしたまま。
 ……えーっと。
 えーっと。
 ちょっと待ってよー。
「……住吉?」
「おーい。住吉ー?」
 レオとセブンが口々に呼びかけるけれど、すみよっしーの反応はなく。
 そんなことをしている間にしおりんが戻ってくる。その顔にあるのは困惑と焦燥。
「詠理は?」
 恐る恐る尋ねると、しおりんは静かに首を振った。
「一人にしてくれ、だってさ」
 ………え―――ッとぉ。
 なによー。どういうことさー。
「で、どういうことなのよ」
 詰め寄ったのはのぞみんだ。しおりんは困ったように眉を寄せている。
「……説明したい、けど、ここじゃあね」
 その一言で、ハタと我に返った。教室のど真ん中。
 …ここじゃ説明できない、とな。
「ここじゃできない、ってことは、場所を変えれば説明するにやぶさかではない、と」
 そう訊くと、曖昧な口調でしおりんは頷いた。
「ん、まあね」
 ほほう。
 それならすることはきまってるじゃん。
 そう思って実行に移そうとしたとき。
「ホームルームまであと二分」
 ひくぅい声が、落ちてきた。振り返ると、そこにいるのは会長。
 通りすがりだったのか、ちらりとこちらを見てから自分の席へと去っていく。なんですか、今のは。
「あと二分、だとさ」
 なぜかレオを見ながら、ノッチー。
「あと二分、ねえ」
 あたしも言って、ちろんとしおりんを眺めてみる。
「あ、一分になった」
 のんびり言ったのはセブンだ。
「どうするの、青海」
 じーっとのぞみんが見つめて。
 とうとうしおりんは降参した。
「わかったよ、わかりました、説明します、場所変えます。でも授業はどうすんのさ」
「サボる。どうせホームルームだ」
 きっぱりとレオ。こういうところ、この人はとても思い切りがよろしい。
「早くしねえと大城がくるぞ。この地蔵どうする?」
 セブンが、まだ硬直しているすみよっしーを指差していった。そんなすみよっしーを見て、しおりんが動いた。
「…あーもう!」
 叫び、おもむろに脚を振り上げて。
「――だっ!?」
 …いきなり、蹴ったよ、この人は。しかもスカートで。
「え? あ? なんだお前ら!?」
 我に返ったすみよっしーは、両腕をいきなりセブンとノッチーに抱えられて目を白黒させている。
 そんなすみよっしーには構わず、いざ。
 教室を飛び出して、階段を駆け上がろうとしたとき――いやな人に、見つかった。
「…なにやってんだお前ら」
 ………いやん、センセー。
 階段の下から思いっきり胡乱気に見上げてくるのはわれらが担任、大城様。
「……サボる気か? 俺のホームルームを? いい度胸だな」
「え、えーっとぉ…」
 先生は嫌いではないけれど、睨まれると思わず身がすくんでしまうのです。なんていうか、怖いのよ。眼が。
 と、わたーが軽く片手を上げて、言った。
「すんません先生。マジメな話なんです」
「ふーん。マジメな、ねえ」
 あ、信じてないな。
 マジメな話よ、とーってもマジメな話。
 さらりと言ったのはレオだった。
「そういうわけなんで、俺たちは行きます」
 そうして、すみよっしーの襟首を掴んだままさくさくと階段を上がっていく。あたしも慌てて後に続いた。
 最後尾にいたわたーとしおりんが、しばらくしてからやってくる。
「センセーは?」
「んー、なんか、見逃してくれたカンジ」
「はぁ?」
 セブンが思い切り眉をひそめる。
「あいつが? なんで?」
 セブンのセンセー嫌いは相変わらず健在な模様。
「さあ、俺にはよくわからん。とりあえず、授業が始まる前には終わらせねえとな」
 わたーの言葉が終わる頃。
 最初に屋上にたどり着いたレオが、すみよっしーを離して屋上のドアを開け放った。



 さあ、と、朝の風が吹き込んでくる。すぐ傍らで、背に流したままの金の髪が踊った。
 真っ先に屋上に足を踏み出したレオが、ふと周囲を見回す。ほぼ同時。あたしも気づいた。
 ―― 一瞬、視界の端で動いたあれは――。
「………ミスったな」
 小声でレオが呟いた。無言で頷いてそれに同意する。
 背後の人たちは気づかなかったようで、にぎやかにしゃべってる。
「判断ミスだ。ちょっと考えればわかったことなのに…」
「…うん。どうしよ」
 ここで出て行くのはいくらなんでもあからさますぎるだろうし。
 顔を見合わせる。
 とりあえず、しおりんの判断をあおごう――と後ろを振り向いたら。
 ……あらら。
 もう円陣組んじゃってるよ、この人たち。
 人の気も知らずに、さっさと車座に座ってしまっている皆さん。
「二人ともなにやってんのよ」
 さっさと座りなさいよ。
 ひらひらと手で座りようにジェスチャーしながらのぞみん。
 ああ、無知は罪なんだなぁ、と、そんなことが脳裏をよぎったりした。
 仕方なく、背後を気にしながら開けられた場所に腰を下ろす。コンクリートが素足に冷たい。レオも、あたしの隣に腰をおろした。
「で」
 おもむろに切り出したのはノッチー。
「なにがどうなってるのか、説明してくれるよな? な?」
 すみよっしーに、そして難しい表情で沈黙しているしおりんに、畳み掛ける。
 それはあたしもひじょーに気になることなので、背後から無理やり意識を引き剥がして二人に集中した。



 説明を聞いた瞬間、口からもれたのはなんとも言えない呻き声だった。
「………なんってタイミングの悪い」
 のぞみんが呆れた声を落とす。うん、あたしも心の底からそう思う。思うけど。
「――で、すみよっしーはなんて説明したのさ」
「説明もなにも、する暇もなく走り去られて」
「いや詠理じゃなくて、ミス矢沢に。付き合ってる人がいる、くらいは言ったんでしょー?」
 とたんに、すみよっしーの太い眉が下がった。
「や、それが…」
「まさかあんた言ってないの!?」
 のぞみんの眉が跳ね上がった。立ち上がらんばかりの勢いで詰め寄られて、すみよっしーの体がのけぞる。
「その、言う間もなく、フリーだって決め付けられて」
 なんですと?
「…つまり、詠理のこと言ってないんだ?」
 不気味に静かにのぞみんの声が落ちる。
 沈黙ののち。
 こくん、と、すみよっしーの頭が上下した。
「アホか――!!」
 素敵な音を立ててノッチーの平手が頭にヒットする。
「あんた最低! そんなの怒るにきまってるじゃない!」
「お前それ向井にだけじゃなくて矢沢にもすげぇひでえことしてるって自覚あるか!? なんですぱっと言っちまわねえんだよ、一言で済むだろ一言で!」
 セブン、ご立腹。がしがしと髪をかきむしり、絶叫。
「ッか――ッッ!! お前がここまで優柔不断なダメ男君だとはまったく! これっぽっちも! 思わなかったぜ! 一言“ごめん”でかわせよそのくらい! 彼女持ちのくせして!」
「…っ! 言ったし断ったさ! 俺は付き合ってる奴がいるって! でもあいつ信じようとしねえんだぞ!?」
 耐えかねたのか、すみよっしーが叫び返した。
「いくら言っても、そんなの敵さんが信じようとしなきゃただの断り文句だろ」
「……ッ!」
 しれっとしたわたーの声にすみよっしーの顔が強張った。そんな彼に、さらにレオ。
「ま、信じる信じないは本人次第だからね。信じようとしない人間に信じさせるのは少し骨かもしれないな」
「…お、お前ら、他人事みたいに…!」
「だーって他人事だもんなー」
「まあね」
 いつもなら真っ先にすみよっしーを攻めるだろうわたーが、なぜか妙に冷静。そしてしおりんも、青の瞳を光らせて慌てるすみよっしーをただ見つめてる。
 …その沈黙が、怖いんですケド。
 ツ、とメガネを押し上げて、レオが静かに口を開いた。
「前から疑問に思ってたんだけど」
 唐突な言葉に、騒いでいたセブンが口をつぐんだ。のぞみんも、訝しげにレオを見やる。朝の日差しを反射して、メガネがきらりと光っている。
「クラスの人間だけじゃなくて、三年のほとんどが、住吉と付き合ってるのは青海さんだと思ってる。――それは、住吉も知ってるよね?」
 あ。わたーの眉間にすごい皺が。
 すみよっしー、渋い顔で、いかにもいやそーに、頷いた。
「……ああ、まあ」
「でも住吉には、高校に入る前から向井さんという彼女がいる」
 それにはスムーズに頷くすみよっしー。
「向井さんという彼女がいるのに、周りの人間は青海さんを彼女扱い。しかもそれはほぼ周知の事実と化している」
「………なにが言いたいんだ?」
 低い低いすみよっしーの声に、レオはさらりと肩をすくめて、言った。
「べつに? ただ、よく向井さんはそんな状況で笑っていられるなーと思って」
 すみよっしーは沈黙した。しおりんは、と見ると、ひどく驚いたような顔になって、それから――とても、複雑な表情を浮かべた。
 あぐらをかいた膝の上に肘をついて、わたーが声を投げる。
「まあなあ。お前も否定しねえから、誤解はさらに真実味を帯びて広がっていくし」
「…それは…ッ」
「説明するのがめんどくさかったから、とかいう陳腐な理由つけんのはやめろよ?」
 何気ない声だけど、わたー、眼が笑ってない。ていうか、据わってる。
「お前が否定しねえから、みんな信じるんだろ。青海もそうだ」
「う」
 しおりん、さすがに怯む。まあ、そこんところは、本人身にしみてわかってると思うけど。
「まあ、その誤解は、そのうちなくなるだろうけど」
 ちらりとしおりんとわたーを見やって、レオ。そしてそのままの口調で、静かに、諭すように続けた。
「とりあえず、住吉は一刻も早く矢沢さんにきちんと説明することだね」
「……ああ」
「向井さんのほうは、長期戦を覚悟で行くしかないだろうな」
「…………ああ…」
 がっくりと、うなだれたすみよっしーの肩を叩いて、レオは言った。
「もうホームルームも終わる時間だ。戻ろう」
 おう、とかなんとか、すみよっしーが呟いたのが聞こえた。「はー」っと大げさな息をついて、セブンとノッチーはぶつぶつ文句を言いながら屋上のドアを開く。
 セブンとノッチー、のぞみんを送り出し、住吉の背を押しながら、レオが振り返った。メガネの奥の瞳が語ってる。
 …うん。わかったよ。
 立ち止まったあたしに気づいて、しおりんが振り返った。訝しげにあたしを見て――そして、青の瞳が揺れた。
「トーコ。もしかして――…」
 周囲を見渡そうとしたしおりんの背中を押して、強引に屋上から出す。
 そして、ありったけの笑顔を浮かべて、言った。
「――あたし、ちょーっとここに残るね。センセにはうまいこと言っといて」
「トーコ」
 言いかけたしおりんは、レオに何事か話し掛けられて口をつぐんだ。青の瞳をあたしに向けて、しぶしぶ、といった顔で、ささやく。
「……頼むよ」
「いいから行った行った」
 後は任せたよ、レオ。
 眼だけでそう語りかけて、しおりんがこちらに背を向けたのを確認してから重たいドアを閉じた。
 ――さて。
 ぐるりと屋上を見渡す。コンクリートが日光を反射して――夏ほどではないけれど、それなりに眩しい。
 迷わず、先ほど影が見えたほうに足を向ける。給水タンクの後ろ。
 のぞきこんで――そして、見つけた。
 真っ赤な眼をした女の子。




「……透子ちゃん…」
 かすかなささやきに、安心させるように笑みを浮かべる。
「お邪魔していい?」
 詠理は一瞬首を横に振りかけ――かすかに縦に振った。
 ありがと。
 心の中でだけ呟いて、隣に腰をおろした。目の前に広がるのは青い山々に、田畑。
 きれいな天気に、ふと、(五月っていっちばん紫外線多いんだっけ)なんてことを思い出した。
 …まあいいや。若いし。風気持ちいいし。
 顔を撫でる風を吸い込む。緑の匂いがする。
「絶好のボイコット日和だねぇ」
 思わず言ったら、かすかに笑う気配がした。
「…なぁに、それ」
 好意的な声に、少しだけ心が軽くなる。
 それでも、前に広がるパノラマを眺めていると、長く息を吐き出す音が聞こえた。
「ねえ、透子ちゃん」
「んー?」
「…さっきの。森本君、もしかして――…」
 ああ、やっぱり聞こえてたかぁ。
 きっぱりと言い切ったレオの声と、最後のあの表情を思い出す。うん、たぶん、あれは――。
「………知ってたよ、詠理がいること」
 ……詠理にも聞こえるように、言ったんだろうなぁ。声をひそめることすらしなかったもん、彼。
 視界の端で、詠理が抱えた膝に額を押し当てた。
「…やっぱり、森本君だね…。透子やのぞみちゃんなら、ごまかす自信あったのになぁ…」
 消え入るような声で。
 ささやかれた言葉が、痛かった。
 詠理の痛みを感じる一方で、しおりんを強引に帰らせて良かったとも思った。
 …まぁ、さっきの話聞いて、しおりんもものすごーく複雑な心境になってると思うし。
 ただ、心が痛いのは、今まで詠理がどれだけ自分を押さえ込んでいたのか、それが気にかかっているから。
「…ごめんね、詠理。今まで全然気づけなくて」
 どれくらいこんな想いをしてきたんだろう。あたしたちの知らないところで、一体どれだけ。
「…ううん。こんなの、知られたくなかったし……詩織ちゃんには、特に」
 …うー。
 しおりん、時々無神経なところあるから……でも、長い付き合いなんだったら、そのぐらいぶちまけちゃっても全然構わないんじゃないのかなぁ。
 反省こそすれ、怒ったり、ましてや嫌ったりとか、そんなことないと思うよ?
 ――と、言いたくても、詠理の雰囲気にどうしても言えず。
 代わりに、別のことを口に出した。
「…詠理さぁ。もっと、すみよっしーやしおりんと、話し合ったほうがいいよ? なんか、遠慮してない?」
 答えは、返ってこない。
「もっと自分を出してもいいと思うよ?」
 詠理を見やる。視線に気づいたのか、詠理は少し顔をこわばらせて――そして、かすかに頷いた。
 …それに、ちょっとだけ、安心した。
 うん。
 そろそろ、戻った方がいいかな。
 誰がって、しおりんがものすごく心配してるだろーし。
 そう思って、努めて明るく口を開いた。
「じゃあ、あたしそろそろ戻るね。詠理、帰るんなら鞄持ってくる――」
 立ち上がろうとして、ツン、となにかに引っ張られた。見下ろす。
 ……あらあ。
 詠理の手が、スカートをしっかり握っていた。
「……………もうちょっと」
 思わず、笑みがこぼれた。
 かわいいなぁもう。
 すとん、と、座りなおす。
 風が気持ちいい。
「…ねぇ、詠理」
「……なぁに?」
 優しく響く声。少し、浮上したかな? さっきよりも明るい声。
「さぼっちゃおっか、学校」
「…えー?」
 うん。この声は嫌がってないな。ちょっとだけ、笑みを含んでる。
「えー、じゃなくてさ。久しぶりに街まで出て、遊ぼうよ。夏服見に行こ?」
「制服で?」
「制服で。あ、映画もいいなぁ」
「お金、あんまりないよ?」
「それはあたしも一緒デス。久しぶりに遊ぼうよ。春休みもあんまり会えなかったしさ」
「…透子ちゃん、不良ー」
 ふふ、と、詠理が笑った。それがすごく嬉しくて、思わずあたしも笑顔になった。
「それは言わない約束よ」
 二人顔をあわせて笑い合う。
 詠理の笑顔が、戻ってきた。
 それが、とても嬉しかった。






「………思わぬ出費だったなぁ…」
 駅で。
 財布の中を確認して、思わずため息。
 いや、詠理の笑顔が戻ってきたから、いいんだけど。
 結局1限が終わると同時に教室に駆け込んで、しおりんたちの追及を笑顔で交わして二人分の鞄をもって学校を出た。
 それから、詠理と二人、近くの大きな街まで出て、ウィンドウショッピングしたり映画観たり。
 お昼食べて、アイス食べて、取りとめもない話をして。
 時々影がさしたものの、詠理の笑顔が戻ってきたから、まあよしとしよう。
 あとの問題は――。
「すみよっしーと、しおりんだなぁ…」
 あのあと、二人がどうしたのか、さっぱりわからない。
 後でのぞみんかレオに聞こう。レオの方が、客観的で冷静な話をしてくれそうだから、レオかな。
 レオの家にはまだ電話したことなかったな。
 そんなことを思っていると。
「――舟木」
 低い声が、聞こえた。
 振り向いて。
「……うわぁ」
 思わず呟いちゃったのは、そこにいたのが井名里会長様だったから。
 しまった。会長も同じ駅だったんだ。
 下校時間とはずらしたのに、なんでここにいるのさーもー。
 なんて考えてるあたしには構わず会長は無人の駅を出て行く。通り過ぎていくのを待っていると。
「サボり」
 …なんて言われた。
「いいじゃんべつに。一日ぐらい」
「受験生のくせに余裕だな」
「どーせ短大だしー」
「舟木はそうでも、向井さんは四大志望だろう?」
 …よくご存知でいらっしゃる。思わず睨むと、相変わらず白っとした顔で、奴は言った。
「なぜか一組にいる不思議なやつらのことは、クラス全員が知っている」
「不思議で悪かったね」
「住吉」
 唐突に落とされた言葉に、思わず反応してしまった。会長は目の前を見ながら、淡々と。
「放課後、矢沢ともめてたぞ」
 …やっぱりもめたか。
「それで?」
「さあ」
 さあって。
「さあ、ってなにさそれ」
「先に教室を出たから、あとでどうなったかは知らない。興味もないし、巻き込まれるつもりもさらさらないからな」
「…あんたはそーゆー人だよ」
「ま、渡会と森本が付いていたから、大事にはならないだろうが」
 あ、その二人が一緒にいたなら、滅多なことにはならないだろーな。ちょっと安心。
 なんとなく、一緒に駅を出る。そのまま会長は話し続けた。
「住吉はなんで向井さんと付き合ってること隠してたんだ?」
「……知ってたの?」
「去年のアレで気づいた。クラスのやつらも、今朝のことで不審に思ってるぞ」
 あー…まあ、「距離をおこう」なんて言ってたし。しおりんとわたーが本格的に付き合い始めたら、そっちのうわさは消えるだろうとは思うけど――…うーん。
「てゆーか、なんであたしフツーにあんたと会話してるんだろう」
 ふとわきおこったものすごい疑問を思わず口に出すと、なぜか会長はため息をついた。
 なにさそのため息。なんか腹立つ。
「…どうでもいいが、お前らの揉め事はお前らだけで決着つけろよ。クラスに持ち込むな」
「持ち込まないし、片付けるよ。ヨケーなお世話」
「そうか。……俺が言いたいのはそれだけだ」
 無愛想に言って、会長はさっさとバス停に向かってしまった。あの人はここからさらにバスだ。
「んー? 変なの」
 いやいやそれより、レオだレオ。
 夜とか家にいるかなぁ。まさか塾とか行ってないよね。
 ちょーっとばかり、会長の言動が気になったけれど、それよりも今日あったことを確認する方が先。
 バス停を振り返る。バスを待っている会長をちょっと見てから、家路を急いだ。


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