一難去って また一難 6 〜住吉の受難〜
//青海詩織//
「ちょっと、顔貸してくれない?」
チャイムの音とともにこっちにきたのぞみは、あたしを見下ろしてそう言った。
白い雲が流れている。穏やかな青を真っ直ぐに切り裂いていくのは飛行機雲。鋭利な直線は徐々に青ににじんで、やがて溶けていく。ふよふよとした線は指を伸ばせば引っ掛けられそうだ。
高い声でとびが鳴く。空の下の畑には水が張られ、稲の苗が優しく視覚を刺激する。
「………生きてるー?」
「なんとか」
いつになく遠慮がちな声に、反射的に答えた。
とたん、なぜか、身体から力が抜けた。肩の力が抜けた感じ。
屋上の入り口、ドアの横の壁に背をつけたまま、ずるずるとずっていく。
「スカート」
愛想って言葉を一体どこに落としてきたのか、ぶっきらぼうな声が振ってきた。
「めくれてる」
「……うー」
肩甲骨のあたりだけで壁にもたれた状態のまま、不自由な肩を動かしてスカートを直す。ああ、どーりですかすかすると思ったら。
「まー破廉恥ねー」
「どこのおばさん?」
反射的に口走る。どうやらのぞみは、ムッとしたらしかった。綺麗に削ってマニキュアをぬった指先が伸びてきて、無言で腿をつねられた。
「痛いです」
「痛くなかったら問題よ。ったく、珍しく人が気を使って静かにしてるのに、なんであんたってぶち壊してくれるようなことばかり言ってくれるかな」
……ごめん、ちょっと後半婉曲すぎて意味つかみにくい。
でも。
「………そりゃメズラシイ」
心配してくれてるんだ。
言ったとたん、今度は頭を叩かれた。しかもグーだ。
「詠理と住吉君があんな状態であんたにまで壊れられたら迷惑するのはあたしたちなの。わかる?」
イヤそりゃわかるけど。
「…壊れてる、ように、見える?」
「見える」
きっぱり。
言い切られて、さらに脱力。
仰がなくても空の青が眼に飛び込んでくる。ていうか、青と白と太陽しか見えない。山は視界の外に消えていった。
………あー……。
こうして、屋上に寝そべって、見上げる空はどこまでも広くて。
言い尽くされた言葉だけれど、自分の存在があまりにも矮小なものだと痛いほど実感できてしまって。
正直、ちょっと、胸にくる。
「…とりあえず、あらゆることから逃避したい感じ」
住吉と詠理の問題も。
過去の自分の所業も。
全部忘れてどこか遠くに飛んでいってしまいたい。そう、あの鳥たちのように。
今の正直な気持ちを言葉にしたら、返事は返ってこなかった。
代わりに、あたしのそれに比べたら小さい手が、視界を覆う。
「ナニ?」
「…あんたでも滅入ることってあるんだなー、と思って」
……あんたデモってなんですか。
指の合間からのぞく青い空をただ眺めていると、かすかな笑い声が聞こえた。
なぜ笑う。
「いや、普段えらそうな青海がそうやって落ち込んでるの見ると、結構面白いって言うか、笑えるわ」
……西岡。あんたねぇ。
「そういう言い方ってあるか!?」
思わず起き上がってそう怒鳴ると、予想に反してのぞみはにやりと笑った。
「そうそう、その方があんたらしいわ」
そう言ってのけて、絶句しているあたしの前でさっさとお弁当を広げ始める。
「あんたは? 食べないの?」
「………食欲なんか、ないよ」
ま、それもそうかー、なんていう軽いセリフが恨めしい。
食欲なんかあるわけない。むしろ、胃は、気持ち悪い。
もう一度寝転ぶのもどうかと思ったので、壁に背を持たせかけて空を見上げた。
あー…やっぱり、どっか飛んで行きたい。
でも。
逃げてばっかりは、いられないんだよ、なぁ…。
「青海はさ」
のぞみの、一人ごとめいた呼びかけに、声だけ返す。
「朝の森本君の言葉、どう思った?」
いきなりど真ん中にきましたね。
雲が流れる。薄く広がった、ベールみたいな雲。
「……なんていうか。すごくショックだった。今までの自分のありようを否定されたみたいな」
覆された、という言い方もできるかな。
短時間で、ここまで言葉にできるようになったことに、内心驚く。
森本君にああ言われたとき、ショックで、声も出ないほどだった。胸からのどにかけてをグッと握り締められたような、そんな感覚があって。
「…ずっとね、あたしがエーリを守ってあげるんだ、みたいな、そんな意識があったんだろうなぁ。小学校の頃から」
…今まで。
ずぅっと。
「あたしはさ、かわいくないし、性格もこんなだし、でかいしで、ワリとそういう自分にコンプレックスとか持ってて」
あ、もちろん外見にもだけど。
そう付け加えて、続ける。
「だからさ、エーリみたいに、小さくて、ほわほわしてて、いかにも日本人な外見で、しかも中身もかわいい、そういう子に憧れてたんだなぁ」
正直、のぞみも時々あたしのコンプレックス刺激したりするんだけど、まぁそれについては言わないでおこう。
「スミ君ってさ。外見オヤジでも、それなりに性格いいじゃん? リーダータイプでぐいぐい人を引っ張っていくし、昔からよくクラス委員とかやっててさ。中学ん時、かなり人気あったんだ」
それで。
「で、昔からね、今と同じであんまりあたしたちの関係おおっぴらにしてなくて、『親戚』とだけ説明しててさ。ファンって言うのもおかしいんだけど、あいつのこと好きな子たちから一時期つるし上げ食らったことがあってさ」
陽光を反射しながら、飛行機が空を横切っていく。後にのびる白い尾が美しい。
「そのとき、エーリとスミ君、付き合い始めたばっかりでさ、まだ全然周りに知られてないときで」
その光が眼に痛くて、眩しすぎて、眼を閉じる。
「なんていうか……エーリを、こんな目にあわせちゃいけないって。エーリにこんな思いさせちゃいけないって。そう思っちゃったんだよねぇ」
まぶたの裏で光が瞬く。チカチカ、チカチカ。光の粒子がこぼれているみたい。
「で、スミ君と相談して、『付き合ってる?』て訊かれても否定しないようにしよう、誤解する奴には誤解させとけ、ってことになってさ。女子のやっかみとか、嫌がらせとかは、全部あたしが引き受けるよ。だからエーリは、なにも心配することなんかないんだよ…って」
声が、つまった。
やばい。
声が、震える。
「…なんていうか。すっごく子どもっぽい理屈で」
眼を閉じていてもなお溢れてくるものを隠したくて、両手で顔を覆った。
「結局は…『エーリを守ってる自分』に酔ってただけなんだ」
そう。
そんな自分に、酔ってた。それだけ。
詠理のことを考えているようでその実、あの子の気持ちなんて考えようともしていなかった。
「私はこんなにあの子の思って行動している」⇒「あの子がそれに不満なんてもっているわけがない」
なんて自分勝手で幼稚な理屈。
大人ぶって、保護者ぶって――…そんなに大人じゃ、ないのに。
ずっと黙って話しを聞いてくれていたのぞみが、ぽつり、と呟いた。
「…詠理は、強いよ」
「……うん」
「人に守ってもらえないと生きていけない――そんな女じゃ、ない」
「………うん」
わかってた。
本当は、ずっと前から、わかってた。
でも。
でも、詠理の保護者、って言う役割が、あまりにも居心地がよかったから。
それに甘えすぎてたんだ。
「…あ―――ッ」
「なによいきなり」
「つくづく、自分が子どもだったなぁ、って、実感して」
言うと、のぞみは呆れた表情になった。
「あったりまえでしょーが。あたしたちまだまだ勉強することが山ほどあるのよ? そう簡単に大人になれるのなら誰も苦労しないわよ」
その勢いに、ちょっと驚いた。
のぞみは昂然と胸を張ってあたしを見つめている。
その自然な表情を見ていると――なぜだろう、笑みがこぼれてきた。
「…うん。そうだね」
うなずくと。
のぞみはゆっくりと、花が咲き零れるみたいに綺麗に、笑った。
午後の授業の間、いろいろ考えていた。
今までのあたしの態度を、詠理はどう思ってたんだろうか。
どこまでも独りよがりな幼い行動。それが、詠理を傷つけていたら――そう思うだけでも、胸がつぶれそうになる。
今までは、なにか問題が起こると、なんでも――かどうかは、今となってはわからないけど――相談してくれた。
それが、今回は、一言の相談も愚痴もなく。
硬く口を閉ざして、固く扉を閉ざして、それっきり。
それが、詠理の思いの深さを、物語ってるんじゃないだろうか。
昼休みに比べて、少し雲がでてきた空をただ眺める。教師の声は耳を素通りしていく。
本当に、今まで、どれくらい詠理を傷つけてきたんだろう。
あたしの身勝手な、独善的な行動の裏で、あの子はなにを思ってきたんだろうか。
あのこの瞳に、あたしは、どんな風に映っていたんだろう。
鳥たちが、飛んでいく。
山に向かって。空に向かって。
その姿を眺めながら、ただただ、考えていた。
「結局行くのね?」
念を押すようなのぞみの声に、頷いた。
放課後、まっすぐ学校出たあたしは、いつもとは違う道をたどる。
途中まで付き合ってくれたのぞみも、別れ道まで来ると気遣うような表情でそう言った。
「…うん、けじめつけたいから」
「そういうところは、すっごく青海らしいと思うわ」
どーいう意味だろう。
「褒め言葉と思っとく」
「まあ無難なところね」
それこそどーゆー意味ですか。
たぶん変な顔になったんだろう。あたしの顔を見てのぞみはふっと笑うと、ひらりと片手を振った。
「ま、頑張って。詠理に振られたら泣き言聞いてあげるから」
「頼むから縁起でもないこというなって」
今度は声をあげて笑うと、のぞみはあたしに背を向けた。そのまま駅までの道を真っ直ぐ歩んでいく。
その背中を見送って、歩き出した。
詠理の家は、すぐそこ。
のぞみとわかれて五分ほどで、詠理の家に着いた。一戸建ての、こじんまりとした、かわいらしい家だ。玄関に溢れた花は詠理やお母さんの人柄を思わせる。
詠理は、もう帰ってるだろうか。
チャイムを押すと、程なくして明るい声とともに玄関のドアが開いた。
「あら詩織ちゃん」
「あ…こんにちは」
詠理のお母さんだ。
「どうかした? 詠理は一緒じゃないのね」
詠理とよく似た顔立ちのお母さんの言葉に、一瞬で心が冷えた。
まずい。
詠理が学校サボったことがわかったら、おばさんなんて思うか。
言葉に詰まったあたしになにか察するところがあったのだろう、かわいらしく小首を傾げて、おばさんは口を開いた。
「詠理、今日はずいぶん早くに家を出たけど……もしかして、サボっちゃった?」
「い、いえっ、そんな、ちゃんと学校きてましたよ」
「そーれにしては、詩織ちゃんの様子が変ねぇ」
うっ。
ちろり、と、下から見上げてくるその視線は、言い逃れを許さない。
「まぁ、言いたくないようなら訊かないわ。でもひとつだけ教えて? 今あの子、一人?」
「トーコ――あ、舟木透子っていう子と一緒です」
「ならいいわ」
にっこりと、詠理とよく似た笑顔を浮かべて、おばさんは門を開けた。
「詠理に用なんでしょ? 上がって待ってて」
その笑顔に、ふ、と緊張がほぐれていった。
「あ、じゃあ――おじゃまします」
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