こりないやつら 3
//西岡のぞみ//
ピシャン、と音を立ててドアが閉まる。渡会君の影が、ドアのところから消えて。足音が遠ざかって――そして、聞こえなくなった。
あーあ。行っちゃった。
「わたーも、部活再開してからすっかり明るくなったよねぇ」
のんびりとした口調で言ったのは透子。頬杖をついて窓の外を眺めていた青海が振り返って、笑った。
「剣道至上主義なところは変わってないけどね」
…違うでしょ。至上主義なのは剣道だけじゃないでしょーが。
ホントに鈍いんだから。
その鈍さに、前は救われていたけど――今は、腹が立つ。
むかついて、お箸を卵焼きに突き刺した。そんなあたしに身を寄せてきたのは野島。
「なあ。お前と渡会ってさ……どうなったん」
「とっくの昔に振られてるわよ」
青海に聞こえないようにか、小さな声でささやかれた言葉に、同じく小さな声でさっくりと答えてやる。野島の間の抜けた顔に気まずそうな表情が走った。
「……それって、やっぱり、文化祭のあと?」
「気づいてたの?」
「んーまあ。な」
正直、ばればれだろうなーとは思ってた。だって、文化祭の前と後とで、あたしの態度はあからさまに違ってたはずだから。
あのときのことは、誰にも話してないけど。でも、みんな気づいてると思う。あの、青海だって。
…静かに、終わった。ひとつの恋。
聞いてたのか、七尾君が話に加わってきた。
「で、お前、まだ渡会のこと好きなん?」
「そう、それよそれ」
そこが重要なんだとばかりに野島も身を乗り出してくる。
……なによ、あんたら。
この暇人。
「そりゃ今でも好意はもってるけど。終わってるから」
あたしの気持ちはもう終わってる。今は、好意以上のものはない。
そう言うと、二人はあからさまにほっとした表情になった。
「いや、よかった、とか言ったらお前に悪いんだけど。でもなー、今だから言うけど、正直あのときの三角関係はマジで心臓に悪かったぁ」
「俺なんかさ、途中参加だったろ? 最初に来たときマジびびったし。火花とか散っててさぁ。うおぉ、こいつらやベーって、本気で近寄らんとこうって思ってた」
失礼ね、あんたたち。
そこまで険悪じゃなかったわよ。別に仲良くもないけどさ、今でも。
でも、と、野島がけらけら笑ってる青海を見やった。つられるように七尾君もそちらに顔を向けて。
窓から差し込む光にきらきら光る金髪。すっかり見慣れた青い眼は楽しそうに細められていて。
素直に思う。
光の中にいる青海は、自然にきれい。
日本人にはありえない色彩だけど、顔立ちだけはしっかり日本人で、でもそれが不思議と違和感がなくて。
「……得してるわよねぇ…」
「あ? なにが」
「金髪に憧れて髪染めて結局痛みまくって泣いてる日本人がどれだけいると思ってんのよ」
なんだ、青海のことか、と、七尾君が呟く。
「西岡も憧れたクチ?」
「べつに。あたしの顔には金髪はあわないもん。ま、羨ましくはあるけどね」
自然な色合い。染髪じゃ、ああはならない。あの艶は、でない。
「やっぱりなんでも自然のままが一番なんだよ」
突然割り込んできた声に、驚いて見やると、いつの間にやってきたのか森本君が立っていた。びっくりした。
「なに、髪フェッチーとして言いたいことでも?」
にやっと笑うのは野島。
「…人聞きの悪いことを言わないでくれないか」
「俺たちしかいねーよ」
けけっと笑う。そんな野島を軽く睨んで、森本君は机に軽く腰掛けた。そして、かるーいため息。
「……なかなか触らせてくれなくて」
ポイントはそこなの。ねえ、ちょっと。
思わず突っ込んだのはあたしだけじゃないはずだ。
あたしたちの目の前で、感慨深げに首なんか傾げて見せて。
「向井さんの髪もなかなか触りごたえがあると思うんだけど、そんなことしたら住吉に殺されかねないし」
それが出来たらあたしあんたを尊敬するわ。
「舟木さんのは時々遊ばせてもらえるんだけど……でもやっぱり、あの髪には負けるから」
「あんた何気に失礼よね」
負けるとか言うんじゃないわよ、失礼な。
「…俺よくわからんけど。そんなにいいん? 青海の髪って」
首をひねりながら野島が訊いたとたん。
森本君のメガネが光った。
ピ、と人差し指でメガネのフレームを抑え、その肘に片手を添えて。
「なによりもまずあの手触り。さらさらしているけれど潤いがあってしっとりと手になじむあの感触。まとめてもまとめてもさらさら落ちてくるあの髪を結い上げた瞬間のあの達成感」
静かで淡々とした口調なのになんだろうなんだかとてつもない情熱を感じるのは。野島が両手で自分の腕を抱えたのが見えた。
「普段トリートメントしていないらしいあの髪をきちんとトリートメントしたら一帯どんな風になるのか、光沢が増すのか褐色が強くなるのかそれともコシが強くなるのか」
さむいさむいさむいさむいと野島が声もなく連発してる。七尾君はどこかに魂を飛ばしてしまってるし。
「――想像するだけで幸せだし。実際に結い上げた結果を見た瞬間なんか――至福の瞬間だね」
「…………すまん。俺が悪かった」
心なしか青い顔で野島が言い、「寒い、寒いよお前」と腰が引けた七尾君が呟く。
ふと、自分の腕を見てみた。……鳥肌立ってるし。
あたしたちの反応なんか気にも留めないで、森本君はあくまで淡々と続けた。
「まぁ、触りたくても渡会が触らせてくれないけど。せめてあの二人が曖昧なうちに一度は触っておきたいと思ってるんだけどね」
………そういうセリフも、どうかと思う。
…あーあ。
「あの二人もねー。いったいなにやってるんだか」
思わずぼやいてしまった。
だって、だってよ?
文化祭からもう半年経つのよ?
あのときなんかいい雰囲気? とか思ったあれはなんなわけ?
あれから半年。なんの変化もないまま、半年。
「俺の目から言わせてもらうと、なんですか。じれったいねほんとーに」
タラシといえばこの人、の七尾君の言葉はあるイミで説得力がある。
「男だったらビシッと決めろ! って言いたくなるね。まぁ、色恋に関してはこの俺様に任せなさい、ってことよ」
「なに言ってんの二股三股五股六股当たり前のくせに。渡会君に変なこと吹き込んだら本気で殺すわよ」
睨んでやると、「おおこわ」とか言われた。うるさいのよこのタラシ。
……でもねぇ。
思わず、ため息。
「あの二人がはっきりしてくれないと、あたしも先に進めないのよねぇ……」
ぽつり、と。
口から出たのは、紛れもない本音で。
一瞬で男たちの口が閉じた。
…別に、あんたたちが気まずい顔をする必要性はどこにもないわよ。
天使が頭の上を行進していく。気まずい沈黙。
まぁ、と呟いたのは野島だった。
「確かに、見てらんねーよなあ、あの二人」
うん、と大きく頷いたのは七尾君で。
思わずため息をついたら、他の三人のものと重なった。
「ねえねえ、そこさ、珍しいメンバー集まってなんの話してるのさ」
と、そんなところに透子の声が飛んできて、返す言葉に一瞬戸惑ったけど。
「青海さんの髪についてイロイロと」
そんなことじゃ動じない人が、一人。ホントに動揺とかしないのね、森本君って。
少しは顔色変えるとかしろよ。って野島が聞こえないように呟いた。
青海が苦笑する。
「なんの話してるのさ」
困ったような笑顔。別にいいんだけど、少し悔しい。
住吉がとりなすように笑った。
「まあそんなことはいいけど」
そんなこと? という森本君の呟きは無視。
「真面目な話な。七尾と、西岡。お前らがあの先生を嫌う理由はなんだ? 冗談は置いといて」
冗談……ってやっぱりさっきの「顔がいや」発言のこと?
思わず顔を見合わせた、七尾君とあたし。
「冗談じゃないわよね」
「ああ、アレ? いたってマジメ」
本気だったの? という青海の呆れた声は無視させてもらう。
「いや、冗談はいいから」
あくまで冗談にしたいらしい、住吉クン。あたしたちはマジメなんだけど。
詠理までもが言った。
「あのね。別にのぞみちゃんが先生を嫌いでも、別にいいと思う。でも、なんでそこまで嫌うのかなーって」
なんでって。
また顔を見合わせて。
「やっぱり、第一にあの顔でしょ」
「それとあの雰囲気。すっげえ俺たちのことバカにしてますって薄ら笑いが気持ち悪ぃ」
「あの声がイヤ」
「一々裏を持たせた言い回しも腹立つし」
「なに言ってもハイハイって軽くあしらわれそう」
「背ぇ高いし」
「あの目つきもなんか気に食わない」
「足長いし」
「口元は笑ってても、眼だけは絶対笑ってないのよ、あいつ」
「顔だけはやたらといいし」
「とにかく胡散臭すぎるし」
「いきなり女の人気かっさらいやがるし」
――ちょっと待って。
「あんた、なに言ってんの?」
思わず訊くと七尾君はきょとんとして見返してきた。
「え? 大城のイヤなところだろ?」
………待って。
「だってあんた顔がイヤとか女取られたとかそんなのばっかり!」
「……あれ?」
いや、「あれ?」じゃなくて。
ちょっと待ってよ。
七尾君の服を掴んでいた手を離して、ため息をついたとき。
呆れた声が飛んできた。
「なんだ、セブンが先生きらう理由って、ただの嫉妬じゃん!」
「男のジェラシーはみっともないよ」
笑いながら言われて、七尾君の顔が真っ赤になる。
「違うって!」
「違わないだろ」
ビシッと指差したのは野島だ。
「“背が高いのがいや”=お前はもう五センチ身長が欲しいと望んでる。“足長いし”も同じ理由により欲望の裏返し。“顔だけはやたらといい”=どうやら少し悔しいらしい。“女に人気”うんぬんはもうあからさまにやっかみジェラシーやきもちだろ」
「うわノッチー今度はどんなキャラ?」
「ずばりディテクティブだ」
でぃてくてぃぶ?
わからなくて首をかしげていると、隣から「探偵だ」という声が振ってきた。あら森本君。
「だから、違う!」
「いーや違わない。お前はただたんに女生徒の人気憧れを取られて悔しいだけだ! ヒトはそれを嫉妬と呼ぶ! グリーンアイドモンスター!」
はあ?
「green-eyed monster」
森本君が指でつづりを書いてくれる。森本君には悪いけど、書かれてもあたしにはわからない。
大丈夫かこいつ、と思ってたのはあたしだけじゃなかったみたいで、住吉君がものすごーく不審げな表情で野島君を見やった。
「おまえ、なんか変なもの読んだか?」
「昨日夜中にやってたホームズの再放送を観ましたですよ。やっぱ教授だな」
「教授って、モリアーティ?」
「いやキャラ違うだろ」
森本君が首をかしげ住吉君が突っ込む。あたしにはなんのことかさっぱりだわ。
「いや俺のキャラうんぬんはどうでも良くて」
なんかぶつぶつ文句を言ってきた本好き二人を手で払ってから、野島は改めて七尾君に向き直った。
「はっきり言おう! おまえの奴への反感はただの嫉妬だ! ジェラシーでアール」
「違う違う違う!」
「セブン顔真っ赤だよー」
「違うッッ!!」
叫ぶ七尾君をあっさりと横にのけて、今度は野島の視線があたしに向いてきた。
「で、次は西岡だ」
「違うッつってんだろ!!」
「うるせえんだよコマシはそこら辺で女引っ掛けてろ」
いきなり野島の声が低くなった。
ドスの利いた声に七尾君が口を開けたまま固まる。七尾君だけじゃない。野島以外の全員が、固まっちゃってる。
それに気づいたらしい野島が、こほん、と咳払いをひとつした。
「えーとなんだ。そう西岡だ」
……野島。あんたって……。
なんだか見てはいけない側面を見たような気がする。
みんなのビミョーな表情には気づいてないのかそれとも気づかないふりをしているのか、野島はまたもとの調子であたしを見上げた。
「西岡はなぁ……俺よくわかんねんだけど。ああいう男って、女なら誰でも好きになるんじゃねえの?」
「そんなわけないじゃない!」
じゃああたしはなんなわけ?
あたしは無視して野島は周りを見回した。おまえらはどうよ、と訊いた相手は残りの女性陣。
透子が困ったように首をかしげた。
「うーん。確かにつかみ所がないなーとは思ったけど……でも、顔はあたし好みです」
あんたはそう言うと思ったわ。
「でも、正直に言うとね。センセーの顔見たとき、のぞみんの好きそうなタイプだなーって思ったんよあたしは」
「冗談でしょ!?」
「ごめんね、チラッと思っただけだから」
「やめてよ気持ち悪い! あたしが好きなのは、スポーツマンなの! あんな優男なんか好みじゃないわよ!!」
「うんのぞみん筋肉好きだしね」
ザッと男どもが引いた気がしたけど、構っちゃいられない。
「そうよ! 肋骨浮いてる男なんて願い下げ! たるんでる男は問題外だけど!」
野島と七尾君が自分のおなかを見下ろしたけど、見なかったふり。どうせあんたらは肋骨浮いてる口でしょ。
てゆーかあたしの好みはどうでもいいのよ!
「本気でダメなのよあの男! なんか知らないけど、直感的に思ったの! こいつダメだって」
そう。顔を見て、声を聞いた瞬間。あの、うさんくさい笑みを見た瞬間。
直感した。この男はダメだって。
「あの笑顔がイヤなのよ! 青海もそう思うでしょ!?」
男の好みに関しては結構似ているかもしれない女に話を振る。同じ人を好きになったんだもの。あたしの気持ちがわかるはず。
なのに。
青海は、困ったように笑って言ったのよ。
「確かに、食えない人だなーとは思ったけど…。でも、嫌うまではいかないかな。最近知ったんだけど、あたし、ああいう人って結構好きみたい」
「おまえ面食いだしな」
即座に入った住吉君の揶揄が、遠く聞こえた。
「……あんただけは、わかってくれると思ってたのに」
誰に理解できなくても、青海ならこの気持ちをわかってくれるだろうと。
そう、無条件に信じ込んでいた自分に気づいてしまった。
「西岡?」
青海が青い眼を見開いてあたしを見てくる。訝しげな表情。
…悔しい。
なんでそんなこと思ってたんだろう。
青海なら大丈夫、だなんて。なんでそんなこと、考えちゃったのか。
悔しい。
「のぞみん?」
心配そうな透子の声。詠理が心配そうにあたしを見つめてる。
――悔しい!
思ったときにはお弁当の袋と鞄を掴んで、立ち上がっていた。
「もういい!」
顔とかそういうすごく即物的ながらも、七尾君だっているし!! 青海なんていなくていい! もう当てにしない!!
「あたしたちだけでやってやるわよ!」
「西岡!」
青海の声が飛んできたけど、もう振り返らなかった。教室から飛び出す。
――否、飛び出そうと、した。
突然ものすごい足音が聞こえてきたかと思うと、あたしが今から開けようとしていたドアがいきなり開いたんだ。
「いるか!?」
叫び声とともにいきなり現れたのは渡会君で。
心臓が止まりそうになったのは、別に渡会君の剣道着姿に見惚れたからとかそんなんじゃなくて、彼が全身汗だくだったから。
いったいどんな練習をしてきたのかって言うぐらい、渡会君はびっしょり汗をかいていて。
その姿に、あたしだけじゃなく背後のみんなも一瞬息を飲んだようだった。
「…なに、その汗」
気をのまれたような青海の声。
そのときになって、渡会君の息が弾んでいて、肩が大きく上下していることに気づいた。渡会君が息を切らせてるところなんてはじめてみた。
細いからだのわりにタフな人なのに。
渡会君、何度もなにか言おうとして。そのたびに大きく息を吸いなおして。そうとう呼吸が苦しいらしい。
「おまえ、部活は?」
住吉君の声に、なんとか、って言う感じで答える。
「…今…休憩、中」
大きく息を吸って、襟で滴る汗をぬぐって。
そして、口を開いたそのとき。
いきなり扉に影がさしたかと思うと、黒い人影が現れた。
「いきなりどこに行ったかと思えば……」
「大城ッッ!?」
渡会君の襟首を掴んだ大城は、教室の中を一瞥して眉を上げた。
「なんだまだ残ってたのかおまえら」
口は開けど声はでない。
大城は、さっきまでのスーツ姿じゃなくって。
黒い剣道着をビシッと着こなしていて。
渡会君のあの紺の剣道着姿じゃないけど。けど。
「なんでそんな格好してるの!?」
透子が素っ頓狂な声を上げる。それにはまたまたニヤリと笑って。
「ああ、俺、剣道部の副顧問だから」
驚く暇すらなく、渡会君が猫のようにつかまれたまま大城を指差す。
「俺それ言いに来たんだ。こいつマジで鬼。サド」
「人聞きの悪いこと言うなよ、おい」
「休み開けでいきなりあんなハードな練習させるか? 腕つりそう」
「怠けきっていたらしいな」
「明日筋肉痛必至だなーこれ」
「結構余裕アリと見た。よし、道場に戻ろうか」
「早ぇって! まだ時間あるだろ」
バカみたいに突っ立ったまま、あたしはその掛け合いを見てることしか出来なくて。
「なんか、仲良しさんだねぇ」なんていう透子の言葉に、渡会君の突っ込みが入らなかったことに驚く余裕すらなくて。
頭の中は真っ白。
体が言うことを聞かなくて、目の前の背の高い男を見上げることしか出来ず。
渡会君を引きずって、大城がやけにさわやかに言う。
「じゃあ、おまえら、なに悪巧みしてるのかは知らないが、早く帰るんだぞ」
はーい、なんて透子がヨイコのお返事をする。
ふ、と笑って、大城があたしを見た。
思わず逃げが入ったあたしの頭に、おもむろに触れて。
「西岡は家遠いんだろ? 早く帰らないと親御さん心配するぞ」
涼しい顔でそんなことを言った。
ピシャン、と音を立ててドアが閉まる。大城の影が消えたとたん、あたしはその場にへたり込んでいた。
腕を見る。
…やっぱり、鳥肌。
足に力が入らないのは、腰が抜けたからなんかじゃない。断じてない。
やっぱり白い頭のまま呆然とドアを見詰めてるあたしの背後からは。
「…かーっこいーい」
なんて、のんきな呟きが聞こえてきて。
なんだか無性に腹が立った。
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